僕らが旅に出る理由
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2008年11月18日(火) |
My Only London - 英検 in London |
私は英検の1級をロンドンで取った。 ロンドンでも受験できるのである。すごいね。
英検1級は過去2回失敗している。それ以後受け直す気も失せていたが、ロンドンでも受験できると知って久しぶりに再挑戦することにした。
会場はリバプール・ストリート駅近くの学校だった。 玄関を入って、異様な空気に驚いた。 受付は、子供と保護者の群れでごった返していた。 受験者の殆どは小学生〜中高生で、それにもれなく親がくっついているらしかった。日本人学校の知り合い同士でもあろう、あちこちで挨拶と世間話に花が咲き、どこかの保護者参観日に紛れ込んでしまったような気がした。会場に入っていく子供に「○○ちゃん、頑張ってね!」と最後のエールを送る母親の声も聞こえた。
リバプール・ストリートは金融街シティにも近い、ロンドン中のロンドンだけど、会場は完全な「日本」だった。 騒然とした受付を抜けて教室内に入ってみると、みんな水を打ったようにシンとして、机に向って参考書を見るばかり。 ヒマを持て余したので、教室内の人数を数えてみた。 1級受験者は60人くらいだった。 ロンドンでは英検は年2回のようだから、毎年120人くらいが1級を受けるわけだろうか。 日本人がロンドン(ロンドン外からも来ているだろうが)にどれほど多くいるかを思い知らされる。 やっぱり高校生くらいの子が多い。さすがに1級の教室に小学生はいなかったが、中学生かと思われる外見の人はいた。 きっと親が海外赴任中か何かで、土地柄の良いウィンブルドンあたりに住んで、週末には近くの公園で柴犬を散歩させてるような人達なのだろう。
リスニング力は特に、子供時代どのくらい英語を聞いていたかが大きく影響する。 だからこの子達は有利なわけだ。私もリスニングは不得手のほうなので、正直羨ましい。
試験終了後、私は悔しいような腹立たしいような気分で、近くのスピタルフィールズ・マーケット目指してのしのし歩いた。他の受験者は親に出迎えられ、車や駅へと吸い込まれていったが、その流れに乗りたくなかったのだ。 マーケットは会場から眼と鼻の先にあり、私はすぐに雑然とした空気に飲み込まれた。 手作り雑貨や古着のストール、怪しげな焼きそばを売る屋台などが居並ぶ無秩序さが、さっきの画一的な空気を払ってくれた。 人の人生を羨むなんて、ばからしいことだ。そんなことは誰でも知ってる。自分の人生には自分の人生の独特さがあるのだから、それを愛するようにするべきだ。
一次の内容は覚えていない。 こないだネットで過去問を見て、ようやく思い出したくらいだ。 でもとりあえず通った。正解率はかなり低くて、70%にも届かないくらいだったが。
二次の会場も同じ場所だった。 受験者数は激減していた。 私も含め6人。 ちょうど1割が残った計算だ。小気味よい減り方だった。 一次に来ていた保護者集団も、どこにも見かけなかった。
スピーキングは緊張した。 でも試験官が緊張をほぐそうとリラックスした調子で話しかけてくれたのをよく覚えている。(日本の試験官は圧迫面接風が多いので) ice breakerとして、数日前に見たサイドウェイという映画の話をしたら試験官に 「それはどんな映画?」 と聞かれたので、 「人生に疲れた中年男性が何かを掴もうとする話です」 と言ったら、 「僕のための映画か」 と言って笑っていた。
二次も無事通過した。 合格通知を受け取ったとき、あの6人のうち何人が残ったんだろうと思ったが、残念ながら分からなかった。とりあえず、子供とPTAの熱烈コラボレーションとおさらばできたのは有難いことだった。
生きることが、たとえば小惑星群の間を漂いながらたまたま何にもぶつからないだけの、不安定な、実体のないものに思えることがある。
大人がいつでも子供よりよいものかどうかは、一口に言えない。 でも、子供がすべてを持っているかのような考え方はしたくない。 人間としての美質すべては子供の頃には確かに備わっているのに、大人になるにつれて忘れて行くんだ、というような。 それなら、何のために私たちは大人になるのだろう。 自分自身になるためではないのだろうか。 そうでなかったら、生き続ける意味が分からない。
だけど、そうは言っても、人間いつかは死んでしまう。 何となく生きても、精一杯生きても、彫刻をどれほど克明に彫っても、彫らなくても、やがて死ぬことだけは誰も変わりない。 どうせ死んでしまうのになぜ生きているのだろう?
人が地獄と極楽を考えだしたのももっともだ。 あの世で精算が行われるのでもなければ、この世では人はあまりに不条理に死んでいく。
デュマの「三銃士」には長い続編がある。 三銃士の一人、アトスが死ぬ場面がとても好きだ。
アトスは折り目正しい貴族で、誰よりも高潔な精神を持っている。 身分の上下なくみんなに敬意を持って心を尽くして接し、愛されているのに、彼は不幸な人生を送る。 愛した女性に裏切られ、助けようとした王は処刑され、最愛の息子は恋に破れて自暴自棄で出征した戦地で亡くなってしまう。 アトスは結局一人ぼっちで死んでしまうんだけど、彼には、それまでの人生の報いのように、とても安らかな死が訪れる。
私はこれを読んだ時、ほんとに良かったなぁと思ってアトスのために泣いたのだが、現実はそんなふうに優しく出来ていない気がする。
出勤途上でランチパック・ピーナッツを買った。 朝ごはんをちゃんと食べられなくて、お腹すいたので。
だけどほんとは、席につけばお菓子のストックがある。 今朝は先生が出張先からのオミヤゲをくれるであろう見当もついているから、おそらく食べ物には困らない。
だけどランチパックを買った。 お金の無駄だと知りつつ止められなかった。だってランチパックが食べたかったし、どうせ100円とかなんだし、そのくらい日々の生活費を適当にやりくりすればどうにでもなる。
だけど私がもしももっとお金持ちなら、「どうせ○○円なんだし」のところの単位がぐっと変わるだろう。 K氏の浪費は、だから出所を突き詰めれば私のランチパック・ピーナッツと同じところにあるのかも知れない。何故と聞かれても、どうしてもランチパック食べたいんだもん。
詐欺容疑の話はショックだった。 彼の音楽には1980年代からずっと触れてきたし、好きな曲も何曲かある。彼らのファンも周りにいたので普通のミュージシャンより身近に感じていた。だから、完全な他人事でありながら、どこかそう思い切れなくてザワザワする。
K氏はデビュー前にデモテープを作り、複数社に送ったらそれらの会社から一斉に電話がかかってきて気持ち良かった、みたいなことを言ってたことがある。売れるのは最初から分かっていた、と。 自分の感覚はちょっと先端過ぎるので、ほかのメンバーの意見を聞いて現実の感覚に戻すのだとも言っていた。 なんだかエラソーな言い方だなぁと思うんだけど、実際、そうだったのかも知れない。その後プロデューサーとしてバカ売れしたことを考えたら。 あれだけ売れれば飽きられる日は必ず来るし、流行り廃りの波の中でいつか表舞台から消える日も来るだろう。だけどどっかで音楽を作り続けて、もしかするとマニアにしか受けない不可解な世界に行っちゃうのかも知れないけど、でもアーティストとして音楽シーンのある一部分を占め続けるのだろうと思っていた。だから、ある時期からまったく彼の名前を聞かなくなったのが不思議ではあった。
数年前、K氏がテレビに出て、もともと元気いっぱいに喋ることの少ない人だけど一層力のない声で、iTunesやインターネットが無限に近い音楽を発信して何を選べばいいのか分からなくなった時代に正直戸惑っている風を見せていたのには驚いた。K氏はいつだってシーンの先端にいたはずなのに、と。世間一般の考えと相容れない方向へ進んでゆくならまだしも、世の中についていけなくなった、風の発言をまさかK氏がするとは思わなかった。 「これからは、若い人に何を聞くべきか、こちらが先導していくべきなのかも知れない」って言ってたけれど、違和感があった。今のK氏がそれをやるのは違うだろう、と。
K氏にとって致命的なことは、事業の失敗や浪費などではない。 これまで一度も自信を失わなかった音楽という分野に対して、「分からなくなった」というのが何よりの悲劇だと思う。 彼はいつでも音楽の先端を読める人だったのではなく、生まれつき1995年とか1996年的な感覚を持っていた、というだけだったのかも知れない。
何百年と愛される音楽を作った音楽家、そこまでじゃなくても何度もヒットチャートに戻ってくるミュージシャン、そういうものと、ある一時期を境に感覚がくるってしまう人がいる。 K氏は後者だったのだろうか。それとも、こんなことがなければ、何年か後にまた売れたのだろうか。もしくは、こんなことがあっても、まだ可能性はあるのだろうか。売れるということがすべてではないにしても、せめて音楽との絆を取り戻せるように、それが自分でも確かめられるように?
警察に捕まらずに生きていく方法なら言える。 平均寿命まで元気で生きていく方法も言える。
だけど、その人が生きる意味を感じながら生きられる方法を探すのは、難しい。
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