てくてくミーハー道場
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10年と1日ってことじゃないですよ(分かっとるわ!by 読者の皆様)
毎年毎年変わり映えしないってことっす。
つまり、ぼくの人生のことっす。(←実態に比して使用単語が壮大)
毎年12月30日から1月2日ぐらいまではひたすら同じような日をすごしておりまして、進歩ねえなあと自虐していたんですが、ふと、これってとてつもなく幸せなことなのかも、と考え直しました。
毎年、無事にミーハーな年越しができるということは、転落するような重大事がないってことだもんね(←後ろ向きなポジティブ思考)
それも、ぼく自身のことはもとより、ミーハー対象であるあの方たちが、毎年毎年(多少の日程のズレはあるにしろ)同規模なライブを、1年とて欠けることなく継続して20年経っている。
これをぼくたちは当たり前のように享受しているが、実際とてつもない幸運の積み重ねなのではないだろうか。
それをつくづく実感させてもらっている2017年なのであった。
ちなみに、ぼくがこの世に生を受けて57年弱経つんですが(生きたなー、我ながら)、今みたいな変わり映えのしない年越しを何年間続けているのか数えてみたところ、今年で11年目です。
東京ドーム単独公演数最多記録を持つKinKi Kidsさんが初めて東京ドームでコンサートを開催した1998年12月30日に偶然友人が誘ってくれた(同行者にドタキャンされたらしい)のが、ぼくがこういう幸せな(強調)年末を過ごすきっかけだったのですが、その翌年以降はお茶の間オタを貫き、まともな(こら)年越しを家族とともに過ごしていたのです。
なにせ彼ら、1999年、2000年と、大晦日はずーーーーーーっとテレビに映ってたからね(それでなおかつコンサートもやってたっていう・・・)
テレビをつけてさえいれば、KinKiが見れたんです。
そんな時代がありました。
そんで、何がきっかけだったか忘れましたが、2002年の通称「Fコン」にまたもや偶然に行くことができまして、これがまた6月に追加公演が行われるほどの名コンだったわけで。
ぼくたん何を思ったか名古屋、福岡にまでおっかけてしまいまして(札幌公演は間に合わなくて行けなかった)
ただその後もKinKiファンにとって一番大切な元日公演だけは、つれあいの実家への挨拶があったので最初から諦めていたのですが、神のいたずらか()、なんと「φコン」の年にいきなり「来年からお年賀は2日に来てちょうだい」と言われ、初めてお誕生日コンに行くことができました。
そしたらあの(←デカい/汗)「公式が夢小説事件」(?)が起きまして。
以来、どんな手を使っても(堂々と書くな!)全ステすることにしたわけです。
また全ステしやすいのよね、公演数が激少なんで(はっきり書くな!)
ただし、去年はKinKiさんたちが渋谷区神宮前方面で大晦日を過ごされましたので、ぼくもひっさびさに自宅で地味に年越しをしました。
だけど翌日には例年通り暴言王子が1歳年とるのを大勢で祝えましたし、平和のありがたさを噛み締めました。
具体的な年は忘れましたが(オイ)大阪で年を越したこともありましたな。とっても幸せだったことを覚えております。
思い出に浸ってる場合か。(←急に我に返った)
まあこうやって幾星霜近畿キンキで年越してるぼくですが、おととしからは“ある青年”のことも異常に気になるようになりまして、今はどうか一日も早く彼の傷が癒えて来年2月にはぼくたち皆と彼の望みが絶対に叶いますようにと衷心ながらお祈りするものでありまして、昨年暮れからある事情でできなかった献血を、約1年ぶりにして“彼”に会って(言葉のあやです)まいりました。
ご紹介します。“彼”です。 ↓
相変わらず写真撮るの下手で、頭から蛍光灯が生えちゃってますが、お見逃しください。
3年前から「はたちの献血」をPRしている彼は実際すでに23歳なんですが、未だにキャンペーンキャラクターを任されているということは、絶大な効果があるんでしょうなあ。
本日ぼくの血を採ってくれた看護師さん曰く、こんな年の瀬なのに、午前中から昼過ぎにかけてこちらの献血ルーム、めちゃ混みだったとのこと。ぼくは夕方に行ったのでさすがに空いていましたが、世の中優しい人がいっぱいですね。
そしてぼくは、「ポイントがたまったので、(景品の)来年の手帳をお持ちになりますか?」と言われたんですが、
「それは要りませんから、あそこにある羽(前にも書いたことあるセリフなので以下略)」
と言いたいのをぐっとこらえて(結局言えなかったんかい!)手帳も「もう買っちゃったので結構です」ともらわずに帰ってきました。
・・・おらに勇気をくれ。(無理)
よっし。明日の準備しよう。←
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