てくてくミーハー道場

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2017年05月03日(水) 『王家の紋章』(帝国劇場)

去年の夏に初演された当作品、あまりにも評判が良かったらしく早速の再演。

しかも主要キャストがダブルの人も含め全員再集合という、うらやましくてならない(何の作品の側に立っているのか鋭い方はお判りですね)事態であります。

で、ぼくは初演ではキャロル=宮澤佐江ちゃん、イズミル=平方元基くん、という1パターンしか観られなかったので、今回はちゃんと策を弄して(違)新妻&宮野チームのチケットをとりました。


んで、ここでご注意を申し上げます。

ミュージカル『王家の紋章』クラスタの方は、これ以降、おそらくご機嫌を損ねますので、お読みにならないことをお勧めします。











去年観た時の感想を未だに書いていないことからもお察しの通り、この作品にはぼくはあまり魅かれませんでした。

その理由として、原作漫画(なんと、現在でも連載中!その期間41年という『こち亀』もびっくりの大長編である)が連載されている雑誌『月刊プリンセス』を、ぼくも70年代末から80年代にかけて愛読していた(お目当ては『イブの息子たち』『エロイカより愛をこめて』であったという点でお察しください)にもかかわらず、当時から人気作品の一つとしてちょいちょい巻頭カラーにもなっていたこの『王家の紋章』に、あんまり嵌らなかったというのが一つ。

まあ、途中から読んでるんだからストーリーがいまいち解らなくて当たり前なのだが、それでももし嵌ってれば、単行本を買ってみるとかしたはずである(当時は連載3年目ぐらいだったから、そんなに腰が引けることもなかったはず)

今となっては単行本も62巻(昨年12月発売のものが最新刊)という目が回るような事態なので、今回も予習は一切せずに、ぼくが『プリンセス』で読んでた時代のうすーい記憶だけで臨んだ。

ほんで、ミュージカル版を観た後で正直に抱いた感想は、

「(音楽)リーヴァイ先生のわりに、魅かれてどうしようもないナンバーがなかったな」

というバチ当たりなものであった。

言い訳じみてるが、「美しい!」と思った曲はもちろんあった。アイシスが歌う「いつも(想い儚き)」なんて、まさにそういうのを狙ってるなーとわかる曲である。

とかいう書き方をしちゃうくらいだから、なんかもぞもぞしながら一所懸命いいところを探してるのがばれてますよね。

リーヴァイ先生だと思うと、基準が『エリザベート』『モーツァルト!』加えてせめて『レベッカ』になっちゃうからね。あのレベルを求められてるんですぞ。

なわけで、初演にはあまりドンとくるものがなく、盛り上がっている周囲のお客さんたちから取り残されたような気分で日比谷を後にした。

だが当時はそれでも、

「待てよ、これは佐江&元基という組み合わせのせいでは(←激しく失礼)」

と思い、人気がありすぎてチケットとれなかった今回の組み合わせを観ないうちは、おいそれと感心しない感想をなど書いちゃいかんのではないか、とひそかに口をつぐんでいたわけである。

で、期待を抱いて本日帝劇へまかり越したわけだが、結局のところ、感想は変わらなかった。

そもそも、未だに連載が続いている長編を、どうやって3時間で終わらせるのかな、という点も気になったし(←『犬夜叉』では気にしてなかったくせに)

今回の舞台の終わり方は、キャロルがメンフィスへの愛を自覚してヒッタイトから無事逃げ延び(このくだりは、原作ではもっとずーっと波乱万丈なんだが)二人が結婚するまでを描いている。とりあえずのハッピーエンディングではある(アイシスにとっては強烈バッドエンドだし、ライアンにとってはハッキョー寸前の状況なのだが)

まあ、これはこれで良い収め方かな、って気はする。

ていうか、これしか方法ないような気がした。

言外に「続章ありまっせ」的な。

むしろ、ネルケとかの製作ならどしどし続編を作りまくるだろう。

だが、これは東宝作品である。

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が宇宙戦艦ヤマトを建造しちゃってるようなものだ(←例えが意味不明)

KIHACHIがたこやきチェーンをオープンさせるようなものだ(←ますます・・・)

つまり、本来の餅屋じゃない人たちが、「うち、壮大な歴史ロマンミュージカル得意なんで。衣裳や装置も金かけられますし。作家も一流どころつれてこれますし」と言ってつくったのが今作、という気がする(なんか・・・大資本をディスってません?)

なんか、「別にそういうんじゃなくていいんだけど・・・」って気持ちになる。



もちろん、漫画からそのまま抜け出てきたような美貌の実力一級の役者たち(これは、前回観た方のキャストも含む)が朗々と歌いまくってくれたからには、こちらも「帝劇で観る甲斐があるものだ」と満足はした。

特に名前を挙げるとするならば、濱田めぐみ、本当にブラボーである。

美貌とシャーマン的な能力、絶大な権力を手にしながらも、最も本人が欲しているのは決して報われることのない愛。

へたすっとヒロインのキャロルよりよっぽど観客の共感を呼ぶ役である(日本の一般女性はあんなおっそろしいことを実際にはできないだけに、余計にシンパシー感じるんじゃなかろうか)

あと、ヅカオタ丸出し感想ですまないが、ミタムンを演じたあゆっち(愛加あゆ)も良かった。

けっこう前半で殺されちゃって、あとは煤けた亡霊状態で出てきて舞台上を横切るぐらいなのだが、キレッキレのダンスと王女らしい品はさすがの出自。ハマメグと歌で掛け合うという、並みの女優ならばビビってしまう場面もしっかりくらいつき、存在感を示した。

キャロルに関しては、佐江ちゃんのキャロルはちょっと淡い記憶の彼方なのだが(おい)、そんなに不満はなかったと記憶している。ぼくは、がっかりした人のことはけっこういつまでも覚えてるので(性格わる)

新妻聖子ちゃんに関しては、今回すごく期待を膨らませて行ったので、その点不利だったかもしれない。

たしかに、歌は高値安定で期待を裏切らず。

ただちょっと、変な言い方だが、陰気っぽいキャロルだった。

大人びすぎてるというか。分別臭いというか。

原作ではキャロルは16歳なのだが、それは少女漫画だからであって、普通に、現代の女の子がタイムスリップして3千年前の人たちをひょえーっと言わせるほどの物理学・医学的知識を持っているとしたら、最低でも考古学専攻の女子大生か、もっと年上でいいなら大学院の研究者ぐらいにしないとなーと思う。

だから、別に無理に16歳ぽく演る必要はなかったと思うのだが、それでも聖子ちゃんのキャロルは雰囲気が落ち着きすぎてた(本人の見た目は十分少女っぽいのにな)

ぶっちゃけていうと、メンフィスより年上に見えたのである。

古代の人よりも「歴史上の知識」を多く持っているから、現代人の方が利口に見える、みたいな状況だったのかもしれないが。なんかうまく説明できない。

・・・ところであの人たち、何語で話してたん(そこは突っ込むな!)




男優たちについてですが、みなさん(やまゆう先輩も含めて/笑)見目麗しく歌もお上手だったのですが、申し訳ないのだが、いまひとつ押し出しに欠けたというか。

ぼくが殿下(浦井健治)を過小評価してるのかもしれないが、フィナーレのラインナップで最後に彼が出てきたときに、

「えっ?!殿下が主役だったの?!」

って思ったのである。

これは、殿下が“トップさん”(どこの劇団だ?!)にふさわしくないという意味ではなくて(『アルジャーノンに花束を』でも『デスノート』でも、ラインナップで殿下が最後に出てきたことに全く文句はなかったから)、メンフィスがこの作品の中心人物として描かれているように思えなかったという意味だ。

でも、それじゃキャロルが主人公なのか、と言われれば・・・て気もするし(でも、漫画では主人公はキャロルだと思うんだがなあ)

そこで、ヅカオタ丸出し意見で本当に申し訳ないのだが、

「メンフィスが主人公なんです、って舞台にしたいんなら、宝塚で上演すればよかったんじゃん」

と、心から思った。

そう思って振り返ったら、このお話すごくタカラヅカっぽいのだ。

トップさんがメンフィスを演じ、娘役トップがキャロル、二番手にこの上なくふさわしいイズミルというおいしい役ありーの、実力派娘役にうってつけのアイシスがいて、娘役二番手にはミタムンがあり、専科からイムホテップ役は連れてこれるし、組長と副組長にはミヌーエ将軍とナフテラがいて。ライアンは路線の男役にぴったりだし、なんつっても、今日観てて感じた、

「戦闘シーン、人数少な・・・」←

という不満が、タカラヅカがやれば一気に解決するではないか。

オギー(荻田浩一)にはすまないが、中途半端に“ヅカっぽい演出”をするんだったら、最初から本家に任せてしまえばよかったのになあと思ったことだった。

KIHACHIに行ったら、たこやきではなくオシャレなキュイジーヌをいただきたいのである(←気取りすぎて何言ってるかわからんが)






そんなわけで、ミュージカル版『王家の紋章』ファンの皆様には正々堂々と顔向けできない感想でした。


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