2020年04月07日(火) |
夜。オットが少しの間安倍さんの緊急事態宣言をラジオで聴いているのを、私は息子の相手をしながらほんのちょっと耳を寄せた。でも、その瞬間、ぞわっとした。とても嫌な感じがした。何だろうこの感じ? その時はっとした、ばあちゃんやじいちゃん、父や母もかつてこんなふうにラジオに耳を傾けたことがあったのではないかとそう思えてしまった瞬間、ぞわぞわの嫌な感じが明らかになった気がした。ああ、国民に責任をなすりつけているようなその感じが嫌なんだ、と。 安倍さんの言い回しのそこかしこから、責任ちゃんと果たしてねと言われてるそういう気配を感じぞわっとするんだ。いや、国民に責任なすりつけて、国何やってんの?と思うのは私だけか? いやそもそも、そういう代表を選んだのは私たちだっけか? そのツケが回ってきたと、そういうことか? 私は頭がくらくらしてくるようだったので、その場をすぐ離れた。
息子が赤ちゃん返りをしている。私もオットも、そんなにコロナの話をしないけれども、それでも彼は、彼の生きる世界の中でひたひたと忍び寄ってくる何かを感じている。そのせいで非常に不安定になってきている。「おっぱい、おっぱい!」と繰り返し言うし、触ってくるし、それだけじゃない、オットの微妙なイントネーションに過敏になっている。彼の過敏な反応が私にビンビン伝わってきて、正直私はどぎまぎしている。これはいかんなぁと。
ひとの身体だけじゃなく、ひとの心も侵蝕しているのだな、コロナは、と。私にはそう感じられるから、ほんとに日々ぞわぞわしている。
人間いつかは死ぬ。それが今日か明日か、それさえ自分には決められないものだ、と、日ごろから思っている。もちろんまったく怖くないわけじゃないし、死ぬってどんなかなあなんてちょっと戸惑ったりする。でも。 それ以上に、人間の、心が蝕まれてゆく様を間近に見るのが、私には一番怖い。今そうした気配が、じわじわ、じわりじわりと、近寄ってきている気がする。
フランク・パヴロフの「茶色の朝」が猛烈に思い出される。いや、違う違う、と首を振るのだが、この今の気配が、あの「茶色の朝」から感じる気配にとても似通っていて。だからどうしても私を蝕むのだ、この「気配」が。 |
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