++ 今日の塩梅 ++
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体調がハンパなく悪い。 頭はヘルメットを被っているかのように重たく痛いし、カラダがだるくて寝てばかりいるし、肩こりもものすごい。 しかもこれらの症状に、薬が効かない! ちーーっとも効かない!
なんだこれ。 なによこれ。
風邪引いた・・・? でも熱は37度ジャストしかないし、ほんの微熱だ。
私は、これは罰なんだと思った。 『お仕事』をしている自分へ自分から攻撃をしかけて、「罰」っていう爆弾を落としているんだって。
私のカラダは劇的にストレスに弱い。 胃痛頭痛は日常茶飯事。 だからちょっとのことでは「しんどい」って思わない。 でも。 今回のは凄い。
自分からの警告でもあるのだろう。 そんなこと続けてちゃダメなんだって。
けれど私は自らの攻撃や警告を無視している。
自分だけは裏切っちゃいけない。 裏切ることは出来ない。
分ってる。だけどもう少しだけ待って。
もう少しだけ。
今日は心療内科のクリニックへ行って来た。
「最近カラダの調子が悪いせいか、無気力で何事にもやる気が 起きないんです 抗欝剤を減らしたからでしょうか」
私が言うと
「春先というのはどんな人でも、心の病気を抱えてない人でも 情緒不安定になるもんなんですよ だから今は薬を増やしたりしないで、経過を見ていきましょう」
と医者は答えた。 そして薬は前回と同じ処方だった。
そうなのか・・・・・。
確かに、春ってちょっと怖い。
単に出会いと別れの季節だってことだけじゃなく、花冷えのする夜中など、なんだか無性に虚しくなったり落ち着かなくなったり不安になったりする。
今の私は「春先病」に取り付かれているのか。
医者に 「自分は穢い存在だと思うんです」と言うと 「そんなことはない、病気が治る時に通過する通過儀礼みたいなもの ですよ」と言われた。
先生、違うんです。
私、先生にとうとう言えなかったけど、また『お仕事』を始めてしまったんです。 (注:お仕事=春を売る)
先生には言えなかった。
誰にも言ってない。 今、ここで初めて明かした事実。
私を軽蔑しますか?
私を嗤いますか?
それとも・・・・私がどんな逸脱行為を取っても、あなたには無関心な出来事ですか?
お願い。 許してください。
こんな私を許してください。
明日こそ、クリニックへ行こう。 診察が無理なら、薬だけでももらいにいかなくっちゃ。
胃痛と頭痛がひどくて参る。 新中外胃腸薬とイヴクイックを飲む。
何が原因で体調と心調が悪いのかは分っている。 しかし、今、ここに書くのは止しておこう。
嫌われるのが怖いから。
だって私は穢いから。
穢いから。
汚れている。
考えることも為すことも。
カラダがだるくて意識もなんだかぼんやり。
困った、困った。
昨日、カウンセリングを受けた。 今通っているYクリニックでカウンセリングを受けたのは初めてだった。 カウンセリングはクリニックから徒歩3分の場所にあるマンションの一室を借り切って行われている。 方向音痴の私は、思いっきり違うマンションに行ってしまい、管理人のおっちゃんに「ここはxxマンションじゃないよ!」と言われ。 まあ結局無事に目的のマンションにたどり着いたから良かったけれど。
瀟洒なマンションだった。8階建てのオートロック式。 そしてまたカウンセラーが男前で・・・・。 40〜50歳くらいの男性の方なのだが、一見してこの人かなり稼いでるわと思った。 絶対、あのスーツはオーダーメイドだった。 カウンセリングは1時間で1万円(!)。 しかし、カウンセリングを受けてみて、1万円はまんざら無駄ではないなと思った。 今まで受けてきたカウンセリングの中で、一番手ごたえを感じる内容だった。 しかし、ヤバイな、と思うのは、カウンセラーを男性として意識してしまうことだ。 こういうのは逆転移っていうのだっけ?転移だっけ? もしもう少しカウンセリングを続けてみてカウンセラーに惚れてしまいそうだったら、医者に相談して違うカウンセラーを紹介してもらおう。
レンタル屋さんで「自虐の詩」を借りて見た。 なぜか涙が止まらなかった。 このストーリーでそこまで泣かなくても、ってくらい泣いた。
幸せってなんだろうな。
「握っている手のひらを開いてみたらそこにある」みたいな台詞があった。
手のひらを開くのには、少し勇気が要る。
でも、きっと、誰にでもどんな人にでも、絶対にそこには幸せがあるのだと、私は思う。
てゆーかそう信じたい。
あなたにも、そう信じて欲しい。 押し付けがましいけど、やはり、信じて欲しい。
そう願う相手が何人もいる私は、やはり幸せなのだろう。
2008年03月16日(日) |
手の震えが治まらない・・・・! |
一昨日の晩も、吐かない過食。 それから今日の今まで(PM5:00)ほとんど寝て過ごしていた。
目が覚め、起きたはいいものの、緊張からくる手の震えが治まらない。
デパスを3錠ほど飲む。
それでも治まらない。
ああ。
体重は47キロまで増加。
自分すら助ける術を持たないのに、誰かを救いたいと願うのは傲慢か?
苦しい。
口からは出せない言葉。
でもここなら。
苦しいよ。 生きてることが、苦しいよ。
2008年03月13日(木) |
過食も小さな小さな小さな自殺だ |
昨晩は吐かない過食をしてしまった。
食べたものは、食パン2枚(たっぷりのマーガリンとジャム付き)、ドーナッツ3個、ご飯お茶碗2杯。
体重は現在46.5キロ。 年末年始あたりから、体重が上向きになってて戻らない。 正月太りだ・・・と自分を慰めるのももう無理があるわ三月だもの。
けれども私は、自分の増えた体重を、結構許せている。 だって弟(上)とか、今より痩せてた私を知っている人と会う機会がないのだ、広島で生活していると。 旦那サンは私が「ねえ、やっぱりちょっと太ったよね?」と聞くと、「そうか?分らんよ」と答えてくれる。 それが本音かそれとも私を傷つけないようにそう言ってくれてるのかは分らないけど、私はとにかく、彼のお陰で自分の体重を受容できているということだけは確かだ。
「キャリー」という洋画をレンタルして観た。 なかなか面白かった。1076年に作られた割に、カメラワークが斬新。 キャリー、可哀想だったな。 あと、若き日のジョン・トラボルタとか出てて「おおっ」と思った。 ホラー映画なのだが、母子関係のあり方に、ちょっと考えさせれるものがあった。
ちなみに最近、遠藤憲一さんという役者が好きだ。 あのエロイ感じといい、声といい、演技のしつこさといい、ツボってる。
「それでも生きてゆかねばならない」
そう言ったのは大学時代からの友人だった。 1年半くらい前のことだろうか。
その時は、「なんで?死にたくなるって気持ち(=自殺)分んないの?」って思った。 今でも私は苦しいとき、オーバードーズしたり、腕を切ってみたり、小さな小さな小さな自殺を繰り返している。 だけど。
私はそれでも、生きてゆこうと思う。
今は。
今は。
パソコンを開いたは良いけれど、何を書こう、言葉が浮かばない。 感情をうまく言語化できない。
ただ今ある心の中の混沌には、きっと理由があるのだと思う。
いや、「思う」じゃない。
「あるに決まってる」。
そんでその理由を私は知ってる。 だけど言葉にする勇気が無い。
ゆっくり眠りたい。
過食をせずともぐっすり眠れるようになりたい。 ここ4〜5日間の平均睡眠時間は3時間くらいだ。
変化の季節がやってきた。 季節も、私の精神状態も。
良いんだ。 これで良いんだ。
何回も繰り返し自分に言い聞かせる。
間違いじゃない。 私は間違いを犯している訳じゃない。
きっと。
この心の混沌を、私はまるで生卵を持って走っているかのような微妙なバランスをとりながら、扱いあぐねているけれど。
きっと・・・・・・
間違いじゃない。
そう信じて。
眠剤を飲む。 どうせ今夜も過食か過食嘔吐するのだろう。
クスリよりも食べ物の方が不眠には効く。 今は・・・・これでも良い。
私は私だ。 そのことは誰にも変えられない。変えさせない。
たとえ姿形が変ろうとも。
私は私だ。
そのことだけが、唯一、私の背中を押してくれている事実。
私は恵まれていると思う。
優しい、優しい、とことん優しい旦那サン。
大切な友達。
(ある程度は)心の病気に理解のある両親。
ねえ、何が不満なの?
自分に問いかける。
連日治まることのない過食、過食嘔吐。
独りでマンションの部屋に居る昼間、寂しくて寂しくて、いつもいつもしなくて良いことをしてしまう。
プチオーバードーズ。
過食。
手首の薄皮切り(リストカットと呼ぶほどではない)。
ああ。
今夜もこれから過食嘔吐するのだろう。
それが今の自分にとって「必要なこと」なのだと、頭では割り切ろうとしている。
けれどやはり、罪悪感に苛まれる。
前の日記で書いた、なななんキリコさんの漫画の中の台詞。
愛してるよ、愛してるよ、愛してるよ・・・・・・・・ 寂しい。
旦那サンのことを愛していけば愛していくほど募る異常な寂しさ。
贅沢?
ううん、違う。
愛し方が分らない自分に虚しさ(=寂しさ)を覚えている、きっとただそれだけなんだろう。
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