てくてくミーハー道場
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2017年03月19日(日) |
宝塚歌劇団月組公演『グランドホテル』『カルーセル輪舞曲』(東京宝塚劇場) |
伝説の日本初演から24年。
トミー・チューンの薫陶を受けた宝塚歌劇団月組(とはいえ、既に団員総入れ替え状態)バージョンがようやく上演の運びとなり、初演を観逃した身として、これほど光栄なことはございません。
相変わらず大げさな前フリで恐縮です。
観終わって一番感じたのは、やはり「これがタカラヅカなんだ」でした。
良いとも悪いとも思わない。タカラヅカ版である以上、これは仕方がない(って書くと、がっかりしたようにとられますかね? まぁ、当たらずともってところです)
逆に、さほど登場人物が多くないこの芝居に、76人もの生徒を登場させるという4回転ループ並みの高難度技術()を発揮する歌劇団の演出家ってすごいな、と瞠目しました(決して皮肉ではない)
面白いんだよ、だって。
いわゆる「人が大道具」状態の演出がある。
こんな贅沢な人間の使い方、宝塚歌劇団しかやれないよ。
商業演劇だったら、ギャラで大赤字だよ(黙れ)
ふざけた評はともかく、約90分の一幕ものとしてスピーディに進行していたところが最も素晴らしかった、と言いたいです(この作品は、音楽の切れ目がないところがとにかく良い)
主な役を演じた生徒さんたち寸評。
珠城りょう as ガイゲルン
たまきちのイメージシンボル(そんなのあったんか)が“大型犬”であると今日知った(≧∇≦)←オイ
そんなもさっとした(コラコラ)たまきちの本公演初主役が“貴族”(何を言いたいの?)
いや、『グランドホテル』の登場人物の中で、たまきちが演るとしたらまずこれしかないが。
「スタイリッシュ」にはまだ届いていないが、自分より10歳と10か月も年上の美女にうっかり惚れてしまうおっとりさ加減(何が言いたいんだ)は確かにある。
一言で言うと、いかにも育ちが良さそう。
育ちが良い人がこそ泥するかどうかは別として←
技術的なところでは、歌は下手じゃないんだが、未だ男役声になってない。これは去年の4月に市川で観た『激情』の感想にも書いたけど。
ロングトーンが一本調子で、いわゆる「歌がうまい人」の歌い方ではないのだが、全く変なクセがないので、逆に万人に好まれる声かもと思う。
愛希れいか as グルーシンスカヤ
現在、歌劇団のプリマ娘役ちゃぴ。何もかもが上等すぎて、ぼくなんぞが何か申すのはおこがましいです(なにその態度の違い)
ザッツプリマドンナ!でした。
まあ、ちゃぴ本人がまだ“老いて忘れ去られかけている元大スター”という状況に陥っていないので、グルーシンスカヤの本質的なところまで表現するのは難しかったと思うが、一挙手一投足が美しすぎて、そんな瑕疵など目に入りませんでした。
新米トップたまきちを、よろしくお願いします。一人前になるまできっちり仕込んでやって(何か語彙がやらしいな)ください、姐さん。←
美弥るりか as クリンゲライン
伝説の月組初演はトップ男役・涼風真世のサヨナラ公演として上演され、そのトップさんが演ったこの役、ミヤ様には「相手にとって不足なし」の心境だったでしょう。
死に至る病で消え入りそうなみすぼらしい男、しかも当時のヨーロッパでは差別の的だったユダヤ人。それを宝塚歌劇団の生徒が演ると、このように“妖精的”になるわけですよ。
「At The Grand Hotel」は地声で歌いきれずファルセットを併用してしまっていたのが唯一の難点。
■不確実情報だがつけたし■
なんと、このファルセットは「わざと」だそうだ。クリンゲラインの弱弱しさを表現するためとのこと。・・・いやあ、正直そんなこと知らずに見てたら、「この人歌下手なのにこんな大きな役もらっちゃって・・・ひいき?」みたいに思われるぞ。そんな高等技術を使いたいなら、本気でそういう技術を身に着けてからやろうじゃないか。ね。
だけど、クリンゲラインの一つの見せ場であるチャールストンを踊るシーンでの身のこなしは、そこだけ見るためにまた行きたいと思わせられる、まさに“お金のとれる芸”でした。
歌劇団よ、ミヤ様をくれぐれも大切にしなされ(なぜか偉そう)
海乃美月 as フラムシェン
本日のフラムシェンはくらげちゃん。ぼくの記憶ほどガリガリでなく、プロポーションが美しいフラムシェンだった。これならプライジングがエロい気持ちになるのも解る(わかるの?!)
ただ、演技の方はやはり“娘役芝居”っていうか、あっさり。おなかに子供がいる女独特の生々しさ(そんなのあるの?)がいまいち。
つうか、タカラヅカではやっぱりそういう“色”を出すのはご法度なんだろうなあ。
暁千星 as ラファエラ
伝説の月組公演で、当時の規格破りの男役・天海祐希が演じた役。アリちゃんにとって「相手に不足なし」だったことでしょう(あれ? デジャブ?)
歌は間違いなくアリちゃんの方がうま(コラ)
ただ、やけに淡々としたラファエラだった。ひたすらカタいというか。
学年的な問題なのだろうか。まさか今時“スミレコード”でもあるまい。
専科からお二人。
夏美よう as オッテンシュラーグ
完全に語り部として存在。ほとんど下手(しもて)に座って存在感を消してるんだが、消えそうで消えない存在感。さすがハッチさん(褒めてるのよ)
そして、ガイゲルンが撃たれて死んだ後にオッテンシュラーグが高らかに言うセリフ、
「敵同士の愛と死が、手を結び合うのだ!」(・・・だっけ? よく覚えてないが←)
このセリフ、ぼく好き。(そのくせちゃんと覚えてないが)
ところで、このセリフの後は、月組初演とグレン演出版では盲目の伯爵夫人とジゴロのダンス、サザーランド演出版では“死”とジゴロのダンスになるはずだが、今回はヅカルールが適用され、ガイゲルンとグルーシンスカヤによる“幻想のダンス”になってた。
ぼくもヅカオタなので一応の理解は示すにやぶさかでないが、正直興ざめだった。
ここは“トップのデュエットダンス”じゃなく、超絶技巧のプロダンスが見たいのだ。作劇上そうしてほしいのだ。
華形ひかる as プライジング
エロ味はさすがに薄め。追い詰められた男が発する暑っ苦しさも希薄だった。肉布団入れて頑張ってたのにね。
うーん・・・みつるにはみつるに合った役があると思うのだが、専科であること、この学年であることは、“プロの俳優”であることが求められるということだもんな。
あと最後のセリフ、「手を洗わせてくれ」じゃなくて「手洗いに行かせてくれ」だった。
原語のセリフもこっちの意味なのかなあ? それだと全然違う印象になっちゃうんだけど。
(聞きかじり知識だが、このプライジングのセリフは、観客には自殺をほのめかしているらしい。だったら「トイレに行きたい」の意味でOKなのかな。でもぼくは「手を洗いたい」の意味のセリフを聞いて、すごくぞっとして良かったのでそっちをとりたいんだけど。確かに、銃殺だから手は汚れていないわけだしなあ・・・)
さて、最後にもう一人の重要な役、
朝美絢 as エリック
大豊作95期生の首席のわりに、他組の同期よりぼくに覚えられるのが遅かったあさちゃんですが、今度雪組に行くんですね。『幕末太陽伝』の東京公演にも出るのかしらん。ちょっと情弱で分からないけど。
それはともかく、このエリックという役に、ぼくは多大な期待を抱いていました。
サザーランド版のエリックがとても良い役どころだったからです。
で、今回の感想。
・・・うん、仕方ないね。タカラヅカだからね(−−;)まあ、そうなんですの?
うん。そうなんですの。
演出がそっけなさすぎるのか、サザーランド版のマサ君(藤岡正明)が名演すぎたのか、あさちゃんの力不足だったのか、確認しようもありませんが、おかげで寂しい気持ちで観終わってしまいました。
なにしろ今回は、ガイゲルンとグルーシンスカヤのデュエットダンスのエピローグつきという終わり方だったので(さらにカーテンコールまでつくという、ちょっと余韻のない演出)
ああ、タカラヅカだった。これが感想のすべてになっちゃった。
もっと悲しいことに、ショーでぼく、また居眠ってしまいました!(×_×;)何も食べてなかったのに
どうしたんだろう? 病気だろうか(単に歳のせいでしょう)
とはいえほとんど寝ていたわけではなく、完全に記憶がないのはインド洋ぐらいです(おい!トップコンビの場面!)
あとはちょこちょこ(ええい、この罰当たり!)
なんかあれだなー、一瞬たりとも目を離せないようなショーが見たいものだな(責任転嫁)
この春、歌劇団も大人事異動があるようです(トップ退団も続くし(×_×。))
話題性だけじゃなく、作品のクオリティでこれからもわたくしたちを惹きつけてほしいと願います(あーら生意気)
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