てくてくミーハー道場
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2017年03月31日(金) |
花組HON-YOMI芝居『悪女クレオパトラ』(二子玉川セーヌ・フルリ) |
箍が、はずれてるよぉ〜!
ぼくが。
とはいえとにかく今日が楽日だったので、勇んでこの劇団の本拠地・二子玉川へ行ってまいりました。
この『悪女クレオパトラ』という芝居(今回はいわゆるリーディングドラマという趣向だった・・・はずだが、役者連は歌ったり殺陣をしたり、汗だくでがんばっておりました)は、20年前に初演されていてぼくももちろん観たのですが、正直に言って、内容をほとんど覚えていない。
辻村ジュサブローが監修? 製作? したという、『王女メデイア』みたいな衣裳とメイクだけは覚えてる。
この劇団、ぼくがはまったころ(ちょうど小劇場ブームだった80年代後半)は、観客300人ぐらいのコヤなのに、やたら道具(大道具・小道具)や衣裳が立派で派手で、
「これでペイできてんのかいな?」
などと、余計なお世話の心配をしたものだった。
今回はいわゆる本公演ではないので、衣裳は全員がシンプルなダークスーツに、『スターウォーズ』のジェダイみたいな金色のフードつきマント。そしてすっぴん。
この姿で絶世の美女やローマ戦士になるのだから大したもんだが、考えてみれば、こしらえをしていないからこそ、たった8人の役者で何十人もの役を演じ分けることができるってわけだ。
花組芝居には、今回のように台本を手にせずに、すっぴん+全員同じシンプル衣裳(紋付袴だったり、ダークスーツだったり)で演じる“素ネオかぶき”というジャンルもあるのだが、今回の公演はそれに近い。
かっこよく言えば、どんどん能に近づいていってるのかもしれないが、むしろ落語に近づいていってる雰囲気の方が強い。
決してディスってるんではなく、扇でいろいろなものを表すところなど(かつて、素ネオかぶき『海神別荘』で見せたやり方は秀逸だった)、職人技だなあと感心している。
さて、内容についてだが、20年ぶりに観て、「そういえばこんな話だったな」と思うかと思いきや(なんのこっちゃ)、まるで初見のように「へえー」「ほー」と観てしまった客失格。
ま、新鮮な気持ちで観れて良かったね、ということで(どこがだ!)
主宰の加納幸和が書く芝居は、誤解を恐れずに言えば大変客を選ぶところがあり、ある程度知識(それは歌舞伎だったり、有名な戯曲だったり。音楽についても)があると、いろいろなところでニヤニヤ優越感に浸れる。
性格の悪い年寄りにウケそうな感じがする(おいっ!/汗)
ただ、知識が全然なくても思わぬツボにはまってしまうこともあり、30年近く前(ぼくがはまったのは1989年だった)に、まだシアターゴアーになる以前のおとなしい貧乏会社員だったぼくがはまったきっかけも、どうってことはない、ただなんか、男ばっかりの役者たちが女方やったりしてて、それが存外にうまいものだから興味がわいて、前後して歌舞伎にはまってしまったぼくから見たら、ただ「男の役者が女役やってると腐女子にウケるから」やってるみたいなのとは一線を画しているから(決して他の劇団をディスっているのではございません。ていうか、今でも残っている劇団は、みんなその“一線を画している”方です)だったのだ。
当時この劇団には立女方として篠井英介がいたので、そのクオリティはすばらしいものだった(もう一人の立女方である加納と両巨頭だった)
劇団創立30周年ということで、またもやすっかり年寄りの回顧話になってしまったが、正直、加納が書く話は、いろんな元ネタが彼の脳みその中でグツグツ煮込まれた闇なべ的な様相を呈しており、そのひとつひとつのネタを「あ、あれだな」と判るとスゲー面白いし、かといって判らなくても、度胸のある人ならば、
「正体不明の材料だけど、なんか、おいしー」
とパクパク食ってしまう恐ろしい魅力がある。
ただしそれは、はまらない人にはまったく刺さらないというやっかいな特徴でもある。
ぼくの知り合いは、花組芝居の魅力を、「出てくる人が、みんな自分のことしか考えてないところ」だと看破()した。
言われてみれば、そのとおりな気がする。
悪人はどこまでも悪人で、善人はこてんぱんに痛めつけられておしまいだし、現実だったらトンでもないすさんだ世界なのだが、だからこそスカッとするのかもしれない。
客層はやはり圧倒的に女性が多い。やはり“女方”というものに惹かれるのであろう。
正直、この劇団、大したイケメン俳優はいない(最後にきてとてつもなくディスった!!!)
だけど、役に入るとみな、しっかりと美女にもなり二枚目にもなる。そんなところがまた不思議である。(ほめてるのだよ・・・わかってね)
末永くがんばってほしいものである。(なぜか偉そうな〆)
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