げっかん かちょうふうげつ
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 あざみのなつ




見ているだけで汗がでてくるような一枚。
暑い風。くさいきれ。
緑も空も花も濃い色。
遠くの雲さえも暑苦しく、頭上から直射日光がサンサン、元気いっぱいの7月。

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2007年07月30日(月)



 避暑


旅に出ると一日中撮ってます。
去年宮古島に行った時は、この「一日中」が五日も六日も、
たのしくやっているはずの本人ですら、なにかつらい合宿の最中のような気が時々・・・暑かったし。

で、一日中撮るためには、電池の「かえ」が必要。
歴代のカメラたちには、かばんの中に電池がもうひとつ必ずありました。
デジカメに使われるリチウムイオン電池は安くないけど、撮りたいのに、撮れないというのは、私はつらい。

「撮れる時間」や「撮れるもの」を見事に広げてくれた三代目とはじめての旅、「避暑」です。

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2007年08月13日(月)



 ルドベキアとみそはぎ





個性ということを考えた夏でした。

自分のことは案外自分でわかりません。
そして何を欲しているかなんて、
今の自分をおおう気持ちの、三層ぐらい下にあったりします。

うまくすると他のものから触発されて、
ひょっこり顔をだすこともあるでしょう。
写真の二つの花は、お互いをひきたてあっているようです、魅力再発見。

でもそればっかり期待できません、
やっぱり三層下、もっと下を発掘してみるのです。

それはあまり楽しいことではなく、
そうと察した幾人かの方から、それとなくはげましのメールをこの夏はいただきました。
反応の鋭さにびっくり。
あたたかくも、気にかかってメールを送るも送らない選択も、一つの個性と思ったり。

伝える、伝わった、伝わらない。世界を回すもののひとつ。
この夏がこれからどう生かされるのか・・・

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2007年09月22日(土)



 三年




先月末から、今月のはじめにかけて卓上カレンダーを作っていました。

写真は二年ちょっとたまった毎月の写真(かちょうふうげつ)から選ぶつもりでした。が、実際、セレクトをはじめると、それではぜんぜんダメでした。

特に、真夏と真冬に、量も質もありません。
理由ははっきりしてます、ネイチャー系フォトグラファーは、もっと外に出てください!(はーい。)

ということで、今月から春まで撮影強化月間。
今年は関東地方に雪が降っておくれ、どっさりよ。
雪のあるところまで、はるばる出かけるというものでもいいのですね。

私が写真を撮り始めたのは、2004年の秋。ブログも同時に始めて、丸三年が経ちました。
一秒の何分の一の記録が、三年で十万枚。
膨大さと短さ、記憶が交差します。

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2007年10月31日(水)



 うつる




いろいろなことが、加速度をつけて交差するこのごろ。

今年のまとめとして、片付けなければならないこと。
少し見え始めた、少し音に聞こえ始めた「らいねん」のための仕込み。
そしてもちろん、通常の日常もあるわけです。
なんだか寒い秋のような今年、
季節も冬へ加速度をつけて、向かっているようです。

「今月の一枚」はあとで写真を選ぶことはまれ、
対象を見つけたその時、これは今月の一枚だな、となることが多いです。

窓は今年の七月にやっていたことは、すっかり忘れていました。
でも、七月は窓が二つなのでちょっと複雑ですが、室内から外を見てます。
今月は外から内を見ています。
黄色いバラは外に植えられたものが、窓に映ったものです。

今月は忙しいので「げっかん かちょうふうげつ」は、早めの更新、
いえ、さらに自分に負荷をかけようとしてますので、
出来上がっていることからやることにしました。

来月はのんびりと過ごず、なんてありえなさそうですが、気持ちはおだやかのんびりと過ごしたいです。

寒くなってきました、お風邪などひかれませんようにご自愛ください。

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2007年11月09日(金)



 こわす こわれる こわす





この睡蓮の鉢はある植物園のものです。
夏、私は陽気に金魚を写していましたが、冬には違うものが見えました。

タイトルは、私の今年のタイトル。
つい最近まで、そのことに気づかないまま、過ごしていました。
意図的にこわした、こわれたのではなく、
それで悲しくなるわけでも、元気をなくすわけでもなかったからでしょうか。
勢いやスピードはなくしたかもしれませんが、
写真を撮ってると、よい意味で強くなっていくようで、
自分でもびっくりするほど、じーっとクールに状況を観察していました。


今年の八割か九割は、
明日の、今日の写真はどれ?
タイトルは?
何を書く?
と、毎日続けることが、実にヘビーな作業でした。
やめようかと・・・続きは書かなくてもおわかりですね。
それも消え去り、最近、やっと調子が出てきました。
更新するのも、もどかしいぐらいに撮ってます。
この異様なワクワク感、何でしょう?

バスに乗って移動している間、そういえば毎年この時期になると一年の蔵出しとして、いろんな写真を出していたことを思い出しました。
やりますよ!
とはいえ、四月まではあまり撮ってません。それから六月末まで、
実はとてもたくさん撮ってます。
カメラを変える時期がはっきりしていたので、
最後にしっかり撮ろうと思ったのです。

今年は見てくださる方から、見えるもの、見えないもの、たくさんのものをいただいた気がします。

ご覧くださった皆さま、おひとりおひとりにとって、
わくわくするような新しい年を迎えられますように、感謝をこめて。

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2007年12月05日(水)



 むすぶ




ピンと張った縄の結びめが並ぶ。気持ちがよいもの。

実は今、着付けの練習をしています。
どこかに習いに行っているわけではなく、ひとりで。
きっかけは、いつも着付けてくださる方のひとこと。
「あなたはもう、自分で着れるでしょう?」

どうして自分で着れるのだと思われるのだろう、
その根拠はどこ?といぶかしんだのですが、
外国へ転勤していく友達が、
あわてて着付け教室に通っている理由を思い出しました。
「民族衣装で、パーティとかあるんだってさ。」
持っているなら、自分で着れないと、ダメだと思ったのです。

背中を押すよいきっかけをもらったので、やらなけば!

着物は「結ぶ」のオンパレード。
日本人は「結ぶ」ということをいいかげんにせず、
育ててきたようなところがあるのでしょう。
写真の雪吊りの縄の結び方も、その世界ではきちんとした流儀があるのでしょうね。

もう数年来、絶大な信頼を寄せて着付けをお願いしている先生は
着物には腰紐、伊達締め、
長襦袢は衣文抜きに長い紐を通して、それで結びます。
コーリンベルトは両方に使うので二つ。
それはいつもそうされるので、こちらも準備して、おぼえてしまったこと。
締め加減、位置は身体が覚えていました。
衿のあわせ加減はこれから目と手で勉強。

問題は帯でした。私の背中で起っていることを見ることもなく、
未知の世界。
手がかりは、帯枕の位置と締め加減しかありませんでしたが、
セーターの上から帯を結ぶ練習からはじめました。

なんとかキモノスガタは出来上がりました。
でもこれで、やったね!ではなくて、
自分で着て、出かけて、一日過ごし、いろいろとアラを見つけて、失敗もしてから、先は長いです。

「結ぶ」ということばは、概念を表すことばでも。
実を結ぶ、縁を結ぶ。

「実を結ぶ」というのは、今日(1/26)blogに書いたことにつながりますが、ウラでちゃくちゃくと重ねてきたことが、オモテに結果に出ること。

「縁を結ぶ」というのは、それまでもちゃくちゃくと何かを進めてはいたのでしょうけど、これから一層積極的に事実を、ウラもオモテも重ねようのようなことでしょうか。

最近、ちょっと悲しいようなびっくりしたのが
彼がいなかったから、私はとても困るぞと思うBabayfaceが離婚していたこと。だめだがいっぱい重なって、ある時、結び目はだらりとほどける。
離婚を経験した友達から感じたこと。
「結び目」を解いてきた彼女の、すがすがしさ!
あらゆる紐を解いて、着物を脱いだ時の、「ふう〜」ったら!

「結ぶ」っているのは、もともとは努力の意思ようなことをさすことばだったのかもしれませんね。

今月は長いな、最後までありがとうございます。

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2008年01月26日(土)
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