てくてくミーハー道場
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| 2009年05月14日(木) |
『五月大歌舞伎』昼の部(新橋演舞場) |
播磨屋(中村吉右衛門)を座頭に頂いた恒例の演舞場五月大歌舞伎。
今回も昼夜に期待の持てる狂言が揃いました。
『金閣寺』
いきなり遅刻(すまん)
雪姫緊縛シーン(←語彙に注意!)から観た。
なんと今回は人形振りにての爪先鼠。
これ、観たことあったっけ?
『金閣寺』は5、6回ぐらいしか観たことないし、そのうち何回かは睡眠学習してたので(ごほごほ)あんまり覚えがない。
で、今回芝雀の人形振りはあんまりお上手じゃなく((−−メ)書きにくいなら書くな)
普通に演った方が(はい後略)
あ、そうだ。なぜか歌舞伎座よりも花びらの降り方がきれいだった(歌舞伎座のは、後半大量に降るシーンになると、かたまりで降ってくる)
装置の差なのかな?
後のシーンはもう付け足しみたいな感じだった(おいおい!)ので、感想終わり。
『心猿』『近江のお兼』
『心猿』は観たことあるようなないような。
フク(福助)は技術的には上手いのかも知れないけど、なーんか、その(もごもご)
いえ、偏見で観てはいけないいけない。
でも、今回の舞台なんかを観てても感じるのだが、手綱を投げる手つきとかにぞんざいさが出てたり、細かいところに彼の性格上のナニカが出てるような気になる。この人の芸を観てると。( ̄^ ̄;)
さて、二曲ワンセットのこの所作事(本当は八曲ワンセットだそうだ! すごい。観てみたい)、当然途中で早替わりがあるのですが、フクは消し幕に隠れて早替わり。なのに何と、馬が堂々お客の目の前で、引き抜いたのです!
初めて観ました。馬の引き抜き!(≧∇≦)
かわいかった(*^^*)
難易度Cの後ろ足立ちもあったし、馬に今月の社長賞を上げてください(^^ゞ
『らくだ』
松永大膳をすっかり観逃したので、ぼく的にはやっとのことでの播磨屋のご登場。
ところが、何となくセリフがまだ入ってないみたいで(歌昇丈もそんな感じだった)お話にノレず、残念。
こういう滑稽話は、流れ水のごとくスラスラと吟じてくれないと。
それと、なかむら屋と三津五郎のコンビ(というか、プラス亀蔵さんのトリオ)が得意としている『らくだ』と、ラストシーンが違っていたことに今日気づいた。
半次の母親が死んじゃったことを、おやす(高麗蔵、上手かった。今まで観たおやすの中で、“何でこの人が出てくるか”が一番ちゃんと分かるおやすだった)が告げにくるんだね、最後。
これは何だか、哀れを誘うブラックなオチだ。
久六が、「誰だっていつかは必ず死人(しびと)になるんだ」と言い放つのだけど、なんかこれには「うーん」と思ってしまった。
そらそうだけどさ、そんなことまで言う必要がある話かなあ。
基になった落語が、上方か、江戸かで違うのかも(そもそもは、上方落語だそうだ。江戸に下って内容が改編されたらしい)
(翌日加筆)
半次の母親の死が知らされるラストは落語にはなくて、歌舞伎化にあたって作者の岡鬼太郎が付け加えたものだそうです。
ということは、なかむら屋バージョンでも同じオチのはずだよなあ。なぜか覚えがない。
我ながら適当に観てるなあ(金のム・・・いや、言うまい)
実は自分で忘れてたのだが、昔買った「古典落語名人全集」の中にちゃんと『らくだ』も収録されていたので、早速聴いてみた。
八代目三笑亭可楽の口演で、収録年代は今ちょっと分からない。
何しろ死人(しびと)のカンカンノウなので(笑)主に身振り手振りで笑わせる噺だから、音声だけ聴いてても今イチ伝わってこない(お客の笑い声で「今面白いことしたんだな」と察するしかない)のだが、これを聴いてまず分かったのは、半次という人は、芝居を観てるとそう思ってしまうような「気っぷのいい江戸っ子」ではなく、“らくだ以上に”やっかいな雰囲気のヤクザものなんだね。
最終的に、酔って気が大きくなった屑屋にやりこめられちゃうところは芝居と同じだが、そうなった方が観客の胸がすく理由が、これでよりはっきりと理解できる。
岡鬼太郎は、そこんところを狙ってああいうラストにしたってことなんだろう。ようやく合点が行きました。
というわけで、少々肩すかしだった(勝手に決めるな)昼の部ですが、夜の部には、期待せずにはいられない『鬼平』が控えております。
見逃したら一生の不覚!(実は『狐火』は19年前に上演された時にも観たのだが、情けないことにあんまり内容を覚えてない)
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