昼食に誰かを待つ日は

2019年05月27日(月)

非常に暑い日。5月だというのに気温は30度を超えていた。真夜中に変な夢を見て、忘れないうちにそれらをIに送りつける。親しい友人たちが夢の中に出てきたのだった。気持ちの良い夢ではないが、楽しい夢だった。

自転車で出勤。ずっとノラジョーンズを聞いていた。

10時。仕事。PCに触る。今関わっている著者のお父様が亡くなり、今はバタバタと忙しいですとのメール。
人が死んだ後の方が大変だということはよくわかる。それを伝えると、「甲斐さんも随分お若い年でお父様を亡くされたのですね。大変だったでしょう。でもきっとお父様は見守ってくれていますよ。私からもご冥福を祈らせてください」と返事。S氏の父は既に80を過ぎていたが、それでも死は急。独りで逝ってしまったために誰も最期を看取れなかったという。「でも、それも彼らしいです」と。

S氏の原稿は、当初とは全く違う方向性になっている。それが正しいのか間違っているのかわからない。日々不安。何かを言うたびに間違ったことを言ってしまっているのではないか、といつも思う。時間が経てば経つほどに不安が増していく。きっとあんまり向いていない仕事なのだ。それでも、S氏が書いていて楽しい、発見がある、というので、それだけで、こちらとしては嬉しいです。
途中、暑さにやられてPCと向き合うのが困難になった。そのまま背を向けて扇風機に顔を当てていると、隣に座るHさんに、「大丈夫?」と尋ねられる。「暑いと、生きる気力を失います」というと、「そっかあ。じゃあ今日はよく来たね。それだけでえらいよ」と言ってくれた。Hさんはいつも涼しげな顔で愛想も良い。けれど実は誰にも何にも興味がないひとで、部屋ではユーカリを育てている。そして家に帰ると痴呆症になってしまったおばあさんの世話をしている。こんな生活がすこし息苦しいよ、と以前涼しい顔で言っていたことがあった。
Hさんが隣の席であることはわたしにとって救い。それから時間が過ぎ、時間が過ぎた。それでも外はまだ明るい。そしてうんと暑い。

買い物をして家に帰り、キャベツを千切りして米を炊き、暑い暑いと言いながら顔を水で洗って麦茶を飲み、風呂などに入ってキウイを切る。ベランダでぼーっとしていると、今日はこの時間のために生きていたのだな、と思う。

なにもなさない日であった。それで良い。


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左岸 [MAIL]