僕らが旅に出る理由
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2009年03月31日(火) 年度末

私の今の勤め先は某研究所なのだが、常に片足は抜けてる感じで、全くといっていいくらい仕事に身が入っていない。こんな態度は失礼なのだが。

だからほんとにどうでもいいんだけど、この研究所は明日から名前が変わる。組織変更があるのだ。トップダウンで決められ、現場の人間には十分な説明もなく、また何ら合理性も感じられない変更ということで、まぁ、ありがちな話かも知れない。

私の受け持っている研究員の先生が、今日しみじみ「さみしいですね」と漏らした。

この人が、この研究所の基礎を築いたのだ。きっと、自分の体の一部が名前を失うような気持ちなんだろう。しかも、自分が考えに考えてベストな組織を作ったのに、その良さは顧みられることなくただ闇雲に構造が変えられていく。予算のためなのか、新規性のためなのか、知らない。きっと組織変更を決めた人たちには、それを決めたなりの理由はあるだろう。でも部外者の私には、研究員の先生の「さみしいですね」の一言が何よりも重く響く。

自分の体の一部が失われる痛みは、普通なら泣きたいところだろうと思うけど、先生は淋しそうに、でも笑いながら、それを言った。

それは笑うべきところなのかな。泣くべきところなのかな。

先生ほど長く生きていろんなことを体験すると、もう何に泣いて何に笑うべきかも、比べられなくなっていくのかも知れない。
その事を考えて眠れない夜があったとしても、やはり涙は流さなかっただろう。
それが余計にさみしく思える。

涙が流されないからこそ、泣きつかれて眠ることもできず、深夜、光のささない四角い部屋の中で、先生の目がただ虚ろに開かれていたことだろう。


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