てくてくミーハー道場

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2017年09月30日(土) 『アマデウス』(サンシャイン劇場)

世の中に“鉄板”てものはいくつもあり、その人によってそれぞれ違うものだとは思うが、ぼくにとっての“鉄板”戯曲の一つがこの『アマデウス』です。

ちなみに、ミュージカルでの“鉄板”3の一つが『ラ・マンチャの男』なので、高麗屋はぼくの“鉄板”2枚保持者。

かといって歌舞伎俳優の中で最も好きかというとそうでもな(略)ところが世の中の面白いところです。

まあその話は今日はしないでおきましょう(今日でなくても、しない方がよろしかろう)





とにかくこの『アマデウス』

文句のつけどころがない。

マスターピースである。完璧ってやつである。

ぼくはこの作品を(映画は別として)高麗屋のサリエリでしか観たことがないので、他の役者が演った場合でも同じように感動するのかは未知数であるが、まず戯曲のクオリティの確かさは間違いない。

それと、他の作品なら気になってしょうがないのだろうが(一言多いな)、高麗屋独特のセリフのリズムも、それに加担(?)しているように思える。

奇妙なものである。

さて、高麗屋に関してはもう何にも言うことがないので(なんか逆に愛がないみたいだが、そんなことはない!)、今回から加わった新しいメンバーについて。


モーツァルト:桐山照史

桐山君の舞台を観るのはこれが2度目で、1度目の作品では彼は心優しいゲイの役であった。

最近めっきり限られたテレビ番組しか視ないぼくは、ジャニっ子とは言え知らない子は全く知らない。だから桐山君がアイドル業をしてる時はどんな感じなのかさっぱり知らない(そういや『あさが来た』をちらっと視たときに出てたなあこの子。お行儀の良いボンボンて感じの役だった)

「照史」と書いて「あきと」と読むなんて、今回初めて知ったぞ!

という話はともかく、高麗屋相手にモーツァルトを演じるなんて大抜擢じゃないか。すごいぞ桐山君。

場内にけっこうな密度で存在している桐山君ファンらしき女性客たちが、ストーリーと関係ないところで予想外の反応をしませんように(意地が悪いぞお前もジャニオタのくせに)と祈りながら観劇。

予想外の反応は、気にさわるほどではないが、ときどき感じられた。「あっ、そこで喜んじゃう?なるほど」みたいな(意地が悪いぞ!)

そんなことより桐山君、よく頑張っていました。ぼくはソメソメ以降のモーツァルトしか知らないのですが、あの、常人を苛立たせる()天真爛漫さというのは、分別のある年齢になってから演じるのはものすごーく大変であることが分かります。

上手にできるとしたら、映画版で演じたトム・ハルスレベルの死に物狂いの努力か、天然でモーツァルトらしさを生まれ持ってるかのどちらかでしょう(おいこら)

そういう意味では、完璧にモーツァルトらしいとは言えませんでしたが、高麗屋がサリエリになって嫉妬のつぶてをぶつけてくるにふさわしい程度にはハチャメチャオバカな天才児でした。

ただ、桐山君はお世辞にも華奢とは言えないので、晩年の死にかけのモーツァルトの目も当てられないような病的な雰囲気は残念ながら出せてなかった。体格ではどうもならなくても、そこはお芝居でなんとかしてほしかった。あまりにも健康的すぎて、前半は良いのだが、そのシーンだけはちょっと話に入り込めなかったかな。その分高麗屋がすべてカバーしてた気がする。


コンスタンツェ:大和田美帆

ぼくが大いに買っている女優のひとりである美帆ちゃんでありますが、今回は不思議といまひとつに感じた。

コンスを演じるには理知的すぎるというのか、おばかっぽさが足りないというか。これはぼくが美帆ちゃんだからと先入観を抱いていたからでないことははっきり言える。

だって、キャスト知らずに行ったから。(えっ?)

最近はこの手法で行ってます。先入観防止策。

さすがにサリエリとモーツァルトは事前の知識避けられないけどさ。

で、コンスに話を戻すと、とにかく気が強すぎる気がした。もちろんミュージカルの『モーツァルト!』のコンスとはぴったり一致する必要もないんだけど、ぼくの考えではコンスはウルフィー(ウォルフガング)に無理してバカさを合わせてるようじゃダメで、似た者同士じゃなきゃいけない。

いるじゃん、お勉強できない同士がくっついちゃった夫婦って(・・・えと、それ以上書くと、社会道義的によろしくないですよ・・・?)

ジャージにサンダルでコンビニ行っちゃうような。1歳ぐらいの子供を襟足だけ長いヘアスタイルにしてるみたいな(こ、こら/震)

世間で言うドキュ何とか。そういう感じだったんじゃないか?モーツァルト夫妻って。

そんなコンスが、夫のためにとない知恵絞ってサリエリに縋る。でも、頭悪いなりに(自己流)正義感はやたら強いから、いろいろしくじっちゃう、みたいな流れなんじゃないですかね、あれ(ってどれ?)は。

・・・と、偉そうなこと書いてますが、そもそもぼくはコンス役を毎回あまり重視してない。以前観た歴代コンスは誰だっけ?みたいな感じで今もすぐ思い出せない。

『髑髏城の七人』の沙霧と一緒で、主要キャラの中で一番思い入れがないという・・・。

すみません、女に冷たくて。





とにかく、実際のところこれだけ戯曲がちゃんとできているのに加えて、モーツァルトの原曲が劇伴として流れちゃうんだから、文句のつけようがないんだよなこの作品。

それより、『後宮からの逃走』とか『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』は、まあいいとして(いいの?)、『魔笛』だけはちゃんと観てから改めてこの『アマデウス』を観ないと、本当にこの作品を観たことにならないんじゃないか、と今回しみじみ実感しました。

『魔笛』を知識としてだけ知って観るのと、実際に『魔笛』を観た身で観るのとじゃ、あのアン・デア・ウィーン劇場のシーンを本当に理解できないんじゃないか。今回強くそう思いました。

あの時のサリエリの衝撃と恐怖を、同じように感じるには。

・・・急いで観なくちゃ(えっ?これから?)

とにかく観といて、次の『アマデウス』上演に間に合わせないと。





来年は高麗屋にとってン十年ぶりのご祝儀年。歌舞伎以外のことに気をまわしていられないだろうが(ぼくも久しぶりに木挽町に行こうと思ってる)、またいつか『アマデウス』も、そして『ラ・マンチャの男』も(笑)再演を楽しみにしております。

それまではフェルナンデス君の今シーズンのフリーを観て楽しむことにしよう(^^*)


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