てくてくミーハー道場
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2014年03月14日(金) |
映画『コッホ先生と僕らの革命』 |
WOWOWでやってた♪
んで、早速視ました。
今回、ブリュール先輩はお耽美ゼロ(←)でございまして、19世紀末ドイツの帝国主義に抑圧された学校に風穴を開ける、熱血教師の役どころ。
そんな事前の知識から、『いまを生きる』のロビン・ウイリアムス先生みたいな感じかな?はたまたドイツ版金八先生なのかな?暑苦しいな、やだな(おい)と腰が引けていたのですが、そこは童顔でならす(?)ダニエル先生。三ツ矢サイダーか「いろはす」かっつーくらいに爽やか100%でありました。
※追記※
「童顔」というか、この映画はダニエルさんが32〜33歳の時に撮影したものなので、現実若い。
彼が演じたコンラート・コッホは実在の人物で(そういう役、多いね?・・・いや、ほかにもたくさん出演作があるんだけど、ぼくが実在モノに偏って観てるだけか)、「ドイツサッカーの父」と呼ばれる人らしい。
ドイツといったら本日現在でFIFA世界ランキング2位の強豪国。サッカーに全く疎いぼくでさえ知っている。そんな「サッカー王国」が、当初はサッカー大嫌いだった(というより、当時サッカーというスポーツは英国で産声を上げたばかりで、他の国の連中は知らなかった)、という“世界ふしぎ発見”的エピソードからこの映画は始まる。
ただし、コッホ先生がサッカーをドイツに普及させた、というところまでが史実で、映画の中の細かいエピソードは、ほとんどフィクションらしい。
で、あんまりサッカーに思い入れがないぼくがこういうお話の映画を観て、果たして感動できたかという結論から申し上げますと、
「うん、良かったね(ニコニコ)」
程度の感想で終わったのであります。(あらら)
それ以上でも以下でもなかった。
決して、不快だったり退屈だったりという場面はなかったんですよ。ただね、あまりにも既視感。
まずコッホ先生のファーストシーンなのですが。
馬車で赴任先の学校にやってきて、御者が馬車のドアを開けると、毛布にくるまって寝ちゃってる若い先生。
『風と木の詩』のセルジュとおんなじ!(#∇#)←今回はお耽美はナシのはずでは?
・・・あ、(狼狽)いや・・・、そうなんです。お耽美はゼロです。大丈夫です(何が?)
え、えーと、そいでですね、コッホ先生、当時のドイツの成人男性のたしなみとして、おヒゲづら。
これ、ブリュール先輩の自毛(自ヒゲ?)なのかしら? 童顔なので似合ってないような。あ、でも、『RUSH』のプロモーションで来日したときもおヒゲだったな。でも、この映画では淡い栗色。本人は髪もおヒゲも自毛は黒っぽいんだが。
ま、そんな話はおいといて、普仏戦争後のドイツ帝国だとかの舞台背景に元祖腐女子(ジルベールーーーーー!!←そっちはフランスだろ)の邪心が萌え上がるのをぐっと抑えて観進めましょう。
フランスとの戦争に勝って意気盛んな当時の帝政ドイツのお年寄りたちは、自分たちの後を引き継ぐ若人たちにも、「強固な肉体と精神」でどんどこ“敵”をやっつけることを望み、スパルタ方式で鍛えまくっているわけですが、そこへ、どういうわけかイギリス留学から戻った(劇中では、それが「徴兵逃れ」であることをほのめかしている)爽やか先生が赴任してきて、“敵国語”英語を教えるという。
教室に入ったとたん、流暢な発音で「Good Morning, Gentlemen!」と言われ、生徒たち、ぽかーん。
まるで、『飛び出せ!青春』で河野先生が、いきなり黒板に「Let's Begin!」と書いたときの太陽学園の生徒たちのようだ。(既視感その2)
最初は英語の授業に難色を示す生徒たちだが、時間の都合で(2時間弱の映画ですので)気持ち早めにコッホ先生に心を開いてゆきます。
中でも、一番体格が小さくて弱っちそうな(どうやら、貧乏な母子家庭の子で、クラスで一番威張ってて意地悪そうなフェリックス・ハートゥングのいじめの標的にされているっぽい)ヨスト・ボーンシュテット君が、発音のスジがいい。
そしてこの子、後に判るのだが、サッカーのスジも抜群にいい。
そしてそしてこの子、元祖腐女子のおいらがリア中時代にうっとりと読んでいた萩尾望都センセイが描く少年そのもの!(≧∇≦)いたよぉ〜!やっと会えたよ正統派ドイツ美少年!!←
いやいや決してよこしまな感情は抱いておりません。
ついでながらに書くと、この映画には15人の高等中学校4年生(モー様のマンガの知識で言うと、日本で言う中学2年生)がコッホ先生の受け持ちの子として登場するのだが、別段とびっきりの美少年はいない。
でも、ぼくもすでに彼らぐらいの孫がいてもおかしくない年齢に差し掛かってきているので、どの子もみんな可愛いく見える。みんな“子どもとして”可愛いのだ。
チビっこボーンシュテット(この子=アドリアン・ムーアについては何にも知らないので勘で書いてるのだけど、彼はおそらく生徒役の子供たちの中で一番キャリアのある俳優なのではないだろうか? 一番役どころが大きかったこともあるけど、演技力が抜きん出ていたので)はもちろん、太っちょシュリッカーも傲慢ハートゥングも、メガネっ子クラーゼンも、みんなみんなカワイイ。
ドイツ映画万歳!なのである(←現金)
さて、いじめっこハートゥングの親父は当然権力者(学校の後援会長)で、だからこそ息子も威張ってるのだが、この学校では『人間・失格』と違って、全員が弱いものをいじめてはおらず、体操器具メーカーの息子なのにオデブちゃんという不遇(?)なオットー・シュリッカー君なんかは、いじめを正面きってやめさせはしないにしろ、ハートゥングの子分などではなく、運動神経鈍いながらも率先してサッカーにのめりこんで行ったりして、クラスを引っ張って行くリーダーっぽさも見せる。
その他の生徒たちもそれぞれ個性的で、70年代に各少年漫画誌に連載されていた「古き良き時代」のスポ根友情物語みたいで、とにかく安心して見ていられる。
一見弱っちいのに才能抜群のおチビちゃんがいて、ちゃっかりしているが行動力のあるおデブちゃんがいて、運動よりも勉強のほうが得意なメガネっ子がいて、金持ちのいじめっ子がいて。
その親たちも、息子に古い価値観を押し付ける典型的権力者の父親とか、気のいい商人根性丸出しのおやっさんとか、子供にだけは苦労かけまいと「勉強第一」に必死の母親とか。
あ、「気のいい」と言えば、コッホ先生を英語教師として召還した気のいい校長先生は、まるで『熱中時代』の船越英二さんであった(*^^*)
キャスト表を見てびっくりしたのだが、このメアファルト校長を演じたブルクハルト・クラウスナーは、『グッバイ、レーニン!』でダニエル演じるアレックスの生き別れのお父ちゃんを演っていた俳優だった。この人もおヒゲなので判らなかったのだが。
他の先生たちも、ひたすら厳格かつ横暴な歴史教師とか、カタブツ体育教師とか、類型的と言ってしまえばそれまでだけど、ここまで“典型的”キャラクターが揃っていたら、思ったとおりにストーリーが進むのもむしろ快感。
まず、最初は反抗的な生徒たちが、コッホ先生の教育方針に魅せられ心酔し始め、サッカーに夢中になってきたところで一事件起こり、大人たちが横槍を入れてくると、子供たちが機転を利かして危機をすり抜け、その後また一波乱あって、いよいよダメか・・・と思ったところで思わぬ味方が現れ(ここはちょいとできすぎだった)、結局最後は認められて・・・という、思いっきり気持ちいい筋運び。(ほめてるんです!)
教育庁の役人たちが、最初は苦々しい顔で試合を見ているうちに、思わず少年たちのチームを応援してしまうシーンとか、「やると思った!」と大笑いしてしまいました。
とにかく、『飛び出せ!青春』と『三年B組金八先生』と『熱中時代』と『ごくせん』と『キャプテン翼』と(略)既視感満載のヒューマンドラマでありました。
唯一、日本のドラマや映画だったら絶対こういうことはないな、と思ったシーンは、コッホ先生が、髪飾りを落としていったボーンシュテットのお母さんにその髪飾りを返すとき(落としたくだりと、彼女がコッホ先生を管理人さんと間違えるてなエピソードは、日本のドラマでもよくある展開でしたが)、やけにキザなコメントを添えて返したところぐらいかな。
“粗野なゲルマン民族”のくせに、ドイツ人も意外とロマンティストであります。
無骨な大和民族も、見習わねばなりませんね。←
※追記2※
この映画に出てきた、印象深い2曲の歌について語りたいと思います。
1つめ。
国粋主義の歴史教師・ボッシュ先生が生徒たちに歌わせている国歌について。
歌詞はどう見ても(字幕で観たので)ドイツ国歌(の、悪名高き1番?)なのに、メロディーが“敵国”イギリスの国歌「God Save the Queen」と同じなのである!
これにはアタイ頭の中が「?????」
これどういうこと? と思い調べてみたら、なんと今現在ドイツ国歌になっているハイドン作の「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」は、そのタイトルからも自明なように、ハイドンが祖国オーストリアのために作ったものだったらしく、この時代のドイツ帝国では、「God Save the Queen」のメロディーにドイツを称える歌詞をつけて国歌(仮)にしていたのだそうだ。
「God〜」そのものが作曲者不詳の古い民謡か何かで、英国に著作権(?)があったわけではないらしい。
そして、現在のドイツ国歌(ハイドン作曲)は、オーストリア=ハンガリー帝国が滅亡した1918年以降に、「せっかくだから」っつうんで(ちょっと脚色)ドイツ国歌として正式に採用されたのだそうだ。
ドイツ大好き!とか言ってるくせに、この辺の歴史のことはてんで知りませんでした。恥ずかしいっす。
2つめ。
エンドクレジットでも歌われてたくらいだから、この映画にとって非常に重要な意味を持つであろう楽曲が「Auld Lang Syne」――そう、「蛍の光」
この曲は日本では「卒業式の曲」転じて「別れの曲」「閉店の曲」(←)のイメージ100%なのだが、この映画で使用されていたシチュエーションからもわかるように、生まれ故郷のスコットランドをはじめとするヨーロッパでは、旧友との再会を喜ぶ曲なのだそうだ。
劇中では、コッホ先生絶体絶命()のシーンで、彼のイギリス留学時代の親友が、オックスフォードのサッカー少年たちを引き連れてやってくるシーンで歌われる。
「久しぶりに会った友よ、祝杯を上げよう!」というその歌詞が、感激を持って歌い上げられるのだ。
日本人にとっては寂しい歌だが、そう思って聴くと、この素朴なメロディーがまた違って聴こえてくるのであった。
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