げっかん かちょうふうげつ
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 これ以上も、これ以下でもなく





この夏、ふと、気がついたことがあります、
私の写真は、私の写真になってしまい、
他の人が撮ったものと、まぜたところで、
たぶん、混ざらない、と。

見慣れた人、たとえば
この日記やブログの読者さまですが、
多くの中にあっても、その目はおのずと、
「あ、あれだな。」
と、わかってしまうような気がします。

これ以上もなく、以下でもない、
そういう「点」みたいなところが、
個性なのだろうかと、
去年の九月の「げっかん かちょうふうげつ」を読み返して、
思い浮かびました。

「これ以上もなく、以下でもなく」というのは、
上手い、下手のことじゃないような、気がするんですよ。
そういうことでしたら、私の写真は、
下手ですし、おもしろくありません。

そう思っていても、
どこか、私が逃げられないところがあって、
そうだったとしても、まぁ逃げることもあるまい、
そんなことを考えた夏でした。

(すみません、お待たせしました!)

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2008年09月24日(水)



 海を見ている時間






そこへ行けば、誰でもが、しばらく見入ってしまう。
海を見ている、特別の時間。

それはなぜかと、しばらく考えたのですが、
海が「素」であるから、
ということ以上の答えを、
今、見つけられそうにありません。

もうとっくに、一年の半分を過ぎていますが、
ちょっと一休みできる、今ぐらいが、半分というもの、
人の生活のリズムに合って、
いいかもしれません。

一年の写真の「山」は、やっぱり春と秋。
私の目的の一つは「花」なので、
バラの咲く頃から六月にも、小さい山があります。
桜が終わると、ちょっと休憩してる私の日常が
写真を見ているだけで、わかります。

「山」は、勝手にやってくるものでもなく、
これは、その季節がやってくる前に、
よし、やろうと、思ってないと、
やってはこない。

そうやって、また、写真に連れて行かれるために
もうしばらく、海に見ていようと思います。
次の季節のための、新しい気持ちの準備の時間です。


お待たせしました!
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2008年08月14日(木)



 好きなところで 止まる




今月のタイトルは、(私の)写真の定義かもしれません。

止まっているものは、もちろん、
動いているもの、または、自ら動いている時ですら
撮る人は、止めて収めてしまいます。

こう書くと、なんてことはないことですが、
好きなところで、止まること、
人は無意識に、
多くのことをやり過ごしているので、
実は、かなり難しい。

「好きなところで、止まる」は
「好きなときに、止まる」。

名景絶景の、ベストシーズンを
狙うのも、楽しいですが、
私の好きな場所や時間は、
それとは、ぜんぜん違う場所にあるみたいです。

止まる意識も、好きな時間も、すごく足りないことが、
遠くへ行くと、さらに強く感じます。
自分の能力も、考えなくてはいけませんが、
いろいろな制約も、つきまといます。


自分を取り囲む条件や望みが
将来も、今とまったくかわらないというのは、
誰にでもありえず
どこかで、ゆるく、あるいは、急カーブして、
違う景色の中にいることが、ほとんど。

変化は、ある日突然、目に付くものかもしれませんが
その加減は、案外、
好きなところで止められるように
なっているのかもしれません。

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2008年07月28日(月)
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