げっかん かちょうふうげつ
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 燃えるように





冬の赤は、赤いバラではなく、
やっぱりポインセチアですよね。
たっぷりした面積の赤が、とても好ましくおもいます。

若いころ、赤いニットのセーター、スカートの上下を着ていくと、
会社でとても尊敬していた年上の女の人に、
「あなたに、とてもよく似合うわ。」
と言われ、とてもうれしくなった記憶があります。

実際は、わたしの顔色が悪いような肌色が、
赤い服のおかげで、血色良く見えた、ということなのでしょう。

赤い服を着ることは、もうないでしょうけど、
燃えるようななにかを、上手に持っていたいな、
そして、くだらないことに、それを使いたくないと、
この写真を見て、おもうのでした。



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2008年12月21日(日)



 ドキドキしたのは・・・




今月に入るまでに、たくさん見ました、
わたしのもとを離れた、カレンダー。

実際に伺ったり、
ブログの記事にしてくださったり、
写真を送ってくださったり。
(どうもありがとうございます!)

いろいろなお家の「わたしのカレンダー」は、
すでに
「わたしのもの」でも、
「わたし」でも、ありません。
「わたしがつくった」という気配だけが、
そこにあるのでした。

みなさんにお渡しする前は、
わたしのもの、とか、わたし、ということと、
すごく近いものなのですよ。

カレンダーは、わたしを離れて、場所を与えられ、
そこですっかり部屋の風景の一部となっています。
そのことと、
「わたしがつくった」という気配とまざって、
わたしのなかへ、ふたたび戻るとき、
非常にドキッとさせられます。


「一枚、一枚めくると、すごく、ドキドキするわ、これ。」
できたて(来年のカレンダー)をご覧くださった方の感想です。

「いえいえ、いちばんドキドキしたのは、このわたし!」
写真を選んでいる時から、なぜかドキドキしていました。

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2008年11月25日(火)



 ことばではない、なにかここにあるもの、あったもの




一枚の写真の中に、
その時の記録としての言葉は、
書いてありませんが、
撮った本人が、後で見ると、
その時の気分をありありと、思い出すことがあります。


見た人を、上からすっぽり包むように
当時のそのことをそのまま、再現してしまう。
たった一枚の写真から、呼び出される
あんまりにも悲しく、あるいは、とてもうれしいこと。


「えっ、そんなこと、ないよ。」
という人は、そうなるまで、撮ってみてください。
気分を、自分(内面)を撮ることも、
上手に!なんてことも、まったく不要です。
それでも、言葉で記されたものより、
ずっといい記録になることが、きっとあります。
わたしが、ほしょうします!!
と、書きたいぐらい、お勧めです。

かと言って、わたしが始終、
そういう体験をしているわけでもなく
自分で撮った娘の写真を見ても、
クールだなぁと、思ったりするほどで、
ある意味、続けることがつまらなくもあるのです。
でも時々、なんてこともない花の写真に
悲しいことや、うれしいことを見てしまいます。

そして、こんな写真は、もう撮れないかもと、思います。
もう、できないっていうことは、さみしいことではなくて、
もしかすると、また撮ってしまう気もするし、
それを撮らなくても、今、想像できない何かが
あるのだろうと。

それは写真だけじゃななくて、
すべてのことにおいて、という予感が
なんとなく、いい気分なのでした。

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2008年10月13日(月)
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