僕らが旅に出る理由
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2001年12月05日(水) My Only London - 家族の肖像

ロンドンに着いた当初、4週間はホームステイだった。

ピカデリーラインの北にある、Turnpike Laneというところに家はあった。
ロンドンでよく見かける、古い、terassed houseタイプの家が密集している地域だった。ゆうに築100年は超えていると思われるレンガ造りの家が通り沿いに隙間なく壁のように並び立ち、同じ高さ、同じ間取りの家の中で様々な家族が暮らしていた。
ターンパイク・レーンは日本で言えばちょうど私の家くらい、貧乏とまでいかないが、どちらかと言えばお金のない部類の人々が住むらしいエリアだった。
家族はトルコ人の奥さんとアイルランド人の旦那さん、小学校高学年の娘と3歳くらいの息子、だった。年の離れた夫婦で、奥さんは40代前半くらいなのに比べ旦那さんは60代くらいに見えた。

奥さんは太っていた。肥って愛嬌があるというよりは、寄る年波で垂れ下がった脂肪が重たげな、鈍重な印象の女性だった。旦那さんは痩せ気味で白髪にヒゲをはやし、これで笑顔が多ければ観光パンフレットに出てきそうな、優しそうなアイリッシュのおじさんに見えただろうに、彼はほとんど笑わなかった。いつも、疲れたような顔をしていた。
娘は人なつこかった。初めての日、私がスーツケースを転がしながら、番地をたぐりつつその家をようやく見つけるのを、二階の窓からずっと見ていた。目が合うと、嬉しそうに手をふった。

プロフィールによれば奥さんは通訳ということだったが、それは趣味に毛が生えた程度で生計を立てるところまでは行っておらず、旦那さんも元は大学教授ということだが今は引退していた。あるいは奥さんがパートのようなものに出ていたか、はっきり覚えていないが、とにかく生活は楽ではなかったと思う。まぁだからこそ、ホームステイの受け入れをしていたのだろう。
奥さんは私をそれなりに歓迎してくれたが、旦那さんは親切ではなかった。一度、奥さんに許可をもらっていた時間帯(でも夜遅めだった)に洗濯機を回していたら、何か落ち着かない顔で私の部屋のドアを叩いて、
『こんな時間に洗濯機を回して…あまりいいことじゃないな、妻がいいと言ったのか、どうか、分からんが、まぁ、言ったのなら、別に構わないのかもしれないが、ここは隣同士壁が薄くてね』
などと自己完結的なことを、口の中でもごもご言った。

旦那さんは奥さんに不満があるようでいて、それでいてとても気を遣っていた。
奥さんがスーパーの店員の態度が悪かったとグチを言えば、一緒になって移民の悪口を言っていた。奥さんだってトルコからの移民じゃん、と私は背中越しに聞きながら思ったが、そんな意見に同意しそうな人は家の中にいなかった。奥さんはイギリス人と結婚しているから、格上げにでもなってるということなのだろうか。だけど旦那さんにしてもアイルランド人だから、厳密にはイギリス人ではない。この両者のあいだにも、別種の確執があることを思えば、その家庭はどんな意味においても確実なもののない場所に見えた。あるいは2人の間に強い愛情や信頼関係があればその不安定さを救えるのだろうが、それも感じられなかった。
旦那さんはよく1人で音楽を聴いていた。
全部がクラシックだった。家にはたくさんのクラシックのCDがあった。
でも、奥さんがいるとき旦那さんは一切それを聴かないのを、私はそのうち気がついた。
聴く時は必ず奥さんが外出しているときで、ブランデーだかウィスキーだかの入ったグラスを暗い部屋のテーブルの上におき、気を失ったように椅子にもたれかかって、身じろぎもしなかった。
どの作曲家が好きか、と私は一度彼にたずねたことがある。
そのときも彼は趣味の話ができて嬉しい、というような顔は見せず、相変わらず生気のない声で、
『さぁ…ありすぎて分からないな。君は誰が好きなの?ブラームス?(←適当に言った/笑)なるほどね、ブラームスも悪くはない。悪くはないが…でも私の場合彼がベストというわけでもないな…』
と、やはり半ば独り言のようにつぶやき、それで終わってしまった。
だけど数日後に急に、何の脈絡もなく、
『そうだ、分かった!プッチーニだよ。私はプッチーニが一番好きだな』
と言われてびっくりもした。

息子はまだ小さかったから、単純に可愛かった。
私にも無差別にニコニコしていた。
だけどある朝起きたら、彼が1人で台所に立っていた。
朝は私が一番早かったから、夫婦は私にシリアルと牛乳のある場所だけ教えて、自分たちはベッドの中にいるのが常だった。
その子はぼんやりと暗い台所に立っていた。そんなことは初めてだった。
泣きもしない。無表情で立っているだけだった。
『シリアル食べる?』
と聞いたらうなずいたので、その朝は2人でシリアルを食べた。そんな小さい子と差し向かいになる経験もなかったので、なんだか変な気分だった。

その家は、冷たい家だった。
どこかバランスに欠けた、混じり合わない、よそよそしいものがあった。
別に目立った欠陥はない。家庭内暴力が起きているとか、幼児虐待があるとか、そういう、はっきりと破綻した家ではない。親子の仲も、夫婦の仲も、そこそこよかった。
娘は私によくなついてくれて、2人で一緒に宿題をしたり、学校の課題の紙細工を作ったりした。
母親にも父親にも(彼女にとっては義理の父親だったけれど)、家全体にも、不満な様子は見せていなかった。
でも、なぜか体温を感じない家だった。
中にいるとなんとなく、悲しくなる家だった。
娘と会話をしているときだけ、彼女の無邪気さにちょっと気持ちが明るくなった。
最後の日、彼女は私の部屋にきて、他愛もないお喋りをした。
たぶん最後に、お別れのハグをしたかったんだと思う。
だけど私はそういう習慣が自分の中になくてその時は気づいてあげられず、彼女も遠慮して、結局ベッドサイドに2人で腰掛けて、なんとなくぎこちなく、さよならを言った。
ぎゅうっと、抱きしめてあげればよかった、と今でも思う。

その家は旦那さんがアルコール中毒になったという理由で、後にホストファミリーのリストから外された。

古いterassed houseがギッシリ立ち並ぶ、蛇行する通り。
その中のいくつで、同じような寂しさが繰り返され、あるいはそうでない、優しい思いやりが取り交わされているのだろう?

みんな、ただ幸せになりたいだけなんだ。
私も。


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