てくてくミーハー道場

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2013年02月03日(日) 『熱海殺人事件 40YEARS' NEW』(紀伊國屋ホール)

1982年、映画版『蒲田行進曲』の大ヒットとともにつかこうへいを知り、単行本『いつも心に太陽を』を何度も何度も読んで、『ロマンス』『広島に原爆を落とす日』『幕末純情伝』『飛龍伝』と舞台作品を観てきたが(この他、映画も何本か観ている)、これでお判りのように、ぼくはつか作品のごく一部しか未だに体験していない。

そして、あまりにバージョンが多いため、

「今さら改めて新参するのも気がひける・・・」

と、無意識に避けてきた『熱海殺人事件』を、今回初めて観に行くことができた。

遅れてきた観客なので、つか作品をつか演出ではなく、杉田(成道)演出や岡村(俊一)演出で観ることが多かったのだが、数少ないつか演出作品を観た体験で言うと、

「つかこうへいが残したセリフを“本”にして保存しておいて、それを基に作った舞台作品は、つか作品には違いないが、でも、それを観ているぼくたちは、本当に“つかこうへいが作った芝居”を観ているんだろうか?」

と、今さらどうしようもないことを考えてしまうのである。

上演される時代が進むたびに、俳優が変わるたびに、ガラリと変わってしまうつか芝居。

「決定稿」として残された台本で上演される“つか作品”はつか芝居じゃないやい、なんて、詳しく知ってもいないくせに言ったら、きっと泉下のつかこうへいは「生意気言ってんじゃねぇよど素人が」と怒るだろう。

だが、正直なところ、本当に、観劇後感が違いすぎるのだ、つか演出で観たあのときの芝居と、現在見せてもらってる“つか作品”とでは。



要するに、つまんなかったんですか? と訊かれるかもしれない。

いや、全然つまんなくなかった。

むしろ、スイスイ入ってきた。

だがしかし、だからこそ、その「スイスイ」が、物足りなくて困っているのだ。

贅沢すぎる感想なのだろう。

多分、「女性や初心者向けに、臭みをとって食べやすくしてあります」と看板を掲げたもつ鍋やさんに行って、

「俺はもっと内臓臭いのが食いたいんだよ!」

と文句つけてる性質の悪い客なんだろう。





しかしそれにしても(意見が180度転回します)馬場徹、めっちゃすごい俳優である。

彼が出ている舞台を、つか作品に限らずぼくは何本か観ているのだが、最初に瞠目して観たのは、当然といえば当然の『新・幕末純情伝』である。

あの、真っ赤なブラジャーをつけた坂本竜馬の凛々しい(?)姿が、今でもまぶたに焼き付いている。

いや、焼き付いているのはブラの色だけではない(た、頼む、そうであってくれ・・・)

鮮烈としか言いようのない、パワァ漲る演技力に、ぼくはすっかり魅了されてしまったのだ。

「つかこうへい最後の愛弟子」なんだそうであるが、むべなるかなである。

地の力が、なんかものすごい俳優だな、という印象がある。

それこそ、若いころの筧利夫を髣髴とさせる。

今回の木村伝兵衛部長刑事も、まさしく“ザ・つか作品の主人公”らしい演技(捉えようによっちゃ褒めて聞こえないかもしれないが、もちろん褒めております)で、芝居をリード。

出演者たちの中で最年少と知ったときにはびっくりした。

彼で幕が上がり、彼で幕が下りるのだが、そのあまりにも堂々とした座長っぷりには、本当にまったく言葉が出ない。



実はほかの出演者のうち、NAOKI(from EXILE)以外の二人もぼくは予備知識がなかったのだが、こちらのお二人(牧田哲也と大谷英子)も、実に達者な俳優さんでした。

ぶっちゃけていうと、NAOKIくんが一番、長ゼリフに苦心していたようだった。舞台経験が少ない人によくあることだが、セリフを「間違えずにしゃべる」ことがやっとで、役として言えていないところがところどころあったのだ。

体はさすがによく動いていたのだが、そこがちょっと残念だったな。

だが、総合すると、今の日本の演劇界って、こんなにも人材豊富なんだね、と、熟年客としては思わず安心してしまう出来栄えなのであった。





しかしそれにしても、もし(そういうことは、書いちゃダメなのよ?)まだつかこうへいが生きていたら、2013年のニッポンへ向けて、どんな『熱海殺人事件』を創っていたのだろう? と、残念に思う。

いや、今こうして若い役者たちが作り上げている「つか作品」こそが、まぎれもない“今の”つか芝居と言えるかも知れないが。

そんなわけで、変なフラグを立ててしまうが、実は先日、新進気鋭の演出家・中屋敷法仁が演出した『飛龍伝』を観て来ているので、近日その感想をアップ・・・できるのかな?(←オイッ!!!)


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