僕らが旅に出る理由
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2008年04月23日(水) My Only London - 再会

マヤからメールが来た。

私は大学を出てすぐ、スイスに本部がある財団の日本事務所で働いていた。
マヤは、その本部にいたスイス人で、年に何度か来日するのでよく知っていた。
私より5歳くらい年上の女性で、すごく身長が高かった、175cmはあったんじゃないかな。
私は東京事務所の中で彼女に年齢が一番近く、同じ女性、同じ気ままな独り身ということで、特に仲良くなった。
彼女は私より先にスイス本部を辞めたんだけど、その後も交流は続いた。
私がイギリスに移ってしばらくしたころ、彼女を訪ねてスイスまで行ったことがある。
彼女はその時ボーイフレンドができていて、私に紹介してくれて、3人で一緒に食事をした。
マヤは相変わらずいい人だったし、彼のほうもやっぱりいい人だった。
だから、数ヶ月後に結婚することになった、と連絡を受けたとき、私はすぐにおめでとうとメールを書いた。

でも、その時の私は、相も変わらず先の見えない暗黒を歩いている状態だった。だから、本音を言うと、マヤが私を置いて先に幸せになってしまうようなのが、ちょっと恨めしかった。

だからそれ以後、私はマヤに連絡を取らなくなった。
マヤからはそれでも何度かメールが来たけれど、私は返さなかった。
何か書こうとするとどうしても、嫌味っぽい調子になってしまって、自分でも嫌だったからだ。
マヤがあくまでいい人で、公明正大、何一つ後ろめたいことのないようなところも、その時はなんだか気に障った。(ごめんね、マヤ)

その後、自分の精神状態が落ち着いてから、私はマヤに連絡をしようかと何度か考えたのだけど、何を書いていいのか分からず、結局そのままになった。
ようやくメールを書きあげることができたのは、去年の秋。マヤと最後に連絡を取ってから3年以上が過ぎていた。
もうイギリスから帰ってすっかり時間がたち、マヤのメールアドレスも生きているかどうか分からなくなっていた。
実際、返事はなかった。
私は諦めた。
悪いことをした、大事な友達をなくしてしまったな、と思ったけど、仕方なかった。What is lost is lost、だった。

だから、先日彼女からついにメールが来たときは、とてもとても嬉しかった。
損なわれた時間の一部が、戻ってきたような気がした。

橋の下で多くの水が流れたらしく、2年前にお父さんが亡くなったと書かれていた。
私も、昔会わせてもらったことがある。初対面でしかも日本人の私を、まったく分け隔てなく迎えてくれた、笑顔のあったかいお父さんだった。
(でも、会う前は心配そうに「私は英語が喋れないんだが大丈夫かな?」と娘に相談していたそうだ)
旦那さんとは今でもとても仲良くやっているらしい。
それに対して、ほんとによかったねと心から思えるようになった。
私の橋の下でも、多くの水が流れたんだな。

今、どうやって返事を書こうかなと考えている。


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