かたほうだけのパンプス
敦子



 おせっかいされに行った

今、胸に秘めていて歩きだそうとしている。
でも、どこからとりかかっていいかわからない。
それであるランチ会に行った。
それは、浅草橋で人の話を聴いたり、応援したりしているサロンを開いている方が主催しているAKBランチ会。

 
バスに乗って新宿バスタに到着。
どこから手をつけていけばわからない。それではすでにやっている先輩方に聞こう!
ということで参加させていただいた。
 
ランチメニューの和膳
浅草橋ベルモントホテル、
ラコント、ランチ
ランチ会の主催者で自称おせっかい社長の渡辺さんは、一見どこにでもいそうな気のよさそうなおっさん。でもこの人ってお坊さんみたいな人。ハゲとかそういういみじゃなくて。
やりたいことは、人のやりたいことを応援したりお話聞くだけとか・・・。
人のなかに蒔かれた種子を実にして反映させることがしたい!それだけ!みたいなことを言ってる。
すごい!というか、正直というか。
こういうことって思っていてもフツウできなかったリ、マジにやろうとすると照れくさかったりする。でもこの人ってキレイな輝きみたいな感じがした。

今回のランチ会参加、初めてだったけど疲れない。逆に気が楽になった時間だった!


アメブロおせっかいされに行ったより

2017年03月09日(木)



 2017の桃の節句

昨日のつづき・・・

今のパーソナルコンピュターすなわちパソコンは、かわいいですよね。
昔は、固いテレビってイメージだった。

もう少しして、ワードプロセッサー。
パソコンの文字を打てるワード部分だけのコンピュータが流行った。
けれどもあっという間にパソコンに変わって、今やワープロの存在は歴史上から抹殺?くらいにないものになっている。

インターネットの前身はワープロ通信と言って一部の人々の間で使われ、それからメールが登場してメールはビジネスメールから一般へと普及していった。

私が倒れて手術してリハビリして退院してからどう生きていけばいいものか?
まず、2000年に購入したパソコンを2006年の暮れに動かしたところ、動くけれども画面が変わらなくてもう違うものになっていた。
でもなんとか画面が出た市内の障害者向けの行政の窓口を見つけて、電話してがんばって一人で行った。

そうしたら、障害者にはパソコン・インターネットは必須アイテムだから用意しなっ!と相談した兄貴のような先輩障害者、脳梗塞で下半身マヒになって障害者の相談者になったピアカウンセラーさんから言われた。

上記のいきさつで私はPC生活、インターネットに接続した生活が本格的に始まった。
   *************************
今日は、ひな祭りなのだけれども。雛人形は飾ってない。
雛人形を早く片づけたり、大事にしないと結婚できないとかいうけど、ウソウソ・・・。

私は、自宅の部屋が狭くて収納もなくて祖母が買ってくれたひな人形をしまうところがなかった。
おまけに人形が入っていたガラスを割ってしまった。
しかも何年も放置!
でもさすがに気になってバイト代でガラスを入れ替えた。
それから二年か三年後に結婚して、なんとダンナが、雛人形を手入れしてくれてキレイに飾ってくれた〜。
嫁に行ってからお人形は飾るものなのか〜と思った。

今日2017のひな祭りは冷めたものだ。
別に特別なことはしないが、いつもひな祭りというとこのこと、ガラスを割ったこと、人形を旦那が飾り大切にしてくれているということを思う。

アメブロhttp://ameblo.jp/teidon3rd/

2017年03月03日(金)



 2017春に

私がブログを作るのは何度目のことか・・・?
作ってはやめ、作っては書かず、作ってはどんどん書きと繰り返す病気のようになっていた。
でも、このブログで決めたいと思う。
ここまでに至る経緯とこのブログをつくることになった流れを書いていきたい。

最初にパソコンに触ったのは、もう30年以上前のこと。
企業がアナログからオフィスオートメーション化に転じはじめた昭和の終わりころのこと。

それまで算盤はじいていた人が電卓に慣れて、電話に次いでファックスを導入しはじめた頃だった。
私が勤めていた会社は、ある業種の組合だった。
私は組合員の保養施設の宿泊予約を管理する仕事をしていた。
宿泊の予約は電話で受けて板目紙の表紙の宿泊予約台帳に鉛筆で名前と所属と人数を書き込むという原始的な作業だった。
その台帳をコンピューターで管理しようとシステムエンジニアが通って来ていた。
まだ当時は、真新しかった。
でもいずれこうなっていくのだろうという空気が世の中に漂っていた。

JRは、まだ国鉄で、民営分割するということで明日からJR東日本になる!という日々だった。
今は自動改札だけど、昔は高速道路の料金を現金で受け渡しのところみたいな楕円の枠があってそこに切符に切符専用のハサミで切る、切符切りという役割のお仕事が存在していた。

それが、ある日、切符を飲み込んで問題なければ吐き出し、吐き出された切符にはハサミならぬキレイな小さな丸が出現していた。
味気ないというか、かっこいいというか、驚いていたのも束の間、私たちはすぐに慣らされていた。

書類は手書き若しくは和文タイプで印字をお願いしていた。
ところが、まだシステムは組まれてはいなかったが、各課に一台、コンピューターが置かれた。この頃は、まだパソコンというよりは、コンピューター、と呼んでいた。
コンピューターの画面は夜空のように真っ暗だった。


アメブロに書いたものアメブロスタート記事より

2017年03月02日(木)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加