てくてくミーハー道場
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2017年03月25日(土) |
こまつ座 第116回公演『私はだれでしょう』(紀伊國屋サザンシアター) |
3月もあと1週間弱なので、4月に行こうと思っている芝居のチケットを確認していたら、13枚あった。
・・・またタガがはずれたか(実は、まだ買えてないが何とかしてゲットしたいと思っているのが3舞台ほどある)
(どうやって行くつもりかって?)
UQ有休♪←フカキョンが出てる某格安スマホのCM参照
というのはウソで(ウソかよ?!)、ぼくの就業形態には有休とかいう概念はなく、でも別にブラックでもなく、単に、仕事の締め切りを自分で調節して時間作ればいいだけ(それがいつでもうまくいく保証はないが)
9時から5時までの拘束がない代わりに、怠ければ締め切り地獄が待っているという稼業です。
そんな立場から、ほぼ100%の確率で初日に台本が間に合わなかったという逸話を持つ井上ひさし先生にはシンパシーを感ずる(才能と地位は月とすっぽん)
もちろん井上先生のホンが遅れる原因は、ぼくみたいにギリギリまで手を付けない怠け心のせいではなく、書いても書いても「何かが足りない」「あのことも書き足したいこのことも書き加えたい」という終着のない向上心からである。
この『私はだれでしょう』も、そんな作品の一つだったそうで、初演時、初日が2回も延期になったそうである。
わずか10年前のことなので、ぼくはすっかりシアターゴアーになっていた時期であるが、当時はまだこまつ座マストの嗜好ではなかったので、今回が初見であります。
戦時中や終戦まもなくの話が多いこまつ座作品を観ていつも感じるのだが、その平和祈願への共感は当然として、また別のものとして思うのは、ぼくが昭和ヒトケタ生まれの両親や近所のおじさんなどから聞いていた戦中戦後の話は、決して全国共通ではなかったということが理解できる点だ。
なにしろ『日本人のへそ』なんかを観て強く感じたのだが、同じトーホグ人であるにもかかわらず、井上先生とぼくの周囲にいた昭和ヒトケタ人たちは、当時の中央(東京)や政治への考え方が、えらく食い違っていたのである。
まして今作はNHKが舞台で、東京のド真ん中の、いわゆる“マスコミ”の人たちのお話。ふぐすまの農村とはえらくかけ離れた人々の話である。
だが、今こうして東京で生活して“マスコミ”とはとうてい言えはしないが、情報産業の片隅どころか端っこにへばりついて仕事をしている身からは、むしろシンパシーを感じてしまうような題材ではあったのである。
なんか、気負って非常にわかりにくい感想を書いてしまったが、お芝居の戯曲懸賞に応募を繰り返す三枝子さんなぞは、恥ずかしながら20年位前のぼくを見ているようだし(ぼくは実際に応募したことはないが)、言葉の添削を生業としている佐久間さんは、ズバリぼくと同業者なので、もしぼくが70年前の日本にいて戦争で死なずにすんでいたら、彼らのような仕事をしていたかもしれない、少なくともそれに近い意思を持って生活していたかもしれないと思ったのだ。
占領者と、それに阿る自国の代表者たちという二つの支配者から常に厳しく見張られながらも、何とかして同胞たちの役に立ちたい、それを自分の「アイデンティティ」にしたいともがいている登場人物たちへの共感が心地よかった。
だが、井上作品の甘くないところ(そこが最大の良さでもある)は、そうして理想に向かってコツコツと歩を進めている主人公たちは、安易なハッピーエンドを迎えない。
CIEの上官のサインを偽造して、アンタッチャブルだった広島の人の「尋ね人」を放送した川北京子とフランク馬場は拘禁される。
奇跡的な正義の味方の助けなど起きはしない。
だが、井上作品には完全なる絶望はない。
救い、というにはあまりにもささやかだが、「決して絶望ではないのだよ」という何かが起きる。
「私たちのこの国は、敗戦からたった2年で、また“戦前”に戻るのですか?!」という総毛立つようなセリフさえ出てくるのだが、「戻さない方法は、どこかに必ずあるはずだ」というヒントが提示される。
なんて、こんなこむずかしい感想を書くと、ずいぶん重苦しい芝居のようだが、そこは井上“音楽劇”
登場人物が急にビールやお寿司にはしゃいで歌いだしたり踊りだしたりする。
これ、はっきり言ってすごく突拍子もない。
これをミュージカルのようなものと捉えてしまうと、めちゃめちゃ不自然さが際立ってしまい、ミュージカルアレルギーの人を増やしてしまうので、決して井上作品を観るときには「ミュージカルだ」とは思わないほうがいいとぼくは思う←
ぼくは素養がなくて知らなかったのだが、今回の作品の中で歌われる楽曲にはほとんど原曲があって、それを知ってる人が聴いたら、「うわああ懐かしい」と思うような曲が多かったらしい。
ぼくは「勘太郎月夜唄」だけ知ってた←
なんかまとまりがありませんが、特に気になった出演者の方への一言二言。
朝海ひかる as 川北京子
井上作品によく登場する、昭和の際立った美人。姿はもちろん、生きる姿勢も美人そのものというキャラクターである。
すらりと伸びた姿勢が見ていて心地よい。
そんな美人(麗人といった方がふさわしいかな)が、ステーキを食べられると知ってワクワクしたりするところも井上作品ならでは。
ただ、残念ながらコムちゃん、声は相変わらず硬くて、当時、あの声でアナウンサーになれたかなあという疑問は(コラ)
吉田栄作 as フランク馬場
このフランクさん、実在の人物なんですね! ちょっとびっくりした。
登場シーン、軍服が映える長身に、思わず「かっこえー!」。なるほど、当時の日米ハーフの男性のイメージそのものである。
コムちゃんとの並びに既視感があると思ったら、『ローマの休日』か。また再演があるらしい。行きたいな。
平埜生成 as 山田太郎?
最初に登場した時と、最後の方で正体?がはっきりした時の雰囲気がまるで違うことに感心。
タップ踏んだ時にはちょっと笑ってしまった。誰なんだこの芸達者な青年は。
この、ほぼほぼ深刻なお話の中で、一人正体不明なこの若者は、まるで妖精のようなはたまた座敷童のような?
こういう不思議さも井上作品の真骨頂かなと思ったりする。
次回公演『化粧』『イヌの仇討』も時間が許せば行くつもりでありますが、『組曲虐殺』をずっと観逃がしているので、ひそかに再演を願っております。
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