もぐみりん
もぐ



 人生は思い通りにならない が

人生は思い通りにならない。
そう言われたとき
「そんなことはない、思い通りにならないけど思い通りにできるよ」
と、単純に思った。

でもいまは「人生は確かに思い通りにならないなあ」と思う。

が。
だが、しかし、である。
思い通りにならないけどね。いかに思い通りにならないこの人生を楽しみ、おもしろがり、そして思い通りになるようにがんばるか。それが人生。 と思う。

ああ、楽しいなあ。
そして、苦しいな。
だけどそれでも生きていることがうれしいな。

ある一瞬だけ訪れる幸福感。あっという間に去るときが多い。
でもそれが訪れることがなんともいえずまた幸福感を呼ぶ。
人からみたらわからないくらいの起伏が、それが私にとっての「思い通りにならない人生」だ。それが私の「人生」で、そしてなによりも生きている意味だと思う。

ああ、あつっくるしい文章。
だけどひさしぶりにこんな文章を書いた!
あー、すっきり!!!

2006年11月20日(月)



 ひどいのかもしれない

昔、少しだけつきあった人からたまに連絡がある。
彼はうつ病だと周囲に公言し、そして公の場で堂々とおかしな言動を繰り返す。
人を攻撃することもする。
一緒にいるときはひどく優しいけど、たぶん、優しくできないときは一切連絡がとれない。ひどい状態を見せたくないのか、他にもなにかるあるのか、そのあたりは推測でしかないからわからないけども。

少し前にも連絡があった。
私は反応しなかった。無視した。
いろんな思いがある。本当は優しい人だろうし助けを求めているのかもしれない。でもその様子にどうしても同感できないし、感じ入ることができない。
そして私はやってきた合図になにも答えることができないのです。
合図を認めるだけ。それだけ。

すぐにでも連絡し、あいたいというならば会い、そして望むとおりにしてあげればいい。
以前の自分ならそう思っただろうけども。
その場だけの差し伸ばしなど、なんの役にも立たないと思う今の私は、結局なにもできないまま。
いいときにはよって来るやつらばかり、という彼にとって、そんな私も「いいときだけよってくるやつら」になるのかもしれない。


ここにつらつらと書きながら、私はそれでも構わないと平然と思っている。
それはひどいことなのかもしれないね。

2006年11月19日(日)



 思い立つ

んんんんん。

こうやって文字にすると、とてもかわいい「ん」という文字。
ニュアンスによって与える印象はまったく異なる。
んー。
んん。
んんん?
んーーん。
記号みたいだけどね、ふふ。

味噌っかすのようで、なかなか奥深いやつ。

2006年11月16日(木)



 ここにいる


私はどこへ走っていこうとしているのだろう

なにもかわらない今
なにもかも同じなこれから
そう感じている今なのに
確実に時間は過ぎ変化が訪れる

そしてそれを感じる自分


私はどこへいくのだろう
そしてなにになるのだろう
それはまぎれもなく私自身なのに
だけど私は変わるのだろう



加速する
気持ちよさ
それでもそれは見知らぬ場所
踏み出しているのにしらぬまま
いつしか気づけば自分の場


私はここに存在する

2006年11月14日(火)



 ふとした瞬間

頭の中で空想をしているときはたくさんあって。
電車の中など、起きているけどある意味待ちの瞬間のときとか。

今日も電車の中でなんとなくいろんなことを思い出していたら、空想に移行してました。
でもまた最後には思い出にひたってしまって、最後に思ったことはおばあちゃんのことだった。会うといつもほっぺたを合わせて「よく来た、よく来た」って喜んでくれたことと、さようならをするときにまたほっぺを合わせて「またおいでまたおいで」としてくれたこと。

ひとつだけ昔に戻ってできることがあるよと誰かに言われたら、私はもう一度おばあちゃんとほっぺとほっぺを合わせたときをお願いしたい。

2006年11月11日(土)



 私は

書くことが苦しいって思うことがない。
書きたくて仕方ないって思うことの方が多いです。

でも、でもね。
思うことをそのまま表現することはすごく難しいって思うこともある。
思うことは私が書く言葉などよりももっともっと違う形を持つから。
言い表せない、なんて簡単なことじゃない。
表現したりない、言い表したりない。
もっともっともっと、もっともっと。
思うことも、感じたことも、そしてなにより伝えたいことがあるのだと思う。

それでも書きたい。
言葉が好きだ、こうやって文字を重ねることが気持ちいいから。

走る言葉がある。
止まる言葉がある。
せきたてる言葉もあるし、すべてを流す言葉もある。
そんな言葉が大好きです。

2006年11月09日(木)



 バスの中

通勤にバスを使ってます。
最近はちょうど季節の変わり目で、もう眠くってねむくって仕方ない。
だからほとんど寝ていますが・・
そんな中、もうちょっとで終点というところで目覚めた瞬間
「おとうさんね、もういないんだけどいないって気がしないの」
と、それはそれはとても静かな、たんたんとした調子で話す女性の声。
それに答える声は、
「でももうあなた、3年でしょう?」

ああ、だんなさんがなくなって3年たつのね。
でも、いないって気がしないんだ。
きっと近くにまだいるんだね。
と、普通に思ったとき、すーーっと涙が出そうになりました。

3年前に亡くなっただんなさんのことを、まだここにいるようなのよ、と、まだ生活の中に気配があるんだと、朝のバスの中でただ普通に語っただけでしょうに。
その当たり前の雰囲気に、でも間違いなくいまいない人のことを語っている。
その瞬間をたまたま聞いてしまっただけなのだけど、あまりに当たり前の様子がその分、その不在感をいっそう引き立たせてしまっていたと思ったのでした。

まいった。

2006年10月31日(火)
初日 最新 目次 MAIL


My追加