僕らが旅に出る理由
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なんでその子のことを思い出したか分からないが、季節がちょうど今頃だったからだろうか。
「年が上がると記憶力も落ちますからね、がんばってください」 などと言われて悔しい思いをしながら通っていた自動車教習所。その子は同じ時期に通っている女子大生だった。 テレビで、「代官山を歩く女の子50人に聞きました」みたいなのに出てきそうな、普通の可愛い女の子だった。 はきはきして明るく、友達も多そうだった。大手企業に就職も決まり、仕事で必要だからと免許を取りにきていた。 いいなぁ、若くて、将来も明るそうだし、男の子にも好かれそうだし。 というのが、私の第一印象だった。
その子とはすぐに言葉を交わす仲になって、ある時、勉強会というのに誘われた。 その場所に向かう途中の道で、その子は少し言いにくそうに、行く先は宗教団体なのだと言った。 でも便宜上宗教法人になっているだけで、いろんな業界から講演者を招いて話を聞くのが会のほんとの目的なのだ、と付け足した。
私はなんとなく自分を間抜けに感じながら、その無機質な白い建物に入った。 中はかなり盛況で、大部分は40代くらいの主婦層だったけど、男性や、その子くらいの若い子もいた。 便宜上宗教法人、とその子は言ったが、むしろ勉強会というのが口実だったと言うべきで、広間には祭壇があり、お祈りしている人も居た。 私は入り口でも入会の有無を問われて断っていたが、その後も小部屋に通されて、母親ほどの年齢の女性から、マンツーマンでその人の体験談を聞かされた。 その人は大学教授の妻で、アメリカに住んでいたこともあり、子供2人の母親でもあった。平和と思っていた毎日がある日突然崩れ、長男が引きこもりになり、娘が非行に走った。夫婦仲も険悪になって行く中で、この宗教を知り、自分の傲慢さに気づき、改めるようになった。云々。
私は口を挟まず、ひととおり神妙に聞いて、言った。 それはとてもよい話だと思うし、宗教によって立ち直れたというなら、それは出会ってよかったのだと思う。宗教だから悪いとか怪しいと、一言で決めるつもりもない。 だけど私には家族や友達がいて、つらい時には彼らが助けてくれるし、彼らから学べることも、まだたくさんある。そういうものがなくなって、自分でも答えが出せないような何かにいつか出会ったら、この宗教のことを考えることもあるかも知れない。でも、少なくとも、今の私には必要ないと思う。
相手の女性は始終菩薩のような微笑みで私に話しかけていたが、私がそれを言い終わったとき、その微笑みは永遠に顔から取れないのじゃないかと思うほどに張り付いていた。 私を誘った女の子は、その女性の陰で、私の話を黙って聞いていた。その女性と同じように、人工の優しい微笑みを、その子も身につけつつあるようだったが、私に向かって微笑んだその顔は、少し、寂しげだった。
その子はお母さんがこの宗教の熱心な信者ということで、表向き、お母さんと意気投合してここに通って来ているように見えた。 だけどお母さんのほうが、もはやなんの迷いもなくその宗教にどっぷり漬かり、心地よさを感じているらしいのに比べると、娘のほうはまだ、そこまでの居心地のよさを獲得してはいないようだった。
私は見るもの聞くものに興味を持っているふりをした。 帰り際、その子は、また勉強会があったら誘ってもいいですか、と聞いた。 私はぜひ、と笑って言った。
私はその宗教に興味はなかった。そこまでエキセントリックな団体には見えなかったが、それだけに、陳腐なかんじがした。 だから勉強会なんてどうでもよかったのだが、私はただ、彼女が気になった。 彼女はどうしてこんな宗教に入っているんだろう。 私より若く、きれいで、性格もいいし、学歴もあるのに。 彼女は私が入り口で名前や住所を書かされていたとき、私のしていた安物の腕時計をやたらに褒めた。 その褒め方がなんだか必死で、私は悲しくなったのだ。
そんなことする必要ないのに。
また連絡します、と言って別れたが、その後、その子からメールが来ることはなかった。 電話番号も住所も書かされたわりに、その団体からは手紙も電話も来なかった。
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