てくてくミーハー道場

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2015年12月20日(日) ほんまにてくてくしてまっせ(コンプリートエディション←)

判る人にだけ判る書き出しで失礼します。



いやー、来年は面白い年になりそうですよ( ̄ー ̄)ホント嬉しかったよね

今からわくわくしておきましょう。





ちなみにアタシ、昨日、・・・今日、(←これも判る人にだけ通じる言葉)そう、昨日と今日と(笑)すんごいてくてくしてます。

ほんまにてくてくしてます。

フィフティーズど真ん中のおばばが歩いちゃいけない距離を歩いてます。

あまつさえドームで(以下略)

なんでそんなに歩いたかは、また明日お知らせします。(またかその言葉)



いや、写真もあるので、ちゃんとお知らせしますよ。

では、時刻が迫っているので(何の?とかヤボなこと訊かないよね?)この辺で。









(ここまでリアル20日up)








さて、昨日の日付の日記の続きです。

20日。前日の長旅(&コンサートでノリノリ)による足の痛さも何のその。ホテルのチェックアウト時間と同時に向かったのは、若干近場のこちら。
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うーん、写真が下手で判らん?

じゃ、もう一枚。






こちらは、京都のお屋敷跡とは別に、晴明公がこの地でお生まれになったという言い伝えのある大阪市阿倍野区にある「安倍晴明神社」でござる。

ここには羽生君がらみの方々は来られないらしく(ここにも「セイメイジンジャ」があることを知らないのだろうか・・・?というか、単純に、ご本人が来てないから興味外なのかな?)、それこそご近所の方たちぐらいしかお参りに来なそうな雰囲気だった。

陰陽師マニアの人たちも、ここは興味外なのかしら?なんか寂しいんだけど。

というのも、ここは「生誕伝説の地」だけあって、歌舞伎きっかけで晴明公を知ったぼくのような人間には、むしろこっちの方が見てていちいち盛り上がるアイテムがいっぱいだったのよ。

例えば→ 


これは、晴明公の産湯を汲んだ井戸らしい。

歌舞伎では、晴明公は人間(父・保名)と狐(母・葛の葉)のハーフなのでああいう超能力を持っているとされている。でも晴明公は実在した人物なので、お母さんだって本当は人間だったと思うのだが、そこには、日本という国の、平安時代の、いろんな社会の事情がからんでいると思われる。

あまり詳しく書くとややこしい話になるので書かないが。←

そんで、素敵なことに、この神社にもすごく大きな楠が生えていて(上の、鳥居の写真に写ってますよね)、それは「ご神木」と銘打ってはいなかったが、むしろ京都にあった木よりもでっかくて頼りがいがある感じの木だった。

まあ、木の価値は大きさだけではないと思うが、でも、すごく立派な木だったよ。

こちらの楠さんとも、ちょっと会話させてもらいました。(←)

こっちの神社は、晴明公よりもむしろ、そのお母さん(とされている信太の狐)をリスペクトしてる雰囲気の神社で、ご利益も「安産」を一番フィーチャーしてる感じだった。

それと、「天才児を授かる」ご利益みたいな?

・・・羽生家に縁が深そうだけどな(と、勝手に認定)





さて、次の目的地へ向かおうか。と思ったらぜひとももう一ヶ所ゆかりのある神社「阿倍王子神社」へご参詣してほしい、と安倍晴明神社の方に言われたので、「王子」という響きに猛烈に惹かれるものを感じ(やはりか)近くにあるというこちらへ。
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鳥居も本殿も撮ってこなかったのだが(あんまり神殿をパシャパシャ撮るのははばかられるので)、これはその「阿倍王子神社」にででーんと生えている楠たちである。

3本あって、全てが「なんたらかんたら(←覚えとけ!)保存樹木」と記してあった。

この楠たちの立派さは半端なかったっす。百舌(だと思う)たちの憩いの場になってました。

で、社殿もそこそこ立派な神社で、ここは晴明公の時代よりもずっと過去にさかのぼる4世紀から5世紀にできたらしい。

「王子」というのは、・・・えーと、忘れた。気になる方はウィキペディアで調べてください。←

まあ、とにかくこの神社ができたのは、仁徳天皇の時代よアナタ(誰に言ってんの?)。歴史半端ないですよ。

聞くと、この二つの神社が面している道は、旧熊野街道だというじゃありませんか。

ロマンですね。

で、あんまりゆっくりしてると今日のコンサートに間に合わないので、その“熊野街道”を3つ目の都へ向かうべく北上する元気な50代なのであった。






(熊野街道を右に折れ、松虫通をてくてく歩き地下鉄御堂筋線の昭和町駅まで。そこから御堂筋線で梅田まで行き、阪急電車で宝塚・・・はぐっと我慢して神戸線「御影」駅で下車)



阿倍王子神社のご神鳥である八咫烏に導かれ()やってきたのが、こちら「弓弦羽神社」
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“八咫烏”というキーワードでピン!と来たあなたはサッカーマニア。

サッカー日本代表のマークでおなじみの、三本足のカラスのマークがそこかしこにありました。

なんで八咫烏がサッカーの守護神(?)になったのかぼくは知らないのですが、足が多いから?(←アホ)

あのトリは元々熊野信仰のシンボルで、この神社もそもそもは熊野権現を祀っているのだそうです。



それはともかく、ぼくがここまで足を延ばした理由は、もちろん別の理由であります。

そう。“ゆづるはじんじゃ”という響きにピン!と来たあなた。正解です。

ここまで来るともう晴明公とは全然関係なくなってきたんだけど、伝言ゲームのように辿っているうちにここ神戸市東灘区御影郡家までやってまいりました。

この地名「御影」でこれまたピン!と来る人も多いと思いますが、いわゆる御影石の産地らしい。

その御影石で作られた大きなサッカーボールの碑が社殿の横にあって、周りには「サッカーが上手になりますように」という可愛いくけなげな少年少女たちの祈りを記した絵馬がぐるりと。

ほほえましく見ていると、もう一ヶ所、壮絶に盛り上がってる絵馬の大群が(笑)

その絵馬の(ご本人による)文言も、「なんでこんなにいい子が育ったんすか!」と唸りたくなるぐらい心を打つもので、おばさん泣きたくなりましたよ(本当)

どんな文言かは、これまたワイドショーで取り上げられたので、どっかで見つけてください(不親切)



いやーそれにしてもこの神社は境内が広くて社殿も立派だったなあ。一番神社らしい神社だった(ほかの神社をディスるな!)

背後にはゆるやかに六甲山が広がっていて、神戸の典型的な山の手の雰囲気。

とはいえ、実はここは、地名を見てピン(こればっか)ときた方も多いと思いますが、阪神・淡路大震災の被害が最も大きかったところなんですね。

今はその傷跡もまったく感じられないほど修復されていましたが、鳥居の近くに震災で亡くなった方たちの慰霊碑が建っていました。







さて、ぼくのミーハー神社巡りも今回これでおしまい。

JRの住吉駅まで歩いて(住吉神社には詣でる時間がなかった。ごめんなさい)、東海道本線で一路大阪へ。

途中「芦屋」で乗換え。

おっと、最後の最後に蘆屋道満ゆかりの地を通過か・・・って、おい、芦屋といえばあの方の出身地じゃないかっっっ!(←)

道満ゆかりのくせに(?)博雅役を演ったのかよ?!(いいじゃねえかそんなの/呆)

キューキューニョリツリョッ!(←やめなさい)   ふざけて呪文を書くと怖いので、カタカナにしました。





と、無事にこじつけが一周したところで()京セラドーム着。

前日は最初の何曲かは「う〜ん・・・わかるけど、う〜ん・・・」(あら、そういう感想書いちゃうの?)という気分だったセットリストですが、ある曲ぐらいからはほっこり盛り上がってまいりまして(東京参加の方々、ご期待あれ)、最終的にはやっぱり楽しいKinKiコンに落ち着きました。

それに、何と言っても、来年に向けた予言が嬉しくて。

まあ、将来の話にあんまりはしゃいでもアレかとは思うのですが、とにかく2016年はきっと嬉し忙しい時間がやってくるんだそうだから。幸せに待ちましょう。


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