僕らが旅に出る理由
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2004年11月06日(土) |
My Only London - 我が心のジョージア |
ある金曜日の夜、学校の受付時間終了間際に、ある学生がやってきた。
便宜上、私たちはコース登録して勉強に来る人達のことを studentと呼んだが、彼は学生といっても年齢は20代後半くらい、身長は180cm以上あり、体格もよく、眉毛が太い、中央アジア系の顔をしていた。「ジョージア」から来た、と言っていた。私以外のスタッフはその国を分かっていたが、私にはアメリカの州名としか思えず、かなり混乱した。後で調べたら、グルジアの事だと分かったが。
そのグルジア人は翌週からのコースに参加するために、その日飛行機でグルジアから着いたばかりだった。 きっと、それまでの人生、国外に出たことなんかなかっただろう。 そう思うくらい、彼は海外生活の常識を、何も知らなかった。 ホストファミリーに向かったら誰もおらず、入れないという。 ホストファミリーに入れるのは土曜日からで、彼は金曜の夜に来た。予告もしなかったようだから、ファミリーが不在でも何らおかしくはない。なのに、彼はそのことを非常識だと言わんばかりに怒り、何とかしろと私たちに喰ってかかった。 もともと英語がつたなく言いたい事が半分くらいしか分からない上に、内容そのものも一方的で、私たちは対応に困った。何しろすっかり怒ってしまっているので、なだめながら話すのにも一苦労だった。 彼のホストファミリー宅に何度か電話したが、誰も出なかった。今夜はずっと不在かも知れなかった。代わりに、学校が契約しているゲストハウスなら部屋が空いているかも、と伝えると 「そんな訳の分からないところに行きたくない」 と駄々をこねる。 じゃあどうしたいのか、と聞くと具体的なことは何も言わず、またキレだす。 結局はゲストハウスに行ってもらうことになったが、それまでのやりとりでもスタッフはかなり消耗していた。
それから、グルジアの自分の家に電話したいからかけてくれ、と言われ、電話番号を書いた紙をもらったら、異様に数字が少ない。国番号がないのは明らかだが、市外局番もなさそうな勢いだ。 この人、グルジアの他の都市にすら行ったことないんじゃ?? country code、と言っても到底通じない。仕方なく、手持ちの資料でグルジアの国番号を調べた。どうやら、市外局番がやはり足りない。 私はとりあえず、資料に書いてあった首都の名前を言ってみた。 「あなた、トビリシから来たの?」 その時の彼の表情を、私は今でも覚えている。
トビリシ、その甘美な響き!
懐かしい(ってか、その日の朝まで居たはずだが^^;)、自分の生まれ故郷、自分のホームグラウンド、慣れ親しんだ家族と仲間がいる町、こんな、右も左も分からない、不愉快な街ではなく。
そういう気持ちのつまった、とてもとても嬉しそうな目で、彼はうなずいたのだ。 その目はその時、ただ素朴な純粋さを映していた。
学生たちの中には、最初は彼のように拒否反応を起こしても、徐々に新しい環境に慣れていく人もいるのだが、彼はコースが始まってからもクラスメートとケンカを起こしたり、土曜日からようやく移ったホストファミリーには何かの時興奮して刃物を向けたため(!)追い出されたりと、いつまでもなじまなかった。彼は間違いなく、近年まれに見る問題児だった。 私たち受付連中にはざっくばらんに話しかけて来たが、こっち側ではみんな彼がすっかり嫌になっていて、表面上なごやかに話しても、内心うんざりしている人が多かった。
ただ私は彼を嫌いではなかった。 悪気はないんだろうと思ったのだ。(悪気がないで全部済むわけではないのだが) トビリシと言われた時の彼の目が忘れられなかった。 金曜の夜の行動は、きっと怯えの裏返しで、過剰反応だったんだろうと思っていた。 だけど怯えの裏返しとは言え、あの大きな体を揺らしながらあたりに響くような大声で怒鳴られた日には、普通の人間はふるえあがってしまうだろう。彼をとんでもない不良だという人がいても、反論もできなかった。
きっと誤解されることの多い人だろうと思った。これまでも、これからも、そうだろう。
彼はコース終了まで、結局そのままだった。 最後の日私たちのところに来て、さよならと言いつつも、罵り言葉だらけで「この学校はクソだった」と言った。 2か月そこらコースを受けて、増えたボキャブラリーと言えばf***とかs***だけなのか、と私はあきれた。あきれたが、彼らしいという気もした。そして、彼が結局この国や人の良さを見いだせなかったことを、とても残念に思った。
最近、グルジアの名前をよく新聞で見る。 トビリシは爆撃も受けたらしい。 彼はどう思っているんだろう、と想像する。 ロンドンのすべてを罵りながら、いつでも最大の愛情を向けていた彼の故郷。 その故郷を破壊したロシアを許しはしないだろう。過激派の急先鋒くらいなるかも知れない。
そこでもつれた感情は、もう戻しようがないのかも知れないな、そうやっていろんな、失う必要のなかったいろんなものが失われていくのかも知れないな。
と、記事を読みながら思う。
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