僕らが旅に出る理由
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2005年06月02日(木) My Only London - フェラーリはもう来ない

韓国人との付き合いは、たいていの日本人が多少の戸惑いを感じるのではないだろうか。
お隣りなんだし、できたら仲良くしたい。でも過去の話を突っ込まれると、自分も大して教えられてないので返事に詰まる。それと正直、過去に何かあったにせよ、自分自身が目にしてないことでいろいろ言われてもなぁ・・・。
私のイメージはだいたい、そんな風だった。
でも、国同士の付き合いはともかく、個人として会う時には、偏見や先入観なく付き合いたいと思っていた。

李は英語でLeeだし昔は実際リーと言ったが、今はつづまってイと発音するんですよ、と教えてくれたのは、やはりLeeという名字を持つ子だった。日本に留学した事があって日本語が堪能だった。受付にいた私に明るく話しかけてきてくれて、すぐ仲良くなった。

リーは高校時代は素行不良で、韓国のヤクザみたいなところに出入りし、時に立ち回りを演じ、刑務所のお世話にもなったという。しかし出所してからある建築事務所に拾われ、そこの社長に惚れ込み、建築の道を志すことに決めた。ロンドンへは、大学で建築のコースを取るために来ていて、まずは英語の勉強のためにうちの学校へ来たのだった。
彼の考え方は基本極道(笑)で、柔軟ではなかったが誠実だった。遠距離恋愛中の韓国人の恋人がいたが、彼女の名前の入れ墨をしてても驚かないだろうと思った。(実際はしてなかったが・・・)

リーの日本語はほぼ完璧といって良かったのに、英語のほうはいつまで経ってもさっぱりだった。勉強嫌いなのは分かるが、日本語はそれでもあんなに上手いのにな、と私は不思議に思った。正直、あと何年いても、彼の英語は大学でコースを受けられるほどには上達しないように思えた。それでもある時、某大学の建築科に滑り込んだのだが、やはり英語が壁になり、クラスから脱落し、また授業料を払うためのお金にも詰まり、彼のロンドン生活は暗礁に乗り上げていた。

それでもリーは帰国するつもりはなかった。スターバックスコーヒーで黙々とバイトし、ウォータールー駅裏の安い学生寮に住み、共同キッチンで手製のキムチを作って私にも時々分けてくれた。

リーの夢は建築士になって華々しく成功することだった。
「ちゃんと独立したら45さんに会いに行きますから、フェラーリに乗って。実家の住所どこですか?教えといてくださいよ」
リーは冗談まじりによくそう言った。
逆境には強い人で、困ってもユーモアを言って切り抜けようとした。

リーが私をどう思っていたか分からない。
何をしてあげた覚えもないのだが、彼はいつも私を腹を割った親友のように扱い、親切にしてくれた。それに対してどう返礼してよいのか分からず、私は彼と仲良くしながら、いつもどこかで戸惑っていた。
日本と韓国の関係について、私たちはあまり話さなかった。
頑固なリーに何を言っても絶対ケンカになると思ったからだ。
リーは時折、日本の批判をしていたと思う。オブラートに包んだ形で、やんわり、冗談に紛らせながら。彼自身も、それをストレートに言ってよいものかどうかの迷いがあったのだろう。私はそういう時は取り合わず、気づかないふりを通した。

リーは日本に留学したぐらいだから、日本が嫌いだっただけではない。
むしろ、相当日本が好きだなと思えることもあった。
同時に過去のことが許せない気持ちも消えず、常にジレンマがあるように思えた。
私たちの友情(?)も、いつもその不安定なバランスの上に成り立っていた。

私はリーという人間を好きだった。
彼のジレンマは私のものではないにしても、よく分かった。
私が韓国人でも、同じように思ったかも知れない。
それと戦いながら、後ろでなく、前へ進もうとしている彼が好きだと思った。
彼と私は、仲良くなれたと思った。

でも、それはやはり、勘違いだったのかも知れない。

ある時、日本に出張が決まって、私がヒースロー空港に着いたころ、たまたまリーから電話がかかってきた。日本に出張だというと、リーは何故自分に知らせてくれないんだとやや機嫌を損ねた。
リーにはそういうところがあった。友達だったら、日本に出張するくらいのイベントは報告してほしい、と思うようだった。私はその必要を感じなかったので、若干煩わしいと思っていた。
リーはどうせ日本に行くのなら、自分の友達が日本でしか売ってないデジカメをほしがっているから、買ってきてほしい、と私に言ったのだが、出張のことで頭がいっぱいだった私は、正直それどころではなかった。結局、デジカメは買わなかった。
それを出張先の日本から国際電話でリーに告げた時、彼の声は不機嫌そうで暗かった。

帰国後、リーとぱったり連絡が取れなくなった。
携帯にテキストを送っても返事が来ない。電話しても出ない。
いつもの彼にはありえないことだった。
彼の住んでいる寮にも出向いたが、会えなかった。彼の勤めていたスタバに行ったら他所に移ったというので、その移ったという先にも行ってみたが、そこでは誰も彼のことを知らなかった。
まったく、煙のように消えてしまった。
寮にはとにかくまだ住んでいるようだったから、私は連絡が欲しい旨のメッセージを残した。でも、無駄な骨折りだった。

切られたんだろうか、と思った。

リーはこれまでも、嫌いになった友達を一方的に切っていた。
理由を聞いて、早まり過ぎじゃないかと思えることもあったのだが、何しろそういう時のリーは怒り心頭に発していて取りつく島もない。
それが私にも起こったのなら、もう仲直りできる可能性はゼロと言ってよかった。

私が、彼の頼んだデジカメを買わなかったのがそんなに頭に来たんだろうか?
それとも他に理由があったのか?
何が、彼をそんなに怒らせたのだろう?
それを聞くことはもうできなかった。
謝ることすら、不可能だった。

あまりにも割り切れない気持ちだけが残った。
だけどこの上、寮の前で待ち伏せでもするか?まさか。

私は彼と再び会えないまま、帰国した。
彼がその後どうなったか、全く分からない。
コースを続けることはできたのか。
今でも、どこかのスタバで働いて、学費を捻出しているのか。
それとも、諦めて帰国したのか。
もしくは一念発起して、見事独立したろうか。

リーと友達で居続けることは無理だったかも知れない。
だけど、よく手製のキムチをくれるので「韓国では男の人がキムチ漬けるんだねぇ」と言うと破顔一笑して「キムチ漬けるのはお母さんですよ!韓国でキムチ漬ける男はぼくだけですよ」と言った時の顔、ロンドンの韓国料理屋で石焼ビビンパの正当な食べ方についてあれこれ世話を焼いてくれたこと、韓国人の親友がいたのだが女遊びがひどく、そこだけは気に入らないんだと苦々しい顔をしていたこと、スタバで「キレイな女性はアイリッシュクリームを頼むもんなんですよ」と言いながら頼んでないのにアイリッシュクリーム入りカフェラテを作ってくれたこと、いろいろ思い出すとさびしくなることもある。

日本と韓国がお互いに感じている気持ちの根底にも、こんなふうな切なさがあるんだろうか。

リーが今どうしているにせよ、私のところへフェラーリはもう来ない。


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