僕らが旅に出る理由
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私の今勤めているのは研究所なのだが、ここで実にたくさんのT大学出身者の人を見ました。 やはり研究の道も学歴社会なのかな。むしろ研究分野のほうが、厳然としているのかな。学生の延長みたいなものだもんね。
私が秘書をしている先生は人柄もよく科学者としても成功されているので、先生の出身大学なんか考えてみたこともなかった。でも、先生も確かにT大でした。それは、意外に大きな事だったのかも。
国立大学で一番学生数が多いんだもんね、もはやアドバンテージどころじゃなく、最低条件みたいになっちゃってるのかも。T大が最低条件とかいうのもひどい話だけど。 人が多いんだよね、どこもかしこも。 世界は人で満ちております。
学歴なんてくだらない、それは確かだが、でも何かがある。 少なくともほんとに力がある人が、最短のコースを最速で進みたい場合には、学歴がよければ大きな助けになる。 ・・・でもそう言っちゃったら、子供のお受験に燃えるママさんとか、幼稚園から私立に入れちゃう風潮を肯定することになるのかな?・・・それはちょっとアレなんですけど(笑) 学歴が嫌味になるのはその人にとってそれしかすがるものがなくなってしまった瞬間に違いないので、無理しないのが鉄則だと思います。
もはや芋洗い状態の皆さんを見ていると、この中で戦うのもなんだかゆううつな気がするな、と思いました。大学も一緒、専攻も一緒、職歴もほぼ一緒。その中でわずかな差(素人にわずかと見えるだけで、そうじゃないのかも知れないけど)を争って前に出ようとする。それはあたかも同じ色、同じデザインの制服を着た学生が、スカートの裾の長さやリボンの結び方を変えてみる程度の違いに、自分のファッションセンスのすべてを傾注するように。
昨日変な時間に寝てしまって午前3時ごろ目が覚めたので、ベッドでごろごろしながら三島由紀夫を読んだ。 何となく窓の外がぼんやりと明るくなるころに、 「雨がふっていた、薄荷の糸のように」 なんていう文章を読むのはこころよい。でも三島の文学は難解だね。 全部がそういうわけじゃないんだけど、これは難しい。三島の感性が私のと合わないんだろう。
短編だから読みやすいかと思ったら間違いだった。昨日の通訳の授業で、「短い文章ほど聞き取りにくい」という話が、ちょうど出ていた。ずらずら長く喋るほうが難しいと一見思いがちだけど、実は二言三言の英文のほうが、手掛かりがなくて理解できない、ということがある。 三島の短編も同じで、短く凝縮してあるからこそ、分からない。これで感性が一緒なら言葉が省略されててもすっと分かるんだけど、違うもんだから分からない。ラストシーンの意味をいつまでも考えてしまう。 でもまぁ、そんなのもいいよね、たまには。
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