君のうしろ姿のこと。 - 2016年05月28日(土) 4年ぶりに会ったその人は、以前と変わらない 明るさと、謙虚さと、素直さと、強さと、前向きさで 私自身がこの数年で様々なことを経験してきたように 辛い経験も、新たな世界に挑戦して得た生活があった みたいだった。 遡れば一度だけ、ゼミか何かの相談事があって お茶を飲みながら他愛も無い話をしていたと思ったら 気付くと夜遅くまで語り合っていたことがあった。 あの時は、辺りが随分と暗くなっても大学のベンチで 話してもまだ足りなくて、途中で雨が降ってきても 傘を差して路上で立ったまま話を続けていた。 後にも先にもそんなことは一度だけだったけど、 久々に会って話すと、やっぱり時間を忘れてしまって あっという間に最終電車の時間になってしまった。 私はもっと話したかった気持ちはあったが、 それには蓋をして、それぞれの生活を、歩む人生を 尊重すべきなんだと思った。 あくまで、「久々の再会」と「旧友」と「懐かしさ」が 単に結びついた出来事に過ぎない。 そこにそれ以外の感情は無い。そう信じているから。 終電のホームへのエスカレーターに向かうその人は 決して後ろを振り返らず、前を見て進んでいった。 私も、前を見て進んでいこうと思った。 この選択は間違っていない。 きっと幸せな未来しか、待っていないと確信している。 *** 2016/05/28 08:55 ... 焦らず、じっくりのこと。 - 2016年05月17日(火) 出来なかったことが出来るようになること。 興味を持ってより知識をたくさん得ようとすること。 たまに気心のしれた友人たちと時間を過ごすこと。 そして、家族が居てくれて心が安らぐこと。 恐らく今の自分はこれらのことが支えになって生きている。 大層な話ではないけれどそんな気がする。 本当はもっともっとより良い人生があるのかもしれない。 あの時こうしていたらという話もそうだし、毎日の中でも もう少しこうすべきなんだろうなということもある。 たとえば、やっぱり今の身分は正直心許ない。 いつまで現場でこうして仕事ができる立場で居られるか。 そして、仕事やそれに伴う知識自体は楽しい。 けれど、職場の人間関係はどうも上手くいっていない。 破綻してはいないが「和気藹々」という感じではない。 自分自身、極力無駄な会話はしないようにしているためだ。 だからこそれをもう少しコミュニケーションという点で、 周りの人と仲良くなるということも、良いことかもしれない。 だけど、無理せず暮らしていこうと思う。 この心の安定は、どんなときも持っていられるようにしたい。 今に満足しているというわけではないが、今を生きたい。 *** そういえばこの頃は、職場の交流は減ったものの、 かつての知人とご飯を食べることが増えた。 家にもよく招くし、気持ちが穏やかになる。 近いうち、大学時代の友人ともまた会う機会がある。 どんな話ができるだろう。 *** ここ最近は、こうして日記を書く頻度も減ったし、仕事でも メールをまったく書かない日が続いている。 文章化という意味でアウトプットをしない日々だ。 会話はするけけど事務的なもの。 楽しい会話というものもない。 他方で、本を読んだり、インプットは比較的している。 けれど、アウトプットして発信すること。 そういうものが社会に対して大切なことだとも思う。 それは仕事上も、価値創造・提供という意味でも。 *** 焦らず、じっくり、目の前のことに取り組んでいこう。 *** 2016/05/18 07:10 ...
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