てくてくミーハー道場
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2014年02月07日(金) |
映画『RUSH/プライドと友情』(字幕版) |
ほんとに映画を観なくなったぼくが、11か月ぶりに(!)映画館へ足を運びました。
それもこれもKinKi Kidsさん(←なぜか他人行儀。いや、他人だけど)のおかげです。
KinKiさんたちがいなかったら、たぶんこの映画、ぼくは観てなかったでしょう。どんなに話題になっていても。
そう思うと、KinKi兄さん、ジャニーズ事務所さん、東宝さん、GAGAさん、本当にありがとうございますと申し上げたい。
とてもすばらしい映画だったので。
(ただし、宣伝文句にあるみたいに、「生涯の一本を塗り替える」ってほどでは・・・ご、ごほっごほ)
というわけで、『RUSH/プライドと友情』
二人が吹き替えするって知ったのは去年の10月ぐらいだったか。“うぇぶ”で知ったんですが、当初は全然興味わきませんでした。ごめん。
そもそも、題材がF1だってことすら“うぇぶ”を見ただけじゃわかんなかったしね。
ただ、つよっさんの役名見て「ん?」と。
「ニキ・ラウダ」って・・・へ? あのニキ・ラウダ? と思いました。F1にほぼほぼ興味のない極東の国のおばはんでも知ってるくらい有名なんだよねラウダさんは。
一方、ジェームス・ハントという名前は、ぼくはそのとき初めて知りましたよ。
そ、F1映画だったんですねこれが。
絶対マニアックなんだよきっと。オタ(F1の)だけしか喜ばないような、メカがどうの、レギュレーションがどうの、みたいな映画なんだよ(誰かさんの影響が悪いほうに作用/笑)・・・と、なぜか腰がひけまくりの極東のおばさん。
で、きんきっずらばーならば皆さまご承知のように、そんなマニアックな“あるお方”がそんな映画の吹き替えを。
あらまあ、嬉しいだろうな光ちゃん。ご祝儀に(おい)観にいこうかしら、吹き替え版だけ(おい!)
なんて思ってるうちに、京セラドームで、お二人が吹き替えをした一部分を見せていただくという栄誉に預かりました。
CGの使いすぎで逆にエヅラが安っぽくなる一方の最近のハリウッド映画ですが、これはちょっと違ってて、画質の重厚さ(というか、荒さっていうか)にちょっと「おっ!」と思い、そしてお二人がさかんに「単なるカーレースの映画じゃなくて、ヒューマンドラマなんですよ」とおっしゃっていたので、すこーしだけ興味がわいてきました(でも、この時点ではやっぱり「いやいや、カーレース映画じゃん」と思ってた)
年が明けて、テレビでちょっとずつCMが流れるようになって、「ヒューマンドラマだ」って部分をずいぶん押し出してるので、やっぱF1オタしか観にいかない事態になることを恐れてるのかな・・・しかしそれにしてもジャニオタ(自分もジャニオタのくせに!)にターゲットを持ってくるとは、ずいぶん的をはずしてないか?と余計な心配をしたり。
で、うっかり(←)こないだの日曜日、字幕版を先行上映で観てきてしまったのです(いや、うっかりじゃなく、わざとです。吹き替え版を観る前にまずは字幕で観たかったので)
本当にヒューマンドラマでした。
しかも、よくテレビスポットで観客がもっともらしく「感動です!」だの「涙が止まりません!」だのコメントしてるあまたのB級映画(ま、また毒が)とは一線を画した、本物の、硬派なヒューマンドラマです。
(実は正直、ストーリーにほんのちょっとだけ「これは狙いすぎやろ」ってとこはあったんだけど、ま、そこは特に気にならなかったです)
ロン・ハワード、お見事でした。(←偉そうなこと書いたけど、この人の映画を観たのはこれが初)
『フロスト×ニクソン』とか、『アポロ13』とか、この人の映画って、「アメリカってすげえだろ!」って言ってるみたいな感じがして(偏見)あんまり観る気になれないでいたのよね。
そか、考えてみると、今回の映画は、主人公たちはオーストリア人とイギリス人、舞台もドイツ、イタリア、日本(!)と、むしろ“アメリカ無視”の内容なのだ(ハント役のクリス・ヘムズワースはオーストラリア人で、ラウダ役のダニエル・ブリュールはドイツ人)
おかげでアカデミー賞からはシカトされたみたいですが(ち、違います!そんな理由じゃ・・・←)
ヨタ話はともかく、(ネタばれしたくないので、内容にツッコめなくてつらい)この映画の時代である1976年にはすっかりものごころがついていた(高校生でした!)くせに、
「初めて日本でF1の公式戦が開催されるんだよぉ!」
と大人たちが大騒ぎしていたのにまったくその騒ぎを覚えてないこのぼくが、その、富士スピードウェイのシーンでは、胸をぎゅ〜っとわしづかみにされました。いえ、痴漢にじゃなくて(←いいかげんヨタ話はやめろ!)
なんていうかね、雑誌で光一さんが言ってたように、
「男って、バカだなあ(いい意味で)」
と、強く思いました。
羨ましい“バカさ”というか。
そんなにも、何かに命をかけるって、バカかっこ良すぎるんじゃありません? と、あきれるような、感心するような。
ぼくは、「モテる人」をすぐ敵愾視してしまうたちなので(モテないやつのひがみ)、この映画のキャラクターとしては、ハントよりラウダの方がカッコいいと思った。気が強くて、自分が正しいと思うことをズバズバ言って、「あんた、そんなんじゃもてないよ」って言われても「けっ」(現実のラウダさんは、モテたみたいだけど)みたいにしてるのが、逆にかっこいい。
ちょっとネタばれするか。
ぼくが一番好きなシーンは、「いかにも泣ける」ところじゃなくて(ヒネクレてますので)、後の奥さんであるマルレーヌさんをナンパ(違います!)して帰る途中、ド田舎の畑のど真ん中で車がエンコして、地元の兄ちゃんたちの車をヒッチハイクするんだけど、マルレーヌさんは、このとき初めて会ったラウダを有名なレーサーだって全然知らないのね。なのに、車を止めたお兄ちゃんたちは「ニキ・ラウダだあ!」「ラウダが俺の車運転してる!」とおおはしゃぎするわけ。
この“温度差”が、まずおかしい。
そんで、田舎道を安全運転してるラウダに向かって、「あなた本当にレーサーなの?」って言うわけ。
「運転がまるでおじいちゃんみたい(にノロいじゃないの)」と。
するとラウダさん、以下略(←おい)
まあ、ありきたりな展開ではあるんですが、なんか好きですなあ、こういうの。
「うわあ、この女、今絶対ラウダに惚れたわ(笑)」とニソニソしてしまいました。
このシーンはあまりにできすぎているので、映画のフィクションではないかと思うんだけど、もし本当にあったことだったら、ラウダさんに「おっさん、やるじゃん」(←無礼者)と言ってやりたいです。
あとねえ、ブリティッシュ・エアラインのCAの制服は、本当にあんなにスカートが短いんですか? 本当に皆さん、仕事中あんな風に腰をクネクネさせて歩いてるんですか? と思いました(ゲスいですよ!ておどるさん)
生き証人の皆さんによると、ジェームス・ハントさんは、大げさでなく、半端なくモテたらしい。
見た目カッコよくて(もちろんヘムズワースの方がハンサムなんです、俳優だし。でも、ハント自身、絵に描いたような「マンガに出てくるレーシングドライバー」なのよね)、金持ちで、職業柄刹那的な生き方してて、酒、ドラッグ、女、暴言etc.不謹慎のオンパレードのクセに、レースの前には必ず吐いちゃうくらい繊細で(飲み過ぎのせいではなく?)、インコを飼うのが趣味とかいう逆萌え要素もあったりして。
現実って、ある種つくりごとよりも面白かったりするんだよね。
ここまでわざと書かないできたけど、この映画の一番のクライマックスである、ラウダがドイツGPで大事故を起こして死にかけて、たった6週間で復帰するなんてエピソードは、逆に完全にフィクションな映画だったら、「その話、嘘っぽくなるからやめよう?」って言われちゃうくらいできすぎてると思う。
でも、本当にあったことだから臆面もなく描けるし、説得力もある。
なんでそこまでがんばるの? って思っちゃうよなあ。(←つまりここに件の邦題が入るわけです)
たとえ死にかけても挑み続けたいモノがある・・・全人類の憧れですよな。
そこを、「ほら、すごいでしょ? 感動しなさい! さあ!」みたいに描いてない(と、ぼくは思った)から、この映画はすばらしいんだと思った。
レースの描写自体は、オタも大満足な再現力で、スピード感も半端ないし、観ながらG(重力)を感じて思わずぐぐぐっと力が入るし、バクバクするし。
だけど、そうやって画面がスピード感を増せば増すほど、ドラマ自体はゆっくりと流れるっていうか、「一瞬」をじっくりと噛み締めながら観られる。
これを、映画の相対性理論という(←嘘です)
もっといろいろ書きたいけど、完全ネタばれになっちゃうので、このへんで。
で、いよいよ本日より全国公開されまして、吹き替え版も観られるようになったんで、もう一回観てくるわけですが、“声”に照れないかどうか自分が不安です。←
これが最大の心配事なのよね。実際。
声の人の顔が浮かんじゃうのが、プロ声優じゃない人の吹き替えではよくある短所で。
ま、とりあえず“エアーあんあん”(←)を楽しみに。
新婚ラウダの「待て、こら♪」も、吹き出さないように(こらっ)気をつけて観てきたいと思います。
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