てくてくミーハー道場
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| 2012年10月11日(木) |
『K.ファウスト』(世田谷パブリックシアター) |
串田和美さんの芝居を観ると、いつも「夢みたいだった」と感じる。
「Dream」であり、「Nightmare」
今回の作品がどっちだった、ってことじゃなく、どの作品でも、串田さんが作る芝居は、Dreamであり、Nightmareなのだ。
それを改めて実感した。
ゲーテの『ファウスト』は、長いし難しいしで読んだことがないのだが(ておどるさん本当に文学部卒なんですか?)、大まかにどんな話かぐらいは知ってます。
でも、そういう基礎知識はさほど役に立たない。というか、必要ない。
ストーリーより、「その雰囲気」を味わうだけで成立している芝居であった。
これぞ“芝居”という醍醐味。
なにしろ、冒頭、串田さんと笹野高史さんが出てきて掛け合いをするだけで、もう涙ジンワリなおじさん多数(←決めつけ)
そして、突然に音楽と色彩のシャワー。
サーカスと、ジャグリングと、cobaの音楽。
15世紀のドイツの片田舎にやってくる人形芝居一座のカーテンの中に否応なく迷い込む観客たち。
続いて小日向文世さんの登場!
涙チョチョギレ(←ボキャブラリーが古いぞ)
年齢不詳のカスペルは、素朴な阿呆の少年か、はたまた道化か悪魔の手先か。
しばしまどろみ(こ、これは寝てたとかそういう・・・す、すみません(汗)、疲れのため場内が暗くなると・・・/謝)に身を任せていると、ファウストがどうやら悪魔メフィストフェレスとの契約を果たしたらしい。
枯れた老人から、生き生きとした青年に戻るファウスト。
その戻り方がまた、『アマデウス』の高麗屋と全く違う手法で、これまたインチキくさくて泣かせる(笑)
ここで、笹野さんが今まで演じてきた役をほのめかすセリフを言うのだが、
「夏祭りの夜、義理の息子に殺され泥の中にはいつくばった」
というセリフに思いっきりウケていたのは、どうもぼくばかり(ざっと見渡しただけだが)
その代わり、
「上海のジャズクラブでラッパを吹いて」
には、さすがに客席全部がドッとウケました(♯^^♯)
旅に出る若返った(トラボルタみたいな)ファウストと、チョイ悪メフィスト。
なぜか1950年代のアメリカ西部のハイウエイでヒッチハイクを試みる二人。
傍らにはマックの袋。
時代も場所も超越するメフィストの魔力が世田谷を覆う。
と、串田さんの芝居を語ろうとすると、なぜかこっちの文体まで散文詩(そんな、ええもんかよ)のようになってしまう。
光と影と、音の祝祭劇。
それを覆う赤いビロードのカーテンの外側は、白昼の青空か、深夜の星空か。
そんな、浮遊感を漂わせる自在な演出なのだ。
cobaの音楽もすべて良かったのだが、特にぼくの耳に残ったのは、パルマ公妃のベッドの上で鳥が(この鳥がまた不気味かわいい)歌う、
「枯れなーいー花〜♪」
という歌。
沈まない太陽、昇らない月。
この世のすべては表裏一体。
「退場は、どこか別の世界への登場だ」
この世で死ぬことは、どこか別の世界へ生まれることか。
これまで過ごしてきた20年と、これから過ごすはずの20年。
なぜこんなにも価値が違って見えるのか。
うーん、やぱり、串田マジックにかかってしまっている。
自分の言葉で語れない。
いや、そもそもあの浮遊感は、言葉で表現できるはずがない。
他人が見た夢の話を聴かされることほど、無意味で退屈なことはない。
あの舞台をここで説明するのは、それと同じことだ。
だから・・・自分で観に行ってください。自分の夢を。
あああ、串田マジックが解けない。
気持ち悪い文体ですみませんでした。
今日はこれで勘弁してください。
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