てくてくミーハー道場
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2014年03月02日(日) |
宝塚歌劇団星組公演『眠らない男ナポレオン―愛と栄光の涯に―』 |
(観て来た日の日付で書きます)
ナポレオンを主人公にしたタカラヅカ作品といえば、『愛あれば命は永遠に』という1本物の作品がかつてあり、後に4人同時期に男役トップになった生徒を輩出した“栄光の71期”の初舞台作品でもありました。
当時ぼくはまだヅカに嵌っていなかったので、この作品は『タカラヅカ花の指定席』という番組でダイジェスト版を視た。実は本編の方はあんまり覚えてなくて、フィナーレで件の71期生が変顔をしながら(そういう演出だった)ロケットを踊っていたことばっかり印象に残ってる(^^;)
喜多先生、どうしてあんな振り付けをしたんだろうか?
ま、それはともかく、内容をさっぱり覚えていないってのもひどい話だが、今わずかな記憶をたどってみると(多分、VHSテープに録画してるはずだが、ご想像のとおり、すぐに見つけられません←)、今回の『眠らない男』が、小池先生らしく“愛だの恋だの”は添え物扱いで(偏見)、ひたすら、愛すべきまっすぐでエネルギッシュな少年がかっこいい青年になって、ガシガシとのし上がって、頂点きわめて、女をなおざりにして一所懸命突き進んでいると、案の定(コラ)女に去られて、落ち込みながらもさらなる野望に燃えて突き進んで、そのうち時代の波に足元すくわれて、落ちぶれて、はかなくお亡くなりになる。その一部始終を後世の生き証人が若者に語って聞かせて「あの人はほんとにスゴかった」と懐かしむ、って話だとすれば(長いよ!つうか、説明終わっちゃったよ!)、『愛あれば〜』の方は、
野望<<<<<(越えられない壁)<<<愛
という、まさに『ベルサイユのばら』の柳の下のどじょう(時代も「続編」ぽいしね)を狙った感じの(以下略)
主題歌も、「あーいー♪ あいあいー♪ あいーこそすべて〜♪」と、愛のバーゲンセールなとこが『ベルばら』そっくし。
ヨーロッパ統一を図って戦争に突き進んだ英雄ナポレオンも、ひたすら年上の色っぽい未亡人に恋焦がれる朴訥なカタブツ君である。
そういうのを「古臭い少女マンガの典型的なパターンだ」と一蹴する向きもあるが(ぼくなんか、そうです)、冷静に考えてみると、どんな男でも“愛に苦しむ”色好みの英雄に仕立て上げてしまう植田先生って、実は本当にすごいんじゃないか(小池先生がすごくないってことではない)と思ってしまうのだった。
まあ、小池先生の場合、ものがたりの中心に“愛”を持ってくるのが本当に下手な演出家さんなのでね。
“かっこ良い男の生き方”と“色恋”を両立させるのが相変わらずお下手です。今回もそう思いました。
色恋とかにかかずらってないで突っ走ってる男の方が、ぱっと見「かっこ良い」ですもんね。それがタカラヅカのファン層にマッチしてるかはともかく。
小池先生が実在の人物の「一代記」を描いた作品というと、『ヴァレンチノ』とか『JFK』とかが思い出されますが、そのいずれにしても、彼らの人生の中では
色恋<<<<<(越えられない壁)<<<野望(「野望ではありません、理想ですわ」byジャクリーン)
であった。
登場するヒロインたちは、そんな“女(自分も含む)にわき目も振らずに”突進していった主人公を「あの人ホントに素敵だったわ」と言ってくれる、若干身勝手な作風なのである(ギャツビーは原作があったから、そのパターンに陥らずに済んだと思う)
でも、そんな小池作品が、ぼくは好きだ(今まで散々ディスっといて、何だと?!)
今回のナポレオンも、ちえ(柚希礼音)がうまーく演じてたから(?)バレなかったが、正直、さほどジョセフィーヌを心底大好きって感じはなく、「勝利の女神」だから手放したくないみたいな感じを受けた(それはナポレオン本人じゃなく、周りかな?)
まあジョセフィーヌの方も、かなり奔放というか、モテる女の余裕で、御しやすい年下の男を適当にあしらって、生き易いように戦乱の世を渡ってるクールな女のイメージだ。
そんなある種お似合いのカップルが、当然のようにくっついて当然のように気持ちがすれ違い、打算で別れていく・・・そんな感じのラブ・アフェア。
植田作品のように、起きてる時間の9割を相手を想うことに費やしたりしてない。
・・・いえ、これはあくまでぼくが作品を観ていて受けた印象ですので。
実際のナポレオンとジョセフィーヌは、もっと熱烈に愛し合ってた人もうらやむカップルかもしれませんのですが(二人の遺言というか、死に臨んでの互いへの言及から鑑みるに、やっぱり相当想い合っていたのは事実のようだし)
とにかく今回の作品を観てぼくが一番感心というか感動した点は、すごい勢いで人生の絶頂まで上り詰めた主人公が、同じような(いや、それ以上の)速度でまっさかさまに落ちぶれていく姿を描きながら、タカラヅカ作品ていうのは、かならず主人公は、めっさカッコよく、潔く“どん底”へ赴いていくのがパターンであるという点だ。
今回のお話でも、退位宣言書にサインして歩み去るナポレオンの姿は、これから流刑地に送られるとは到底思えぬほど威風堂々としていた。
実在の人物が惨めな(まあ、ナポレオンの場合、実際にはこの後一回リベンジがあったのだが)境地に墜ちてゆく場面で、こんな風に最も颯爽とした退場をさせるところが、タカラヅカという一種特殊な演劇形態の“祝祭劇”的なところなのかもしれない、とぼくは思った。
昔の人は、偉い人が非業の最期を遂げたりすると(例:菅原道真)、そのたたりを恐れて“神様”に祭り上げたりするが、タカラヅカ作品でヒーローとして描かれるのも、その“祭り上げ”の一種なのかもしれない、と思ったのだ。
このシーンだけで、作品として大成功してるような気がしたくらいだ。
さて、大げさな話はこのくらいにして、等身大の作品レビューを少々。
脚本・演出が小池先生で、音楽を海外ヒットミュージカルの作曲家センセイというパターンは、『NEVER SAY GOODBYE』でフランク・ワイルドホーンに楽曲を作ってもらって以来で、今回は『ロミオとジュリエット』のジェラール・プレスギュルヴィック。
この人の作品、ぼくは『ロミジュリ』しか知らないので、“プレス先生っぽさ”を感じることができるかどうか、心配も期待もせずにあっさりした気分で臨んだのですが、正直に言わせていただくと、「あー、このメロディーって『ロミジュリ』のあの曲と一緒だな」ってとこがちらほら。という感じでした。
それより、日本で最初に『ロミジュリ』を上演して成功させたカンパニーの割には(当時とはメンバーが若干変わってるけど)、全体的に歌下手やなー。
特に主役コンビが(今さらそれを言うのか!?)
主要な役を受け持ってる組子がほとんど上手くない(並みダッシュ、ぐらいのレベル)
みちこ(北翔海莉)を筆頭とした専科の姉さま方しか安心してソロを聴けないなんて、残念すぎる星組の現実であったぞよ。
まあ、ちえは主役としてドーン!ドドーン!とでっかい衣裳に負けない筋力を持ってれば(ヲイ)役目は果たせていたと見るべきだし、(夢咲)ねねは綺麗で色っぽければいいんだし(スポイルしすぎですよ!ておどるさん)
さゆみ(紅ゆずる)は顔だけで十分だし(ヲイヲイヲイ)、ゆりかちゃん(真風涼帆)は何やらしてもカッコいいし(≧∇≦)←おめえってやつは(呆)
そうとも。ゆりかちゃんは歌もうまいし老けてるし(褒めてないがな!)今回もサイコーでした。
えーと、どんな役だっけ?(←おい)
なんか、勝手に自分でデザインした軍服で出てきたっけな。
そういう変わった男の役だった、確か(←君、寝てたんか?)
いえ!寝てなんかいません!!ただ、ストーリーがサクサク進んで(それは良いことでは?)一人一人を掘り下げようって気になれなかっただけで。
タレーランとか、おいしい役なのに、不完全燃焼やったぞ。
昔のタカラヅカみたいに、「タレーラン編」とかやってほしいと思ったナリ。
まあ、単純にみちこ贔屓の戯言と思ってくださって結構ですが。
だが、そんなみちこオタクのぼくでさえ、彼女がエトワールだったのには疑問を抱いた。
あのメンツの中でみちこが抜きんでて歌えるのは理解できるんだが、エトワールだけは天井貫くようなソプラノが聴きたい。ソプラノの歌姫であってこそエトワールなのではないだろうか。
歌える娘役が皆無なわけでもなし、なんか賛成できなかったよ。
(もう話が時系列じゃなくなってます)
それにしても、フィナーレのデュエットダンスのねね姫の衣裳にはヤられた。
あの衣裳はねね姫じゃなきゃ着れない。
歌が×△※〓なんか、あれで全部帳消しになったぜ(おいっ!!!)
というわけで(全然まとまってないが)感想は以上です。
仁(ニン)はドンピシャリだが歌唱力に不足(まあ、ゆうてるほど不満でもなかったけどね、ぼく的には)のある主要キャストではございましたが、全体的には満足感のある作品でした。
ま、最後はどうなるか判ってる(歴史だからね)お話なので、「最後はどうなるかドキドキ」というよりも、「最後、どう持っていくのかワクワク」という観劇感。そういう意味では、期待は裏切られなかったな(上に描いたような、“颯爽と去る敗者”の美学が見られたから)
小池先生には甘いな我ながら。
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