最近・・・なんだかなぁ。過去を振り返って「あのとき、ああすればよかった、こうすればよかった」なんて、考えたって仕方ないのに、どうしようもないのに、むしろ「私はあのときどうすればよかったのよっ?」…って、結局逆ギレ自分ツッコミで終わってしまうので、後悔の時間はまったくのムダな時間なんだよね。
後悔して、反省して、でもそれを活かせるほどの時間も未来もないっていうのに、反省してもそれを活かせるチャンスなんて全く無いのに私はぐずぐずと後悔している今日この頃。
こんな時、この後悔の内容に関係のない話でもいいから会話したい人が、気付くとみんなあの世にいっちまってるじゃないかという驚き。草葉の陰から私を助けてくれないかな。
夏はそんな季節。
ちょっと鬱々とした日々なので、眠る時間が待ち遠しいかったりするのだ。暗闇の中に身を横たえて私は願う。「どうか優しい夢が訪れてきますように」と。怖い夢も苦しい夢も、そして哀しい夢もいやなんだよ。わけがわからない夢も出来たら見たくない。目が覚めた時、思わずほほがゆるむような、そんな夢が見たい。
そこで、私はこのところ毎晩かなり真剣にこの願いを思いつつ眠るのだけど、夢はなかなか思い通りに見る事はできず、夢は見たけど「見たという記憶」しか残っていなかったりするのだ。
願うだけでは足りないのかな。では祈ってみるのはどうかしら?…と思って、気付く。私は祈る神を持たない。神も仏も信じてない…というのは不便なことだとこんな時しみじみ思ったりするのだ。
イワシのアタマがあればいいのか。
白桃のシーズン。昔、あの世に行った義姉さまがとっても上等な桃を食べさせてくれて、でもそのあととても気分が悪くなってそれからずっと桃は食べてない。だけど、私のなかで桃と義姉さまのことは関連付いていて、そのせいなんだろうな、夢をみたよ。
黄昏れてもう夜になってしまうというような、そういう暗さの中、『なんでこんな眠くなるような暗さの中、歩いているんだろう』と私は思いながら、泳ぐように歩いていて、『義姉さまの病気は大丈夫だろうか』と心配していた。
どこかにたどり着くと義姉さまは寝ていて、そして姪っ子に私はいうのだった。「食べないと元気がでないよ」と。そうやってしばらくすると義姉さまは起き上がって「よかった、よかった」って感じになるのだけど、それなのに私はずいぶんな寂しさを感じていて、『あぁ、そうだ・・・』と思いながら目を閉じたのだった。
目覚めた時、寂しくて泣いていたかも。
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