僕らが旅に出る理由
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2001年11月30日(金) My Only London - 出発前夜

仕事を辞めると言ったとき、うちの母は、ようやく田舎に戻る気になったのかと思って喜んでいた。
ここらで腰を落ち着けて、結婚相手でも探しなさい、と言っていた。
母の言うことは分かった。私も結婚はしたかったから。だけど、そう思える相手がいなかった。それは田舎に帰っても、きっと同じだと思った。
年齢のことは、私も普通に気になった。
今でさえ想う人に巡り会えないのに、この先歳を取っていったら更にどんな悲惨な状況になることだろう。
一生ひとりぼっちかも知れない、という考えは、私をやるせない気分にさせた。

でも、田舎には答えはない。
むしろ、日本に答えはないと、その時は感じていた。

ただ、そんな考えが母に通じるとは思えなかった。
私でさえ、自分がどうしたいのか、よく分からなかったのだから。

悩みを1人で抱え込み、私はどんどん閉鎖的になっていった。
表向きは、普通の人のように寝て起きて、笑っている状態を維持しようとした。でも、夜、家に帰るとぐったり疲れた。
そして苛立った。
母に苛立ち、友達に苛立ち、上司に苛立ち、電車の車掌に苛立ち、ウェイトレスに苛立ち、テレビのニュースキャスターに苛立った。
日本全体に苛立っていた。
そして自分にも。
あの頃の東京を思い出すと、ただ、うるさかったことしか覚えていない。
やたらと人と広告が多く、雑踏もお喋りも、なんでもうるさかった。

日本を離れようと思った。
一度、広い場所で深呼吸したかった。
それで、仕事を辞めてすぐ、ロンドンに行くことにした。
ロンドンは私の人生初めての海外旅行の土地で、仕事でもゆかりが深く、一番身近に感じられる外国だった。
飛行機代と現地の生活費用を捻出するために、私は自分の生命保険を担保にお金を借りた。
それしか、お金を工面する方法がなかったのである。

付き合っていた彼に話したのは出発直前だった。
1、2週間前だっただろうか。
彼は驚いた顔をした。気のせいか、少し傷ついたような表情だった。
私は慌てて取り繕うようなことを何か言い、彼もそれを信じるふりをした。
だけど、この関係に終わりがもう近いことは、お互いわかっていた。

最後にアパートの管理人さんの家に挨拶に行った。
東京でも下町にあって、管理人さんは人懐っこいおばさんの一家だった。
私が明日から外国に行くというと、
「いいわね、若いうちは思い切ったことができて。がんばってきなさい」
と明るく励ましてくれた。
私はお茶を飲みながら、そこに涙が落ちそうになるのを必死で我慢した。
何も知らない人の励ましの言葉が身にしみた。

翌日、空港のホテルから母親に電話をかけ、私は事実を話した。
母親は当然、気が動転していた。
だけど私は素直に謝れなかった。
母がショックを受けているのは痛いほど分かっていた。
でも、私は母の意向に沿うことはできなかった。
感情的な言い合いが続き、私は母親を捨てる恩知らずの娘にされた。
母親の号泣を聞きながら電話を切って、私は一段と深く落ち込んだ。

嫌な気分だった。
彼や母親をこんなに傷つけて、自分が何をしようとしてるのか、私は何も知らなかった。


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