想像を超えた速さで時は過ぎ、あっという間に大晦日がやってきた。なんやかんや、あれやこれやなんとか都合をつけ、いつもと同じことやってる私がいる。今日は一日台所の囚われ人だ。
そして戸棚を開けた拍子にポットを見つけると、これで父ちゃんにコーヒーを運んだことを思い出し、緑と白のプラスチックのコップは二人でそのコーヒーを飲んだ記憶が刻まれている。
季節を違えず花を咲かせる鉢植えを見て義姉さまを思い出すように、コーヒーを飲む度、あんこたっぷりの和菓子の見る度、私は父ちゃんを思い出す。そして、たねやの最中を見る度に、自分の分なのに私にくれた最年長の、父ちゃんと同じ年の友人を思い出す。
私は優しい人に囲まれて生きてきた。
昨夜突然の電話で、友人が亡くなったことを知った。友人というのはちょっと失礼かもしれない。父ちゃんと同じ年で私の友人の中では最年長だ。とてもいい人。和裁教室で入口に一番近い席にいる私が何気なくいう「おはようございます。」をとても気に入って下さった。
お茶の時間に出たたねやのモナカを、私が「うちのドラ(娘)が好きだから持って帰ろうっと」…と言ったら、自分のを下さった。その時のいたずらっ子のような笑顔。優しい人だった。
私は何もしてあげられなかった。これからしてあげられることなんて何も無い。たまに思い出すことだけ。無力だよね。
せめて忘れないでいようと心から思う。
父ちゃんはどこか遠くで自由にやっていると思うことにした私なんだけど、1つさみしいことがある。父ちゃんが私を呼ぶ時、時々「○○ちゃん」と呼ぶ時があって、それは名前とは何のつながりもなく、たぶんまだ幼子だった私をふざけて呼ぶための名前だったと思うのだが、私はこの呼ばれ方が大好きだった。
世界で一人だけこの名前で呼んでくれた父ちゃん。私の作るケーキが世界で一番美味しいと言ってくれた父ちゃん。たぶん、どの孫よりこんなおばさんになってしまった私を一番可愛いと思ってくれていた父ちゃん。
ほんの一月前に私の手を握って、「やさしい手」と言ってくれた父ちゃん。「○○は父ちゃんに似てるから」と言った父ちゃん。きっと似ているね、親子だものね。「ありがとう」何万回言っても足りない。
もう一度呼んで欲しい。
私の父ちゃんが静かに眠りについて色々分かったことがある。そのひとつに人って一方向からみただけではわからないってこと。故人を偲んで…というほどでもないにせよ、父ちゃんが亡くなって「そういえば…」的な展開で弟嫁なんかと話をすると、色々新しい父ちゃんの一面が見えておもしろかった。
私に見せる面と、嫁に見せる面は違う。当然妻であるかーちゃんに見せる面も違うんだろうな。話をしていて「え?」っと思うことや、「へぇ〜」と思うこともあった。ちょっとだけ「それは違うやろ、私の見た父ちゃんが正しい」と思いかけて、やめた。
たぶん、どの父ちゃんも正しい父ちゃんなんだね。ここで大切なのは誰かの見た父ちゃんが私の父ちゃんと違っていても、「私の見た父ちゃんが本家だ!」と言い張ることは正しいことではないってこと。
またほんの少し大人になった。
昨日、お骨揚げの時、父ちゃんの足の骨、それも膝の関節の骨がとても白くてとても大きくて立派で、それが哀しかった。私はけっこう何度もお骨揚げに立ち会っていて、人によってはとても少なかったり華奢だったりを見ているのだけど、父ちゃんの骨は立派だった。
父ちゃんはパーキンソン病で、薬が切れると糸の切れたマリオネットみたく、身体が不自由になった。施設に入ってからはずっと車椅子だったし、手もだんだん動かなくって、とても器用だった父ちゃんの手はとても可哀想だった。
そんな父ちゃんの骨は、病気じゃなかったらきっとまだまだしっかり動いていたんだろうな…と思うとほんとうに哀しかった。病気がとても憎い。
天国というところが本当にあるなら、父ちゃんは大好きなコーヒーを片手にタンゴを聴きながら、もう一方のてはトントンとリズムを取っているだろうな。
そして…、告別式となったわけで。「長いお経はいらない」という父ちゃんの言葉に反して長かったお経の間、私が考えていたのは「あれもこれもしてあげればよかった」ってことで、長いお経は退屈だけどこのお経が終わると…と思うと苦しかった。
「墓に布団はかけられぬ」という言葉があるけれど、まさしくこの通りのことをずっと考えていて、そして思った。私も一応親だけど、自分の子どもに何かして欲しいと思っているかな?…ってこと。「否」。たぶん、うちのドラ(息子&娘)が私の為のお経を聞きながら、私と同じ事を考えたなら、きっと私は言いたいだろうと思う。
「いてくれた…それだけで十分だ」と。きっと父ちゃんも言うのに違いないと確信を持って言える。
さかのぼってこれを書いているわけだが、この前日記を書いたのが23日で、ということは22日の深夜に更新していたのだと思うのだが・・・。そうしてつまりこの日記の日付24日には私の父ちゃんの通夜が行われたのだった、あれほど、「お正月は越えてくれ!」と思ったにもかかわらず。
23日、予定通り面会に行く予定だった私に弟から電話があったのはお昼頃のことで、急がなくては!…ということで車で出発した私に待ち受けていたのは事故渋滞で、そこにまた電話がかかってきて、「間に合わないと思ってくれ」といわれた。
それから安全運転を言い聞かせながら、それでも一心にただひたすらに車を走らせて、そして病室までの階段を一気に駆け上がり飛び込んだ病室で父ちゃんは待っていた。待っていてくれたんだんね。ドラマチックに待っていてくれたんだね。
そうして20分後に永久のさよならをしたんだ。
年末であるな。お掃除しなくちゃ…と、いつもの年なら言ってたり書いていたりするのだけど、今年はちょっと違う。父ちゃんがよくいう「予断を許さない状態」なわけで、そわそわぞわぞわしている今日この頃、「出来る事は今やる!」というまったく私に似つかわしくない状況に追い込まれて、実にけなげな主婦である。
今日は年賀状の印刷を終わらせた。あとは二、三行ちょこちょこ書いてポストへぽいっとすれば完了。ひょっとしたら年賀状はいらないかも?…と思っていたけど、いらなくないかもしれない…ので、とりあえず出したもん勝ち…的な感じで平成25年の年賀状はとっても「やっつけ仕事」だ。
あとは棒だらは水につけてもいいのか、悪いのか…。餅米はいつも通り洗っていいのか、悪いのか…。
父ちゃん、お正月を越えてくれ!…と切に願う。
そんなこんなでうちのドラ(娘)の挙式&披露宴も無事終わったのだけど、結婚式場って言うのは、裏はどうだかわからないけど、働く場所としてはなかなかいいんじゃないのか?・・・と思ったのだ。
「お世話になってます」「ありがとうございます」「よろしくお願いします」の3つの台詞をどんだけ言ったことだろう。たぶん一生分を使い果たしたと思われる。だれもが『今日は佳き日だから・・・』と思っているものだから、ニコニコとみんないい人になっているわけで、スタッフさんもみんな「幸せになって〜オーラ」を吹き出しているわけで・・・。
そんな場所では些細な間違いや失敗はなかったことにして、み〜んなハイテンション。キラキラの職場はなかなか素敵だと、花嫁の母であるところの私はそんな事を考えていた一日だった。
寂しさ絶好調!
やっとこさ久しぶりぶりにエヴァンゲリオンのコミック新刊がでた。1ページ目を読み始めて「なんじゃこりゃ?…覚えてねぇ〜〜〜!」と心の中で大絶叫をして、この前のを引っ張り出し、最初から読むようなヒマは持ち合わせていないので、後半三分の一をパラパラめくり、「ふ〜ん」と分かったような分からんような中途半端なまま読む新刊。
で、話はますます分からんような感じで、「こりゃまた第一巻から読むしかないなぁ〜」と。でもそんな時間全然ないんだよね〜。
以前はもうちょっとお話が頭の中に残っていたような気がするのだけど、記憶のどこを探しても全然見当たらない。私の頭の中雑然としてかつ深い霧が立ちこめていて足元も定かではない…そんな感じ。
次の巻が出るのいつなんだろ?早く完了してほしいわ、補完計画。
なんだか寒いぞ・・・と、思ったら12月だった。あっという間に時間は指の間からするすると逃げて行ってしまう。坊主も走る12月は私もなんだか走ってしまうのだ、欽ちゃん走りで。
4月から8カ月。多い時で月に3回少なくて2回、とーちゃんに会いに行く。深い海をゆらゆらと漂うとーちゃんは、ぷっかり水面に出てきて至極まっとうな会話をする時もあるのだが、多くは水面に出てきても海底で会った不思議な深海魚の話(例えですよ)をしてくれるのだ。
そんな今日この頃のちょっと前。とーちゃんは言った。「なんの為に生きるのか?」私は答えた。「明日その答えが見つかるかもしれないから、とりあえず今日がんばって生きるんだよ」と。
「とーちゃんはこういう話がしたいんだ。」・・・だってさ。
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