僕らが旅に出る理由
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2008年10月26日(日) |
過去日記追加しました |
今、よそで書いているブログを閉じようと思っているので、そこに書いてた中で気に入ってるエントリをいくつかこっちへ移しました。できるだけ「旅」をイメージさせるものを中心に。よろしければ読んでくださいませ。抜粋しすぎて話の前後関係が分からないものもあるんですが・・・すいませんそのへんはスルーで。
人との出会いと別れも、旅のようなものですね。
あまりに仕事がひまなので、青空文庫で「安吾巷談」を読んでいて、某M事件を知った。 検索逃れのため実名は載せませんが、日本の女性政治家第一号のうちの一人という女性の話で、当時、ほかの政党の妻子ある男性議員と恋におち、駆け落ちしたという事件だそうだ。その駆け落ちの一部始終を物好きな某新聞が事細かに書きたてたそうで、安吾は必要以上に小道具に凝りまくっているのが鼻についてしょうがない、というようなことを言ってるのだが、当時の人々は相当このスキャンダルに熱狂したらしい。 驚きなのはこの女性が今現在も現役で様々な草の根の政治活動をしていることで、髪をキレイに結って着物を着て、インタビューなんかに答えているのを見かけたが、こういうのを見ると、年月というのはどんなイカサマも確からしく見せていくものだな、と思ってしまう。 (イカサマっていうのは言い過ぎだけど) 当時のことを知っている人が減っていけば、後は正直、生き延びた者勝ちみたいな部分があるし、自分自身だって量が増えた分圧縮された記憶の中で、すっかり自分にいいように書き換えてしまってるかも知れないのだ。
私はそんな風になりたくないなぁと思う。 そして、時間が免罪符、のように時々考えそうになる自分を、引き戻さなければならない。
世間はいつでも恋人達の味方、と安吾は意地悪く(私から見れば意地悪く)書いているのだが、私はそこまであくどくもなれず、中途半端に「普通の人」であろうとする。それでいて言う事だけは立派だったりするので、恥ずかしいことだと思う。
一日や二日謙虚でいることは可能だが、一生を謙虚であり続けることは難しい。 私はある瞬間から自分が卑怯者であると分かったが、きっとその瞬間の前と後で自分自身が変わっているわけではなく、私はもともと、卑怯者だったのだろう。私は自分の孤独の中で、あの時公正に振る舞えなかった自分を飼い続けなければならないと思う。
どうして私たちは全てのことを覚えておけないのだろう。都合の悪いことを忘れてしまいたがる習性が、とても嫌だ。
2008年10月19日(日) |
My Only London - 豚飼い |
ジェレミーは授業のカリキュラム等を考えるスタッフで、いわゆる学校の教務主任だった。年齢はもう50代くらいかと思えたが、とても優しくて皆の意見を公平に聞く人だった。教務担当者には私のような英語がおぼつかない外国人スタッフにやや冷たい人もいたので、私は教務課に電話してジェレミーが出てくれた時はいつもホッとした。
うちの学校は週末に施設を開放して、同業者向けにワークショップを開くことがあった。そこにはうちと同じ、イギリスで語学学校を運営している人達が多く集まった。 ある週末、何か仕事があって職場に来ていた私は、そういったワークショップの一つが開かれているのを、たまたま開いていたドアから覗き見た。 ちょうど、ジェレミーが発表している所だった。彼はスライドを使いながら、ここ数年のイギリスの語学学校の受け入れた学生数、滞在期間の推移、これらの数が将来伸びるかどうかの展望、などを話していた。
私はその光景を見て、まるで豚の飼育について牧場主達が話し合ってるようだと思った。 世界情勢を見ると飼料の値段は今後も上がりつづけ、豚を飼育する我々への負担はますます増えるでしょう。これをアメリカでは例えばどう対処しているかといいますと・・・
搾取という言葉が浮かんだ。 搾取されているのは、私たち外国人という豚だった。
彼らは英語を話すが、それは私たちのように努力して獲得したわけではない。 たまたま英語を話す人間として生まれたというだけのことを利用して、そこからお金を引き出そうという発想はズルいんじゃないか、と思った。
ズルいと思ったのは事実だが、腹は立たなかった。 あぁ。豚の飼い主が豚の扱い方について話してるんだなぁ。と、ごく平常心で考えただけだった。 たぶんその程度にズルいことなんて、世の中に溢れてるんだろうと思うし、私もその一部だろう。 ただ、ジェレミーとはその後、心の中で距離を置くようになった。 相変わらずいい人だったし、嫌いにはならなかったけれど。
また別の機会に、マーケティング・ディレクターのエイドリアンが学生の対処法についてこんな事を言った。 「クレームをつけてくる学生が最終的に狙っているもの・・・それはただ一つ、お金です」 それは、一部のクレームをつける学生には、確かに当てはまることだった。もしかしたら大部分はそうかも知れなかった。 でも100%そうとは言えない。 過去に仕事して来た中で、私は日本人は特に、お金でないもののためにクレームをつけてくることがあるのを知っていた。 謝罪である。 ここの認識の違いで板挟みになって、とても苦労したことがある。
ただ、これをエイドリアンに言って理解されるとは思えなかった。 特に今のお互いの立場では。 つまり、豚飼いと、まだ半分豚であるものとで、対等な話は期待できないのだ。エイドリアンもまた、いい人であったが、そこの溝はいかんともしがたかった。
私がなりたいのは、言うなればそのような時に、 「日本人はお金ではなく、謝罪を求めることもある」 と言って一発で相手の目を開かせることができるくらいの存在感と対等さを持った人間なのだ。
ジェレミーが円グラフを見せながら、えんえんと説明を続けている。 人々はグラフを見つめ、ジェレミーの話に一斉に耳を傾け、ある者はメモを取る。 ピカデリー通りから入り込む淡い日差しがその背中の輪郭をぼやけさせる。
私が見たのは豚飼いではなく、豚自身かも知れなかった。
2008年10月13日(月) |
すれ違うのが異性なら |
世の中には素敵だなと思う人がたくさんいて、それは女性であることも男性であることもある。 同性なら話は単純なのだが異性だと少しややこしい。
私は男女の間に友情はないと思っていて、それはもう、あるわけねーだろ、バーロー、くらい信じてない。 そんな私が素敵だなと思う男の人に出会って、知り合いになったとして、それは恋人として付き合う前フリ以外の何かである可能性はないんだろうか。 だとしたら、もし私に決まったパートナーがいたら、たとえ人として素敵な生き方をしてるなと思う人に出会っても、それが男性だったら近づいちゃいけないということになるんだろうか。
そんなナンセンスな、と私の本能は言うのだが、でも、パートナーがいるのに他の異性に「その人の生き方が素敵だから」なんていって近づこうとしている図は、客観的に見るとなんだかあくどい感じがして嫌だ。男性の知り合いといまだに連絡を取ろうとしてる自分も、どこか妄執めいて不気味な気がしないでもない。
だけど毎日生きてれば、共感する人には出会い続ける。それは基本的には、いいことのはずだ。たぶん。
いろんな人の生き方を見て、刺激を受け、自分の人生にも活かして行く。 それは誰か一人だけの人生に限る必要もない。別々の人間である以上、お手本がたった一人で足りるわけはないと思う。
うまく感情がコントロールできればいいのだが、うまくコントロールできた話なんて聞いたためしがない。
ななこから久しぶりにメールがあって、会おうよ、と書いてあった。 一応返事はしたけど、実はあまり会いたくない。どうしよう。
ななこは大学時代の友達で、その時はほんとに仲が良かった。 ただ仲が良かっただけじゃなく、とても特別な友達、という雰囲気を醸し出していた。 社会人になってからも、そこそこ会っていた。 連絡がほぼ途切れたのは、私がロンドンに行ってからだ。 同じころ彼女も付き合っていた人と結婚したので、お互いを取り巻く環境がいろいろ変わってしまった。
忙しくなったのだろう、私の日記も(この時の日記はまさにこのエンピツで書いてた!)彼女は読まなくなった。私の精神状態はその後どんどん下降して行ったのだけど、日記を読んでない彼女は、それを知らなかった。
それが分かったので、私も彼女に自分のプライベートをあまり話さなくなった。彼女からは出産したという短い連絡が来て、しかも生まれた子供に相当入れ込んでいた。彼女くらいに子供に思い入れる親は別に珍しくないのだが、ただ大学時代の彼女からは想像もできないことだったので、違和感を感じた。
大学時代の彼女は、自分のタイミングで生きている人だった。 約束のドタキャンもよくあったし、電話をして伝言を残しても2回に1回は折り返してこなかった。携帯もメールもない時代、そんな状態でよく続いたなと思うけど、私は彼女と話していれば飽きなかったし、ほかの人とではありえないほどよく笑った。その感覚が忘れられず、私は電話をかけ続け、メッセージを残し続けた。
あまりに連絡が取れないことに業を煮やしてある時彼女に文句を言うと、 「でも私、あなたとは、20年経っても30年経っても今と同じような気持ちで会えると思うよ。それってすごくない?」 とピントはずれな返事をされた。ちょっと呆れたが、その予言めいた言葉は私の心を捉えた。私たちが「特別な友達」であることの裏書きのように感じたのだ。その時は。
果たしてあれから15年は経過した計算になるが、ななこの気持ちは確かに変わってないのかも知れない。 私は変わったようだ。 もう彼女に会いたいという気持ちが起こらない。 今となっては彼女といた時の楽しさより、理由もなく待ち合わせに2時間も遅れたり、一緒に行こうと約束していた海外旅行を1週間前になって彼女がキャンセルしてきて、泣きそうになりながら一人で飛行機に乗ったりしたことばかりが思い出されて、あんな思いはもうしたくないと思ってしまう。
じゃあ会わなきゃいいというようなものなのだが、私はきっと、かつての友達からの誘いをこんな風に避けるのが果たして正当であるのか、にこだわっているんだと思う。 でも、正当であるかどうかなんて、たぶんどうでもいいことなのだ。
予言なんてそう滅多に当たらない。 そのくらいのことは分かるようになった。
2008年10月01日(水) |
My Only London - すべての人に音楽を |
私はいわゆるJ-POPも洋楽も聴く、というか、あえてどっち派だというほどにも音楽に詳しくないんだけど、ロンドンではやっぱり洋楽をよく聴いた。ロンドンでJ-POPを聴いても合わないなぁと思うことがほとんどだったので。 これは合うなと思ったのは、宇多田ヒカルの「travelling」とMr.Childrenの「フェイク」。え、2曲だけ?^^;
aikoの曲はやっぱり、深夜にコンビニの明かりがこうこうと灯っている通りがあるような日本で聴くのが一番だ、と思うのと同じで、ColdplayとかOasisとかRadioheadとかはロンドンの曖昧な天気がよく似合うと思う。晴れでも雨でもない、昼でも夜でもない、どんよりした空気が。
私が新しい音楽の情報を手に入れるのは、もっぱらラジオだった。 朝、目覚まし代わりにラジオをかけて仕事に行くまでの時間、または休日は日がな一日、音楽番組を聞いていた。そこでいいなと思ったことは、どのラジオ局も新旧取り混ぜて曲を流すこと。つまり、1曲の寿命が長い。
新曲もかけるし、10年くらい前の曲もかけるし、3か月前に流行りまくった曲もかける。「今、この曲かけるとダサいよね」っていう感覚はないようだった。それよりも、今朝のさわやかな雰囲気にはこの曲、雨だからこの曲、っていう風に、雰囲気に合えば古い曲でも、今飽きるほどかけ倒されてる曲でも、かける。っていう感じだった。私ぐらいの、流行を追う事にも興味がなくなってきた(というかもとから余りないけど)年齢の人間には、そのテンポが心地よかった。
いつだったか、イギリスのラグビーチームが世界で優勝したことがあった。 それは史上まれに見る快挙だったようで、ロンドン中が湧きに湧いた。(私の記憶では2005年の出来事だと思っていたけど、今調べたら2003年のワールドカップ優勝だったらしい) 優勝した夜、私たちはロンドンのパブにいて、週末だったのかな?いつものようにビールの匂いと人々の喧噪にもまれていたのだが、ふいに店内にQUEENの「We are the Champion」が流れた。 有線だったと思うのだが、有線もその夜のために気を利かせたのかも知れない。 その曲を聞いたとたん、それまでバラバラに談笑していたイギリス人達がわっと盛り上がり、一斉に「We are the Champion」を歌い始めた。 そのシーンは結構目に焼き付いている。
彼らの誇らしげな顔に歓喜の表情が浮かび、一瞬パブの中がひとつになった。 私が感心したのは、たいていの人が「We are the Champion」の歌詞をちゃんと歌えていたということだ。そこには老若男女さまざまな人がいたのに、みんながある程度、ちゃんと歌えていた。 日本でこれだけ年齢層がばらばらの男女が、ひとつになって歌える歌ってあるだろうか、と思った。
QUEENがイギリスのバンドだというのが、またしびれる。完全自前じゃないですか。自分とこのバンドの名曲で、自分とこのチームの勝利を祝う、って、カッコいいよなぁ。
そして、そんな風に広い層に浸透させるには、あのラジオのありようも関係してるのではないか、と思った。つまり1曲を長いスパンでかけ続けることだ。だから、そんなに音楽に関心がない人でも、ある程度そらで歌える。歌詞がシンプルだというのも助けになっているだろう。日本の歌詞は同じサビでも歌詞を微妙に変えたりして、それがアクセントになって私たちもそれを楽しんではいるのだけど、なんとなくしか知らない人は絶対そこで間違える(笑)
それぞれに良さはあると思うけど、みんなと一緒になって歌えるのって楽しいなとは思う。踊るのと同じだね。そういえばどっかの店でカイリー・ミノーグの「In your eyes」が流れた時に、ブリジット・ジョーンズのようなふっつーの女の子が彼氏と踊りながら、サビの「It's in your eyes〜」のところでおそらく即興だろう、相手の眼をビシっと指差して挑むように見つめ、そして笑いながら踊ってるのを見た。なんかいいなぁと思った。 私がin your eyesの歌詞を覚えておんなじことしてもきっと何かが違う。 どうしたらあれと同じくらい楽しく踊れるかなぁ、日本の曲で何かあるかなぁ、と考えたけど、何も思いつかなかった。
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