僕らが旅に出る理由
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2009年02月09日(月) My Only London - ベアタ・ベアトリクス



ロンドンのテート・ギャラリーに、「ベアタ・ベアトリクス」という絵がある。ダンテ・ガブリエル・ロセッティの筆だ。

最初ロンドンでこの絵を見た時、とても惹き付けられた。
というのも、この女性が知り合いの日本人女性にとてもよく似ていたから。
きっかけはそうだったのだが、じっと眺めるうち、どんどん絵の世界に引き込まれた。暗示的に配置された様々の小道具。たとえば、日時計。たとえば、赤い鳩。背景にぼんやり佇んでいる二つの影。
そして、変に明るく、変に濁ったような画面。

日が射して暖かそうにさえ見えるが、悲しい絵だと思った。
描かれている女性が、可哀想に思えた。なぜかは分からないが、とても可哀想な人に見えたのだ。赤い鳩が差し出す白い花は、なぜ彼女の手にわずかに届いていないのだろう。そしてこの人はなぜ一心不乱に目を閉じているのだろう。自分にはもう、見たいと思うほどのものもないのだと言うように。
ショップでポストカードを売っていたので一枚求め、ロンドンのフラットの自分の部屋に貼って、それからも時折眺めた。
見るたびに心がざわざわした。

それから数年。今日、夜中になんとなくネット検索していてこの絵にふたたび出会い、絵の来歴を知る事ができた。ロセッティと、そこに描かれたエリザベス・シダルとの関係を。

不幸なシダルの陥った世界は、この絵を見て私が連想した日本人の女の子とどこか似ていた。

彼女は、私の学校に通う学生だった。
日本で大学を出て就職したが2,3年で辞めてしまい、留学してきたが学校も休みがちだった。ホームステイ先の自分の部屋から滅多に出て来ず、ベッドに横たわっているだけの事が多かったようで、ホストファミリーも心配していた。正直に言えば、心配半分、迷惑半分というところだっただろう。
軽い鬱なのではないか、と言われ、様子を聞いてやってくれということで私が面談することになった。といっても、私はセラピストではないし、日本語が話せるというだけで何が解決できるとも思えず、困惑した。
面談で何を話したかは覚えていない。彼女は何か言ったと思うが、心が疲れている人にありがちな、出口のない堂々めぐりばかりしていた気がする。
とにかく、面談の前と後で、彼女の状態が何も変わらなかったことは確かだ。

校長に一応報告したが、たいして役に立ったとも思えなかった。
そう言うと、彼は別に期待してないよという顔で、珍しくもないふうだった。

「そういうことは、よくあるんだよ。親が子供に手を焼いて、手っ取り早く外国に出してしまうんだ。たいていお金持ちだから、お金だけは不足なく送ってやるんだけど、それだけに子供は帰るに帰れなくなってしまうんだよ。別に日本からだけじゃない。この学校には、そういう若者が時々来るよ。彼らは、どこにも行き場がないんだよ」

私はそれを聞いたとき、淋しかった。
淋しさもワールドワイドなのか、と思った。
一面的に見えていたものが、全方向になって迫ってきたような気がした。

しかし、だからと言って何もできなかった。正確に言えば、しようとも思わなかった。
誰も手を差し伸べなかったら、彼女はこの先も、ただ落ちていくだけだろう。
だけど、私に何が出来る?自分自身をすでに持て余している私が。
彼女は、ただの他人なのだ。

そういう虚しさは、蓋が見つからなくて閉じようのないガラス瓶、みたいなものだ。
始まりも結末もなく、ただ悲しいだけ。

ポストカードを買ってみても、ただ見つめることしかできなかった。


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