てくてくミーハー道場

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2017年04月12日(水) 『フェードル』(Bunkamura シアターコクーン)

ギリシャ悲劇かと思って観に行ったが、戯曲を書いたのは17世紀のフランスの劇作家ジャン・ラシーヌである。

ジャン・ラシーヌ。

知らん。←

何の先入観もなく、とりあえず大竹しのぶなら間違いない、と観に行きました。





これがね(?)、モノゴトは予定通りにはいかないもので、いや、大竹しのぶは期待どおりの出来だったのですが、さほど意識していなかった人たちに、めっちゃ持ってかれた、という結果になりました。


〈持っていった人その1〉平岳大

この方、以前にも何本か舞台を拝見したことがありますが、その時はそんなに印象に残る人ではなかった。

体が大きくて演技が硬い人にはキツいあたくし。

ところが今回、第一声を耳にしたとたん、

「なんて瑞々しく清らかな青年であることよ」

と心つかまれました。

まさに高潔なイッポリットそのもの。

そして、これを言ったら本人気を悪くするんだろうけど、偉大なるお父様に時々ドキッとするほど似ている。

遺伝子恐るべし。

後生畏るべし。

つっても、本人すでにもう不惑過ぎてるが。いや、不惑過ぎてあの瑞々しさはすごいぞ。

今頃その魅力に気づいてごめん。

そんな感じでした。



〈持っていった人その2〉キムラ緑子

「主演・大竹しのぶ」以外の事前知識ゼロで臨んだので、エノーヌが彼女とは知らずに観ていました。

お名前はかねがね存じていたのですが、M.O.P(ドリさんが所属していた劇団)のお客さんでもなくなおかつテレビドラマ見ない星人のぼく(ドリさんはNHKの朝ドラ『ごちそうさん』で全国区に)

お顔をよく知らない(『スウィーニー・トッド』出てらしたんだけど、あの役って汚れメイクでほとんど顔が分かんないのよね←言い訳)

「グレーテルのかまど」はたまに視ています。って、声だけやないかい!(自己ツッコミ)

なのでまっさらな気持ちで拝見。

主人公フェードルの“乳母”なので中高年の婦人(まあフェードル自身20代とかなんだけど)のイメージだったのだが、実はドリさんぼくより若い(ショック!←)

フェードル役の女優さん(なぜボカす)より若い(大汗)

なのにあの貫禄、あの威圧感()

どんどん惹きこまれていって、終演後あわててプログラムでお名前を確認した次第。



〈持っていった人その3〉今井清隆

何しろ声!(いやお姿も素敵だけど)

あの威厳あるバリトンの艶。

全編歌うがごときセリフの旋律(本当に歌っぽかったってことじゃなくて、“音楽的”みたいな意味)

終始うっとりと聞き惚れさせていただきました。





ストーリーに関しては、すごい年の差婚をした妻の方がうっかり夫の息子(継子)に惚れてしまって大騒ぎ(説明が雑)になってしまうという点に、歌舞伎クラスタは、

「あれ?『合邦』(「摂州合邦辻」)?」

とふと思い当たる。

確かに似たような話である。

ただ、『合邦』での玉手御前の俊徳丸への恋は偽りの恋で、玉手は心から夫の高安を愛していて、家を守るために策を巡らしていた、というオチなのに対し、フェードルのイッポリットへの恋慕はマジもんである。

裏の裏を読みがちで腹芸を好み、「実はこうであった!」というオチが大好きな日本人には、このドストレートなフェードルの激愛は、若干鬱陶しい。(ええっ?)

かといって、イッポリットが思いを寄せているアリシーと身分差を越えてうまくいっちゃうのも憎たらしい(もしもし?)

とどのつまり、フェードルという愛と憎悪のエネルギーに満ちた美しい女のそのエネルギーが、登場人物を一人残らず(彼女自身も含む)不幸にしちゃうというのがこのお話のキモのようである。

その“国崩し”に匹敵するエネルギーを持つ女優というのは、やはりそうそういないんだよなあ、と大竹しのぶを観ながら思ったぼくであった。

うん、決して悪くはなかったんだよ。(と書く時点でアレなのかもしれないが)

“大竹しのぶ”に対してのぼくの先入観のせいかもしれないな。

むしろ『王女メディア』とかやってほしくなった。

平岳大のイアソンでどうだろうか。

あ、なんか面白そうだぞ。

(天国の)平幹二朗さぁーん、どうでしょう?(←勝手に決めるな)


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