もぐみりん
もぐ



 不安

一緒にいてこんなに楽しくて嬉しくて心があったかくなる。
じゃあまたね、とわかれたあとにどんどんさみしくなる。

これじゃあまるでダメだ。
自分をもっともっとしっかり持たなくちゃダメだ。
そしてなによりそうしないと怖い。
怖い・・?何がだろう?
不安って。どうして?

いつもならこの感情から逃げ出して、感覚が鈍くなるまで放っておいてホッとして終わりにするのだけど、もうそれはできないと思った。
考えなくちゃ。
不安なのは、怖いから。
怖いのは、嫌われるのが怖い。
嫌われるというのは、自分を否定されること。しかも好きな相手に。
でもここにいるには今現在の自分で、嫌われるとしてもその要素も自分。
自分を変えたいとよく考えた。
だけどいま思うのは、自分を変えるのではなくて先に進めたい、と思うこと。
前を向いて、おぼろげでまだはっきりしなくても到達したいと思う場所へ足を動かすこと。
正直、私の進みはカメより遅くて、人から見たら止まっているように見えるかもしれない・・。
だけど、進んでいけるはず。
考えて、ちゃんと頭を使って考えよう。
自分自身を認めて。ダメなところはどうしたらダメじゃなくなるか、考えて。

仲の良い友達によく言われること。
平らにしないこと。
デコボコ道はそのままでいい。その道をつまずきながらでも進めばいい。
無理に平らにすれば、あとで必ずゆがみがでるよ、と。

怖いから、と、すぐにその場を平らにする私の悪い癖。
そうだね、それはやめよう。
言っているそばからきれいに平らかにしたくなるけど、さあ前を見て!
足元・目先にとらわれず、前を見て進もう。

2007年01月07日(日)



 今年が終わって明日は新年

今日は寝ないで明日の朝まで起きていられたらいいと思う。
そう思いながら、きっと寝ちゃのだろうなあ、とも思うけど。

紅白を見て、他の番組もつまみ食いして、ちょっとあきたら本を読んでみたりネットしたりぼーっとしたり。はたまたお酒を飲んで今年を振り返りいろんなことを、本当にそれこそいろんなこと あんなことこんなことえーーーっそれも?てな感じに思い出して、そして来年を夢見て、ニタニタしたり泣いたり落ち込んだりひとりで照れたりと、おかしい行動だけど、そんなことをね、しながら年越しをすると思う。

いつになっても季節を感じることができるのは、私が日本人だからということだけじゃなく、家族があるからなのでしょう。
あったかい部屋で人の気配を感じることのしあわせ。

来年の抱負、どうしようかな。
大好きなひとみんなに、いろんな想いを伝えたい。

良いお年を!

2006年12月31日(日)



 言葉

自分が発することばより、自分が編みこんだ言葉を 文章を 大事に思う。
だから、人が私に対して発信してくれる言葉より、文章に反応が強い。

どうでもいい文章はすぐにわかる。
どうでもいい人からのどうでもいい文章はどうでもいい。
仲良しからの文章でも、それぞれの事情があるから時々で仕方ないと思う。
だけど、ある人からの文章だけはダメだ。
敏感すぎる。反応しすぎる。
逆に、発信するときも考えすぎる自分がいる。

面倒だな、と思う、本当に。やっかいな。
だけど、譲れない。
文章は私だから。

こだわりというよりも、頑固もここまでくると天晴れだ。

2006年12月30日(土)



 ずれ

体が重たいと思い、こりゃやばいかなと体重計に乗ったものの、ぜんぜん大丈夫・・。こういう感覚と実際がずれるときはよくないと、経験上ふと思う。
こんなことが続くと年末年始にぶっ倒れるパターン。
とはいえ、そういうことがわかってきただけ自分への理解が深まってきてるなあ、とすぐに自分をほめてしまうあたり、まだまだまーだまだ甘いです。

でもね、本当にこういう感覚のずれはなにかがずれている証拠なので「あれ?」と振り返る材料にすると良いと思う。
本能、というほど大層なものではないけども、誰もが持っている自己管理能力なのです。
これと同じく自分を知る・守る材料としては、
「こわい」「はずかしい」もあるよ。
どちらも負に思えるかもしれないけど、これに振り回されるのではなくそれを機に考えたりするのはとても有効ではないか、と思うのです。

2006年12月26日(火)



 許す気持ち

何があっても人のことを悪く言わないおばあちゃんでした。
もうずいぶんと前に亡くなっているのだけど、それは本当に優しい人で、私は怒られた覚えがありません。あ、しつけられたことはたくさんあるけども。それはマナーでありルールであったから、怒られたとは違うものね。

今日は近所に買い物にでて、その帰り道に思い出したのがおばあちゃんのこと。
たくさんの苦労をしたと聞いている。
夫である私のおじいちゃんにあたる人もいろんなことをする人で、それは波乱にみちた人生だったろう。お酒もそれはもうたーんと飲み、暴力も振るったらしい。子どもたち4人も、それぞれがいろんな人生を送っているから気苦労もたくさんあったろうし。
そんなおばあちゃんだけど、いつも文句など言わず、にこにことそれは本当に優しい人だった。いつもほめてくれる人だった。弱音をはいたところも見たことはないし、聞いたこともない。

だけどそんなおばあちゃんが唯一弱音をだしたのは、病気になってもうかなり病状が進行しているときのこと。
おばあちゃんは息子である私のおじさん家族と同居していたのだけど、一番遠いところに住んでいるうちの母に、ある日の夜遅く電話してきたそうだ。
「さみしいよ、れこちゃん(母の名)、すぐきて、すぐきて」
と言ったそうだ。
すぐにいけるところではない。それはおばあちゃんにだってわかっている。なのにそんな電話をせずにいられなかったおばあちゃんの気持ちを思うと、私は本当に泣けてくる。
そして、すぐに行ってあげられないことがうちの母にとってもどんなにつらいことだったろうか、と思うともっとギュっとした気持ちになる。
それ一度きりだったというが、一度きりだったからこそたまらない。

おばあちゃんの最後にはうちの母がそばにいてあげることができた。それだけは本当によかったと思う。最後の数週間は一緒にすごしてあげることができたのだけど、その中のある日、一緒に病院にいくときだと思うのだが、うちの母が羽織っていたショールを見て、
「それきれいだね、いい色ね」
とおばあちゃんが言い、
「じゃあおかあちゃんにあげるよ」
と、母やおばあちゃんにそのショールをプレゼントした。
おばあちゃんは嬉しそうに、そのショールを羽織っていったそうだ。

おばあちゃんが亡くなったあと、部屋を整頓していたらそのショールがきれいたたまれてしまわれていたのをうちの母が見つけたのだが、それはきれいなままで、きっとその後使わずに大事にしまわれていたんだろう、と。
母は、それをそのまま持って帰り、そしてそのまましまった。
あの時、一度だけ身に着けてしまったのかな、と思いながら。
そしていろんなことを考えて、そのまま使わずにしまったのだろう。

この話は前から聞いていて、ほとんど記憶の奥底に沈んでいたのだけど、なぜか今日鮮明に思い出された。
言葉にできない想いが渦巻いているように感じて、晴天のクリスマスソングが流れるのんきな地元道を歩きながら、私は本気で泣きそうで、でもなんとも優しい気持ちになってしまって、きっとおかしな顔で歩いていたことだろう。

メリークリスマス。

2006年12月24日(日)



 満たされた気持ちとさみしい気持ち

このふたつの気持ちは表裏一体だと思う。
満たされたと感じてしまうと、あとからさみしいと思う気持ちがやってくる。
逆も、たまにあるかな。

週明け早々、大好きな人と心が通うようになった気持ちで満たされた。
すてきな人たちと触れ合えたことでさらに満たされた。
それじゃあね、とひとりになってから、さみしい気持ちで満たされそう。

色々な感情があるから、だからこそ心の色は変わる。
そのことは心を柔らかにもするし、硬くもする。
時に心の声を聞くことはとてもつらい作業になるけれども、決して閉ざしてはいけないなあ、と思う。


心とたくさん話をして、たくさん泣いて笑って落ち込んで喜んで、一喜一憂・喜怒哀楽、あらゆる変化を楽しめるように。強く優しい私になりたい。

2006年12月19日(火)



 本屋にて

今日は午前中からでかける用事があって、でもそれはあっという間に終わる用事だったからもちろん時間は余った。
だからといって寄り道する気は起きなかった。
あー。もっと寝ていたかったね、できれば引きこもりたかった。
そんなことを思いつつ、それでも電車に乗って都心側にでてきたんだからどうせなら用事すませりゃいいよな、と思ったりもしていた。

結局、最後の繁華街最寄り駅は通り過ぎて、私はそのまま地元の駅に着いた。

さあ、家にまっすぐ帰って、そのまま引きこもろーぜ!
と思いつつ。
でもでもでも、本が読みたい。刺激が足りない。
引きこもりするにも材料はいるだろーさ。
そう思って、決して在庫は多くないけど安心できるいつもの本屋に寄った。
案の定、いるのは週末休日ひまをもてあましたおとーさんや家族連れ。
店員もまだまだぼんやり、起きちゃいない雰囲気。
でもそのゆるさはとても気持ちがよい。
休日はそれくらいのゆるさがちょうどいいな、って思う。

そんな中、4冊本をゲット。
選んでいる途中、文庫コーナーのはしっこで膝をついて真剣に文庫を読む女の子、推定6〜7才を発見。昔の自分を見たようでこみ上げる笑いと思い出とせつない気分やら懐かしい気分やらに襲われた。


帰り道はいつも通る道ながら、でもいつもと逆に歩く道のりだった。
同じ道のくせに、逆から見るだけで随分と違う様相だった。
鳥居なんてあったか?
なんとか山ってなんだ?入ることができる季節と時間がきまってる?なんだろーなー。
これは知っているな、遊歩道だ。ん、時間もあるから通ってみようかな?と思ったら、足が進まなかった。通りたくないらしいのでやめた。
家の近くは相変わらず鳥が多いけど、あれ、なんてきれいな色をした鳥なんだ?と、はじめて見た鳥。

発見はやまほど。
その発見にいたった時間はほんの数分。
だけどその日時にそこを通る確立はいかばかりか?
必然の意味を見た気がした。

2006年12月16日(土)
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