昼食に誰かを待つ日は

2019年06月19日(水)

バラの花が萎れた。
でも花瓶のなかで弱々しく立っている。
茎も草もしなしななのに、頭はまだ垂れていない。
苦しいのに無理やり生きている感じに見える。無理に生かしてしまっているのかもしれない。
明日は花瓶の中から取り出そう!
でも花の寿命って、どこで判断するんだろう?

この狭い部屋に、花を置いているけれど、
ここは花が生きる場所ではないことは確かで、
だからそもそも、ちょっとお花にとって不幸なのかもしれない。
でも、私は元気な花を見ていると元気が出る。
だから置いている。とても我儘で自分勝手だ。

きのう部屋に再びてんとう虫がやってきて、
外に出そうと思ったのに、間違えてやっつけてしまった。
それで、何にも罪がないてんとう虫は息絶えた。こんな風に小さな命をいつも奪う。

自分本位の人間。それでも自然には勝てない。
災害には抗えないから、多分ポックリ死ぬ。
人も虫と一緒だ。虫よりも酷くて、とんでもないことばかりをしでかしている。
だから何が起きても、何も文句言えない。

生きているだけでゴミを増やしているし、
だから、もうこれ以上のことしたくないなあ。

何かを強く言う権利も何もないよ、と思う。
小さいところを見ていくと、私は毎日何かをしれかしている。
ごめんなさい、と思う。
けど、いつもありがとう、とも思う。

人を攻撃するために言葉が存在するんなら、
一回全部忘れてしまいたいよなあ。
それで、日本語を見るのがつかれてきた。
意味がわかりすぎるから。

この前全く読めないのにロシア語の辞書を突然買っちゃったんだけど、
もちろん学ぶつもりでは毛頭なく、
読めない言語を読む、というか見る、というのは
なんか宇宙人になったみたいで楽しかった。

日本語、意味がわかりすぎて、もうつかれる。
私、本当にツイッターやフェースブックが嫌いだ。
大嫌いだ・・・・!
あんなに言葉が氾濫している世界に身を置いていたら、滅びると思う。


で、いつかの行き先を決めよう。
しおれる前に、頭が垂れてしまう前に。





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左岸 [MAIL]