舌の色はピンク
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2022年01月31日(月) 仕事の悪、根性論、対応諦めない従業員

晴れ。
月曜の朝は気力充溢でもないしなんだか慌ただしい。
弁当は角煮を温めて詰めるだけなのだけれど
冷めると豚バラの脂…ラードが白く個体化してしまうから、
自分の分はもうそれでいいとして、
妻の分は弁当箱に詰めずに
飯どきに温めてもらうことにした。


出勤して即、営業から大きめのミスの報告が入った。
すでに印刷所で刷った本の片ページが、
本来あるべき位置より数ミリずれている。
僕はその仕事にはノータッチだったのだが
たまたま担当から免れていただけで
自分が携わる可能性も十分あったから肝が冷えた。
ただ今回のクライアントは特例的で、
セミプロのほぼ個人といえる相手だったから、
大事にはならなかった。
これが大手出版社相手なら大事故だ。

…しかしそれがなんだってんだろう。
見る人が見ればわかるというズレ。
本来あるべき仕上がりが達成されていないという点で
仕事としてはアウトなわけだが
本の内容を何も損ないはしていない。

うちの会社はそうした細かい部分を調整するという業務を
請け負っているから、
その需要あって成り立っている会社ではあるわけだけど
本来的に立ち返ればそれがなんだってんだろう。
何にも社会に貢献しない。
むしろ窮屈にしている…反対のことをしている…
数十年前だったら何ひとつ問題になることのない事柄。
それを厳正に厳正に、自縄自縛的に勝手に厳しくしていって、
その結果がこれだ。
どうでもいいんじゃないか?

反論はいくらも浮かぶ。
というより、なんだかんだいっても後進を育成するにあたっては、
尋常であればどうでもいいとされる細部にこそ意識を払うべき、
また意識せずとも注意できるようにと僕自身戒めてはいる。
しかし俯瞰で…遠大に見通してみたときに、
これは窮屈な社会像の形成に加担してしまっているといえる。

しょうもない仕事だなと呆れかえる。
そっから銭を得ている自分が恥ずかしい。
これだけの自覚があるのに
なんだかんだ理由をつけて辞めてないし。
自己嫌悪ループ。


唇がひび割れている。
カサカサに剥けているわけじゃないのだけれど
中央部あたりがぱっくり割れてしまっていて
笑ったり食べたりする際に口を大きく開くと痛い。
舐めてりゃ治る、ってつもりでいるから放っておいてる。
気合でなんとかする。

根性論、精神論というのは馬鹿にできない。
世にはびこるエセ合理主義の連中は
すぐにコスパなどといって物事を判断しようとするが
根性ほどコスパに特化した機能もそうそうないのだ。

幸福、不幸、満足、不満足、などは
損得勘定のうえで相対化しうるが
最終的には主観に還元される。
その主観のほうを捻じ曲げてしまえ、
という解決方法は驚異的なまでに合理的だ。
何度でも繰り返すが、
感情は定数化しにくいだけの変数に過ぎず、
式の中に組み込めるものだ。
精神や感情を 理 の外に置いてしまうエセ合理主義者は
その方程式を組み立てられない時点で
自らエセである証を強めているようなものだ。

悪名高いうさぎ跳びにしてみても、
その効果が望みにくいどころか肉体への悪影響があると
科学的見地から明らかにされたところでなお、
やる、やらせる意義はある。
もちろん場や相手によって理非は問われるが、
「だから意味がない」というアンチョクな切り捨てをする
エセ合理主義屋は考えが足りない。
鍛錬者にとっての目標を
「その競技において最上の結果を出す」
と決め込んでいる。
だが実際にはその後も言葉が続く。
「最上の結果を出すことによって…を得る」
となるはずだ。
それは自己実現、栄誉、金、異性、なんだってあるだろうが、
そこからさらに言葉は続く。
「…を得ることによって…を達成する」
さらに
「…を達成することによって…をすることによって…を……」
こう続けていくと最終的には主観による態度が待ち受ける。
精神論はここで作用してくるのだ。
必ずここに影響する。

ちょっと論が弱いか。
もーちっと詰めよう。
あくまでここはメモ書きの場だからな。


夕方図書館から電話が入ってきた。
十中八九、本の取り寄せができたとの連絡だろうと踏んで、
仕事中でもあったから出なかったのだけれど、
1分くらいかかり続けていた。
平日の、夕方とはいえ17時前で…それでも諦めないのだな。
で18時半過ぎの休憩時間に折り返しの電話を入れてみた。
「おそらく取り寄せの件だと思われるのですが」
「少々お待ちください」
こっから4分ほど保留のまま放置された。
そんなことがあるのか…と待ち続け、
ようやく事情の明かされたところによると、
現在システム障害が発生しているとのこと。
どうあれ週末にはまた図書館に伺うし、
まず取り寄せの件なのだろうし、
またそれでなくても緊急性があるとは思えないからと
もう打ち切りたかったのだが向こうが諦めてくれない。
全然苛立ちはしなかったけどややまいった。
早く自席にも戻りたかったし…。
そして結局は取り寄せの件だった。週末に行こ。


あと従兄弟から電話がかかってきた。
こちらも仕事中だったから出れず。
21時50分ごろなら可能、それ以降でもOKと
LINEでメッセージを送った。
で実際には21時30分には連絡可能になった。
というか、最寄り駅から自宅への帰り道の20分弱の間を
この電話にあてるのが最も都合がいい。
折しも妻から、気分が不調との連絡が入っている。
帰宅したら妻を第一にしたいところ…であったけれども、
イトコはじゃあ22時頃にかけますとの返事。
こちらが、それ以降でもOKと添えたのを受けての返事だから
まったく問題はないのだけれど
正直21時半からがベストだ…しかし向こうがこう返事してきた以上は…
とぐるぐる考えて
結局22時の電話を待つことにした。
向こうの都合を優先。

21時50分に帰宅。
妻の気分をなだめて、夕飯を作りながら連絡を待つ。
22時1分に着信。
2月下旬に予定していた結婚式は
コロナの影響をかんがみて延期するとのこと。
がどの月も埋まっているようで、
予定は12月25日となったらしい。
その連絡を一軒一軒にしているわけだ。
タイヘンすぎる…。簡単な言葉でだがねぎらった。


夕飯はうどん。
昨日の昼もうどんだったけど構わん。
なにしろ昨日鶏むね肉を茹でた出し汁が残っている。
豚バラの下茹で汁もブレンドしてあるしなあっ。
さらには白菜まである。
だいぶ薄味になってしまった。
妻は相変わらずぶっかけを所望したから従った。
でも大根おろし添えるのを忘れた…。


図書館の件を話してみた。
その流れで、なんらかの販売店で
店員さんに商品の置き場を探してもらう際にはカッコで
(あなたがその場所を把握していてすぐに示しうるのなら)
と含意を込めるよね、言えないけどね、
そして伝わらず結局は長々と探し回られたりして
申し訳ないわ
ないならないでいいのに待たせないでくれと苛立つわで
もう散々、ってありがちだよなという話をした。


この前図書館で借りてきた本に
万葉かなの本があって
そっから妻が
 はろはろに
という言葉を紹介してくれた。
意味は忘れたがスバラシイんじゃないでしょうか。
はろはろに。
音だけでも。


2022年01月30日(日) 名付け検討、口論、人生の祝福

晴れ。
休日トースト、日曜美術館。
月岡芳年。
幕末の時点で人気の浮世絵師で
明治入ってからは
当時は写真もなく文字だけだった新聞において
絵で時事…西南戦争などを伝えられるから
各社からひっぱりだこだったらしい。
絵も良かった。色っぽかった。


図書館では妻のリクエストで名付けに関する本と、
取り寄せていた小川洋子の小箱を借りた。
一旦本だけ家に置いて今度はOKストアへ。
防災用の食品をあれこれ買った。
帰宅後、即風呂。
入浴後、最近読んでた本のスキャン。
これと思ったページだけを厳選して
iPadで撮影していく…めちゃくちゃ面倒だが…
ひたすらやる。


昼は焼きおにぎり。
毎回反省点を正しているから
目に見えて上手になっていく。
ただ今回、途中でサランラップがからんだ。
本体の方。
…もはや世間的にはありふれすぎてて
わざわざ不満の声すら聞かなくなっているが
それでもこれは人の気分を大きく害してくれるものだ…。
爪でガリガリやって、一周して、
まだダメで、…を何度繰り返したろう、
今回ばかりはもう諦めて捨てるのが最も賢明ではあった、
だが買ったばかりの50mものを今時点で捨てるのは
もったいないとかの気分や思想の以前に
モノスゴイ悔しさがある。
結局一点のヒッカカリがどうしようもなく
正常な状態に戻すのは無理だったが
異常なままでも意地でも使い切るつもりでいる。

焼きおにぎりは抜群の出来。
きれいな三角形にできたから
焦げ目も均等についている。
お吸い物の合うこと合うこと。


食後、妻とともに名付けの本を見て検討していった。
収穫らしい収穫はなし。
ただ妻が、徒然草に収録されている
鼎にまつわるエピソードを
ネットから拾って聞かせてくれた。
なんでも何をやっても笑いのとれない若者が
ウケ狙いで鼎(三本足の器機)を頭にかぶったら
もう全然取れなくなってしまって
こりゃもう鼻が削げても無理やり取るかうんぬんかんぬん
という…哀愁がベースにあるドタバタ劇。
ここへきて鼎が株が上がってもうた。


ネットで防災用品を買い足した。
コンロなどの大物をひっくるめて、2万3000円分ほど。
さらに、ネットスーパーで備蓄用の食品などを買っていった。
こちらも8000円ほど。
たぶん一人で生きてたら防災グッズなんか買わないだろうな。
食品の備蓄はまだしも。
でもこれが家庭をもつってことか。
こうして意識がはぐくまれていくんか。


夜は角煮。
いつもはたしか下茹での前に焼いてるが今回は焼かなかった。
まずは豚バラ肉に酒をかけておいて十数分放置。
キッチンペーパーで水分拭き取って
まるっとフライパンへ。
長ネギの青い部分とともに水から1時間茹でる。
その間に鶏むね肉も茹でた。
2週間に1回は用意してる。ほとんどサラダ用。1週間分。

バラ肉の下茹でができたら
フライパンで砂糖をキャラメリゼする。
一度火を止めて、酒とみりんを注ぎ混ぜる。
これに豚バラ肉を絡ませる。
色をまとわせたら、水、醤油、ニンニク、黒酢を入れる。
今回は黒酢をおおく入れすぎた。
なかなか酸味が飛ばない…。
が1時間茹でたらだんだん味が馴染んでいった。
そういやあ生姜を入れ忘れてしまったな。


夕飯まで間があるので
ミヤタクラジオを聞きながら原神。
幸せな時間だ…。
おたより、何度か送ろうか悩んだけど
結局送れていない。
自分がネットラジオしてたころは、
送ってくれれば内容なんてナンデモイーヨと思ってたけど、
いざ自分が出す立場となると
あーでもないこーでもないと苦手なんだな。
ただ今回話題にしていたのが
料理だったからこれならいけるのかもしれない。


小川洋子の小箱読み始めた。
この人の小説、
技術的に高度なことやってんなと
いつも惚れ惚れするんだけれど、
魅力の一つである奇想の部分は
イマイチのれないんだよな。
でも奇想を話に仕立て上げる構成力には感嘆。


日曜のお定まり、19時半から
ダーウィンが来たを見ながら夕食。
角煮めちゃウマ…
酸味もないしトロットロ。
即興で加えてみた白菜もよく合うこと。
これで生姜効かせてたらカンペキだったな。

ダーウィンはサメ特集。
サメよりもアジの群れが衝撃的だった。
海中に漂うアジの群れが
マグロやらサメやらに襲われて
ドンドン数減らしてって
さぁどうなるってところで
一匹のサメに群体ごと取り憑いた。
まさしく取り憑くという表現がぴったりくる。
祟り神的な。呪いの黒いモヤモヤ。
番組ではサメが服をまとう様に例えていたが
どう見てもアジが主役だ。
ビジュアルの衝撃が半端じゃなかった。
まんまと逃げ延びてたし。


食後、たまっていた読書メーター用の感想を書いていった。
今月は1日平均84ページほど読んでたらしい。
おお…けっこうな量を読んでるな。
全然足りないんだけどな。
アジール論、フーリエ、フーコー、
エスノメソドロジー、
日常的実践のポイエティーク…


久しぶりに妻と言い争いをした。
産休に入ってから漫画原稿を描く予定について
創作へのスタイルもひっくるめて口論となった。
ヒートアップしてから中断をはさみ、
二人とも謝るべきところを謝ってから
話はまとまったが、
「もう一人謝らなくちゃいけない相手がいるな」
と改まり、妻のお腹へ二人でごめんなさいをした。
荒々しい声を聞かせちゃって悪かったな。

お腹の子はまだ性別もわからないものの、
一旦は
 はゆちゃん おはゆちゃん
と呼んでいる。
名前が霊性の張力となるのだって実感としてわかってきてる。


妻に義母から電話。
縁が絶えるか絶えないかの関係である義父へ
どのように懐妊を伝えるかを話し合った。
どちらかといえば義父実家との関係性を
今後どのように結んでいきたいかが焦点となる。
おそらく僕なら最善の筋書きを用意できる。
だがそう作為的にしないでも、
なるようになれで済ませたいところだ。
人と人との縁を信じたい。
人生のたゆたいに祝福を求めたい。


2022年01月29日(土) 防災用品、セルフレジ小銭、ボランティア活動

晴れ。
休日トーストを食べ洗濯を済ませ、
10時を前に妻と西荻へ向かった。
神明通りを突き進み、珈琲売店で豆を注文。
その間に僕はTSUTAYAに寄って寅さんを借りる。
出たところで妻と合流。
セルフレジ会計のお釣りについて意見を伺ってみた。
「最近増えてきたセルフレジでさ、
小銭を入れるにあたってさ、
財布からチマチマ目当ての硬貨を取ろうとしないで、
毎回、ありったけの小銭を全部入れてしまえばいい、
という考え方があるね」
「あ。気づいてなかった。なるほどね…」
「そうすれば最適解のお釣りが勝手に出てくるわけだから。
人間相手じゃないからね、
別に多く硬貨を入れたって、時間差もないし。
でも、本当にそれでいいのかな?
なにか反対意見を出せるだろうか」
「とりあえず思ったのは、感染対策的にはよくないよね」
妻が即座に出した答えはなるほど納得できた。
人から人へと出回る硬貨は少ないほどいい。
僕の考えの方は、自動化に慣らされていって
アホに傾いていくという危惧だ。
それは単なる暗算能力の低下なんて話ではなく、
自身の力を発揮する機会を逸してしまうこと、
思考や判断を委ねてしまうことへの危惧だ。
だがこれはイマイチ伝わらなかった。
繰り返し語っていく必要があるだろう。

三菱UFJの口座から金をおろし、三井住友の口座へ預金。
共同貯金を二人別々の口座にしたから、
これまでよりも見た目の増え幅が少ない。
共同で見れば今日新たに10万円足されて650万円だけれど
実際にはそれぞれの口座に5万足されて325万円ずつ。
朝三暮四みたいなハナシだけれど…テンション上がんないな。


肉屋に行って豚バラ肉、鶏もも肉、
鶏むね肉、ソーセージを買った。
これで2000円近く。
でも税抜き価格時点から2割還元で
340円ほどの割引券をもらう。
とんでもねー割引率だただでさえ安いのに。

焙煎してもらった珈琲豆を受け取って、
帰り道、妻が花屋に立ち寄っている間、
暇を持て余して十数分間ずっと
地域活動センターの募集要項を見ていた。
地域参画型のイベント企画や
広報誌の作成など、できることはそれなりにありそうだ。
ただし任期が三年間とある。
コミュニティや地域課題の解決について、
それなりに本を読んできたから人よりは知っている方だと思う。
で、よく語られるハナシが、辞められたら困るという。
そりゃそうなんだけど。
軽い気持ちでボランティア始めようとして、
思ってたのと違うとか時間合わないとかで
急に辞めてしまう人は多いらしい。
実際、僕が手を出そうと思っても、
本当に続けられるのか、やはり見当がつかない。
そして家庭環境との折り合いもある。
副業やバイトではなく、
小遣いにもならないボランティア…
でも結果的にはこれが子育てにも役立つ、
そういう考えかたでいいと思う。
たださすがに、妻の出産を控えている身で
初めてのボランティア活動をガッツリ始めようとしても、
向こうも迷惑だろうから今は見送ることとなる。
でもいつかは、いつかはやったんぞ…。

いつのまにやら11時20分になっていたから
帰宅を前に電話で蕎麦屋に出前を頼んだ。
贅沢な話だ。
実店舗を今通り過ぎたところなのに、
コロナ禍で入店したくないからと電話して注文ときた。
帰宅してすぐ、妻は花の始末にアタフタしていた。
今日のメインはラナンキュラス。
色もあいまって乙女風味があった。

帰宅してから10分程度で出前は届いた。
僕はたぬきうどん。妻はせいろ。
妻用にトッピングで大根おろしを注文はしていたが
やや量がこころもとなかったので
冷凍してあった大根おろしを解凍して加えてやった。
一口もらったせいろは美味かったが
この店のたぬきうどんには敵わない。
美味すぎるぞこれは…。
冬の間にもう一回くらいは食べるつもりでいる。


午後はOKストアで買い物を済ませてから、
シュークリームづくりに勤しんだ。
今回はチョコレートシュー。
まずはチョコカスタード。
いつも通りにカスタードクリームをこしらえて、
チョコレートを溶かし混ぜて冷やす。

ちゃんとした工程メモ。
卵黄2コ分とグラニュー糖60gをすり混ぜて
コーンスターチ25g入れてさっと混ぜて
沸騰直前まで温めた牛乳250ml少しずつ加えて
こしながら小鍋にうつして
中火にかけてなめらかなクリームにして
もったりしたらバター入れて火を止めて
チョコ75gを混ぜる。
ラップして冷蔵庫へ。

ココアシュー生地。
薄力粉55gとココアパウダー5gを振るっておく。
全卵2コ分溶いておく。
オーブン200度に予熱。
バター45gを1cm角に切って鍋に入れる。
水50ml牛乳50mlとグラニュー糖と塩一つまみを加えて加熱。
粉類60gを一気に加えて火を止めて木べらで混ぜる、再び加熱。
生地を大ボウルに移して溶き卵を半量加える。
木べらで切るように混ぜる、馴染んできたら練り混ぜる
繰り返し…垂れるくらいにする。
シュー生地を絞り袋に入れて円形にこんもりと丸くする。
濡れた手で先端をおさえる。
たっぷりと水を吹く。
200度で20分、180度で25分、160度で10分焼成。

焼いている間に映画を見始めた。
寅さんシリーズ二作目。
…一作目の方がバツグンに良かったけど
母親の描写みごとだったな。
言葉では言い表しにくい関係性が
サラッと描写されていた。
はたして現代の作品で
あれだけ奥行きある母子関係を描けるだろうか。
寅さんの人物ありきだからなあ。

シュー生地はしっかり焼けた。
うっとりするような最高の膨らみ加減。
今回は上がけ用にチョコレートのグラサージュを用意した。
レシピも見ず、フライパンにドパッと砂糖を入れて加熱、
キャラメルにしたところで火を止めて
生クリームを混ぜ込み、
ブラックココアパウダー、
さらに刻んだチョコレートを入れて
よくかき混ぜながら
とろりとするまで冷ます。
本当はゼラチン、あと水飴も混ぜたら
もっとちゃんとしたグラサージュになるけど
今回はさぼった。

シューの仕上げ。
生地の上1/3をカット。
本体にチョコカスタードを絞り袋でこんもりと注入。
蓋部分をグラサージュに浸す。
粉砂糖を振ってできあがり。
なかなか見た目もよい。
味もよかった。
チョコレート尽くしだから生地が負けるかと思われたが
シュー生地も焼きたてはなかなか強く、
ちゃんと風味を堪能できた。


防災用品の見直し。
買うべきものがたくさんある。
今回は必要となるかもしれないものを
片っ端から揃えていく構えだ。
しかし全方位への備えはかなり難しい。
水害、地震、火事、その他…
なんの災害がくるかもわからんし。
そのときの状況もわからない。
ただ備えはあればあるほどいいということで、
片っ端から買う。
防災避難用リュックは2つ用意してある。
あとスーツケース。


夜は大根を、この前テレビで見たとおりに作った。
大根をカット。
十字に隠し包丁を入れ、面取りをする。
耐熱皿に水を入れて大根を浸し、
表面におでん出汁の素でかける。
濡らしたキッチンペーパーを乗せて
ラップしてレンジで数分温める。
そっから茹でる。キッチンペーパー乗せたまま。
10分ほど茹でたら火を止めて5分おいて味を染み込ませる。
味見してみたところ…美味しくない。
味はいい。
だが大根の食感がかなり悪い。
これが電子レンジによる調理のせいなのか
大根の品質のせいなのかわからない。
また作ってみるとする。

あとスタミナをつくってみた。
定食屋にある、濃いめの野菜炒めだ。
僕が食べたいのは、
両国の定食屋「きじま」の絶品スタミナ。
小学生のときの記憶を頼りに、
ごま油で玉ねぎと白菜とニンジンと
豚バラ肉ともやしを炒め、
醤油と水で溶いた片栗粉を入れてあんにして、
かるくコショウを振ってみた…が
当然ながら記憶の味には程遠い。
で、醤油を少なめにして
ソースを入れてみたら、かなり近づくような気がした。
こちらもまたチャレンジしてみよ。

連城三紀彦の白夜を読み切った。
中盤から後半にかけて
ガーッと読み進めてって気持ちよかった…。
一気読みは久しぶり。
ゼロからこの物語を構築できるのがホント圧巻。
フィクションの凄みを見せつけられた。


いろいろ刺激は調達しているけれど
トキノが書き進められていない。
でも焦らない。
いやちょっとは焦ったほうがいいのか。
でも焦らない。


2022年01月28日(金) 立てこもり中継、個人情報まるだし、世代交代速度

晴れ。
朝っぱらからニュース番組は
埼玉の立てこもり事件でもちきり。
と思ったらリアルタイムで確保。
犯人のパトカーで搬送され、
人質とされていた三人も救急車に乗せられていた。
それかも中継ですといって現場を映し出しながら
事件を説明していたのはNHKでも民放でも変わりなかったが
どう言い繕ってももはや中継の必要はない。
意味はないとは言い切れないが必要はない。
立てこもりと即時報道は
浅間山荘からの神話が永続している感じ。
そりゃ耳目集めるわな。数字とれるんでしょう。
今回の事件は、被疑者のご家族が亡くなった病院から
主治医と理学療法士、介護士が3人連れ立って
被疑者の自宅へ弔問にきたところに猟銃を発砲、
立てこもりとなったらしい、
そのあらましを聞いた妻がそういえばと語りだしたところによると、
10年ほど前に50代の息子が父親を殺害した事件があり、
その動機が、カナエという女みたいな名前をつけられたからだった…
「嫌だね、ネットで調べちゃうと。
本当は気にしなくていいんだろうけど。知っちゃうとね…」
と嘆いていた。


弁当は昨日の筑前煮。
あっためて汁気をぬいて詰めるだけ。
この汁気を抜かなかったばっかりに
過去なんどか煮物の弁当で失敗してきてるからな。
弁当から汁気が染み出してランチボックスはおろか
バッグ内の荷物が濡れてしまうのはとても悲しいものだ。
とてもとても悲しいものだ。


連城三紀彦の白夜読んでる。
他人の人生が書き連ねられているだけで面白いな。
よくいう小説の魅力に、登場人物の人生を追体験できる、
というちょっと浅薄な見方がある。
しかしまあ、個人情報が繊細に扱われすぎる現代にあって、
こうまでまるまると赤裸々々々々々々に
人物の人生を裏の裏まで見せてくれるというのは、
他人のプライバシーを覗き込んでる窃視の背徳感があり、
いやでも興味が湧いてしまう。
こんなに個人情報まるだしってことあるの。
漫画でも映画でもここまで執拗には追わないからなあ。スゴ。


思い出したこと。
この前テレビで
今の中高生に人気の芸人ランキングというのをやっていて
ものすごいこっ恥ずかしさを感じた。
テレビ番組の企画だからそうは見せてないけど、
そもそも今時分の中学生はそんなに芸人に興味ないでしょう。
だから名前を見聞きするだとか、
いつぞやたまたまテレビで見かけてインパクトあって覚えてたとか、
そんな認知度のレベルで票が投じられていったように思えるのに、
ランキング化したら上位が「中高生に人気」となる。
その大人たちの世界の狭さに恥ずかしさを覚えた。

でさらに思ったこと。
今どきは中高生に人気なのはYoutuberなわけでしょう。
…という認識ですらあやしいこと。
ここでポイントなのは後半ではなく前半。
「Youtuberかどうか」ではなく
「中高生」のところ。
僕ら世代が入手した情報からイメージを立てている「中高生」は
現実はたぶん、もう「高校生以上」だ。
2、3年で入れ替わっている世代のエスカレーターの速度に、
多くの大人はついていけていない。
ついていけなくてもいいのだけど
その自覚が足してないことが多い。と思った。


夕飯は豚バラカルビ。
肉屋で買った味付きの、焼きゃあいいやつ。
これをサニーレタスといただく。サンチュ風に。
コチュジャンにもちょっとだけご登場願って…。


Eテレで性と生の学問とかいう番組がやってた。
マスターベーションと言語学、というお題目に惹かれ
自慰を構造主義とかで解体していくのか、
記号論に結び付けていくのか、
それなりの期待を込めて見てみたけど
辞書的な語彙の領域の上澄みをさらっただけで
言語学でもなんでもなかった。
Eテレでこういう真似すんのか。
気分悪いぜ。


妻から
ハイサイおじさん
という曲を教わった。
志村けん扮する 変なおじさん の元ネタらしく、
沖縄民謡がベースにあるようだ。
沖縄っぽい曲とか楽器とか大ニガテなのだけど
(偏見ではなく生理的に)
これにはハマッた。
躁?ってくらいハシャギたおす男女の古いバンド。
そこに祭りとか祝祭の感があって
演奏している場を異空間にしていた。
ドラッグ的に脳にうったえかけるような侵食感がある。
これスサマジー。


2022年01月27日(木) 呪詛、安直の究極、江戸東京博物館

晴れ。
こう記録してみると冬ってだいたい晴れだな。
朝起きて晴れてるとそれだけで気分がいい。

弁当は牛肉と玉ねぎのオイスター炒め。
しかし牛肉が十分量ないし
冷凍保存してから日が経っているので
こちらは自分の分の弁当とした。
妻には冷凍ソースカツとしじみの佃煮。
トースト食べてゴミをまとめて着替えて朝支度完了。

腰はまだ痛い。
腰に負担かかるとわかりやすい信号が走る。
ビキキ って。
年か。これが。もう。
昔の芸人が脳内に登場して
 おし マイケル
と茶化す。
こちらで勝手にご登場願ったあげく悪いのだが
うるせえよと思う。


どいつもこいつも死んじまえという
小便臭い呪念が晴れない。
誰も彼もが幸せでありますように、
生の祝福にまみれて過ごせますようにと心から祈り、
またその理想に向けた社会の実現へと
接近させるような努力だってしているはずでありながら、
無差別的な呪いを膿ましている。

ブッ殺してやりてぇという少年的な攻撃性ではなくて
ただただ死ねというフレーズが無限発生するだけの少女的な呪念。

このテの膿みは珍しいものでもない。
そのへんのひとトッ捕まえても
心中漁れば似たような怨嗟が埋もれているだろう。
ただ、これを外へ表すとイタイとされる。
表すにもレベルがある。
公然と言う。
SNSでつぶやく。
ノートに書き残す。
裏紙に書いて捨てる。
誰にも聞かれない独り言でつぶやく。
心の中だけで唱える。…

うまくいかないことがあったら
やにわに
死ね、死ねというフレーズが湧く。
このとき、死ねという音韻が先立って、
実際の希死は想起されていない。
この際善悪とか小便臭さとかよりも問題なのは、
本来対話をはじめとした関わり合いや
心身の修練によって止揚させていくべき対立概念を
いっせいに無化させるために
死ね
という言葉が採用されている点だ。
安直の究極。
リセットボタンを押したがるガキの心理とさほど変わらない。

が、心の奥やどっかには、あるもんだ。
非論理的な呪詛が。
多少なりとも自意識に敏感な人間には。
それをむき出した者から叩かれるというのも難儀な話で、
僕は見て見ぬふりしないために、
受け入れるために、
自覚深めるためにここに書き残す。


江戸東京博物館が改修工事に入るらしい。
営業開始から30年経ち経年劣化が問題になっているようだ。
30年。
江戸東京博物館は僕が生まれ育った家から徒歩10分程度の場所にあり、
落成を楽しみにしていた覚えがある。
小学校低学年の頃にはよく通いつめた。
地下一階にある視聴覚コーナーは当時
入場料がかからないスペースで
ただ単に暇だったから、ただ単に冷房が涼しかったから、
よく友達と入り浸っていた。
東海道中膝栗毛を題材にしたスゴロク式のビデオ映像がお気に入りで、
飽きもせず何度も何度も堪能していた。
あの場所が喪われてしまうとなると
それなりの寂しさがある。
工事は4月からか。
3月中に一度行けたら…。なんとしてでも行きたい…。


夜は筑前煮。
干し椎茸は一晩かけてもどすのが一番おいしいけど
うっかり忘れてたから
水とともに容器に入れてラップして
電子レンジで2分半温めてもどす。
ごま油で鶏肉を皮目から焼き、
小さめの一口大にしたタケノコ、ニンジンを入れる
こんにゃくは別鍋でアク抜き。
しいたけは戻し汁ごと入れる。
めんつゆ、醤油、みりん、酒を加えて
20〜30分ほど煮る。
火を止めて5〜10分ほど置いて
味を染み込ませたらできあがり。

うめえ。


食後、どうしてもとねだられて
数字であそぼをを数話一緒に読んで、
それから子どもの名前の検討をした。
妻は古い電子辞書を持ち出して、
ジャンル別索引から花の名前やら
マイナー日本語を調べていた。
今日あがった候補は「鼎」。
女の子用ではなく、男の子でカナエ。
乗り気になったのはむしろ妻の方で、
提案した僕の方がやや尻込みしていた。
この感じには中国っぽさがある。
また、まず小中学生には読めないだろう。
どんな字であるか口頭で説明しがたくもある。
それに名に意を込められてもいない。
さいわいまだまだ時間はあるので、
これを候補と置きつつ、これからも探していく。


2022年01月26日(水) 寝坊、ユートピア、生と死、ロゴスへの反逆

曇り。
寝坊した。目が覚めたら8時10分。
スマホをマナーモードにしたまま眠ってしまったようだ。
20分で全てを完了させなければならず高速で動いた。
弁当はオムライス。
8分でチキンライスを仕上げて2分でオムレツ。
トーストを焼き、バター塗るのだけは妻に任せて、
着替えながら食べて着替えて顔洗って歯磨いて荷物まとめて
洗い物以外は大体やりきって8時半に家を出た。
やりゃできんじゃん。

オムライス弁当はしっかり美味かった。
あんな粗雑な作り方したのにな。


ユートピア。
我ながら惚れ惚れするアイデアによって
ある像が結ばれているが、
その像の位相をちょっとずらした第二案を夢想してみた。
あまり現実味はないけど。

それは一部の人には理想とされる二重生活、
「都市と地方にそれぞれ拠点をもつ」スタイルを秩序化したものだ。
都市生活に嫌気が差して田舎に移住はしたが、
週に一度なり月に一度なり、街に繰り出したりもしてみたい。
ということで、大都市を…わかりやすく23区を経済特区として、
住人を追い出してしまおう。
それ以外の、店舗を構える店は生きている。
飲食店も服飾店も雑貨店も歯医者もマッサージ屋も
宝石屋も本屋も不動産屋も建設業者も運送業者も
特区内の商業従事者はみーんな公務員となる。
江戸時代にならって木戸門を設えよう。
時間帯によって開け閉めされる。
人々は東京といういわばテーマパークに
「やってくる」こととなる。

言ってることはめちゃくちゃなんだけど
夢想ってのはめちゃくちゃでいいのだ。
核心さえぶれてなければ周縁なんぞどうとでもなる。
核心は、東京という概念から起こせる価値の
極大値の探求だ。
その無防備な東京像、とってもワクワクする。


21時50分帰宅。
ノータイムで夕飯。
っつっても冷凍パスタ。
あたためればできあがる。
しかし2コいっぺんにともなれば
10分ほど温める必要があり、
温めの前後1分ずつを勘定すると
自分でイチから作る時間とそんなに変わらない。
とはいえ二人前で二種類の味が楽しめるのは魅力だ。
妻は蟹とブロッコリーのクリームパスタを、
僕は牛挽肉と茄子のボロネーゼにした。
どちらも美味しかった。油っこくてな。


もっと生物が身近にあった方がいいという話をした。
正確には、死が。
都市生活では死を忌避するあまり
死に類する属性を排斥しすぎてしまう。
虫の死骸でも枯れた花でもそうだし、
老いでも病でも
町のゴミやガラクタでもそうだ。
死から遠ざかった位置を「正常」とされている感覚。
もっと死は生と地続きであると、
不分化のものであると見なしてやるくらいがいい。

これは僕にとってはロゴス市場主義への反逆だ。
何かと何かじゃないことを弁別しないこと。
境界をまやかして、あやふやにものを見ること。
名付けの少ない世界に希望を見出している。
少なくとも日本においては
これこそが希望に通ずるはずだ。
というより、これと逆の道こそが絶望に通じやすい。


寝る前、一緒に数字であそぼを読んだ。
大学数学はサッパリわからない。
数学科だった兄が当時
大学数学は高校までとは全く違う、
ほとんど哲学みたいな領域、
お前は数学と言えば計算と思ってるだろうが
別に計算なんかしない、
数字すらほとんど出てこない…
などなどとどこか誇るように愚痴っていたのを思い出す。


2022年01月25日(火) 有休、寅さん、電車内暴行、小論文

晴れ。
今日は有休。しかも予定らしい予定もない。
のんびり朝食。
弁当作らないでいいと朝が楽。

普段はじっくり見れない、NHKのアサイチを
妻と一緒にアホ面で見た。
シミシミの大根を30分で作るには。
そりゃあ電子レンジ使うんだろうとわかっちゃーいたが
番組では粉末状のおでん出汁のもとを大根に振りかけてから
キッチンペーパーをのせてラップして12分温めていた。
であとは10分煮て5分置いてできあがり。
ずっるー。
そりゃ美味いんじゃないのー。
でも今度やろう。


午前のうちにOKマート行って
また大量に食料品を買い込んだ。
帰宅後、入浴。
長風呂して読書。
それから洗濯。
できる家事を一通り終えて
しばし原神やった。

昼飯は焼きうどん。
キャベツとニンジン、しめじどっさり。
平日昼間に夫婦で飯を食べられるのは良い。
たらふく食らって、
眠気に耐えられないという妻を十数分だけ寝かせた。


映画鑑賞。
男はつらいよ。
子どもの頃に観光バス内の垂れ流しビデオで見たことはあるが
一本通して鑑賞した覚えはない。
何作か見てみるつもりでシリーズ一作目を見た。
渥美清すご…。
こんなにも鋭い口上切れるのか。
勢いづいたまくしたて、
たたみかけが気持ちいい。
寅さんの存在を理非ひっくるめてヨシとするには
現代に馴染んだ見方を一旦カッコに入れてやる必要があるが
そもそも解釈のコードが自分の中にもあると気づいた。
親だな。
あれは実母がヨシとしている人間像だ。

寅さん90分で見やすいし5作目までは見てみたい。
でも最高傑作と謳われる17作目も…。そこまでなっげえな。
週に2本見ればあと2か月。ならいけるか?


映画見終えたあとはちょっと読書して
ちょっとトキノ書き進めた。
夕方、妻が仕事を切り上げたタイミングで
西荻にDVDを返しに行…かなければならないはずが、
ここ数日賑わっている
「電車内で煙草を吸っている男を注意した高校生が
十数分にわたって暴行された」事件について
話し込んでしまった。
論点は世間での騒がれ方と同じく
・いかにも危なげな相手に注意をしにいったこと
・暴行されているのに周囲が止められなかったこと
この二点が軸。
僕はこのニュースが報道されてから、
全国の多くの家庭で
子どもをもつ親たちが
「だから危ない人相手に指摘なんかしないように」
といった”正しい”指導をしているであろう教育について
掘り下げて語った。
妻は、周囲の人間が行動を起こせなかった現実と
静観した判断そのものの妥当性を受け入れながらも、
それでもなにか動くべきだったと主張した。
「だって、その後の本人にとって全然違うから。
“あのとき誰も助けてくれなかった”って、
本当に、心に大きな傷を残すと思うよ。
仮に、暴行がいきすぎて亡くなったとして…。
親にしてみても、
“どうして誰も助けてくれなかったんだ”って、
絶対やりきれない。
それがね、”助けようとしてくれた人がいた”だと、
やっぱり、全然違うと思う」
起こった事実と結果のみならず
心理心情に重きを置く見方はいかにも彼女らしい。
世の中捨てたもんじゃないといえる希望か、
世の中やっぱりそんなもんだとする絶望か、
検討するまでもなく希望に寄せる方が
とうといに決まっている。


西荻へはDVDを返しに行くだけだったから
往復10分で済んだ。
ブランキーの不良の森が10分弱。
ちょうど1曲終わったところで帰宅できた。


東京、新規感染者数1万2000人超え。
2月末にある従兄弟の結婚式について
少なくとも妻が不参加となる旨を打診しなければならない。
僕の方はギリギリまでねばってみるつもりでいる。


夕飯は唐揚げ。
昨日の夜に冷凍してあった鶏もも肉を切りもせず
醤油塩コショウ生姜ニンニクの液ダレに漬け込んでおいた。
それを一口大に切っていき水分をとる。
今回はネギダレをかけていただくから
いつもよりしっかり塩分まみれの水分を取っていた。
ボウルに薄力粉をドバッと入れて
肉にまんべんなくもみこみ、
さらに片栗粉をドバッと入れて
肉の表面にまぶしていく。
ネギダレは黒酢と醤油に砂糖を溶かして
長ネギ刻んで入れて煮詰めたもの。
肉をフライパンで揚げ焼き。
両面5分ずつくらい、かるく焦げ目がつくくらいで
油をよく切ってできあがり。
山盛りのキャベツに乗せる。
おぉうまいぜ…。
うまいけど僕はネギダレのビショビショ感が
あまり好きじゃないからそのまま食べた。
が味の調整がうまいこといっていただけに、
そのままだとやや味が薄かった。
まあいいか。
本来は塩分抑えなきゃいけない身の上であるし。


だらっとなんとなくハートネットTVを見た。
健常者と障害者のふたりたび。
前半は男性同士、ヤンキーと車椅子生活者。
二人は旅先でALSの患者を訪ねていた。
車椅子生活者の方がSNS上で交信しているそうだ。
寝たきりではあるようだが自宅の設備が充実していて
視線の動きで文字入力ができ
即時読み上げ音声が出力されもするから
それなりのコミュニケーションがとれていた。
 できることは全部やっておくこと
というメッセージを送っていた。
グッときてしまった。

後半はギャルと視覚障害者。
見晴らしのいい拓けた場所に出てきて
一面に野原を見渡せる光景を見たギャルが
「地球の半分くらい見えるー」
と言っていて
これ出すトコに出せば
まぎれもない名言だよなあと感心した。
彼女にとって地球の半分くらいに違いなかったわけだし
この強固な主観は
詩の本質に迫ってる。


手作りのアジール、寅さんに言及している箇所だけ妻に読ませてみた。
面白い、と
大学一年生向けという感じだね、の二言。
貪欲さが足りない。


本読んでて小論文のことを思い出した。
高校の時きらいすぎた。
苦手だった。
当時すでにエラソーな文章は書き散らしていたし
能力的にはさほど問題はきっとなかった。
しかし、小論文という体裁、枠組み、望まんとするところが
とうとうわからなかった。
意味不明だ。
あと多分、あれって手書きだから
文章を構成する脳の回路がまるで違っていた。
そして一秒も小論文のことを考えたくなかった。
小論文て言葉見聞きするだけで吐きそうだったな。

寝る前に読んでる日本語が危ないの本で
ギャル文字やギャル文化について文人らが
トークをしているさなかでの
高橋源一郎の言が面白かった。
「eggというギャル向け雑誌を購読してみている」
「読者投稿によって成り立っている文化がある」
「数年間追い続けて本を読んだ感想という投稿が一件だけあった」
「読んだ本は”世界の中心で、愛をさけぶ”。」
「感想は四文字」
「『意味プー』」
「衝撃と感銘があった。こんな簡単な小説も読めないのかという驚き」
「そして実は、この四文字で批評が成り立ってるんじゃないかと…」
異様にツボにはまってしまい、しばらく笑った。
意味プー。
ああ、いいな。意味プー…。


2022年01月24日(月) 介護、市民的成熟、自己都合

晴れ。
月曜朝とはいえ明日が休みだと思うと張り切れる。
先週と同じくコーヒーは多めに入れた。
着替えはめちゃ厚着。万全。

弁当は牛丼風。
玉ねぎと牛肉いためて、
肉屋で牛肉買ったらついてきた牛丼のたれを合わせて
ただ煮込んだだけ。

朝イチでヤングケアラー特集。
中学生の頃から認知症の祖母とうつ病の母を介護してきたという
女性を取り上げていた。
直感的に、そりゃタイヘンだ、そりゃかわいそうだ、
といった感情が湧いてくるが、
それはつまり彼女の境遇を特別視しているからであって、
ほとんど「例外者」と見なすに等しい。
だが彼女の境遇はもっと身近でありふれているものであると
認識すべきだろう。
どこにでもいる、スタンダードな例であると。
そうしないと数々の取り組みから振るい落とされてしまう。

番組では、中学生の17人に1人が
ヤングケアラーであるという数字を伝えていた。
衝撃的だ。100人中6人か。
この割合は今後増える一方であるのは間違いなく、
覚悟しておく必要があるのだが
自分自身に覚悟が足りていなかった。
現時点でその数字は恐ろしい。

この先老人は増えるばかりであるし、
若年層は減るばかり。
医療の進歩は長寿化を促し
健康寿命をも延ばしうるけれども、
双方には大きな開きがある。
しかし医療の進歩は「いいこと」で、
長寿化、死を遠ざけうる可能性の検討も「いいこと」だから、
この流れを誰も止められない。

ヤングケアラーを支えるためには
衰弱しつつある行政の福祉サービスだけではまかなえない。
市民の一人ひとりが何かを諦めていかないといけない。
増税と言われれば多くの人間が憤るが
ことを単純化させてくれていると思う。
じゃあ互助的な地縁を結んでいけるのか。
日常的にボランティアに従事できるのか。
消費社会が日々絶え間なく刺激してくる欲望への刺激に耐えられるのか。
「何を諦めていける?」
この問いが迫ってきている。

僕はボランティア活動に従事して行きたくはある。
地縁だって深めていきたい。
何も望んでやりたいわけじゃない。
ただ、諦めの一環として、
見て見ぬふりせず向き合っていくために、
すべきだからやるという話だ。

多くの人が
社会とただ呼び習わしているその社会は、
成熟した市民を成員として構成されている集合体を
前提としているくせに、
自分自身の市民的成熟からは無関心すぎる。

でも考えの及んでいない未成熟な市民も
社会の立派な成員ではあるのだ…。

「人は思っているより多い」
と最近つくづく思う。
なかなか伝わりづらい観念だけどものすごい大事。


弁当美味かった。
自分で作る牛丼より美味かった。さすがにな。

関連会社でコロナ陽性者が出た。
とうとうって感じ。よくここまでもったな。
でも弊社には濃厚接触者なしとの判断で、
 みなさんも気をつけてね
で終わり。
せめて仕事に余裕のある人間だけでも
残業なしであがらせてやれと思うのだが放置。
遺憾ながら自己判断で後輩に定時で上がってもかまわないと告げた。
しかしこの後輩は
「かかっても無症状って話なんで…」
とノンキしていて
結果的に僕の勝手で帰らせたような格好になった。

わかっちゃいたけど物事の基準が自己都合にかかっていて幼稚にすぎる。
僕より歳上なのだけどな…。
なげかわ…し…。


帰りには西荻のTSUTAYAに寄って
映画1本を返すと同時に
寅さんをイヨイヨ借りた。
シリーズ一作目。
こいつ今の社会問題意識を解決はしてくれないだろうけど
糸口を与えてくれそうな気がするんだよな。

夕飯は明太子。
先日の妻の希望をかなえた格好となる。
しじみの佃煮。味噌汁。
美味しい…。しみじみ美味しい。
これに煮物がありゃあ完璧なんだけど。


食後、風呂入るのが煩わしくって
今朝考えた話を妻に聞かせたりした。
そして家を買うことへの戸惑いの気持ちも語った。
…社会善と自らの幸せとを調和させて、
どちらかに傾かずどちらにも折り合いをつけて相克していく、
その答えを出すのではなく絶え間なく答えを出していくことが
「大人」に求められる生き方だと思われるのだが、
社会善と自らの幸せは対立はあまりにも容易く対立する。
家なんぞ買って、安全圏でふんぞりかえってていいの?
って気持ちがある。
正直なところ、妻がいなかったら僕は、
あちこちの都市をまわって地域の事務所を訪ね、
あるかないかの賃金で糊口をしのいで
自分にできる手伝いをしていく、そういう生活をしちゃうと思う。
でも
自らの幸せ
を見限ってしまうのも問題だ。
人には、自らの幸せだって追い求めていいんだよと言ってあげたいし、
自らの幸せあってこその社会奉仕だよとも諭してやりたい。
なればこそ、それをいう自分自身が
"エゴイスティックな"幸福追求をあんまり手放してしまうと
説得力というか
理論に重みがなくなって
ふわふわしてしまう、きっと。


毎日いろいろ考えてるなあ
こんど一日くらいはなぁんも難しいこと考えんと
ただただ遊んだり呆けたりするお休みの日を設けてもいいかもしれない。
なんでもかんでも思考に結び付けられる今は
ある意味では絶好調だし別にそれで疲れたりもしないけど
メリハリはいるからなきっと。


2022年01月23日(日) 読書、アジール、老害

起きたら8時半を過ぎていた。ぐっすり。
よく眠れて気持ちがいい。
でもまだ腰が痛い。
グッと体を起こす際に痛む。
昨日よりはちょっとましになったくらい。


休日トースト食べて
さぁと動き出すこともなくだらだらとテレビを見た。
白井なんとかいう建築家。
渡仏しても勉強つまらぬとかなっちゃって日本戻ってきて
地方の小さい仕事をそつそつとおなしていたようだ。
当時の流行…モダニズム設計に反して
無意味な空間の多い不合理な建物を残している。
自宅は滴々居と名付けているがこれは雨漏れするからとのこと。
いや実に良い家だった。

ソファにかけながら本を読んだりして午前中はのったり過ごした。
寒い。
あんまり寒いから昼飯をはやめに作ることにした。
チャーハン。
ベーコンとキャベツで。
めたんこ美味かった。

飯食い終わって図書館。
返すもん返して、シュークリームのレシピ本借りて小川洋子を予約した。
OKマートで買い物。
結局吉野家の缶詰見つからんかったな。500円…。

妻は文芸同人仲間とオンライン飲み会。
僕はひたすら読書。
その時間の充実にあたっての位置を整える。
居間には一人掛け用ソファを二台並べているが、
一台を90度回転させてクッションをずらすと、
頭と腰を傾けて預けられるようになる。
そのだらけた、安穏とした姿勢で本を読んでいると眠気が襲ってくる。
あらがわず寝る。
起きたり読んだりを繰り返しながら30分くらいは寝たか。


夕方、掃除機掛け。
終わった後に、冷凍しておいたみかんをいただいた。
夏の給食でたまに出るのスキだったのよな。
食べにくいけど。やっぱり好き。


シャルル・フーリエのファランジュについて調べたい。
というかちょっと調べて興味を持ったから本で読んでみたい。
1620人程度の、自給自足の共同体。


Eテレの
ターシャの森という番組を見た。
ターシャ・テューダーはアメリカ人だったと思うけど
番組が取り上げていたのは北欧の一家? わかんねえな…。
三つ編みの似合うやたら可愛い幼女2名が
無口そうなお父さんと
ターシャの残したレシピを参考に
パンケーキみたいなのを作ってた。
見た目がかなり不格好だったのだけれど
幸せココにありという感じで
見せつけられたというな感があった。


夕飯はハヤシライス。
玉ねぎじっくり炒めて、
生のトマト1コ使って、
赤ワイン足して
オタフクソースも足して、
できあがりには生クリームもかけた、
味付けマシマシの極旨絶品の仕上がり。
さらにトロトロのオムレツでも乗せりゃあ
そりゃあ昇天ものの美味しさだろうけど
いかんせんカロリー激ヤバだからなそこまではできない。
でもお茶碗3杯分くらいは食べた。
食べ終わってから眠気。
わっかりやすく血糖値アゲアゲ。あぶねえな。


Eテレで美術番組。
抽象画描いてる78歳のおっさん。
フランスにおける絵画の賞で最高峰の栄誉を授かったりしてるらしい。
でも落書きにしか見えない。
あまりにありふれた月並な感想だけど。
抽象画、抽象画ね…。
おっさんは若い頃ピカソと対面する機会があって、
そのときこういわれたそうだ。
「私は1秒ごとに作品を創り出している。
お前とこう向き合っているだけで
その時間が失われている。
お前は私から生まれる作品を奪っているに等しい」
みたいな言葉。かっけえな。
おっさんがそれにどう応えたか、
おっさんの口述がヤタラわかりにくかったけど
要は目を逸らさなかったから
それで気に入られて
明日からオレんとこ来いってなったらしい。
でも40歳までくすぶってたとか。

もう長らくフランスに住んでフランスで活動しているそうだ。
ところが折悪しくコロナ禍でフランスに帰れなくなってしまった、
その期間に姫路の西島に行った一部始終を取材は追っていた。
この西島は日本神話において、
ここから日本という島国を形作られておりましてうんぬんと
宮司が説明していた。
で今はどうかといえば、
生コン採石のために禿山となっている。
それもまた今の日本を形作っていると思えば、
と宮司は肯定的に捉えており、
おっさんはおっさんで
ウンウンこれはこれで美しいとか言ってる。
でもおっさんは
社会全とか社会悪とかいうレベルじゃなくって
自分の美でしか審理していない。
経緯がどうであれそれに伴う問題がなんであれ、
今見えているその景色が自分にとって美しい……
ここまでいってると、いききってて良いなと思った。

おっさんは島に一つの小学校に赴いて(招かれて?)
子どもたちに絵を描かせていた。
20畳ほどの大きな画用紙2枚に、
それぞれ火の神、海の神というお題で
思い思いの絵を描かせる。
で一段落ついて子どもたちが給食食べてる間に、
上から思い切り水彩を塗りたくっていった。
子どもたちの絵が台無しに。
でもこれも、
自分の美しか見てないという点では良かった。
子どもたちの絵は糧。
大事なのは自分の芸術。いききってる。


妻が文芸同人仲間と話していて
次の同人誌のテーマをどうするか悩んだ結果、
アジールにしたらしい。
別に僕のものではないが、
それでも重要なテーマをぱくられたような意識が働く。
アジール。
時の権力が及ばない場所。
原初にはすべての土地がアジールであり、
権力機構による統治、支配の始まりとともに、
アジールは駆逐されていく。

現代の子どもたちに、
これという逃げ場のないのがカワイソーだと妻が言う。
しかしここにはパラドックスがある。
子どもたちにとって大人たちの目が届かない逃げ場が
もし本当にあるのなら
それは大人たちにバレていないわけだから、
こうして間抜けにも僕たちは、
逃げ場がなくてカワイソーだね、と言いおおせてしまう。
という逆説が成り立つ。
そう言い聞かせてやると
自分なりに納得していた。


寝室では日本語文衰退の憂いみたいなテーマの本を読み進めた。
国文学研究者や中国史研究者、小説家、俳家といった
現代国語の関係者を多く集めて
彼らの意見を寄せ集めた
軸があるようなないような
芯が通っているような通ってないような本。
語ってる面白いんだけど、
現代への憂いみたいな部分には難がある。

老害、について。
もう10年くらいは前だったか、
現代的価値観に対応しきれていない年配者の振る舞いや難癖を
老害
と名付けて反感の共有ができたところまではよかったにせよだ、
今や「老害的なもの」を片っぱしから「老害」とレッテル貼りしてしまい、
明らかに行き過ぎている。
なんでもかんでも肯定するわけにはいかないが
なんでもかんでも否定的態度で臨む構えも愚か。
温故知新の言を持ち出すまでもなく
前世代の言には玉もある。
それを石々のなかから発掘せよという話でもあるし、
また「自世代の肯定」にも接続されるがこれについて省く。


それらをこんなにも踏まえた僕がなお思う。
この本、「老害」臭が強い…。
「だから今の若い人たちには想像力がないんです」とか言っちゃう。
いや、発言の切り抜きじゃなく全体の論に沿ってみれば、
僻見や牽強付会が認められるとはいえ一聴の価値はある、
しかしこんな語り口じゃ
“此岸の面々”の納得は得られても
“彼岸の面々に”一聴してもらえんだろうという。
一部のフェミニズムもそうだけど、
「向こう側に声を届ける」にあたって
声を大きくすることばかりが取り沙汰されて、
耳を傾けさせる態度にかけているのは問題だ。


読書、読書、読書。
読書量が足りない。
全然足りない。


2022年01月22日(土) シュークリーム、映画、夜散歩

晴れ。8時起床。
どっさり洗濯して干したら
OKマートへお買い物。
防災用のつもりで食料品をかなりの量買い込んだ。
吉野家の牛丼缶詰を2コ買った。
ほぼ5割引でも490円。
ただし2024年までもつ。すげえ。
と思ってたら帰宅後、1コしかないのに気づく。
会計後、商品を入れる際に落としてしまったかと、
一応店舗に電話を入れた。
届いてはないが、もしそれらしきものが見つかったら
電話をくれるとのこと。
忙しいところに申し訳ないが490円はデカイ…。


昼飯は焼きおにぎりと先日の豚汁。
鯛味噌でこんがりと。
午前中に見たEテレの料理アニメを信じて、
一度両面を焼いてから味噌ダレを塗って再度両面を焼いた。
たしかに形が崩れず、かつ美味しくできた。
晴れた日の和室に
焼きおにぎりと豚汁の湯気はよく似合う。
気分のいい休日。


午後、西荻へ。
肉屋で肉を買い、古本屋を見て、
八百屋で野菜を書い、TSUTAYAで映画を借り、
そっからさらにもう一つの古本屋へ行って、
でリサイクルショップでテレビについて相談。
家電の寿命は7年ほどという業界基準みたいなものがあるらしい。
で、
リサイクルショップに買いに来る人というのは
賃貸住まいの一人ぐらしが多く、
すると多くの賃貸契約が2年であるから、
買い替えを見越して最低でも2年は動くような製品を売りたい、
だから店が中古品を買い取れるのは製造5年以内のものとなる…
とても納得のいく説明だった。
うちのテレビは何も不具合ないけれど
もう10年経ってるからきっと処分には費用がかかってしまう。

帰り道、これまではたぶん休業していた古本屋が開いていたから立ち寄る。
けっこうカタメ。
久生十蘭の未読作が売ってたから買った。
さらに本屋に寄って本を買う。
今日は合計で4000円分くらい買ったか。
手作りのアジールが手に入ってよかった。
日常的実践のポイエティーク、
すぐ中古で見つかるだろと思ってたら全然ない。
新品で買うかな。


帰宅して、シュークリームづくり。
何はさておきカスタードクリームを用意。
薄力粉20gは振るっておく。
ボウルに卵黄2コと上白糖46g入れて白っぽくなるまですり混ぜる。
薄力粉を加えさっと混ぜる。
沸騰直前まで温めた牛乳265mlを少しずつ加える。
こしながら小鍋に移す。
バニラオイルを数滴加える。
中火にかけて木ベラで絶えず混ぜながらとろみをつける。
筋がしっかり残るくらいもったりとした状態になったら火から下ろす。
バットに広げてラップを密着させ、粗熱をとってから冷蔵庫で冷やす。

シュー生地。
まずは準備。
全卵2コを小ボウルに溶いておく。常温に。
薄力粉35gと強力粉35gを計量し、ふるいにかけておく。小ボウルに。
天板をキレイにしておき薄くバターか油を塗って、強力粉を薄くふる。
セルクル5.5cmを用意しておく。
絞り袋と丸口金、星口金、霧吹きを用意しておく。
・無塩バター 50g
・水 120ml
・塩 2つまみ
・グラニュー糖 小さじ1
・生クリーム130ml
・ラム酒 小さじ1
・カスタードクリーム 300g
・粉糖
それぞれ用意しておく。

1.バターを細かく等分に(1cm角に)切って鍋に入れる
2.オーブンを200度に予熱する
 ☆予熱完了後も必ず10分以上は熱しておく
3.水120mlと塩二つまみ、グラニュー糖小さじ1を加えて中火にかける
 ☆しっかり沸騰させる
4.粉類70g分を一気に加え、すぐに火を止めて木べらで混ぜる
 ☆全体がまとまってきたら再度中火にかけて、よく混ぜながら加熱する
5.鍋の底に薄く皮膜が張るようになったらすぐに火を止める
 ☆生地の温度が80度を超えると油脂が出てきてしまう
6.生地を大ボウルに移して、溶き卵を半量加える
 ☆木べらで切るように混ぜる 馴染んできたら練り混ぜる
7.全体がよく混ざり合ったら残りの卵を少しずつ加え、切る練るを繰り返す
 ☆卵2コ分より少なくて済むかもしれないし、もっといるかもしれない
  様子見ながら加減する
 ☆木べらから垂れた生地が、10cm高さくらいの三角形になったら生地完成
8.シュー生地を直径1cmの丸口金をつけた絞り袋につめて、
 天板に直径5.5cmの円形で8個絞り出す
 ☆こんもりと丸く
 →あんまり平べったくせず、立体的に(縦にも盛る)
9.濡れた手で先端を軽く抑える
10.30cmくらい離れたところから、霧吹きでたっぷりと水を吹く
 ☆生地を大きく膨らますため
11.200度のオーブンで20分、
  180度に落として25分、
 160度に落として10分焼く
 ☆オーブンの開閉は迅速に行う
  ☆焼成するまでは絶対に開けないこと
12.出したらケーキクーラーで冷ます
13.カスタードクリームをなめらかにしておく
14.中ボウルに、生クリームを入れてラム酒足して九分立てにする
15.カスタードを混ぜあわせる
 ☆泡立てず、さっくりと
16.直径1cmの星口金をつけた絞り袋に詰めて、
  シューの上三分の一をカットして(組み合わせが乱れないよう注意)、
  クリームをたっぷりつめる
17.粉糖かけてできあがり

だけど今日はさらに、クッキーシューにするために…
クッキー生地。
無塩バター40gをさいの目にして常温放置、
粉砂糖30gをふるっておき、、
薄力粉80gも別にふるっておいて、
全卵15gを常温にしておく。
無塩バターを泡だて器ですり混ぜ、
粉砂糖をを入れてよく混ぜる。
さらに全卵を少しずつ入れて混ぜ、
薄力粉入れてゴムベラで切るようにサッと混ぜる。
汁気がなくなったら生地をまとめて、
冷蔵庫で二時間寝かせる。前日に用意しておくのが理想。
二時間経ったら薄い円形に整形。
シュー生地の上に重ねて焼成すればクッキーシューとなる。

クリームはカスタードと生クリームを半々混ぜたもの。
これを焼きあがったシューに絞っていく。


夕飯前に映画見た。悪人伝。
マ・ドンソクが観たかっただけだけど…
凡作だった。
というか思ってたより娯楽映画にふりきってた。
音楽いらない。台無し感ある。
でもアクション映画としてならいるんだよな。
韓国ノワール映画の魅力って暴力にあって、
バイオレンスじゃない、むきだしの暴力が病みつき要素あって、
その象徴がマ・ドンソクであるのに
今作はいかにもバイオレンスだった。
これならアメリカ映画でいいんじゃないのっていう。
終盤も生ぬるいし。
ラストは取引の説明なくていいだろ…。
エンディングロールも音楽じゃなくて
暴行してる音とうめき声だけを淡々と流すだけでいいのに
なにかと勿体ない映画だった。


夕飯はお刺身。
妊婦だからと念のため絶っていた妻に付き合って
僕が口にするのも3ヶ月ぶりほどになるか。
冬の寒ブリ。
きくきく。
副菜として添えた大根はじっくり2時間にて
茅野だしの味をしみ込ませたもの。
美味しかったな。
味噌汁も同じだしでいただいて美味しかった。


クッキーシュー、ザクザクに仕上がって面白い。
砂糖溶かしてキャラメルがけにした。
めちゃウマ。
でもキャラメルの味が強くって
せっかくカスタードクリーム美味しくできたのに
(正確には生クリームと混ぜてるからクレームディプロマット)
風味が感じ取れないようになっちゃったな。
これならクッキーシューの時点で十分に美味しい。
でもキャラメルかけると見た目がグッとよくなる。


夜、妻と散歩した。
話題は主に、家の購入について。
こうした
スケールの大きい話、取り返しのつかない話、
自分の未来を規定していく話を
好まない夫像というのは世間にありふれているが、
自分もまたその一角だ。
そんなことよりも与太話か、
社会的不安についての分析、
世相、人文について語っていたいと思ってしまう。
しかし妻が懸念するように、
ローンの支払いを想定すると
家を買える年齢が迫ってきている、
確かにもう悠長に構えてはいられないのだろう。
だが都市社会学や都市史といった都市論を学ぶほど、
この「ローンで家を買う」という秩序体系自体に
反感を覚えてもしまう。
踏み切れないのは理念に因るところが大きい。

7分歩いて西友へ。
キッチン消耗品、
それなりに品質の良いマスク、
節分に向けて福豆とかを買う。
5%オフだったけど3000円越え。
出費かさんでるな。


男の子の名前が難航している。
コレ、という字や音がなかなか思いつかない。
なまじっか大量のフィクションに触れてきているから
すぐにコレはあの作品で見た、コレあのキャラを彷彿とさせられる…
とかいってすぐNGにしてしまう。
冗談交じりに、
 全一
という名前を出してみた。ゼンイチ。
全であり一。一であり全。
いいじゃん、と妻が笑う。
まさかな。
しかし我智(ガチ)は即座に否定されたというのに。


2022年01月21日(金) 腰痛、不届き者

晴れ。
豚バラ肉と茄子のバルサミコソテー。

ペットボトルの処理をしている最中に
腰をやった。
わかりやすく
 ビキビキッ
ていう。
ぎっくり腰だったら動けないレベルだろうから
それに比べれば随分軽い。
ただどの姿勢をとっても痛い。
歩けはする。ゆっくり慎重になら…。


最近よく THE BLUE HERB 聴いてる。
リリックがどうのというつもりはなく
とにかく声がいい。
曲もあいまって耳に気持ちいい。


来週の火曜日に休みを取った。
用事があるわけじゃない。
ただコロナの急速拡大に対して
会社が何一つとして措置を取らないから
自主的に一日だけでも出勤を控えておこうとする
いわば自助努力だ。
映画でもみよっかな。


弁当美味かった。
鉄板だなこれは。


東京新規感染者数9700人。
うええ。


帰りの電車、
空いても混んでもいない、
車両内にちらほら立ち乗客がいる程度の
混み具合だったのだけど、
僕から2,3mほど離れた位置にいた男性が
何かを落とした。
金属音。
しかしなんの音かまでは判別がつかない。
多くの乗客が音の鳴った方を見やった。
そこまでは日常の風景だ。
がしかし、何の音か判別がつかなかったせいか、
誰も彼も視線を切らない。
つごう1分ほど、そっちの方を見続けていた。

日常風景が変わってしまったのを実感した。
度重なる無差別殺傷事件とそれをとりまく報道、
わめきたてによって、以前よりも人々の警戒心は
あきらかに強まっている。
公共の場はもうすっかり安全ではない。
すくなくとも、安心できる場ではない。


あと駅についてからの帰り道、
暗い通りを歩いていると
自転車乗ってタバコ吸ってる不届き者が
すぐ横をよぎっていった。
まぁそれはいい。よくないけどいい。
それから1分ほど歩いた地点で、
側溝に捨てられている煙草を発見した。
まだ火がついている。
車も通ってはいなかった。
まず間違いなくさきほどの自転車男だ。
歩きならまだしも自転車からなら、
ここという吟味もせず投げ捨てたのだろう。
危ない。本当に危ない。
庭から伸びた枝葉、
道路際に追いやられた塵芥、ゴミに
どううっかり火種がうつるか知れたものではない。
この乾燥しきった真冬、たやすく火事になりうる。
しかしこんなもん完全犯罪だ。
ボヤが起ころうと、監視カメラもなしに
犯人の特定には至るまいよ。
いらいら…。
「いや燃えないから。火事とかなるわけないからw
心配しすぎでしょw」
みたいな態度とられようものならお前、おまえ…。
……。…。
暗い気分になった。


そうして帰宅してみると。
妻が伝説の少女漫画、フルーツバスケットを読んでいる。
今無料配信しているらしい。
読むほどに心がほだされていっている。
みんなイイコでみんな幸せになってほしいとのことだ。
そう言っている妻は全くひねこびてない。
今巷ではタコピーの現在が話題だが
これも読んだそうだ。
しかし子供が憂き目に遭っているのがつらいらしい。
フルバの方ははみんなイイコで、みんな幸せになってね、
みんな幸せになるんだよと繰り返し繰り返し呟いていた。


夕飯、ペペロンチーノ。
ベーコンとたっぷりキャベツで。
美味しい。
すっかり失敗知らずで美味しく、
味付けは申し分ないんだけれども
店の麺とは食感に隔絶の差がある。
レベルアップ計ってみるか。


夜になっても腰の痛み引かず。
ジンジンてレベルだから日常生活に支障はない。
これが始まりじゃないといいのだけど。


2022年01月20日(木) 朝の立ち回り、恥知らずのマクドナルド

晴れ。
7時45分からの朝の立ち周りをしっかり記述してみる。
まず居間のエアコンは前日夜に予約してあるから、
起床した時点でちょっとは暖かい。
靴下を履く。
テレビをつける。NHKにして音量を上げる。
コップに水道水をついで飲む。
フライパンに油を引いて火をつける。
玉ねぎを1/3ほど切って大きめのみじん切りにして炒める。
残りはラップして冷蔵庫へ。
鶏もも肉は指先くらいの大きさに切って炒める。
ニンジンも大きめのみじん切り。
小鍋に水を入れてニンジンを全部入れてかるく煮ておく。
キッチンの引き出しからポリ袋を取り出して、
一時的なゴミ袋にする。
フライパンに豆板醤を加えて混ぜる。火は弱火に。
その間にトイレ。
お小水を済ませて手を洗い、食パン2枚をトースターにセット。まだ焼かない。
マグカップに牛乳を入れてレンジへ。まだ暖めない。
7時50分、前日に予約しておいた炊飯器が炊けたら
夫婦それぞれの弁当箱に詰めていく。
この時点で冷凍ブロッコリーも入れる。自然解凍がねらい。
ニンジンをフライパンの方に移して、
オイスターソースを加えて強火に。
木べらでガッと混ぜていく。火を止める。
専用の小型カップに水を入れてトースターに注ぎ、
3分半加熱。
キッチン上の生ゴミをまとめてゴミ箱へ。
冷蔵庫からトースト用発酵バターを取り出しておく。
小鍋で水を加熱。
8時直前、NHKの朝ドラを絶対に観たくないので
民放にチャンネルを切り替えておく。
トーストが焼けたら電子レンジで牛乳を2分温める。
トーストに発酵バターを塗りたくり、食卓に置く。
水を注いだコップも食卓へ。
自分用のマグカップに砂糖とインスタントコーヒー豆を入れて、
小鍋で沸かせたお湯を注ぐ。
レンジの加熱が終わる直前、
妻用の電熱ストーブの電源をつけて、
寝室の妻に呼びかけ起床させる。
牛乳が温まったら少量を僕のコーヒーに注ぎ、
あとは妻用として食卓へ。
自分用の電熱ストーブもつけて、
これから着る服を温めておく。
食べ終わったら食器をシンクへ。
洗面所へ向かい、歯を磨く。
歯磨きは4,5分かけたいから居間へと戻り、
テレビを見ながらちょっとした散らかりを片付ける。
歯磨きを終えたら着替え。
スラックスを履き、半袖の肌着を身に着け、カイロを貼る。
長袖の肌着を着て、シャツ、カーディガンを重ねる。
フライパンや皿、コップなどを洗う。
弁当の仕上げ。サラダ菜をちぎって入れて、
ドレッシングを少量たらす。
僕の弁当箱は箸とともにランチボックスへ。
キッチンをさっと拭いて、
燃えるゴミをまとめる。
新しいゴミ袋をセットする。
もうトイレに行きたくなってるのでここでまたお小水。
これで8時28分。
2分間は猶予があるから、
ストーブの前で温まってる妻のもとで
わずかにコミュニケーションをとって、
30分になったらコートを羽織り、ニット帽をかぶる。
マスクを装着。
ポケットにはWimax、スマホ、
キーケース、ワイヤレスイヤホン。
居間のエアコンが1時間後に切れるようにして、
8時32分に家を出る。
この時間に出れば、急がず歩いても
信号につかまっても51分の電車には間に合う。



車両内は寒かった。足先がひどく冷える。

昼休み、弁当をたいらげた後に郵便局へ。
寒中見舞用の切手を64円が20枚分で1280円分買い、
さらにワクチン接種券申請書の封筒の分も買ってこちらはそのまま出した。
その足でドラッグストアに寄り、水と缶コーヒーを買って店を出て会社へ向かうさなか、
マクドナルドが立ちふさがる。
店の前に立ち並ぶ客が歩道を占拠しているのだ。
迷惑すぎる。
この場合、客たちをそう責められはしない。
いや個人的には文句のつけどころは多々あるのだが、
責任の所在は明らかにマクドナルドの方にある。
ここの店舗はレジカウンターが外に開かれている。
つまりレジ待ちの客を店舗内に格納できるつくりになっていない。
マクドナルドは昨日今日商売をはじめたわけでは勿論ない。
ここははじめから、外に客を並ばせる仕様になっているわけだ。
大資本がコスト削減のために。
公道に客を並ばせることを予め盛り込んでいる。

飲食店における行列にはおそらく厳しい取り締まり条令はないのだろう。
たまに列の整理を見かけても、近隣のお店の迷惑になるから…といった調子で、
おそらく法的には問題がない。
”だから”
マクドナルドに心底腹が立つ。醜い。汚い。呆れかえる。
恥を知れよ。

社会学者の松原なんとかさんは、
資本主義そのものがルールのグレーゾーンを開拓するよう動機づけられており、
この開拓したものが富を得ることが、資本主義の創造性の源泉の一つになっている…
と説いている。
まったく正しいと思うが、…が、
その”が、”が大事なのだ。この”が”に人間が詰められている。
人間。
山本七平は書いてたっけな。


東京新規感染者数8600人。
前日比1000人増は微増ではないが割合でいえばドカンという印象は薄い。
しかし検査数の限界や、わざわざ検査してない人まで含めると
潜在的にはもう相当数に昇っているだろう。


帰りは西荻に寄って、
TSUTAYAで映画を借りられないものか下見。
ねらっていたタイトルは検索機にひっかかり、
ジャンルも知れたがあるはずの場所にはなかった。
図書館のように、現在位置を知らせるようにもできるはずなのに
こういうとこでつまづいてるから
配信サービスに遅れをとりっぱなしになるんだよな。
自分もTSUTAYA店員だったからこそいう。
まぁじっくり探す面白さこそが店舗の魅力なんだけれど、
今日はとっとと帰りたかったから諦めた。

八百屋でいくらかの野菜を買ってMyROADへ。
この施設に入るための入り口にあたる階段には
高確率でウーバーイーツに従事している人間が
堂々と自転車を止めて座り込んでいる。
煙草を吸っていることも多い。
そして大抵、やや強面でふんぞりかえっている。
僕は彼らを町を腐すゴミだと認識しているから
蹴るか蹴らないかのすぐ間際を大股で踏み歩き
舌打ちを一発だけする。
マクドナルドの例の通り
彼ら自身よりかは
こうした現実を容認というか前提においている
ウーバーイーツのシステムに問題があるのだけど
こいつらにも恥を知ってほしいんだよな。
お前ら一人ひとりの心がけ次第で
ウーバーイーツへの僻見や悪評だって
確実に翻しうるのに
真逆のことやってる。
あのバカげた経営戦略にのっとって
個人事業主って扱いにされてるけど
看板背負ってる以上は
真っ当な振る舞いを心がけるべきでしょうに
バカだから自分勝手に振る舞って
社会が悪いとか政治がアホだとか
見当違いの文句言ってる。


気分害されながら施設に入ってみると
BGMにあの
オフィシャルヒゲなんとかいう害音が。
メロディーも歌詞も歌詞の乗せ方も
リズムも編曲も演奏も
あますところなくダッサイダッサイ救いようのない、
ダサさが凝縮された害虫用の楽曲が流れていて
もうどうしようもなく追い詰められたところで、
肉屋の割引券が見つからない。
先週土曜日に、2割還元を見越して散財をした成果であるところの
400円超えの割引券…。
それを失くしていたなら
それ自体は自分の責任なのだけど
よりにもよってこんな汚物曲を聞かされながら
一刻も早く立ち去りたいさなかで
ないぞ、ないぞと探さなければならない時間は
もう もう
こうやって人は発狂していくのかと実体験していく心地で
あぁ無差別刺傷とか本人に利するところのない犯罪って
無数の不運や不遇の線が重なって特濃の点になったところで
起こったりするんだろうなあと思った。
いや自分にはそんなケは到底ないのだけど
ずーっと延長線上にはあるんだろうなと。

そうして帰り道、妻から電話からかかってきて
今つまらん思いをさせられたばかりなのだと打ち明けると
ことさらに愛嬌を振る舞ってくれたから助かった。
妻がいてよかった。
やはり孤独はアブねーんだろなと思う。
わかりやすい例だ。


夕飯は豚汁。
茄子の揚げ浸し。
たくあん。
妻の要望でたくあんにはマヨネーズを添えた。
で久しぶりに映像の世紀を見た。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間。
のアメリカの隆盛と、株価大暴落。
科学分野の発展による夢、希望に満ち満ちた1920年代のアメリカ、
そりゃあ誰もが憧れるよなあという明るさと熱狂が
映像によく表れていた。
Youtuberの先祖みたいな連中がいっぱいいたけど。


夫の育休について調べた。
よくわからないが少なくとも8週間、
希望すれば何ヶ月間かとれるのだろう。

分娩の同意書にいくらかの情報を書き込んでいった。
血液型のRhの型まで書くのに驚いた。
まず間違いなくプラスなんだろうけど
怖いから過去の書類から確認をとらなければならない。


最近にしては遅く、23時過ぎに入浴。
出てから妻に、素読について語った。
かつて日本では、
子どもにとっての学習といえば算術と国語で、
国語というのは素読と書道であったらしい。
素読とは大雑把にいえば四書を読みあげること、
つまるところは論語の音読で、
意味がわからなくても
ただひたすらそれを読み上げ続けることが
のちの知識人にとっての素養になったと
これまで数々の本で読んできた。
なんとなくわかる。
言語が覚束ない子どものうちに、
言うなれば一流の音楽をたたきこむわけだ。
言語の裏にあるコード、背景の秩序、
語と語との関係性…
そういった構造を知らず知らず会得する。
言語能力についても期待できるだろうが
なにより言語センスが磨かれること請け合いだ。
その後の学習においての素地にもなるし、
大人になっての処世にも計り知れない影響があるだろう。

あんまり子どもにあれこれを押し付けて
当人の羽ばたきの余地を狭めてやりたくはないが
これに関しては実施したい。
幼いうちから英語を聴かせて…とかクラシックを…
よりも優先して、多少当人が嫌がったとしても、
頭ごなしにさせてしまいたくはある。
でも女の子相手だったら無理かも…
厳しくできない…


ちょうどいい機会だからと
ロシア・フォルマリズムについて調べなおしてみた。
日常言語と詩言語とは別のもので、
すでに見知っているはずの語句を、
すぐに既知のそれと認知されないように、
あえて認知されにくくなるような読ませ方をするために
まわりくどいような文章となる…

あらためて考えてみると、これは文体確立の大いなるヒントとなる。
これまでも日常風景の異化は努めてしてきている。
舗装されきった思考プロセスを不通にしてやること。
現実の認知をまやかす。

見知っている道で立ち止まる。
耳を澄ます。
普段と違うことをやる。
音楽を聴く、
この路地にテーブルを置いてフルコースディナーをしたなら、
この見知った風景も異化される。
思考プロセスに夾雑物を混ぜ込んでやること。
ある言葉をその言葉であると即座に承知させないこと。
意味の位相をずらすこと。
意義に意味をかしずかせること。

ずらす。ずらす。ずらす。


2022年01月19日(水) 芥川賞直木賞、異界、アジール

晴れ。
冬は晴れが多くて良い。良い。ヨヨイノヨイ。
寒いったらありゃしない。

弁当はナシゴレン。エビ入り。今日は目玉焼きもつけた。
美味かったなーそして辛かった。満足度が高い。


東京、新規感染者数7300人超。
「オミクロン株は軽症状」「インフルエンザと変わらない」
といった声がもはや通説となっている。
しかし僕のところは妻が喘息もちで妊婦で
もし罹患したら産婦人科医に通えなくなる点で
やはり警戒が必要で、
というか周りが油断できる状況と反比例して
むしろ警戒を高めなければならない。

うちの会社の仕事は出勤の必要性があるのだけれど
部分的には自宅でできる業務もある。
その体制へもっていくにあたっては
厄介ごとはあるものの決して困難ではなく
十分検討の余地があるのに
取り組んでみようともしないから
従業員にナメられるのだ。
体制改善の声をあげる動きは
どんな企図であるかに関わらず
動こうとする構えそのものを
今の上司につぶされたしな。
誰に見捨てられても文句の言えない会社。


21時50分に帰宅。
妻は今日さっさか病院に行ってきたらしい。
血液検査については内科ならどこでもいいようだったからと、
喘息で世話になっている先生に相談してみたところ、
妊婦なら全然問題ない、
数値でいえば今の倍くらい出てたら問題だけど、
まだまだ心配いらないよとの所見をもらったそうで、
精密検査までは不要との判断をくだしたようだった。
僕としてもほっとした。


夕飯は餃子。西荻の冷凍の。最近めっきりお世話になってる。
実はカロリー量もそう高くはないし、
月イチくらいならアリにしている。手軽で美味しい。満足度が高い。

芥川賞と直木賞の受賞作品が決まった。
直木賞は米澤穂信先生。
ひいきの作家であるので嬉しい。
受賞作である黒牢城はまだ読んでいない。
純文学以外は優先順位が低くなる。
理想はカフェとか旅先なんだよな。とっておこ。
で芥川賞が
ウーバーイーツに従事する青年を題材にとった作品だとか。
うっわあ…。反吐が出るな。
去年だか一昨年はアイドルの推しをテーマにしてた作品だったし、
そういう
「現代社会のトリミング」
みたいな後追いが正統派文学作品だと位置づけられるの
愚の愚の愚じゃないのか本当に。本当に。
コンビニ人間も
 それ散々マンガで描かれきってるでしょ
って程度のもんだったし恥ずかしい。
ただ今回の作品については紹介文を目にしただけで
実際に読んでみたわけじゃないから
まぁいい切れはしないんだけれども
いまこの時代にあってウーバーイーツを題材にとってるだけで
もう恥ずかしすぎる。
でレビューに「考えされられた」系の感想が並ぶという。
馬鹿馬鹿しい。

MicroSoftがナントカいうゲーム会社を
7兆円以上の額で買収。
メタバース市場を見据えての投資のようだ。
メタバース。
オンライン上のデジタル空間で人々が仮想現実を共有する。
僕にとっては怨敵となりうるが
敵のことは知っておかなければならない。
ただ現時点ではどうなるものかよく知れない。
インターネットが、世の多くの人にとっては
実質 www…ワールドワイドウェブで共有されているように、
メタバースも「一つのだだっぴろい空間」となるのだろうか。
実際にはそうはならないだろう。
かつてのチャットルームのように、それぞれに空間が用意される。
そこへアカウントそれぞれのアバターで入室する。
じゃあその分だけアカウントが、アバターが、登録が必要となるわけで、
これは面倒以上に、つまらん、白ける仕様だ。
ルールを熟知している者向けの、
より体制的、秩序的、奴隷的のクローズドシステム。
世界を模したような
おおおおーーーーーーーー…きな町が
インターネット上で再現されてるなら面白そうとは思うのだけど。

テレビ画面には
メタバースのプロモーション映像が流されていた。
世界各国といえるビジュアルの人々が
デジタル上で寄り集まっている。
そのなかにヒジャブをまとった女性がいるのに目をつけて、
「やはりイスラム圏の女性はこういう場でも
肌を隠さなければならないのかな」
と妻が疑問を口にしたので私見を述べた。
ヒンドゥーのカースト制度により
職業選択の自由が制限されているインドで、
プログラマーやシステムエンジニアは
戒律が規定されていった当時にはなかった職業であるから
誰もに拓かれた成り上がりの梯子だということで
最下層の人間でも目指せる、だからインドは工学が強い…
という話でも見受けられる通り、
イスラムにおいてもデジタル仮想空間における振る舞いなどは
戒律を規定する原典には記述がないわけであるから、
そこについては緩いか、あるいは議論の余地は望める。
ただし、原理的には神による被造物の模造自体を禁じているはずだ。
だから中東圏では絵画は発達していない。代わりに模様が発展を遂げた。
そんな文化圏において、人間をデジタル空間上に再現させる試みが
どれだけ受け入れられるだろうか。
とはいえ、遵法主義で知られるユダヤ教ですら、
旧来の戒律を現代社会に適合させようとする学者一派が
勢力を増しているとも聞くし、
中東圏の映画を見ていれば、
イスラムだって原理主義は少数派で、
相当現代に迎合しているだろうことも見当がつく。
で仮想空間上の女性が肌を見せるかみせないかは
せいぜいファッション程度の意識にとどめられるんじゃないか、
そんな話をした。


アジールについても話題にしてみた。
アジール。
中東圏における第三空間。
日本語では、聖域とか逃げ場所とか訳されもする。
駆け込み寺はかなり近しいだろうが、
それよりかは広義に扱えるはずの場所。
ある人にとっては馴染みの居酒屋だろうし、
親戚の家や、橋の下、物置、秘密基地、
人によってアジールは多岐に渡るだろう。
それを規定するのは場所ではなく場所性だ。
どんな場所だってアジールになりうる。

ちょうど今日、異界について考えていた。
異界。異界感。
それはルーティンワークの真反対にある。
毎日同じような生活をしていれば、
どの場所も知れていくものになる。
それこそが大人になることだ。
この日常化を厭がる人間は旅に出る。
旅先には異界が広がり、旅情は異界感を促進してくれる。

子どもの頃にはどこもかしこも異界だらけだ。
世界は知らない場所であふれている。
知っている場所ですら、時と状況ですぐに異界となる。
単純な話、子どもは夜を知らない。
夜の電車、夜の学校、夜の道、
なんだったら自宅だって、夜になれば容易く異界に化ける。

あんまり他の人間がどうかは知れないが、
僕は異界と異界感を求めている。
もっと他に的確な言葉もあるかもしれない。
ただ今日、いったん、しっくりきた。
非日常とかノスタルジーとか熱狂とか
センチメンタリズムとかロマンチックとか
そういうんじゃない。
異界。
人の少なくなった夜の電車で
ふと迷い込んだような心地になる、
あの感じ。

ある人は言うだろう、
「世界はもっと広いものだよ。
あなたが知ってる狭い世界だけで、
知ってるとか知らないとか判断しないで、
もっといろんなところに行ってみたり、
いろんなことをしたらいいんだよ。
自分の世界が広がるよ」と。
僕はこの手の言説を軽んじている。
低級な解決方法だなと見下してやまない。
実際僕も旅は好きであるし、
新しいことをすれば世界が拓ける。
しかし、知っている場所を知らない場所へと転化させる、
その魔術的作用の方が高度な知性の働きであると信ずる。
だから、ロシア・フォルマリズムが言うところの
 異化
こそは僕にとって目指すべき境地だ。

ネット空間は場所ではないが、
場所性は認められる。
そこは少なくとも一時期は、
僕にとっても異界でありアジールだった。
今時分にあっても、ある人のある時期にとっては
アジールとなるのだろう。
メタバースね。
敵は敵でもせめて好敵と見なせますように。


2022年01月18日(火) 妻健康診断結果、木製ボドゲ、クイズ番組

晴れ。
こっからが冬のピークか。
例年になく冬の終わりが怖い。
これまでは恋しいばかりだった時期、
啓蟄
が、これからは意味性具体性をもって迫ってくる。
つまり、字義通り、虫が目覚めだす…。
土の中で眠ってくれているこの期間は心穏やかだけれど、
三月にもなれば湧いてくるのだ。
雑草取りは2月の末からやるとしよう。
あとは部屋をきれいに、清潔に保つこと。

弁当はローストビーフサンド。
玉ねぎ薄切りをオリーブオイルで炒めておいてブラックペッパーを振る。
トーストにマスタードを塗り、
サラダ菜とローストビーフをこんもり挟んでいく。
できあがりはボリューム不足に見える。


九段下に着いてから
信号待ちの間に
地域活動支援センターみたいなトコに寄って
いくつかチラシを貰ってきた。
ボランティアには興味がある。
かつては
いかがわしさや
やらしさとか
なんかこう出会いを求めて…みたいな意識が見えてイヤだったけど
それどころじゃなく地域課題は切迫しているし
今後は自助努力が急速に求められていくだろうから
今のうちから慣れておきたいというのもあるし
割と自分自身の主題とも噛み合ってる。
「善行」って意識よりは
「地域課題への取り組み」なのだよな。
社会の成員としての成熟が
成熟した社会へと往還していくのだとかなんとか
まあいろいろ言える。

チラシにある募集は多くが平日昼間のものだった。
数は少ないが土日の募集もある。
子どもが産まれる前に…とも思うけど
ウーン
ジレンマだな。
それまでにしておくべきこと多い。


なんのきっかけもなく
なんとなくふと思ったこと。
いま北朝鮮のトップが代替わりして、
でだ、
諸外国に友好的な国交を求めたら…を夢想した。
これまでの反動があるから、
相当の祝福をもって受け入れられる気がする。
ちょっとだけ具体性をもたせてみると、
おそらくアメリカ相手の極秘会談から始まる。
大統領と、外務長官や国防省やらの要人に交渉する。
……我々にも自国民への面目と威信があるから
屈したとされるわけにはいかないが、
安全保障と市場経済に関する取り決めについては
極力意向に沿う格好で応じる、
ただしこちらから要求したものとはしない、
そこで貴国に”英雄”を立てる。
長官でもベテラン外交官でも若手上院議員でもいい、
ある誰かが、私に交渉をしたのだ。
極めて困難な道程であったと、
映画になるような物語に仕立てるがよろしい。
そして、私が応じた。……

いやもう全然だからどうって話ではないんだけど。
こういう未来が訪れたならちょっと面白いかなと思った。
実際、こんだけワルモン扱いされてきた北朝鮮が
懐全開にして和睦を求めてきたら
観光客が殺到するだろうなって。少なくとも一時的には。
いやちょっと楽観にすぎるかな。
ことを単純化しすぎてもいるか。


ローストビーフサンド美味しかった。
でも味が相殺されてるな…。
ローストビーフ、結局はそのまんまを食べるのが
一番美味しいんじゃないだろうか。


帰宅とともにポストに投函されていた
妻の健康診断検査結果を手渡す。
要再検査。
白血球の数が基準値を上回っているとのこと。
白血球の増大は、白血病や血腫の危険があるとのこと。
ただし基準値より大幅に高いわけではなく、
また去年も高めではあったから皮膚科の先生に相談してみたところ
まぁそんなもんだろうと様子見を推されたようだった。
原因としては、アレルギー反応、喫煙、ストレス、
さらに妊娠でも増えるようだ。
白血球の増加とはつまり
「身体の異常に抗おうと反応し」すぎているとのことだから、
アトピー性皮膚炎なんかあると高めになりやすいらしい。
禁煙は9月中旬からだからまだその影響もあるだろうし、
あまり心配はいらないだろう。
とはいえ不安は除きたいからと、再検査は強くすすめた。


夕飯は天ぷら。
カリフラワー。大葉。パプリカ。上州ネギ。
玉ねぎとニンジンのかき揚げ。
それにお吸いもの。ぜいたくだねー。
揚げたて美味し。
今日はちゃんと岩塩でいただいた。
冬のカリフラワーの美味しさには驚がく。
かき揚げも美味しい。幸せだ…。
ほんの数年前までは天ぷら毛嫌いしていたものだけど。
自分で作るようになって目覚めたパターン。

テレビはなんとなくつけていたクイズ番組。
普段は見ないけどたまたま気になる問題だったから
二人で挑んでみてしまった。
脳トレ的な。
その流れで、続く難読漢字問題にも挑んだ。
脹脛[フクラハギ]はなんとかクリアしたが
コメカミだけが読めなかった。
ていうか漢字変換にも出てこないな。
番組構成とか難易度の裏側まで推し量ると
低俗まるだし番組なんだけれど
こうして家族で楽しむものなんだよなこれは。
いかにもお茶の間向けの。
くらだないと嘲りつつなんだかんだで楽しんでしまい敗北感。


21時半過ぎ。スイーツを食べた。
妻の会社の付き合いで頂戴したもの。
ヒルトン東京謹製のアフタヌーンティーセットを
冷凍でお届けという代物で、
昨日のうちに同僚とオンラインチャットしながら食べたそうなのだが
特別に常套なわけでもなく
きみが作った菓子のほうが美味しいよ
と妻が事前に言っていたので
その触れ込みのもと頬張ってみると意想外の美味しさがあった。
見た目もいい。
プチガトーがポコポコ並んでいるだけで目が嬉しい。
出色はガトーショコラ。
ムースがいい仕事してる。
チョコレートらしいチョコレートを久しぶりに食べた。
タルト・オ・フリュイはオーソドックスながら気取らず、
果物の味を前面に出してきていた。
ベリーの酸味が嬉しい。
あとはホワイトチョコレートによる
ビジュアル重視のケーキとかあったけど
僕らはホワイトチョコを好かない。
とくに、苺の造形を模した苺味のプチガトーは
色や形を再現するために
ホワイトチョコレートが多めに使われていて
ヘンに甘ったるく食べきれず残してしまった。


22時過ぎ、遊ぼう遊ぼうと妻がねだる。
カードゲームをしよう、
いや麻雀をしようとやる気を見せるが
僕の方では簡便に済ませたい。
何かないかと部屋を見渡して
 KATTE NI SHIYAGARE
が目についた。
積み木パズルのようなゲームで、
開けた覚えはあるのに遊んだ記憶はない。
説明書を読むとスグできそうはあり、
試してみたところなかなか楽しめた。
対戦ではなく協力型。
しかし互いの心理を読み合う必要があるという、
それなりに思考力も試されるゲームだった。
プレイ語妻は、なにかこうした木製ゲームはないものかと、
アフリカの伝統ボードゲームを調べていた。


寝入りばなに妻に聞かせる即興のお話、
昨晩は悪くなかったから
久しぶりにメモっておく。
お題が 破魔矢 だった。

…破魔矢の原料を生業としている採取人がいる。
原料は魔の山に自生している。
採取人は危険を顧みず原料を確保する。
この原料は採取人から加工職人へと手渡される。
加工職人は原料を選別し、削り、不純物を除去し、
秘伝の液に浸し、燻し、天日干しして、また削り、
切り、油を塗り、形を整え…と七面倒臭い手順を踏んで
矢に仕上げていく。
ただし天日干しをしている間に、しばしば破魔矢泥棒が現れる。
泥棒のせいで数は半分以下になってしまう。
まだ破魔矢にもなってない未完成品ではあるが、
この時点のそれは食すと実に美味いので、
病みつきになった者がくすねてしまうらしかった。
そうして数少なくも完成した破魔矢は、
デザイン業者の手により小奇麗にパッケージされ、
使い手のもとに届く。
使い手には破魔矢で射抜く対象がある。
魔の山である。
恐るべき魔の山を、破魔退魔の念で駆逐してやろうと、
破魔矢を射る。
突き刺さるごとに魔の山が蠢く。たしかな手応え。
だがこれは、魔の山の生存戦略であった。
使い手は何も知らないが、射た破魔矢は種となって
山でまた芽吹きだす。
そうして山は繁茂する。
いわば使い手は魔の山を育ててしまっているのだった。
採取人はそのカラクリに感づいている。
だが自らの食い扶持を優先して、知らんぷりをこいている。
破魔矢泥棒こそは破魔矢が元凶と知っていて、
この循環を止めてやろうという正義の一心で
盗みを働きだしたのだが、
なにぶんその美味しさに取り憑かれてしまったものだから、
すべては盗まずに結局循環の恩恵に与っている。
使い手がその真相を知ったときどうなるか?

…までは語られることなく妻が寝入ったから、
この話はここまでとなった。


入浴後、ちょっとだけ読書。
しながらだらだらとスマホ。

睡眠時間を長めにとるようにしたいという妻の要請に従い、
0時半就寝。
寝入りばなにどんなお話を聞かせたかは覚えていない。


2022年01月17日(月) 世のため人のため、醜い心、都史概観

晴れ。
目覚ましで起きた後
強い眠気に襲われて驚いた。
一二年前までは恒常的だった朝の眠気。
とうとう再来したか…。
助かるけど困るな…。
しかし確固たる意思をもって起床。


朝イチでリユース品、リサイクル品特集。
世田谷区とジモティーが提携して
住民がもちこんだ不用品を格安で売っている。
無料だったりお金とっても100円とか。
きみはこういうのも好きじゃないの、と妻が問う。
メルカリに比べればジモティーにはまだ嫌悪感がない。
「人のためになることが世のためになるとは限らないし、
世のためになることが人のためになるとは限らない」。
これは僕にとって重要な見方で、
この目線で昇り龍の企業を見通してみると
「人のため」を謳って
さも「世のため」になっていると見せかけている、
そういう経営モデルが多い。
ものすごく単純化すると
「やってお得」(需要に応じたサービスでプレイヤーに利をもたらす)
「やらなきゃ損」(見えない負担が非プレイヤーに積もっていく)
という図式は
長期的、俯瞰的に見て世を劣化させる。
しかし短絡的、近視眼的には
「互いの利益を最大化させる」ように見えるので
多くの人が飛びつく。
そしてカシコぶっていう。
「なんでやらないの?」
なかには、
別に世のためなんか知ったこっちゃねえ自分が大事、
と割り切ってる手合いも少なからずいようが、
そのくせ物価の上昇がとか不景気がとか
社会的弱者がとか言い始めるのだから考えが足りない。

ただ嫌悪感があるだけで全否定はしない。
この
「全否定はしない」
ってのもかなり大事なんだけど、
嫌悪を向けられた側は
「全否定された」
って受け止めがちで、
それだけに
じゃあ矛盾点をつついてやろうとかいう
アンチョクな自己防衛に走りがちなんだよな。

ああ全く朝から剣呑だ。
「何と戦ってるの?w」
とかいいだすやつもいるしな。お前とだよ。


弁当、ガパオライス。
パプリカ炒めて挽肉炒めて中華だし、
味付けは塩と醤油のみ。
大葉切ってのっけてできあがり。ラクチンラクチン。


冬。冬いいな。
虫いないし…

出勤時、二十歳の冬に愛聴していたアルバムを聴いてしんみり。
当時は一人暮らしで
テレビもなくインテリアもなく
今思えばよく人と会って遊んでいた。
毎日虚無と刺激が押し寄せてて無敵だった。
…ていうか当時の日記もここには残ってるのか。
その日その日の記録なんか全然してないけど。


弁当美味かった。
月曜だけど頭痛の気配なし。
代わりにとてつもない眠気。
休み時間は机に突っ伏していた。
が実際に眠れるのは3分くらい。
体がダルい。
家でハリキッて家事にいそしんでいたい。


今日は月曜日だからと
朝多めにコーヒー飲んだのが効いてるのか
頭痛には見舞われなかった。
あと寒さにも警戒して
貼るカイロはいつも腎臓裏に貼ってて
今日はさらに貼らないカイロと首筋にあててたし
肌着も着込みまくってたから
むしろ暑かった。

凍えもせず帰宅。
でも夕飯はラーメン。妻はぶっかけ。
美味しく平らげて、
月曜夜のお供であるグレーテルのかまどを見た。
ガレットモア。
何回か作ってみようとは思ったものの
結局アーモンドクリームのパイでしょ、
と思うとあんまり惹かれなかったんだよな。
表面の月桂樹の模様描きにだけ興味がある。
フーン粉砂糖を溶かしてツヤツヤにするのか…
へー…


ああー
めちゃめちゃどうでもいいことなんだけれど
でも自己内省としてはどうでもよくなく
人に話すようなことではないが
向き合っておかなくちゃいけねーこととして
雨上がり決死隊の宮迫さんが
落ちぶれていく様に愉快さを感じている、
そういう浅ましくて俗で程度の低い
お粗末なしょーもない自分がいる。
ネット上の
いかに彼が愚劣であるかをとりまとめた言論の数々に
ちょっとスカッとするような愉しみを享受している、
そういう、ダサダサの、ザコっぽい、
あらゆる観点から難詰できる醜悪な心のありかた。
しょうもないぜ。マジでしょうもない。
もうちょっとマシな人間になれてるかと思っていたかったけど
つくづく自分に失望する。


都史外観
を現時点で整理できる限りして、
Twitterにアップした。
見る人が見ればビビビッときそうなものだけど。
僕は これは というアイデアがあり、
そのアイデアの構成要素については
あちこちに小出しにしている。
あたかも犯人が証拠を残すように…。
名探偵がいるならそのパズルを解いてみせて、
アイデアの全体像も把握できることだろう。


本も読まずに寝た。


2022年01月16日(日) 母娘、Apple、書類整理、集中

晴れ。
朝っぱらから太平洋全域に津波警報。
東京は呑気なものだが
神奈川の一部なんかでは
夜通し警報ベルが鳴りっぱなしだったそうだ。

気象庁はトンガの噴火の影響とはいい切っておらず、
そのおかげで専門家があれこれと言及できているそうだ。


朝食後、一息だけついてOKマートへ。
さらにスギ薬局でA4普通紙を買った。
会計し終えて店出て、自転車にまたがり
車の通行量が多い通りを渡ってから
手袋の片方ないのに気がついた。
店に置いて来てしまったか…?
取りに行くか大分悩んだ。
1分もかからないけど…
イヤしかし100円均一で買えるものとはいえ
コストはコストだし
買いに行く手間とか予定立ても煩わしい。
しかしモノスゴク面倒だ…。
店に落ちているとも限らない。
ただコートのポケットやバッグに入っていないから
九分九厘店にはあるのだろう…。
しゃーねーなっと諦めて
また通りを渡って自転車止めて
いそいそ入店してレジ前まで行ったら落ちてたから
回収してスグまた店を出た。
モノスゴク面倒だった。


帰宅後、洗いもの。
妻は鳥用の餌の装置になにやら細工をしていた。
なんでも、いろんな鳥に来てもらいたくて果実を設置しているのに
ヒヨドリが食い散らかしてしまうから、
ヒヨドリが餌をついばみにくくなるように
棒を挟み込んだりするつもりらしい。
小型のノコギリで木材を切断しようとする手作業が危なっかしいから
少しだけ手伝った。端を押さえてただけだけど。
ついでに餌箱を塗装してもいた。
乾いてから木枝に設置。
果たしてヒヨドリとの知恵比べはどうなるものか。


雑事を終えて入浴。
気持ちいい…。
存分にふやけた。


昼飯は韓国風おにぎり。
なんか名前がついてたけど忘れた。
ボウルにごま油、とびこ、たくあんみじん切り、
海苔、マヨネーズ、万能ねぎを入れて
ご飯とよく混ぜておにぎりにしたもの。
プチプチ感がオイシイ。

でもハイカロリーハイコストな割には
ガツンとくる美味しさでもなかったな。
もう作らなくていいかなと思われたけど
妻の口にはよく売れた。
次回やるとしたら海苔の量を増やすか。


久しぶりに本のスキャン。
借りてきた本のうち
これはというページだけを撮っていく。
iPnoneでの作業は苦痛そのものだったが
今度はiPadでチャレンジ。
かなり撮影しやすい。
ところがアプリの方に難がある。
どう検証しても他の付加条件なしに、
傾き微調整できない画像が出てくる。
全体の8割ほどは問題なくできる。
あとの2割ほどが、なんら他のページと変わらず
調整画面も出てくるのに操作ポイントに触れない。
あらん限りの処理を試してみたがバグとしか思えない。
最終的には45度回転してみたら操作できるようになった。
90度だと無反応。
なんだこれ。
よくこんなもの製品として世に出してるな。
と毒づきたくもなる…。


14時からザ・ノンフィクション。
今回はコロナ禍の結婚相談所。
40近い女性が
高望みしないまでもそれなりの条件を満たす男性を求めて
何人かとのお試し交際を進めていく。
番組上ではある資産家の30代男性を
最も彼女と接近した男性として紹介していた。
彼はいかにも女慣れしておらず
風体も垢抜けず会話も覚束ない…
そして当の女性との誕生日デートに
4ドシーのアクセサリーを贈っていた。
これは今頃Twitter上で
好き勝手な批評がわんさか湧いてるだろうと想像され
気持ち悪いと思った。
もはや今どき
「いい歳して4ドシーを贈る男性の拙劣さ」
よりも
「いい歳して4ドシーを贈る男性の拙劣さを嘲る」
方がダセえのにな。

あとこうした現代のお見合いって
顔を見合わせて相手の人となりを観察して
趣味とか価値観とか探りながら
「この人とセックスすることになるのか」
って意識もあるわけでしょう、会話中にだって。
なんだか不思議な感じだ。
別に現代の、とも限らないし
なんだったら合コンだってそうなんだろうけど。
近い未来お互い裸になって腰を振る、
その未来を実現させようとはしてるけど
おくびにも出さず趣味とか価値観とか語り合うの。
自然な出会いから仲が発展していくのと違って
はじめっから「男女の関係」を念頭に置いてるって
ちょっと想像がつかない。


庭。
妻の妨害にもめげず
ヒヨドリはまんまと果実をついばんでいた。
今度はエサ箱を吊るす装置を下に延ばして
枝からも背を伸ばしても
ホバリングしてもつつけないような位置にしていた。


妻は眠気に耐えかねて昼寝。
以前は悩ましかった彼女の昼寝も
妊娠した今では
あるべきものだからと受け入れられる。
時間をムダにするのとは違う。
寝られるなら寝ていたらいい。

僕は家事をチョコチョコ進めつつ
ゲームなどもして16時を前に妻を起こした。
妻は通帳記帳などの用件があり西荻へ。
僕は掃除機がけをした。
部屋がきれいになっていく。気持ちがいい。


お義母さんからLINEが入った。
今日がお義祖母さんの四十九日で、
無事に済んだとのこと。
妻が帰宅後に電話。
お義祖父さんはなんとか一人で生活を切り盛りしているようだ。
娘息子とのグループLINEで、
無事の確認を兼ねて毎日おはようと言い合っているらしい。
それがおはようの一言でなく、
なんだかんだで日記じみているとのこと。
いい話だ。

その流れで、義母はしばらく前に何年分もの日記を捨てたらしいと聞いた。
妻も、妻が話しているのを横から聞いていただけの僕も驚いた。

そしてふと、
こうして母娘が当たり前みたいに会話している様に
言い知れぬ感動を覚えた。
いたってありふれた、月並な感動なのだけど。
もともとはいなかった存在、
それが腹のなかである存在になって、
産まれてきて何一つ言葉も知らなったそいつが、
こうして一丁前に親と口を利いている…
スゲエことだ。
いま妻の腹のなかにいる7cmくらいの存在も、
いずれは親に口答えしたりする、
存在として対等なところにまで昇りつめるのか。
えらいことだ。


今日は夕方から夕飯の調理。
まずは本気のマッシュポテトをつくる。
じゃがいもを水からじっくり1時間茹でる。

その間にiPadからPDFをWindowsに移すことにした…のだが
これが大問題。
まずWindowsが外部デバイスとしてiPadを認識しても、
エクスプローラからは写真画像データしか参照できない。
ではiTunesから、となると
いくらかのアプリデータはデータを参照できるが、
今回の目当ての「メモ」は出ない。
「i-Books」にも同PDFを転送してみたが
電子書籍として購入したデータでないと参照されない。
やむなくファイル転送用のアプリをインストールして
いくつか試してみたがいずれも似たような結果に。

…もんのすごい怒りが到来。
「デフォルトの機能で本体に保存」された「PDFデータ」を
「Windowsに転送する」だけのことができないのだ。
ウソだろ?
なんなんこいつ。
いや最低限の道理はわかる。
かつては…それこそ初期iPodだって
こんなことは容易くできた。
しかし著作権管理の問題から
データ複製に制限かけられるようになった、
またAppleはStoreでの購入にあたっての
精神的な障壁を緩和させたい、
したがってより管理が強められていく、
制度もシステムも世の流れもそうなっている…

という当たり前に激怒する。

今回痛切に思ったのだが、
もしこの不遇、憂き目、損失が
自分一人に対してだけのものだったら
気分はよくないが怒りは湧かない。
そうじゃなく
根本的にオカシイから
そのバカさ加減とか醜さに
やりきれない憤りがほとばしって血潮がたぎる。
今はまだアホのAppleにも
世紀のクズ企業Googleにも
泣く泣くお世話になっている、
情けなくもかしずいて従っているけども
いずれは絶縁してやるのだ。

で今回は
最終的には全然別の関係ないお絵かきアプリに
一時的にPDFをコピーしてやることで
なんとか転送かなった。なんじゃそら。

調理にもどって、
ジャガイモが熱いうちに皮を剥いていく。
裸にしたら鍋に入れて
弱火にかけながらマッシャーで潰す。
少量ずつ、バター牛乳生クリームの液を入れていく。
丁寧に滑らかにしていく。
これで裏ごしすれば食感最高のピュレになるが
そこまではしない。
塩コショウで味整えて出来上がり。

上州ネギは15分ほど茹でて甘みを引き出してから
オリーブオイルでじっくり焼いた。
焦げ目がつくまで。

チョコレートソース。
バルサミコと醤油を熱して
クーベルチュールを溶かして
とろりとさせたもの。

大皿の中央に上州ネギを配置して
薄切りにしたローストビーフの半身を
乗せる調子で並べていく。
横には円形セルクルで形を整えた
マッシュポテトを添えて、
全体にチョコレートソースを
線上にたらしてってやる。
イタリアンパセリを飾って完成。

美味しかったけど
ちょっと味が複雑過ぎた。
これならシンプルなローストビーフでいただいてもよかったな。
ただマッシュポテトとの相性がバツグンで
酸味や甘味の複雑さがまろやかに調停されていく快感はよかった。


ダーウィンが来た。
アンコウ回。
あんなにもビックリ生物とは思わなんだ。
海底に張り付いてると砂岩との擬態はカンペキで
そのなかで目だけがギョロリと海中に浮いている。
ユーモラスで不気味で可愛らしい面構え。
頭のからは紐状に疑似餌が伸びていて
これで小魚を引き寄せる。
その有様は釣り以外の何物でもない。
また卵がとびきり奇妙で、
卵帯と呼ばれるヴェールのような帯状の透明の膜にびっしりと、
1万5千もの卵が張り付いている。
これが海中を漂う。20kgほどあるんだとか。

他の魚からしたらコレすごい食べやすいので
案の定食われてた。
成魚にいたるのは100匹に満たないんだとか。
ウーン面白かった。大当たりの回。

食後、後片付けとキッチン掃除を済ませて、
書類の整理。
まずは寒中見舞い。の完成。
宛名書きは全員分終えたから
あとは一言を書く人には書いてった。
妻の親族には
義母と義祖父にだけ一言書くつもりが
誤って義叔父の方にも書いてしまった。
元気イッパイな感じの。
それは義祖父宛には通じるというか求められてる調子であるものの
ほとんど僕とは縁のない義叔父さん…それも喪中の挨拶を兼ねているのに
そんな一言は失礼というか馬鹿丸出しというか不謹慎にすぎる。
葉書の余りもなかったから修正液で消して書き直した。

続けて新型コロナワクチン接種3回目の申請書。
これは本来ならただ接種券の到着を待てばいいだけのものが、
2回目までを別の区域で摂取してその後引っ越した場合には
現住所の自治体に書類を提出する必要があるというもの。
書くには書いたが
封書に貼る切手がワカラナイ。
こういうトコで社会経験の差がでるよな。
郵便局もってこ。

災害時のための食料品、用品を見直し。
妻がネットから拾ってきたリストを
僕がチェックして
今あるものと買うべきものとすぐに買うものを検討。
必要は必要なんだろうけど
置き場所に困るのが最も痛い。


今日は入浴前にバナナジュースを入れて飲んだ。
こっちの方がいいな。

入浴後はPCと向き合って
なんとかトキノを書き進めたかったが
全然はかどらなかった。
ダイブしていけない。

集中したいときには部屋の電気を消して
ピンライトだけつけて作業するのだけど
その光景を妻がいやがる。
暗闇にブルーライトで照らされた顔が浮かぶというのが
家で仕事していた父を彷彿とさせてウンザリらしい。
そもそも一人で集中したいのだから
なるべく見てくれるなと抗弁したものの
なら居間でやってくれるなと言い返される。
とはいえこちらとしても寝室にこもりたくはある、
しかし寝室にPC持ち込んでくれるなとも以前言っただろう、
書斎はきみの部屋だし他の場所は寒いし…
と続けていると
ウルセェーと一蹴されてしまった。


0時半ごろ寝室へ。
1時くらいに就寝。


2022年01月15日(土) 読書日

朝よく寝れた。
掛け布団を買い替えたというのに
かつての布団までをも重ねている今
重みと温かみがマシマシで起き抜けが気持ちいいのだ。
睡眠時間が短くなってからというもの
この
起き抜けの気持ちよさ
から遠ざかっていたから満喫している。

8時20分に起床し8時30分に朝食。
休日にしては妻が早く起きてくれたから
いつもは日曜日にしている寝具の洗濯を急遽やった。

昨夜の気分を引きずっている。
気分は重い。何も面白くない。

それでも動く分には問題ない。
図書館に行き、取り寄せていた二冊を借りて
そのままOKマートへ。
妻は内科の病院へ。
僕は洗濯ものを干してから、今度は西荻に向かい
肉屋と八百屋で買うべきものを買った。

妻の帰宅に合わせて昼飯。担々麺。
チンゲンサイが嬉しい。
妻から検査の報告。
11月に血液検査をした結果、
アレルギーの数と度合いが強かったらしい。
これについては夜に詳しく聞いた。


食後一息ついてから妻は昼寝をした。
僕はとっておいたミヤタクラジオを
二話分聞きながらゲームをして、
あとは本を読んでいた。
誰でもない。
韓国文学はこれで二本目。
タイトルに惹かれて借りてみたのだけど
今んとこまだスゴさがわからない…。


夕方、ローストビーフを仕込んだ。
昨日何食べたのレシピで。
今回はフンパツして2000円くらいするブロック肉を買ってやった。
これを一晩漬けこんで、明日チョコレートソースかけて
本気のマッシュポテトといただくのだ。楽しみ。


夕飯は揚げ出し豆腐。
長時間かけて水抜きした豆腐に片栗粉をまとわせて
油で揚げ焼きにして
めんつゆ醤油みりん酒のおつゆに浸して
昼間担々麺のため用意した挽肉をちょっぴりのせる。
美味い。


洗いしながら妻のアレルギー検査の詳しいところを聞いた。
スギ花粉への反応値が極めて高い。
医者からも治療を進められたそうだ。
それは舌下に薬?を塗る方式で
リスクはほとんどないそうなのだが
何分長期かつ毎日のことだから
根気がいるとのこと。
割と皆途中であきらめちゃうと、
医者も言っていたそうだ。
あとはダニとカビへの反応値も高かった。
こちらは生活習慣として対策するのと、
寝具を始めとした生活用品で
防ダニ防カビを謳っている製品を
今後は狙って買っていく、
そのぶん費用は嵩むだろうが承知してくれとのこと。


寒中見舞いの準備をした。
ひたすら宛名と住所を書いていく。
字は上手く書けたり下手になってしまったりする。
でも書き直しはできない。書きあがったもの字がすべて。
こういうとき自分がデジタル世代なのだなと痛感する。
もっと字書かなくちゃな。


トンガで海底火山が噴火?
えらいことになってる。
衛星からの映像が衝撃だった。
陳腐な表現だけどほんとゲームとか映画の世界の。
でもトンガがどこかわからない。
これを機に知る人が増えるのかな。
太平洋沿岸地域に津波注意報が出ていた。
奄美大島には警報。
個人レベルでも災害時の対策見直しがいる。


本読んでたら一日が終わった。
あんまり頭には入っていない。


2022年01月14日(金) 呪い、犯罪抑止

晴れ。
カラッとヒンヤリ気持ちいい。
スマホの標準アラーム機能がアホアホなので
フリーのアプリに変えてみた。
満足はしてないがマシになった。
そのうちちゃんと目覚まし時計を買お。


弁当はありあわせ。
白米に広島菜のちりめんじゃこ。
炒り卵。
冷凍のソースカツ1コ。
鶏むね肉、ニンジンのサラダ。
手抜きだけどこれでじゅうぶん美味い。


君のことが大大大大大好きな100人の彼女、2巻目。
やや面白くなってきた。
なるほどこれ本当に100股への道を歩んでいくのか…。
一夫多妻を学園ドラマでやってるラブコメというのは
それなりに新鮮だ。
女同士の関係性に深みはないが独特の味がある。


ずっと上司に苛立っている。
この苛立ちはもう止まないと思われる。

あの人はかつて同僚の一人を
「普通じゃない」という言い方で
対話不能の人間と位置づけた。
常識という概念には客観性や公共性が含まれるが
これは実態のない虚像のようなもので
実際には各々が常識観という主観でものを見ている。
自身の無自覚な常識観で設えた枠組みに収まらない人間を
「普通じゃない」と見なして排斥する振る舞い自体は、
自己防衛を兼ねたりもするので一概には否定できない。
だがおよそ人の上に立つ人間が、
そのまさに下に位置する人間に向けてとるべき態度ではないだろう。
対話の努力はおろか対話の余地自体をしりぞけた。
そんな愚か者相手に対話してやる義理はない、
仮に義理があったとしても
対話を成立させるための信頼関係が見えない。

結果だけで物事を判断している…とは当人は認めないだろうが、
結果に至る過程を問わずに済ませる気質を知っているだけに、
彼が上司として軽蔑されるだけの実証も揃ってしまう。
擁護してやるだけの論法が成り立たない。
人の擁護されるべき余地をないものとして扱ってきたから。
本当に愚かだな。


31かそこいらの年でようやく
それなりの善性にも親しんで
人や世を呪わずに
少なくとも外に出さず済むようなったものだけど
正直なところ
あれからずっと
 死ね、死ね、
と毎日心には呪詛が渦巻いている。
どんなに蓋しても本心にはある。
本心は本心だから
ここにだけ書き残す。

こーゆー
 死ね、死ね、
って呪詛、
それ自体が醜くてダサいし悪だし
ましてや会社の上司相手とか
世にもつまらない話だし
「私はザコです」
って言ってるようなものだ。
キッチリ向き合って
呪いから解き放っていかねばならない。
だからまずは本心として受け止める。
まだまだ未熟でザコな自分自身を見つめ直す。
受け入れがたいけど…。


夕飯はカジキマグロのソテー。
つっても昨日スーパーで買っておいた、
焼きゃあいいだけのもの。
これにかるく茹でたニンジンとジャガイモを
バターソテーにして添えた。
うましうまし。


そういえば妻は昨日の検診で産婦人科医から
生魚食べても別にいいんじゃねーの
ってお墨付きをもらえたらしい。
僕もずっとお刺身とか食べてなかったから
来週にでもやるか。


痴漢祭り、というフレーズがトレンドに上がっていた。
去年のこの時期にも聞いた話だが、
受験生は受験当日朝に痴漢をされても泣き寝入りするほかないからと、
いうなれば「痴漢日和」という号令が広まっているそうだ。

それ自体についての言及は置いといて。

かねがね僕は自警団の気配があればいいんじゃないかと思っていた。
それは痴漢のみならず無差別殺傷するような凶行犯を想定してみても、
あるいはスリだとかでも。
まぁ限局した方がわかりやすいからとりあえず電車で。
犯罪者は、中にはそういう病気の人もいるだろうが、
その多くは相手ち状況を選んでいるはずだ。
わかりやすい話、こわもてのプロレスラーばかりが
ゾロゾロ立ち並んでいる車両において、
わざわざそこで不法行為に及ぼうとする者は少ないだろう。
そして「機を逃す」というのはとても大事だと思わる。
魔が差すとか憑き物とか
そのいっときやり過ごしたら結局は実行にいたれなかった、
そういうことってありふれてるはずだ。
実際、犯罪一歩手前で踏みとどまった人は少なくないはずだ。
何か仕出かすつもりで家を出た。町まで繰り出した。
駅まで行った。電車に乗った。相手を見定めた。
経過段階でいくらでも取りやめはできる。
ギリギリまでいった人はかなりいるだろう。
実行にいたらなかっただけで。

僕が思うに、例えばネット上で、
「俺は痴漢見つけたら容赦しないよ。
目ん玉だろうがなんだろうがぶっ潰してやる」
といった宣言が横行していれば、
これはちょっとは抑止力にはなるだろう。
限定的になれば抑止力が強まる。
「怪しいやつ見つけたら絶対容赦しない。
おれは東武東上線にいる」「おれも」「おれも」…
「センター試験の日だけは目光らせてる。
女の子が被害に合ってたら絶対見つける」「おれも」「おれも」…

ここで大事なのは、誰が"そう"なのかわからない点だ。
その像は加害者側で勝手に肥大する。
誰も彼もが「容赦しないやつ」に見えてしまえばいい。
ネットと都市の匿名性を逆手にとった格好だ。
絶対可憐チルドレンの普通の人々がいう
「我々はどこにでもいる」ってやつだ。

この取り組みはすぐにでも、
自分一人からでも始められる。
匿名で投稿できるあちこちに書き残してもいいし、
もうちょっとやる気出して、
賛同してくれる人はRTだのと活動してみてもいい。
ただし現実的な問題はある。いくつも考えられる。
そのうちの一つに、これは相互に監視的で
人を疑う社会の実現だとする見方もあるだろう。
だがこういうときに
「そんな人を信じない考え方は嫌だ」
という手合いを僕は心底軽蔑する。
人を信じるとは無条件無批判に疑わないことでは決してない。

誰もが顔見知りの村社会とは違って
都市空間における公共圏では
名前も知らない他人が当たり前に隣にいる。
本来であれば個別に人として見てやるべき他人を、
都市生活者はあまりにもそれを見慣れているばかりに、
群衆として扱う。
そして群衆を自らの"常識"に照らし合わせて
疑うこともせず勝手に"信じて"いる。

もっと一人一人を見るべきなのだ。
「誰が誰だかわからない」
「都市空間における匿名性」
「愛と祝福」
いずれも重要な主題だ。

だがそんなような話を妻にしてみても
…ここでは簡略化して書いたがもっと丁寧に話した…
うまく伝わらなかったようでショックだった。
大分ショックだった。


2022年01月13日(木) 会話

晴れ。
空気はかなり冷え込んでいるものの
身体が寒さに慣れてきている。

朝、ウカツにも食パンが一枚しかなかった。
妻にあげたがホンのひとかじりだけ頂戴した。

弁当はホイコーロウ風。
風というのはピーマンはおろかネギさえ入れず
調味もおろそかだから。
しかし
豚バラ肉とキャベツを豆板醤で炒めて
オイスターソースを混ぜ合わせコショウを振るだけで
巨大な美味しさが到来するのだから中華は偉大。


会社の人間相手をはじめとして
自分はもう長いこと
別に誰とも会話したくないんだなと思った。
相手のことがどうでもいいというか。
笑いを捨ててから随分長い年月が経ってしまって
今では会話相手を楽しませようとかする精神もなくなって
事実誰も僕を相手に会話を楽しめないからか
誰からコミュニケーションを求められることないし
もはやそれでいいと思ってる。

ただ僕自身は
誰とどんな話をしても得るところがある。
というか得るところが多すぎる。
どんなにつまらない話でも、たどたどしくても、
それこそ今日は良い天気ですねえなんていう
無味乾燥なやりとりからであろうと、
勝手に含蓄を、哲学を、学びを得る。
一方で多くの相手は僕と話をしてみたところで
何が得られるわけでもないだろう。
だから、悪いな、と思う。
こっちばっかり楽しんで。それも後から。

無味乾燥な会話はいくらでも続けられるようになった。
なんといっても食の話題はやりやすい。
話してる内容自体は面白くもなんともないけど。
それでもちょっとした言葉のまごつきや
表情の揺るぎ、空気感、間などからは
無数の人間の発見が得られる。
だから僕は楽しい。

そういえば知り合ったばかりの男が女の連絡先、
というかLINEを尋ねるというのは
自然にもってかないといやらしさがにじみ出るものだけど
今ならカンタンに得られるなとこの前思った。
この世で最も無難な話題である
 好きな食べ物嫌いな食べ物
から話をつないでって
それならこんな料理あるよとか料理法がとか言って
 エー美味しそう
ってコメントさせたら
 じゃあレシピ教えるよ、ていうか送ろうか
で済む。

やんないけど。せせこましいし。
女に飢えてもいないし。
下心ないならフツーに聞けばいいだけだし。
でもネタにはなる。

数少ない友人相手とは会話したいな。
なにも話すことはないのだけども…。


君のことが大々々々々好きな100人の彼女、
再び読み始めてみた。
いかにもヤングジャンプっていうノリで
ギャグシーン…というかツッコミが寒々しいし
キャラも記号的でこりゃダメだと一度は切ったんだけど
二次裏では
「ドンドン狂気が増してる」
「突っ走りすぎてもう歯止めが効いてない」
「どこまでいけるのか制作陣が一丸となって検証してるみたい」
みたいな評が下されていたから
信じてみることにした。


妻から朗報。
現在は近所の産科医院に通っているが
ここは人気があるのか
予定日あたりには混んでいて
2件キャンセル待ちであったのが
今日どういうわけだか予約がとれたらしい。
なんでもダイレクトに聞かれたそうだ。
「他の産科とれそう?」と。
大変そうですと妻。
やっぱりウチでいいの…?と先生。
はい!と妻。
わかりました、ねじこめないことはないから…と先生。
ご厚意なのかなんなのか、とにかく助かった。
普段は無愛想な先生なのだそうだが、
妻が感謝と喜びをあらわにしたところ
ちょっと笑っていたらしい。
うちの妻は喜びに対してはスナオだからな…。
なんであれ、これで今後もここへ通い、ここで産める。
極めて理想だ。
他にも車で15分圏内の産科医院をリストアップはしていたが
ここならば歩いて8分、立会い出産も可能で何かと都合はいい。

検診結果も上々。ホッッッッの連続。


帰りは西荻に寄り肉屋でベーコンを買って帰宅。
夕飯はカルボナーラ。
いつもアツアツでいただけないから
今日はちゃんと事前に皿を温めておいた。
卵も常温に。
二人前の手順。
ボウルに卵2コを開けて、白身1コ分は捨てる。
生クリーム70ml、粉チーズ、塩コショウを混ぜておく。
お湯を沸かして麺を茹でる。
オリーブオイルでニンニク一片とベーコンを炒める。
麺が茹で上がってきたらお湯少量とともにフライパンに移して乳化させる。
火を止めて卵液をフライパンに入れてよく和える。
ブラックペッパー、粉チーズを振りかけて
イタリアンパセリを飾ってできあがり。
極めて美味しかった。


ジャーナリズムについての本を読み始めてみた。
多少なりとも政治、経済、社会を語るには
知見を得たり発信するだけではなく
その取りまとめかた、扱いかたまでをも
熟知せねば…というのは望み過ぎだけど
まぁ通じておいた方がいいので。


原神、エンドコンテンツである螺旋回廊の星36をとうとう達成した。
長い道のりだった…。感動した。
やはり第12層の3戦目がクセモノで幾度となくチャレンジした。
前半をベネット、行秋、シャンリン、雷電将軍にして
開幕にベネット元素爆発、雷電将軍のスキルにつなげて
シャンリン元素爆発とスキル、行秋元素爆発とスキル、
雷電将軍元素爆発、2匹をたたんだら
続く二匹にシャンリン元素爆発、スキル、ベネット行秋将軍…とまわして
残り時間8:50で前半終了。
後半は先生、バーバラ、綾華、胡桃。
開幕は先生元素爆発、スキルでバーバラスキルにつないで
綾華元素爆発とスキル、胡桃スキルと元素爆発、重撃…
残り時間7:30ほどで遺跡守衛2体を迎え、
総力をあげて叩き潰した結果、胡桃の元素爆発でエンド。7:08。

あまり育ててもいないバーバラを抜擢したのが勝因だった。
2戦目を万全の状態で終えるためというのもあったけど
それ以上に水元素付与役として優秀。
しかし最適解求めての試行錯誤は楽しかったけど
運の要素も強かったしもうチャレンジしたくはないな…。
無凸の申鶴育ったから次回はヌルくあそぼ。
これでもう最適解からは開放されんだ。


妻から「貰う」と「授かる」の違いについて説明できるか問われた。
貰うの方は能動者が明確な一方で、
授かるには神とか天とかそういった超自然な主格が想定されるから
誰からのものか判別しにくいニュアンスがある、
また
貰うの方は所有権が自分へと移されたという意味が明確な一方で、
授かるの方は一時的で、与っているに近いニュアンスがあると応えた。
妻も似たような認識のようだ。
Syrup16gの歌詞、
「誰かの手にまたこの生命返すんだ」が思い返された。


トキノについて、妻にタイトルだけ意見を伺ってみた。
三案。
1.「誰がトキノを救うのか」
2.「何も知らないトキノ」
3.「トキノはまだ何も知らない」
妻は1が良さそうだとの答え。
ただしタイトルありきで読者が読み進めることになるから
読みかたを規定してしまいやしないか、
だが内容を知らないからなんとも言えない。
そんな答えだった。

トキノについてのメモ書き。
十何年ぶりかに故郷の町に戻ってきた女が噂になっている。
その女の娘はまだ1歳やそこらだが、この町に捨てられていった。
捨てられた場所は誰もが出入りできる町のたまり場である。
女はこの町とこのたまり場に特別の思いがある。
女はこのたまり場に因縁のある男たちに
わずかずつの因子をふりまいていった。
かくして男たちは捨てられた赤子トキノを救わなくてはならない。
「誰がトキノを救うのか?」
トキノはまだ知らないが、その生は祝福されている…。

たまり場はシェアー的な場所。
誰のものでもなく、開かれている。
専有されていない。私有からほとんど開放されている。
ここに捨てられたトキノもまた、誰に占有されることもない。
血縁関係にない無数の父たちのもとシェアーされている。
などなど。


2022年01月12日(水) みずほトラブル、エロゲの価値

晴れ。
寒い。
寒いがあと30回くらい出勤すれば暖かくもなってくる。
毎年この希望をもって冬を凌ぐ。
今冬はコロナにかからないよう心がける正念場だな。
オミクロン株増大、冬場における感染拡大しやすい下地、
ワクチンの効果切れ、などなどリスクは揃ってる。
春先まで持ちこたえれば、ワクチン接種三回目もあって
また落ち着いてもくるだろう。
うちたくないけど。


弁当は牛焼肉。
余って凍らせてた牛肉。
焼肉のタレ多めに使ってみた。
美味かった。そりゃそうだという感じ。


東京新規感染者数2000人超えた。
それでも会社はなんも言わない。
緊急事態宣言が出るまでは粘りたいのだろう。
緊急事態宣言、「意味ない」と笑う層もいるけれど
一つの指標にはなってるんだよな。線引きに。

笑うといえば
昨日またまた、みずほ銀行にシステム不具合が発生していて
あんのじょーネット上の一部ではネタにされてたけど
明日は我が身という観点ないのかな。
このテの「ありえないシステム不具合」は今後増えるばかりだろうし
自身の属する企業体でも起こりうるし
客として世話になってる企業体も起こしうるし
単純な話
“ありえないはずの”個人情報漏えいなんか
もはやありふれ過ぎてて何万人レベルでも話題にもならないし。
連中、覚悟できてんのかな。
時代についていけてないのはどっちの方なのか。


夕飯はうどん。
昨日余しておいたトックのスープで。
しかし妻は相変わらずぶっかけを所望する。
手間は増えるがやってやる。
それぞれ好きなものを食べてご満悦だった。


そういえば先日番組の途中から見た
うち着いてっていいですか
のエロゲ好き女子の回、
冒頭に撮影スタッフとその女子とのやりとりで
エロゲとはなんですかという問いかけがあったと知った。
彼女は即答したらしい。
「選択肢を選んで、女の子を幸せにするゲームです」
なるほど…。
これはもう、見事な答えだ。
僕が親しんでいるいわゆるシナリオゲーとなると
ハッピーエンドとも限らないが
放映されていた情報から察するに
彼女が好きこのんでいるのはキャラゲーと思われる。
となればあまりに簡潔で明瞭で的確な答えだ。
「多岐にわたる人生の道筋(ルート)の中から
ヒロインが最も幸せになる可能性を探り出し(ゲーム)て
幸せを実らせてやる(ハッピーエンドへ)」。
取材されたこの女性は
辛い精神状態にとらわれていた中高生時代に
美少女絵を見て惚れ抜いて心から救われたらしい。
そういう女性が、ゲームの中の女の子キャラクターを
「幸せにしてやりたい」と思い、
仮想的にでも自身の力(選択肢を選ぶ)で
「幸せにしてやれる」というのは
一つの価値体系が成立している。
スバラシイ。
ちょっと泣けてしまうよ。


トキノ、ちょっと進んだけど先が長い。
誰かに相談したい…。


妻が僕にちょっかいを出してきたときに
コノヤローといって組み伏せたりする動作が
今は身重相手となるのでできない。
それをいいことに妻はことさら横暴をはたらく。
僕がちょっとでも抵抗すると
「こっちは二人分いるんだぞ」とおちゃらける。
子どもがいるんだぞ、ではなく
しっかり自分の身体も保護対象に勘定しているのは
いかにも妻らしい。

最近妻はもっぱらカルピスソーダを飲みっぱなしで
そのペースは高まる一方。
おもいきし買い込んだつもりのストックがとうとうなくなる。
今夜はバナナも尽きていた。
ほうじ茶を入れ、昨日余した大福1コを二人で割って食べた。

洗濯して干して本読んで就寝。


2022年01月11日(火) くたばれソリューション

雨。
そんなには寒くない。

弁当はナシゴレン。
ちゃんとエビを入れた。
卵焼きはのっけなかった。
面倒ていうより油っ気が強くなるので今日は控えた。


雨の中信号待ちをしていて思ったけど
昔は耐え難かった冬の雨もなんだか受け入れてる。
慣れというのか飽きというのか
これが大人になるとか年老いるってことなのか。
世界への順応性が高くなって
鋭敏な神経が失われ鈍麻になっていく。


内田樹先生の本を読み始めた。面白い。
小学校教育についていいこと言ってた。
自分の能力や才能の限界を知らせてやり
身の丈にあった生活レベルへと軟着陸させてやるのも
学校の役目である、
“身の程を知れ”という観点が重要である、
そこを起点として学問や芸術への芽を開かせていく、
子どもたちに
“可能性は無限大”
と説くのはいかにも美しい取り組みのようだが悪点もある、
“可能性は無限大”と”資源は有限”という言明は
両方を同時に説いていかなければならない、
その矛盾の間で子どもたちは学びを起動させていく…
そんなような話だった。


アエナフ。
キッチンに立っていても
iTunesから音楽を転送しようとしても
電車に乗っていても
「これオカシイだろう」ってストレスに日々見舞われる、
これはどんな人にでもあるレベルの話で
僕だからどうってわけじゃない。
ただまだ一般化できるほど、
人に理解を求められるほどの理論にはなってない。
いったんはメモ書きとして残しておく。

ある問題ごとに対して、
その問題ごとの構造に文句垂れたいときに、
傍からすれば
「こうすればいいのに」
という冷静な目線がもたらされる成り行きはよくある。
「事前に調べてみたらいいのに」とか
「これを足してみたらいいのに」とか
「そもそも取り入れなければいいのに」とか。

この思考法は
 仕事ができる
と見なされがちだ。
というより、この思考法に則ってやらないと、
 仕事ができない
タイプにカテゴライズされがちというか。
ビジネス思考、合理的志向、
男性社会的な感情排除の課題解決思考法。

線路上に石が置いてあるなら取り除けばいいとか、
そのまま電車で踏み抜けるようにしてしまえばいいとか、
そうした対処がもてはやされる。
できるはずの対処をほっぽいて
「線路上に石が置いてあるなんてオカシイ!」
と叫ぶ人はヒステリー扱いされ、
「--すればいいだけなのに馬鹿じゃねーの」
と嘲罵される。

僕自身はそうした対処策を講じるのが得意な方だから、
だからこそ痛切に主張したいのだが、
対処策ばかりに価値を重んずるよう
無意識的に刷り込まれているビジネス型人間はカスだ。
そもそもを良くしようという革命精神がない。
彼らには創造と破壊ができない。
せいぜいが
「ニッチな市場を切り拓く」
とかいうアリモノの再生産が関の山だ。
彼らは
「今ある状況を構築している仕組みを突き止め、
情報を収集し、整序し、
問題ごとを問題ごとたらしめるエラーポイントを見出し、
あたかも病巣を切除する外科医のように、
あるべき正常へと戻す解決策を図るのは大得意なのだ。
これをソリューションと呼び習わす

この
 あるべき正常
という見方がクセモノで、
共同幻想的な虚像ではあるのだけど
あまりに輪郭の強固な影像だから
現実問題を照射した実像ともいえてしまう。

…今日はここまで。


鬼殺し、面白い。
肉蝮があまりにもヌルいアクション漫画だったから
いい引き立て役になった。
凄惨。圧倒的暴力。インモラル。
コレだよコレという感じ。


夕飯は焼鮭。
だけだと妻が嘆くからトックも用意した。
イチョウ切りにした大根とニンジンをごま油で炒めて
いつもならエリンギと肉を入れるけど今日はなし、
水を加えて水煮ゼンマイも入れて煮込む。
味付けは生姜ニンニク韓国スープダシ、塩コショウ。
トック餅は早く入れすぎるとグジュグジュになるから
よそう1分前に入れてさっと煮込んでできあがり。


ウシジマくんちょっとだけ読み返した。
ギャル男くん。肉蝮が見たくて。
今回パラパラパラーっと読み返しただけだから
あまり入り込んでいけず
怖さみたいなものは感じなかったけど
初回読んだ際の格別の情感は思い起こされた。
いやにナマナマしかったんだよな。
こういうやつ、いる。っていう。
顔も言動も。


22時前、ほうじ茶を入れて大福を食べた。
廊下の窓を開け放って、夫婦揃って縁側を向いて雨を眺めて。
えらい幸福な時間だった。


入浴後、バナナジュース。
読書。
0時半過ぎに寝た。


2022年01月10日(月) 凶行被害想定、80年代肩パッド、コロナ陽性想定

くもり。7時20分起床。
庭の雪が溶けた。
昨晩までは全然溶ける気配なかったのに。
朝方のことなんかな。
早朝にはこの庭にも日差しがあるのかもしれない。

弁当は鶏もも玉ねぎニンジン豆板醤炒め。
味付けが豆板醤だけで済むって毎度ながら不思議だ。


祝日だけど出勤。
中野で乗り換えそびれてうっかり新宿まで出てしまい
仕方なく新宿線乗り換え。
JRからとっても歩く…。
街を歩くのと違い
なんの面白みもない無機質な構内を歩く不快さ。
新宿駅の乗り換えの何がイヤってこれ。
他の駅の乗り換えでも同じことだけど
長く時間が掛かるぶん耐えがたくなってくる。
9時20分ごろ神保時着。
遅刻はせんかったけど220円損した。

弁当味薄かった。
豆板醤だけでも成立はしてるけど
美味しく食べるにはオイスターソースがいるな。


先日の代々木の立てこもり犯、
ジョーカーみたいに事件を…という供述をしたらしい。
多くの人間が、自分がこうした凶行者の被害にあったら…
あるいは事件に遭遇したら、と想定してみていることだろう。
それに、無差別でもない逆恨みの対象になったら…。
きっと逆恨みされていると思われる相手は僕にもいる。
下手したら
 お前のせいで人生めちゃくちゃだ
とまで恨まれている可能性もないではない。
それがどんなにお門違い、筋違いだろうと、
当人が思い込んでいたならそれまでだ。
万一、その後不運や失敗が重なって、
不遇の原点を求めてきたときに僕の名前が挙がってきたなら、
凶行の標的にもされうる。
いやもう全然そんないわれは本来ないのだけれど
当人の認識次第ではありうる。
万一凶行の対象となったら。
交通事故よりも薄い可能性ではあるが
ひとつの危機管理として考えておいても損はないだろう。

実際問題、
テレビで報道される大事件のような
問答無用の殺傷というケースよりは、
その手前の事件を想定してみるべきだろう。
対話の余地はあるのかどうか、
向こうは捨て身でやってきているのかどうか。
現実的なセンでシミュレーションしてみたとき、
恨みを買っていることがまず判明して、
それが今後どのような形でエスカレートしていくものやら
不安でたまらなくなると思うから、
知られている素性を全て洗いたくなるだろう。
知らない土地に引っ越しとか。
でもそのための費用や損失を
相手がまかなってくれるわけじゃないし、
この時点でこちらの人生はめちゃくちゃになる。
理想は対話による和解で、
話し合いの余地さえあればまず試みるべきなんだろうけど、
円満にことを収めるには
折れなくちゃいけない部分がきっと出てくる。
そのとき、たぶん、相手を
「口八丁で」「丸め込む」ような語り口が表れてくるだろう。
それは真心とか誠実とか実直だとかいった美徳とは
相容れにくい性情の発露だ。
悪徳への対処のために、美徳が損なわれる。
そんな自己矛盾に耐えられるだろうか。


退勤後、荻窪に寄って
西友の生活用品コーナーでこたつカバーを見てみた。
3000円で買えはする。
しかし見た目はふるわない。
一応無印も覗いてみた。こちらは9000円。出したくない。
さらに2階のパレットプラザにて寒中見舞いを物色。
喪中挨拶を兼ねたテンプレートはなかった。
しかしもともと自分らで一言書き添えればいいかというつもりでいる。
とりあえずここに来れば買えるという安心を得たからそれを収穫に、
あとはどのデザインのものを買うか妻に尋ねてみようと
パンフレットだけ頂戴した。


夕飯は昨日の残り、肉じゃがと
それに加えて雪国まいたけ極みの唐揚げ。
前回は油っぽくペシャッとした仕上がりになってしまったから
今回は高温でカラッとなるよう、
雪国まいたけ公式アカウントのレシピにしたがった。
だけれどこのレシピの紹介文は、
ここ数年よく見かける
典型的な「バズレシピ構文」で気持ち悪い。
あの料理のおにいさんとかいうのから始まったと思われるやつ。
一行目からして
「秒で溶けてく…」
だもんな、うわぁここに書き起こしても気持ち悪いぜ。
ダサさ極まれりっつうか。
でも味はいい。
マヨネーズ大3を少量の水でよく溶いて、
片栗粉大1と薄力粉大2、醤油大1を混ぜ合わせて衣を用意。
これに今回は生姜も足した。
舞茸は食べやすいサイズに手で割いて、
薄力粉をまぶしてから衣をまとわせて揚げ焼きにする。
アツアツでいただくと美味いこと美味いこと。
もも肉とはまた別の良さがある。食感がいいし。
こりゃチョビッとだけ胡椒と岩塩振っても美味いな。次回試そ。


ソーイングビーは80年代風ジャケット。
肩パッドはどうみても可愛くないと
その価値がわからなかったけど
当時は働く女性、強い女性、社会の前線に立つ女性の装い、
いうなれば武装としての機能があったようだ。
つまりそれは
”守られるか弱さ”からくる可愛さとは対極にあるもので、
男性的価値観におもねらない美性を打ち立てたわけだ。
可愛くないのは成功形であるといえる。

そのままなんとなく
うちまで着いてっていいですかを見た。
22歳エロゲ大好き美女とテロップに打たれていた。
エロゲというより
原画師であるカントク氏の大ファンのようで、
部屋中がカントク作品、ポスター、グッズで埋め尽くされていた。
生きることが辛く苦しかった中学生時代に
カントクの美少女絵を見て
なんて可愛いんだと惚れ抜いてしまい、
それからずっと生きがいみたいになってるという。
本人には誇らしい生き様のようで、
生まれ変わってもこの人生がいいと宣言していた。


22時半過ぎに入浴。最近は早めに入れている。
もしコロナにかかったらを想定しておきたいと、
妻から相談があった。
今現在妻がコロナにかかると産婦人科にかかれなくなる。
急性の出血をしても産婦人科医に見てもらえない、
となるとことは重大だ。
幸いほとんど家から出ない生活をしているから
可能性としては僕がもってきてしまうという方がずっとありうる。
僕が陽性となったらどう自宅隔離するか、
どう生活するか、面倒見るか、といった話をした。
何よりまず僕がかからないことだ。
外食はしない。
不用意に人と口を利かない。
店への出入りは最低限に。
手洗い。
うがい。


寝る前、ちょっとだけトキノ書き進められた。
30分かけてもほんのちょっとだけ。
すでに書きやすいところをバーッと書き散らしたあとで、
こっからがキツイんだよな。
こっから仕上げ段階に至るまで。


2022年01月09日(日) 不快にさせないコメント、ちんどん屋、家を買う話

早寝しただけあって妻もちょっとだけ早く起きてきた。
飯食ってほんのちょっぴりノンビリしてから、
洗濯もの干してOKストアで買い物して帰ってきて
風呂入ってミュークルドリーミー。
久しぶりのミュークルドリーミー。
俺の心を乱し落ち着けるミュークルドリーミー。
今日も皆イイコだった…
ちあちゃんがプリンセスだと明かされたが
そんなプリンセスをあのお空の国の女王二人は
地上めがけて放り落したのか…相変わらずヤベエやつらだな。

昼飯はぶっかけと辛ラーメン。
どちらも美味い。
男子ご飯で特集していたレシピも美味しそうだったけど
結局ぶっかけのうどんが美味しいんだよなあ。
これより美味しいもんそんなにはないからなあ。

昼過ぎ、原神やってから
先に夕飯の肉じゃがをつくってしまった。
味をしみこませたいからとかなり早めに着手したのだ。
玉ねぎはたっぷり2コ。
ごま油でじっくり炒めて、
一口大にしたニンジン大をたっぷり2コ分追加で炒めて、
さらに豚バラ肉。こちらは少なめ。
肉にまで火が通ったら水、酒、みりんを入れて
いちど沸騰させてざっとアクをとったら
しらたきと醤油、めんつゆを加えて
今日はじっくり1時間ほど煮込んだ。
ジャガイモは傷みやすいから、
ジャガイモだけは夕方に入れる。

その間に映画鑑賞。
ぼくの伯父さん。
この前のプレイタイムの監督。なんとかタチさん。
やっぱわからんな。
でもめっちゃ画面面白い。
そして考えごとが捗る。
あと眠くなる。

夕方、掃除機がけ。
週に1回の掃除機がけ、
頻度は別に誇れもしないだろうけど、
引っ越して以来
どんな週末でも欠かさず週に1回かけつづけてるのは
エライと思う。
ちゃんと15分くらいはかけてるし。


ふと思ったこと。
人に嫌われないように、人を不快にさせないように心がけた発言は
言うまでもなくたいてい面白くなくって
そのぐらいだったらガンガン不快にさせてしまえよと思うわけだけど
人を不快にさせないように心掛けた発言が
人を不快にさせてしまってることがままあり
これはもう最悪。

人を不快にさせないように、ていうのは
コメント
にあらわれることが多い。
相手が何か言った、何かしたから、一言差し出さなきゃいけない、
っていう決まりごとみたいなパターン。
テレビ、芸能人から広まった悪の文化だと思う。
かつて欽ちゃんは、タレントたるもの
「とりあえず何か返せ」
と指導したそうだ。
それはたしかにテレビ番組に求められる能力であり、
というか不可欠な機能であり、
ある言葉やある事態が発生したら
まごついたりせず
「とりあえず何か返せ」
っていう。
しかしこれは常套化しすぎた。
しすぎた結果、
とりあえず何か返していない場合に、
ヘンな空気になる
という状況が生まれだした。
一般人の会話にも。
多くの人が、
何か言われたり何か事態が発生したら、
「とりあえずなにか言う」。
ヘンな空気になるのを避けるために。
その定型にのっとるのがコミュニケーションだと
カンチガイしているような考えなしは
もういっそ黙ってろよ。
口を開かなくたっていいんだから。
黙ってたっていいんだよ。
コミュニケーションて
そんなに丁重に扱ってやらなくちゃいけないような
か弱いもんじゃない。
暴言にも無言にも意味を与えてくれるもんだろう。


18時頃、
遊んで遊んでかまってかまってと繰り返す妻に付き合って
久しぶりにカードゲームをした。
その最中のBGMが難しかった。
テレビからスグにYoutubeを起動できるようにはなったものの
見たい動画もなければかけたい曲もない。
僕は延々Lo-fiでいいのだが妻は陰気臭くて嫌だという。
知らない歌手の知らない曲をかけ続けていたが
いずれもピンとこなかった。


夕飯はきっかり19時半、
ダーウィンがきたに合わせて。
虎の回。
毎年恒例、年始の一発目は干支に因んだ動物を特集している。
そして大河ドラマの宣伝をかねる。
それさえなければいいんだけどな。
虎はめちゃくちゃかっこよかった。
ネコ科の動物で、
あれだけ筋肉むきむきで重感のある生きものいないからな。
のしのし歩いてるだけでカッチョエーし
走っても飛んでも見とれる。
そして超怖い。


吉見俊哉編の路上のナントカいう本読み進めてる。
ちんどん屋の話、すごいよかった。
よく知らなかったけどちんどん屋は広告宣伝業で、
楽奏しながら街を練り歩くことで
ある店舗やサービスを周知させる、商いの一種らしい。
異界の他者が賑々しく街に登場するというのは
いかにも現代的じゃないけれど
この本では若手の参入が途絶えはしないと問いていた。
そのうち、早稲田大学のサークル活動として
ちんどん屋の真似事?をしている学生たちに
インタビューをしていたのだけどこれがよかった。
街に登場してちんどん屋の振る舞いをしていると、
道行く人が笑顔を向けてくれる。
その様相を表す言葉として
「本当に笑顔で」が何度も登場する。
「本当に、本当に笑顔で」。
現代ではウソや気遣いというほどでなくとも
追従や愛想笑いに敏感すぎて、
“そうではない”と確信できる、
体感的な”本当に笑顔になってくれた”という現象が、
どれだけ価値あるものかが表れている。
街と一体化した感じがあって、と表現している学生もいた。
スバラシイ。
街を生きる理想的なありかただ。

本ではその後、サウンドデモに触れていた。
こちらも共感できる内容で、
車に占有された道路の実状を嘆き
路上開放をかかげる人々が
音楽を演奏したりあるいは路上で踊りまくることで
抗議を示すデモなんだそうで、
こちらもスバラシイ。


僕は踊りとか歌とか演奏とか
そういう原始的なおこない、
世界との通信しようとする態度が好きだし敬慕してるから、
見聞きするたんびにスバラシイスバラシイと感動するのだけど、
じゃあ自分自身はどうか
と向き合ってみたときに、
つまり
ちんどん屋を体験してみたらいいじゃないか とか
路上で踊るお祭り騒ぎしてみたらいいじゃないか とか
検討しようとしてみても
絶対やろうとは思わない。

たぶん
やってる人は言うだろう、
「大丈夫大丈夫、そういうの苦手な人とかいっぱいいるから。
でも難しいことなんにもないし、とりあえずやってみればいいから。
やっちゃえば、ああこんなもんかってなるから。
悩んでるならやったほうがいいよ」

そういうことではない。
そういうことではないんだな。

この
 そういうことではなさ
の複雑系が僕の文学意識の根っこだと思う。
なかなか言語化はしえない。
というか
した途端にウソになる。
だからこそこれは
文学の領分で取りざたされるべきもの。


妻は正月からかかりきりだった革細工を
ようやくほとんど完成というところまでこぎつけた。
が母子手帳にはめるにはサイズにやや難があり、
何より革のカバーを装着させると
表紙が見えなくなって
これは
 いざ
というときに
他人が一発で母子手帳と判別できず
困るんじゃないかと懸念して、
結局お薬手帳の方に装着する運びとなった。


23時前に入浴。
家を購入するプランについて練りたいと妻が持ちかけてくる。
正直なところ
そういう大きな話からは逃げたい。
実際自分は、資本主義社会が前提とする
未来志向型の(虚像、共同幻想型の)人生観が好きではない。
というか
世の多くの不幸の元凶とすら見なしてるから
憎悪の対象とすらいえる。
ただ実際問題、
「持ち家はほしい」という夫婦単位の意志がある。
となると、ローンを組むにあたっては
年数の勘定がシビアとなってくるから
いつまでも放っておけない。
待ちの態勢でばかりはいられない。
妻の方でもそのあたりを熟知しているから、
僕の考えかたがどうであれ、
ソレはソレとして早く話を進めましょう、となってくる。
嫌だな。
が、
嫌だなと思っている僕をつつくような振る舞いを
妻自身もしたくない、させないでほしいと思っているだろう。
なにぶん一人で生きてるわけではないから
折り合わないといけない。


間接照明について検討。
居間が暗いので。
とりあえずピンライトを当ててみた。
おしゃれではないが
読書しやすくはなる。


0時過ぎに寝室へ。
30分くらい本読んで1時前に寝た。


2022年01月08日(土) 読書、コロッケ、しょうもない休日

晴れ。
庭の雪はまだまだ残っている。
路上からはだいぶなくなった。

朝から図書館へ。
読みたい本2冊の取り寄せをお願いした。
初めてか随分久しぶり。
あと吉見俊哉編の路上のナントカいう本と、
内田樹の呪いのナントカいう本と、
現代社会用語集という本を借りてみた。

OKマートで買い物して、いったん家に戻って荷物を置いて、
さらに西荻へ。
100均、肉屋、八百屋、TSUTAYA、餃子屋行って
帰ってきたら
そのまま風呂へ…という計画を今日は諦めた。
各所でちょっとずつ余計な時間をくってしまっていたので。
大人しくアラビアータを作る。
オリーブオイルでニンニクと鷹の爪を炒めて
トマト缶をまるっと入れて水足して中火で煮込む。
水分がなくなってきたら足す。
20分から30分くらい。
この間に、好みでケチャップやソースを足したりする。
お湯を沸かしてペンネを茹でる。
7分くらい経って、まだ歯ごたえ感じるくらいで
フライパンのトマトソースの方にペンネを移して和えていく。
塩、ブラックペッパーで味を調え、
粉チーズふりかけてイタリアンパセリを飾って完成。
美味かった。
けど今回ウスターソースの代わりに
おたふくソース入れたからその味が強かった。
甘いんだなあれ。


昼間は原神やったり本読んだり。
原神はマップ追加されたから探索が楽しい。
このゲーム結局、新マップのタイミングが一番楽しい。
イベントもなんもいらない。

本は、借りてきた現代社会用語集というのを読み始めてみたけど
ものすごい悪書。
このタイトルでまさか
著者個人の見聞してきたことのメモ書きとは思わんもの。
イヤーこれはきつい。
これまでどんな悪書だろうと
 薬も食らう毒も食らう
の精神で読了してきたけど
今回ばかりは断念するかもワカラナイ。
主観と僻見に満ち満ちてる断定的な文章の浅慮っぷりにウンザリする。


夕飯はコロッケ。
まさかコロッケを一から作る日がこんなに早くやってくるとは…。
しかし調べてみると、そんなに面倒でもなさそうだった。
じゃがいも3コを電子レンジで温めて、
さらに茹でて柔らかくする。
その間に玉ねぎ半分とニンジン少量を細かくみじん切り。
サラダ油で炒める。
合いびき肉300gくらいを加えてしっかり火を通して、
塩コショウ、ナツメグで濃い目の味付け。
水分は飛ばす。
ジャガイモをボウルにあけてマッシュして、
肉の方に混ぜ込む。
これでタネが完成。
小判型にして空気を抜いて、
パットに並べて冷蔵庫で1時間ほど冷やす。
今回は急冷モードで冷やしたから30分経ったら出して、
油を170度に温めている間に
小麦粉、卵1コ、パン粉を用意。
小麦粉はまんべんなくつけて、
卵…水大さじ1を溶いてよく混ぜておいたもの…にひたして
パン粉をたっぷりとまとわせて、揚げる。
はじめの1分は弱火。
そっからちょっとずつ火を強める。
弱火、中火、強火で計6分くらい。
そもそもタネに火が通ってるから
あんまり火の通りを気にしないでいいのは楽だ。
焦げ目がついたくらいで引き上げて油をきる。
キャベツに乗せてできあがり。
めちゃウマ。
かなり味が濃い。ナツメグ入れすぎたな。
でも妻はさらにおたふくソースかけてた。


食後、iPhoneに音楽を転送する、
本来なら5分で済む作業にずっと手間取らされた。
Appleがバカだから時間を浪費する。
5分で済むことを30分やってる。
音楽入れるだけのことなのにほんとバカだな。
旧来の製品ですぐ済んだことが
どうしてこんなことになるのか。
映画見たかったがAppleがバカだから諦めた。
Appleがバカで休日が腐る。
不愉快だな。不愉快。気分が悪い。
なんでこんなバカのせいで時間浪費しなくちゃならんのだ…
時間がもったいない…
人生が削られてる。
こんな気分じゃ何も楽しくできないし何にもする気になれないし。

でまた原神やった。
するつもりもなかったけどやってみると自分の未熟さが浮き彫りになる。
何が未熟って、
ゲーム内の暴力でスカッとしているっていう。
まんまガキだな。
クンフーがたんねえ。


なおも庭に残る雪を妻は楽しんでいるが
不意に呼び出されたので縁側から降り立ち案内されてみると
新雪に足跡が残っている。
猫かなと検討をつけて、一度部屋に戻った後
照明を持参しもう一度二人で観察してみると、
どうやら鳥の足跡らしいことが伺えた。
ヒヨドリ可能性が高いようだ。
犯人探しのようで楽しかった。


入浴してバナナジュース入れて飲んで
本読んでおとなしく寝た。


2022年01月07日(金) 雪道、自由恋愛の価値、気持ち悪さの学習

7時20分起床。
寝室のドアを開けてスグに
廊下から見える銀世界に感動した。

昨日の例があるから
大量のダンボール、ペットボトルを早めに捨てに行った。
地面は凍っている。
隣人が雪かきをしていたので挨拶してみたが
あまり余裕なさそうだった。

弁当はチンジャオロース。
酒、醤油を少しだけ温める。
チンジャオロースはもう毎回、
一食してから味付けをし直すその時、
つまり弁当時に完成をさせている。


妻は朝からカメラ撮影に精を出していた。
普段は寒い、眠いといって朝まったく動けない妻だが、
自身から発した動機づけさえあればいくらでも動く。
大して着込みもせずに庭に出てひたすらシャッターを切っていた。

僕は普段より早めに支度を終えた。
徒歩で向かうにせよバスで向かうにせよ、
こんな日にはどんなトラブルに見舞われてもおかしくない。
さていつもと比べて7分前に出発がかなうぞというタイミングで
庭先の妻から呼び出された。
雨樋の垂れ下がる大松の葉や枝にツララが連なっている。
これを見せたかったらしい。
なるほど呼び止める価値のある光景だ。
いいもん見たとホクホクしながら家を出た。


路面凍結は十二分の注意がいる。
バスで行くか悩ましかったものの、
車移動は車移動で、スリップ事故が危ぶまれる。
比べれば徒歩移動の方は気をつけさえすればいい。
雪道を歩き進めていきたい誘惑も手伝って、
のんびり徒歩で向かうことにした。

駅まであともう数分というところで下り坂。
踏みしめる雪もほとんどなく、
薄氷の張っている坂道はどれだけ警戒しても
警戒しすぎることはない…とペースを落としたところで、
真ん前におっさん…お兄さん?…
もう自分と同年代くらいの男性を
どう読んだものかワカランくなってきたな…
まあとにかくサラリーマンが真ん前に入り込んできた。
速度はほとんど変わらないが何分真ん前なので
正直ジャマだなあしかも片手に缶コーヒー持ってあぶなっかし
 あ
  ちょ あぶねってバランスあ あー
と思う間もなくころびなすった。
きれいに。スッテンコロリンと。
…でも手を差し伸べたところで支えがあるわけでもなし、
かえって引き上げようとするこちらも転びかねないだろうし
見て見ぬふりが彼のためかとスルーして
そのまま通り過ぎた。
その瞬間、通行人がまさに僕が諦めた
手を差し伸べて引き上げる動作を試みようとする光景が
ちらりと見えた。


電車は遅延なし。
中野駅からは地下鉄となるが
そこまでの3駅は高架の眺めだから
雪に埋もれた東京の街並みを一望できる。
しかしせっかくの雪景色であるのに
車中の人々はスマホいじりか
疲れ果てて目をつむっているかで
断然もったいない。
と、惜しがってる僕にしてみても
十数秒だけ景色に見惚れたあとは
日課のネットニュースを追うなどの
くだらない時間の世界に戻っていた。


無事に出勤。
ほとんど誰も遅刻しているようには見えない。
リッパなもんだ。


主人恋日記1巻。
少女漫画家を母に持つ陰キャ女子高生が
主人公という設定の少女漫画。
割と好きな作家だし、
自身が三人の子どもを育てる少女漫画家ということで
「恋物語の主人公とは」
を解き明かしていくギミックは面白いんだけれど、
結局は主人公の容姿がよく、
いわゆるヘンシンもの、
シンデレラものとなってしまうのは残念だった。

職場では、僕の隣の席にはもうすぐ40になろうかという女性がいる。
お世辞にもルックスが良いとはいえない。
化粧やオシャレでどうこうなるタイプでもなく、
骨格の時点でいびつ。
仕事ができる方でもなければ、
面白いことも言えない。
では寡黙孤立の人間独特の世界があるかといえばそうでもなく、
それなりに自発的なコメントは発するのだが
ことごとくが無味乾燥で頭に残らない。
強いていえば人並み程度の真面目さはあるといえる。
だがその武器一本で男性と恋愛関係を結べるかといえば、
実に厳しい。
人並みの真面目さは、今一歩で実直という美徳にもなり、
愛嬌一滴まじわれば健気という魅力にも通じるが、
この10年間その兆しも見えない。
もし自分が少女漫画の作者で、
彼女を主人公としたなら、を考えてみても、
納得のいく展開にはできそうにない。

こんな勝手な分析は彼女にとっては失礼極まる話で、
当人ならずとも不快になる人も多いだろうけれど、
僕には大事な問題意識なのだ。
「恋愛の価値」
「自由恋愛の是非」
「恋愛物語の位置づけ」
いずれも解決していきたい問い。


去年だか一昨年だったかの話題作、
転スラの漫画版を読んだ。最新刊まで。
全然おもしろくないな…。
いや、面白がることができなかったというべきなのか。
なはんて謙虚に日和るつもりもない。
中学生当時でも、つまんない扱いしていただろう。
正確にはあまり否定したくなるような要素もない。
イタイとか寒いとか下手だとかいうんではなかった。
ただなんにも感興を誘う要素がない。
ガキ向けにしてもお粗末だ。
いわゆる俺tueeeeee要素くらいしか見どころない。

ウシジマくんスピンオフの肉蝮伝説を読み始めてみた。
こちらも面白くない。想像通りの出来。
緩急がなくて初っ端からずっと暴力、非日常、凄惨だから、
本編であったような恐ろしさが全然感じられない。
非日常がスタートライン、話の基準になっちゃってて
もうまったく暴力的にも見えない。
こっから面白くなるのかしらん。


東京新規感染者数900人超え。ハイペース。
去年のピークはどのくらいだったかもう思い出せず調べ直したら
8月に連日5000人超えをしていた。
よく忘れてたもんだな。
危機意識だなんだって、結局カタチだけかい。


帰宅時には雪はかなりなくなっていた。
結局はほとんど人通りのある路地しか歩いてないってことだ。
街のスミッコを覗いてみればちょこちょこ残ってるんだけど。


夕飯は七草粥。
買っておいたセットを茹でて、
おかゆだと時間がかかるから
冷凍のご飯を温めてから煮立てたもの。
うんオイシイ。
名目通り胃に優しく
ホッとする感じがする。
しかし妻は食後、
七草粥はコレはコレ、コレはアレ、
と草の一つひとつを名指していくのが楽しみなのに
今年は食べるのに夢中でまったく忘れていた
と惜しんでいた。


昨日の友人夫婦の話の続きをした。
ちょうど最近考えていた問題意識に紐付けてみた。
たとえば企業家や政治家が大掛かりな不祥事を起こした、
そのニュースを見かけて
責任回避に必死だなと鼻白む場面は多い。
大体、そもそもの仕組みが
責任をとりにくい、責任を所在を分散している、
誰もが責任を逃れられるようになっている…ようになっていて、
少なからぬ人々が、そのシステムを白眼視している。

が。
誰にどんな問題が起きたって、
親しい間柄の人間…親友や、親、配偶者など…は、
あなたのせいじゃないよ、と
いってあげたいだろうし
いってあげるべきなんだろうし
少なくとも
そういえる余地はあるべきなんだろう。
とすると
誰か一人に、言い逃れできないように責任がのしかかるような仕組みは、
それはそれでよろしくもない…ともいえるかもしれない。
この観点は重要だ。
だがそれは結論ではない。
いろんな問題ごとに適用できるってだけ。

新型コロナが流行して以来
様々な言説が飛び交ってるけど
今ここで思うのは
「感染は常に誰かのせいにできる」点だ。
必ず誰かから感染したわけだから。
それは
「本当は俺は悪くない」にも通ずる。
その理非、是非はおいといて、
「俺は悪くないのに」という思いが発生しても全然不思議じゃない。
今回のケースに当てはめてみると、
夫からしてみれば、
「沖縄で誰かにうつされた」
という思いがあるだろう。
たとえば、
「俺は反対していたが友達の意向で滞在が長引いた」
「地元の人との接触は極力避けていたが向こうからグイグイこられた」
「米兵御用達みたいな場所に面白半分で連れて行かれた」
「やたら咳してるのにマスクつけてない奴がいた」
いくらでもそんな状況は考えられる。
そして
当人からすれば、
親しい人間には
「あなたのせいじゃないよ」
ととりあえず言ってもらいたいものだと思われる。
言われてから、いや自分も悪かったんだがと省みることもできようが、
真っ先にそのフォローがないと、きっと気分は害される、
というか心に余裕のないまま応答することになる。

…ってだけじゃなくまだ随分いろいろと考えたけど
いったんここまで。


妻は仕事が残っているとのことで
居間にノートPCを持ち込んで作業していた。
おえらがたの作成した公文書の草稿の書式が甘いと嘆いていた。
情報の整理法がなっていないとのことだ。
「キマリゴトとして駄目なわけじゃなかったとしても、
私はこの出来上がり、すごく気持ち悪い」
その気分はわかる。
そして、相手にもこれが気持ち悪いことなのだと感じてほしい、
後輩を教育しているとこの感覚はよくある、
それを気持ち悪いと感じるように教育していきたいっていう…
と継いでみると、
まさしくその通りだと妻は共感を示したが、
「これはいたるところであるよ。
人が人と関わっていれば理解と誤解と錯誤とが渦巻く。
その差の、間のところで発生するズレだから
もうめちゃくちゃいろんなところであるよ。
きみ相手だってそう。
例えば部屋に衣服が脱ぎ捨てられてるのを
ダメとか怒られるとかいう他律的な戒めじゃなく
まず気持ち悪いって思ってほしいっていう…」
「あ、よく言ってる。それよく言ってるね。
そっかあ。ウルセエなあ」
元気な口の悪さだった。


2022年01月06日(木) ゴミ、積雪、余裕のないとき

晴れ。寒い。午後から雪が降るとかなんとか。
8時前、年末年始にたまった燃えるゴミ袋を出しに行った。
まだゴミ箱には残っているがそっちは出勤がてら出すつもりで、
しかし万一収集車が先に来ていたらかなり災難だからと
出せる方を先に出したのだ。
結果的にはよかった。
出勤時に最後のゴミ袋一つを出そうとしたらもう回収されていた。
よくはないがよかった。
一つは残ってしまったがリスク回避はできたし、
今の庭ならゴミ袋一つあと3日置いておいても支障はない。
生ゴミとはいえ冬場だし。

でも年末の回収最終日に続き
今回の年始の回収開開始日にも
収集場にゴミ袋が溢れておらず驚いた。
前の住まいだったら溜まりに溜まったゴミ袋がワンサカだったもんだけど。
区域に対する住戸数の少なさ、住民の少なさ、
それに年末年始に帰省しているといった生活態が反映しているんだろう。
毛並みがいいな。


妻には鶏肉と白菜の炒めものを弁当に仕立ててやって、
僕は昼に絶対にラーメンを食べるつもりで
朝からずっと楽しみで仕方なかった。
この楽しみがあればこそ
凍えるよな冷気にも喜んで耐えられるってもんよ。

待ちに待った昼休み。
会社から出てみると、雪。
…雪!
本日12時ごろから東京でも雪が降る可能性が…
と予報で言ってはいたが
本当に12時ピッタから振り始めたな。
ラーメン屋では入店早々メガネが曇って参った。
券売機のメニューが見えない。
必然、メガネをずらして操作しなければならず苦労した。
おりゃー視力0.01だからよお。
ほとんどカンであっさりラーメンを引き当てたぜえ。
そんでようやっと食べれたラーメン美味かったわぁ。


東京の新規感染者640人。昨日から倍増。
100、300,600とこれまでにないペースで増加してる。
こっぇえー。
大抵の人が一年前より危機感ないしなあ。


夕方、積雪。
思いのほか積もった。九段下の景色はなかなかきれい。
荻窪の駅前は路面がやや凍結していて危なかったが
住宅地の方が新雪を踏んでいけるので安全だった。

OKストアで買い物して帰宅。
路地裏はみごとな銀世界。
雪は止んでいて、たまに吹く風が電線上に
か弱く乗っている雪をふわりと舞わせると
雪片が電灯に照らされてキラキラして綺麗。
あちこちで子どもが遊んでいた。
雪だるまを作っていたり、雪玉を投げたり、
ただ歩いたり走ったり、どの子も楽しそうにしていた。

足元に注意しつつ雪景色独特の気分に浸りながら帰宅。
玄関先に雪だるま。中くらいのと小さいのといくつか並んでいる。
妻が仕事をさぼってセッセセッセとこしらえたもののようだ。
身体を冷やすなというのに。
室外機の雪だけ取り払って家に入った。
見て
と妻が言う。
「見つけた」
コタツのスイッチだった。
現在居間に置かれているテーブルは
本来ならコタツであるのだが
購入当時これをそういう用途で使うことを妻は疎んじて
スイッチをどっかに追いやってしまった以来行方不明となり
今更コタツとして機能させたくてもさせられない
不遇の日々が続いていたのだが
ちょっと探したらすぐ見つかった、とのことで
あとで試してみることにした。

妻が言うには、降雪のさなかでも鳥はガンガン来ていたらしい。
庭を見ていると見事な美景。
妻はよくはしゃいで、カメラを取り出しあちらこちらを撮影していた。

夕飯はチンジャオロース。
牛肉だけボウルに入れて醤油みりん酒生姜ニンニクで下味つけて
冷蔵庫で15分。
その間にピーマンとタケノコ用意して炒めて
30分くらいでちゃっちゃと作った。
ご飯は冷凍を解凍。
その間にコタツをセットしてみた。
布団カバーはナシ。
着け始めは焦げ臭い。そういえばこんなんだったな。
チンジャオロースの仕上げにオイスターソースをちょろっと足して…
というところで
ブレーカーが落ちた。
エアコン、コタツ、電子レンジ、テレビ、電気ストーブ、
ほか待機電力もろもろ…
さもありなんさもありなん。
一発はあるかと思われてきたが
これまで結局落ちてこなかったんだよな。
ブレーカーはさっさか上げてコタツのスイッチを止めた。
電子レンジがいかんかったな。
しかしまさにオイスターソースを注ぐときに
明かりがなくなってしまったものだから
どれだけフライパンに垂れたやらワカラナイ。
かといって味見もせずギャンブル的な味付けになった。

が美味かった!
チンジャオロースはえらいな。美味しくえらいな。

食べ終わってから
コタツ用布団カバーについて調べた。
正方形のかなり大きめのサイズとなるし
5000円はしてしまう。
デザインにこだわれば10000円を超える。
もともと用意するつもりのなかったコタツ設備に
それだけのコストはかけたくないし、
シーズンがすぎればただただ邪魔である。
またよくいう話、部屋にコタツがあるとそこから出れなくなる。
妻がそうなるのは目に見えてるが
それに加えて僕までもが出れないとなると
この住まいの維持機能が絶える。
スイッチが見つかったことは嬉しいが
だからといって強いて使わなければならないわけでもなく、
暖房器具ならたとえばホットカーペットなんかでも
じゅうぶん効果を発揮するだろうから
検討できないだろうか、
そんな話をした。

といっている間に
先日もウチに来てくれた妻の友人から妻へ電話が入った。
一度は書斎にこもったが、
15分ほどして戻ってくるとスピーカーホンにして、
コタツをどうするか悩んでいる件を相談した。
彼女の案ではホットカーペット推しだった。

電話を切ってから、彼女から妻への相談内容を知った。
なんでも新婚の旦那さんが正月に沖縄へ旅行に行ったそうで、
沖縄といえばここ数日のニュースでは感染者激増が騒がれ
今日に至っては新規感染者数が900人を超えたが、
年末時点ではまだ収束ムードもあったことであるし、
年始の友人との沖縄旅行は長年続けてきた定例行事とのことで、
それ自体は責められない…のだが、
あいにくPCR検査の結果は陽性となってしまったらしい。
無症状ではあるものの、結果はそうなってしまった。
今は自宅で部屋を別々に過ごし、
電話にて夫婦間の会話を試みたそうだが、
彼女は茶化すつもりでもなく明るく迎えようと、
今のお気持ちをどうぞ、と記者風に応じてみたらしい。
この一言が軽率であったのか、彼を怒らせてしまった。
彼女は謝ったが彼の方の怒りは収まらず、
今のはオカシイ、他の誰かに聞いてみろ…
と突き放されたそうで、
それで電話をかけてきたとのことだ。
妻は、
謝ってるんだからそれ以上ナニすりゃいいんだと、
旦那の態度に否定的だった。
加えて、それは当事者二人の問題であって、
他の人間に意見を聞いてみろというのもズレている、
といった答えを示したそうだ。

僕はそれよりかは柔和に受け入れたい。
無症状とはいえ不安はあるだろうし、
仕事への影響も大いに懸念されるし
友人たちへの心配もやまないだろう。
つまり到底余裕がない。
余裕がないと人へのあたりはきつくなる。
大抵の人間がそうであるし
そうありたくないとしている僕自身にも覚えがある。
普段なら流せる失言にも厳しくなるし
理不尽な応対だってする。そういうものだ。


今夜も早めに入浴をした。
その直前、うどんを食べることにした。
雪景色の庭を見ながらだ。
1玉のうどんを2つの器に分けて、
窓を開け放し縁側に腰掛けて食べる。
寒いことには寒いがうどんで温まるし、
どれだけ身体が冷えてもすぐ後には風呂が待っている。
最高の3分間だった。

入浴後、踵のヒビ割れについて妻からレクチャーされる。
僕が調べもせずにドラッグストアで買ったものは
 捨てろ
とさとされて、
自前の品の中から数日間これを試してくれと渡されたものを塗った。


0時半ごろ、寝室へ。
雪の冷気により冷やされきっている。
暖房と湯たんぽの力を借りてもなお寒い。
これまでにないほど寒い。
20分ほど夫婦でぎゃあぎゃあ寒がりながら、
本を読んで寝た。


2022年01月05日(水) 仕事始め、あきらめへの誘惑、未来からの開放

晴れ。
7時20分に目覚め。
休み明けでさすがに眠い。
ただそんな気力のなさを見越して
昨晩はキーマカレーにしたのだ。
弁当はご飯とキーマカレーを温めるだけでほぼ出来上がる。
ちょっとだけ醤油とオイスターソースを足した。

北朝鮮が日本海に向けて弾道ミサイルを発射したとの報道を
背に受けて家を出た。


仕事はほとんど何もない。
入ってくるはずの仕事が遅れているようだ。
弁当は美味かった。
うちの会社は基本的に各員曜日ごとの残業が定められている。
僕は月水金で今日は残業のつもりだったのだが
18時25分になってから
差し迫った仕事がなければ今日は18時であがってよかったことが判明。
先にあがっていた無能先輩が伝達できていなかったのだ。
それでも残魚無しであがれるならオイシイ、
ヨカッタヨカッタと穏やかに帰途についたのだが
だんだんと苛立ってきた。
たかだか20数分のズレとはいえ
帰宅後のまとまった時間でとらえると
立ち回りに大幅な差が出てくる。
残業なら残業で、職場でできることはあったわけだし、
結果的に最も非生産的な時間の扱われ方となる決着をした。


19時過ぎに荻窪到着、
今日はうどんの予定だったところを差し替えて
豚バラと白菜と大根の煮込みにすることにして
OKストアにだけ寄り19時半に帰宅、
ご飯も冷凍してあったのを温めただけで済ませたから
20時には飯が食えた。
テレビではテレ東の
 うちまで送っていいですか
を久しぶりになんとなく見始めた。
ちゃんと見るつもりはなかったが途中から見入ってしまった。
代々木の一戸建てに住む69歳の男性。
家は広々とした日本家屋…のはずなのだが
ゴミ屋敷と化している。
その中で、とくに不自由そうでもなく
明るく呑気に不衛生に暮らしている。
今は遺産だかなんだかで食いつないでいるが
あと7,8年もしたらその金も尽きるんじゃないの…と笑っている。
別に死んでしまっても構わない、
おれを知ってる人間もいなくなっちまった、
親も妹も死んでしまって、
自分を知ってる人間がいないんじゃ、え、生きてる意味、ないじゃない、
という話には含蓄があった。

またその後、キングオブコントで優勝した
空気階段のなんとかモグラが
まだほとんど売れていない5年前の時点で
この番組にたまたま取材されていた映像を放映していた。
ギャンブルや風俗で重ねた借金が500万円あり
高円寺にある金のない芸人のための部屋に
先輩と一緒に暮らし
家賃14000円をたまに払っている…
彼が人間的にどれだけクズか、といったエピソードが語られていったが
結局は芸人の道で結果出してるわけで、
売れた今でも借金は何百万とあるそうだが
これは掛け値なくカッコイイ、
どころかほとんど芸人の理想像なんじゃないかとすら思った。
大阪芸大の学費が払えずに退学したものの
落語研究会でお笑いを面白いと思い芸人を志す、
風俗のボーイなど勤めつつ
日用品などは先輩の世話になって
あとは競馬パチンコしてその日暮らし…
才能がなければ落ちぶれていくだけの人生だったかもしれないところを
才能によってみごと開花させた。
いや結果は置いといても、まず捨て身になれる生き様が強い。
後先考えず…いや考えていたのかもしれないが世間一般からすれば捨て身で、
ゼロやマイナスの地点に身を置ける時点で、
ある羨ましさをもつ人は持つだろう。僕はもった。


原神の大型アップデート。
ダウンロードが遅々として進まない。
回線というよりPS4の問題かもしれない。
ルーターとPS4の両方を再起動したらマシにはなった。
その間に、だいぶ早めとなるが入浴することにした。
連日少しずつ読み進めている住まいのシェアについての本を今日も読む。
ベラルーシの長屋の事例が載っていた。
広場を中心に掘っ立て小屋が連なって、
ここで彼らは一時の共同体となり
生活用品や育児などを協同しているという。
音は隣人に筒抜けで会話はおろか夫婦の営みさえ丸聞こえ。
ただそれらは、聞いてないことにするという暗黙のルールがある。
一方で、子どもを打擲するような気配がしたなら隣人は黙ってはいない。
そういった生活模様が紹介されていた。
黒澤の
 どですかでん
だったか
タイトルも不確かだし本当に黒澤だったっけ?とも
あちこち記憶あやしげだけど
あの邦画を思い出した。
人間の暮らし、社会の在り方の、一つの真実があると思う。
別に現実問題ああいった生活がしたいわけじゃないが、
羨むようなところもある。
彼らは今を生きている。その日その日を。
経済観念は「未来」の観点を導入する。
ある未開の地では「今、ここ」という現実態を常に生きていると
アルフォンソ・リンギスは説いていた。
吉見俊哉は大正時代の銀座を引き合いに
欧米から「未来」をまなざす視点を与えられたと論じていた。
どですかでんでバラック小屋に住む人たち、
冬には寒くて凍えて、
そうなると狭い部屋に敷き詰めた布団に
重ねられるだけ毛布やら掛け布団を
…それもろくに洗われていない、ボロボロの、異臭漂うような布地を…
ひたすら重ねていって、
あとはもうそこに包まって何もしないだろう。
それは現行社会が想定させる幸福像とはかけ離れている。
また当人にしてみても、
 寒い、することがない、ただただ耐えるだけの夜
というのはどうにかして抜け出したい環境だったりもするのだろう。
それでも、今そのときだけを生きている。
その時空間の実現は、
どんな大豪邸に住まうよりも羨ましいと思えもする。
あきらめへの誘惑。
未来からの開放。


寝際、妻はiPadを楽しんでいた。
ドット絵を描けるアプリを試してみたところ感動したらしい。
画面の大きさと操作性、なによりペンで描けること。
これまでスマホ画面に指操作でチマチマ描いてきたわけだから
感動もひとしおだろう。
絵を描くとなればマウスで描いてきた僕にもよくわかる。


2022年01月04日(火) 米中論、市場原理、内面の自由

お休み最終日。晴れ。
寝坊して9時過ぎに起床。
朝ごはんだけ食べてスーパーに繰り出すつもりが、
物価上昇のニュースを見たばかりに夫婦で議論となった。
僕は市場経済型社会の成り行きを訴えた。
中国における自由の制限は必ずしも悪しきものでもなく、
また独裁政治と呼びならわす危険性について論じた。
例えば他国における徴兵制にしてみても、
現状日本に住まう身からしてみれば、
いざとなれば戦場に駆り出される、
それでなくとも時間が浪費させられる点において、
御免こうむるという実感がある、
それは大多数の意見であるとも思われるが、
その国における地理的条件、歴史、国際情勢といった
諸々の条件のもとにおいては、「仕方ない」となるだろう。
だから他国の政情を語る際には、その国においての条件を
一通り踏まえた上で批評するべきなのだが、
日本の尺度をもってして善し悪しを語っている場合が多い。
明らかな悪が見えたとしても
近視眼的に善悪を裁定すべきではない。
また報道の偏向もあるし、そもそもアメリカ型の市場原理主義、
資本主義社会に最適化された民主主義の価値観で
物事を判定しようとする目線自体が被洗脳的であるのに、
中国や北朝鮮を見て
「この人たち洗脳されちゃってる」
と軽々しくコメントするのはかなり危うい。
それでもかわいそうな人はかわいそうだ、
と慈悲的な感情つつかれる問題についても、
それは一面的な見方に過ぎず、
ある秩序のためには必要悪として肯定されうる。
また、被害者や弱者に寄り添いたい心持ちと、
加害者や強者を糾弾したい心持ちとは弁別すべきであるし、
「何にしたっておかしいよ」
と述べてしまう感覚自体がおかしいのだと疑え、
そんな意見をあーだーこーだ述べた。
僕からすれば
内面の自由が何より大事だが、
外面的な自由を得ようとすると
それは植え付けられた幸福論…
健康でなければならない、結婚すべき、
金はもっておけ、趣味を謳歌しろ、…
に根差している場合が多く、
これは内面の自由を侵しがちであるから、
ホドホドでいい。
内面の自由の方も、
徹底すると山奥の仙人が理想像となってしまうが、
そこまでは求めない。ホドホドでいい。
バランスなのだ。
今は外面的自由が暴走している。

もろもろ省いて結論だけを言えば、
文学っていいぞ、
この一言に尽きるんだと言って締めようとしたが、
その文学が規制されたりするんじゃんと妻が笑うから、
規制対象となるのはあくまで出版物であって、
それこそまさに市場的な目線でしかモノを見ていない、
と話を続けることになってしまった。
妻は表現規制を何より嫌う。
それは表現を大事にしている層にとって当然の姿勢とも取れるが、
僕からすれば表現をなめている。
焚書されたってなんだって表現は生き抜く。
砂にだって絵は描けるし
耳元に囁いたって物語は語れる。
市場と作品とはあまり強固に結びつけられてしまって
表現というものがやたらと肥大化しているが
僕はもっと原始的な表現にこそその価値が認められるはずだと信じている。


1日に訪れた友人の弟からLINEが入った。
家に訪れた際には丁度風呂に入っていて挨拶できなかったが、
渡したパンデピスを食したらしく、その礼を兼ねてのメッセージだった。
感想がほとんどスパイスについて。
そういえばコイツは元々ラーメン屋になりかけていたのを
挫折したのかなんかのか方向転換して
グリーンカレー専門店を開こうとしていて
折悪しくコロナの流行が始まってしまったから
その計画は頓挫しているようだけれど
ことスパイスについてはかなりの専門家なのだ。
パンデピスは見た目がいいから何人もにあげてきてるけど
こうやってスパイスについて語ってきた相手は初めてだから面白かった。

今日は行くつもりだった温泉を諦めた。
コロナの心配が増してきているのと
なかなかお休み最終日ゆっくりできそうにないので。

随分遅れてOKストアへ。
ついでに寄るつもりだった図書館は今日まで休館だった。
しっかりお休みください。

帰宅後は焼きおにぎりの準備。
あと昨日の客から頂戴した出来合いのお出汁でお吸い物。
どちらもンーー美味い。

食後、映画。プレイタイム。この前寝ちゃったやつ。
面白い。
画面全体にピントが合っていて
画面のどこを見ていても
ずーっと何かしら動いている、何か起きている。
これだけ群像を描いた映画ってないんじゃないか。
誰が何をしたっていう筋がない映画はたくさんあるけれど
誰かが何かを延々し続けている映画っていうのか
それもひっきりなしに
その何かにもアイデアがあって面白いし
レストランでの狂騒的な描写はあれ見たかった映像の一つなんだよな。
DVD欲しいな。
バックグラウンドに垂れ流しておける。
全編にわたって言うなればノイズみたいなもんだし。

そっからちょろっと原神やって、テレビに戻したらハムナプトラやってた。
見るともなく見る。
妻はずっと革細工を…トンカチを隣でガンガン叩いていた。
ちょうどその頃に義父からLINEのメッセージ。
来週か再来週に広島へ行き、
義母の去年亡くなった母の仏前に挨拶しにいくとのお報せだ。
これに妻が怒っていた。
人の気持ちを考えていない、
今さら誰になんの挨拶があるのか、
結局自分のことしか考えていない、
そういった怒りだった。
僕はこれに対して、義父だって感情のある人間なのだから
そちらにも配慮した解決法が必要だろうという話をして、
そっからさらに家制度と血縁関係がどうのといって
レヴィナスの親子論についてもちょっと触れて

TSUTAYAへDVDを返しに行って
肉屋に行って財布を持ってき忘れたことに気づいて
一度家に帰って本日2回目のOKストアに行った。
ひき肉に加えてみりんと醤油などを買った。

帰ってから妻のリクエストに応じて
ぜんざいを作った。
作ったといってもほぼ出来合い。
小豆汁をあったまめて、焼いた餅を切って入れた。
そこで気づいたが僕はぜんざいを食べたことがない。
というかお汁粉も知らない。
味はわかる。あんこだから見当はつく。
しかし形がなんとなくしかわからない。
まあこんなもんだろというつもりで見た目整えてみたが
まずは器が違うと批判された。
味噌汁椀でいいようだった。
味もイマイチ。
餅も焼きが足りなかったようで固かった。
来年はちゃんと作ってみるか。
「そういえば、家庭によってはぜんざいに、塩入れたりするんだって」
「ウン、僕が調べたレシピでも大抵は入れてたな」
「ほんとに? 私、甘いものに入れる塩って邪道だと思うんだよ」
「君が美味しがってるタルト生地には必ず入ってるよ」
「エッ!」
「タルトでも、チョコレートケーキでも…。
こっくりと味が際立つからね。レシピの時点でそうなってる」
「まじか…」
「そのおぜんざいも、塩入れたら美味しくなると思うよ。試しておく?」
「試す」
結局それなりに美味しくなった。


妻は今日は一日中革細工。
その合間に漫画を読んでいた。
37.5度の涙。病児保育を題材にしたCheeseの作品。
この先始まる子育ての日々を先取りして
読むだけで疲れるものかと思われたが
今のところは楽しんで読んでいる。
まだ他人事として読めるものらしい。

作業中はとにかく夫に近くにいてほしいようで、
そうなると僕ができる行動が限られてくる。
そういえばとYoutubeで
ODD TAXIのオーディオドラマを垂れ流してやった。
5分が13話分。
ウーンようできてる。
劇場版というのが
アニメ本編の再編集版であり
最終回のその後も描写しているとのことだけど
公開した頃には脚本の様々を忘れてるだろうな。
多分見るとしたらレンタル始まってからだし、
そのときにわざわざ本編を通して見直しもしないだろうし。


夕飯はキーマカレー。
ピーマン、玉ねぎ、にんじん、エリンギを延々みじん切り。
だけど今回は初めて、
ハンドブレンダーでのみじん切りを試してみることにした。
あまり具合は良くなかった。
玉ねぎは1玉が入らない。半量ずつとなる。
これをチョッパーで切り刻む。
すると細かく切れている部分と、まだ切れていない部分とが出てくる。
十分切り刻もうとすると、今度は刻まれすぎた部分が多くなって、
おろしたみたいな仕上がりになった。
だからもっと少ない量で、ちょっとずつ入れていく必要がある。
となると、あらかじめかなり刻んでから投入していくわけで、
それだったらはじめっからみじん切りにしても手間はあまり変わらない。
結果は包丁みじん切りの方が良さそうだし。
だいいち、先日のタクシー運転手のナビ依存でもそうだが、
あんまり便利用品に頼ってるとザコになる。
バナナをジュースにするのとは違って、
包丁で十分できるのだから手でやった方が何かといい。
ただ今回はテストを兼ねてはいたので、
続いてニンジンとピーマンとエリンギも刻ませてみた。
いずれも玉ねぎより水分量が低いから
刻みすぎてもあまり問題はない。
そして確かに、賽の目より細かく刻んではくれる。一瞬で。
使いみちはあるのだ、きっと。
ほとんどないけど…。

そうして出来上がったキーマカレーは味がうすかった。
おかしいな?
せっかくの貴重なカレーの機会であるのに。
デブメニューだからあんまりやりたくないのよな。
塩分も知らず知らずに摂りすぎてしまう。


食後、妻はトンカチをガチコンガチコンやっていた。
僕にはやはり側にいてほしいらしく、
すぐ横のソファで読書していた。
また都市論、まちづくりの本。
勝手に悪い先入観もってた宮台真司が面白い。
屋上は何も目的がもたされていない空白の場所ってのはなるほどだ。
あといくつか示唆があって…
それらは"花束"にも"トキノ"にもつかえそうだ。
でもこの休み期間中ろくろく小説は読めなかった…。
そして執筆にいたっては全くといっていいほど書き進められていない…。
正月って駄目なんだな。
去年はズーッとゲームしてたわけだし。

オッドタクシーの考察動画をちょっとだけみた。
なんかいかにも素人くさいVtuberみたいなやつの。
やっぱ苦手だな。嫌いだ。うんざりする。この手の。
何がっていろいろあるけど
もう一番素直な気持ちとしては声が嫌なんだな。
口調が。
語り口が。
素人くさい声って大きらいだ。とくに男の。
じゃあ見るなよって話なので限界の二歩手前で閉じた。

昨日のタルトの残りを食べて風呂へ。
入浴後、久しぶりにバナナジュース。
東京都の感染者数増えてる。150人。
こっからオミクロン株の猛威が始まるのだろう。
年末年始の人だかりの結果もこれからだし、
真冬突入だし、
ワクチンの効果切れもあいまって、
感染者数がたやすく増えることは目に見えてる。
それでも以前とは違って
ほとんどの人間がまだ平常的に日々を過ごせていけるだろう。
僕はまた自粛に入る。
1月末に呼ぼうと画策していた友達との集まりもキャンセルするつもりだ。


オッドタクシーのOPがよかったから、
クレジットされていたスカートとPUNPEEというのを調べてみた。
スカートとはバンドで、オッドタクシーの楽曲には
そのキーパーソンが参加していたようだが、
スカートの楽曲そのものはピンとこなかった。
おとなしいフジファブリックという感じ。
PUNPEEの方が聴けた。
夜っぽさ、街っぽさがある。


0時過ぎ、洗濯物を部屋干しして寝室へ。
明日から仕事が再開するが全く実感がない。
お休みが永遠に続いてもらいたい。
ありがちなフレーズだな。


2022年01月03日(月) 来客もてなし、オッドタクシー

晴れ。
8時過ぎまで眠れた。
気持ちのいい朝。寒いけど。
朝食はフレンチトースト。
昨日の夜から食パンを浸しておいた。
卵液には牛乳だけじゃなく生クリームをつかったし
ちゃんとリンゴの薄切りをジュクジュクに熱して添えた。
チョコソースやメープルシロップはないので黒蜜をかけた。
うまうま。


チャッチャと片付けして西友へ。
イチゴ600円。まあするよな、しかたない。
帰宅して入浴。入浴ばっかしてる。でも気持ちいいから…。
都市のメトロポリス、ちょっとずつ読み進めていたけど
もう断念しよかな。
もっと読みたい小説ある。

昼飯はおとなしくご飯に広島菜、栗きんとん、黒豆、田作り。
あと昨日使い切らなかった美味しい牛肉。味噌汁。美味い。


タルトの仕上げ。
カスタードクリームを用意して
一度冷やしてからタルトに塗りたくり、
イチゴを乗せられるだけ乗せて
刻んだピスタチオを散らして
そっからさらに
面倒がらずけちらず、
ナパージュをまんべんなくぬりたくってツヤッツヤに。
おお…きれいにできた。
言い訳なしのタルトのできあがりだ。

掃除して、お餅を焼いた。
昨日と同じく醤油海苔。
そしてリベンジの、砂糖を混ぜたきな粉。
ただここで妻が、
今更言いにくいのだが私は別に
きな粉餅が好きなわけじゃないのだと白状した。
ひとえに懐かしさで食べたかっただけらしい。
コノヤローといっている間に客が来た。
妻の友人。
同年代の客を招くのは初めて。
とはいえ彼女は引っ越し時にも手伝ってくれたから
からっぽのこの家は知っている。
生活環境を整えてから来るのは初めてで
まずは庭並みに感動していた。
鳥がやって来やすいのは朝をピークにして14時頃までで、
15時を過ぎた今はペースが落ちるが、
それでも何羽かは見れた。
餌をつついている姿も鑑賞できた。

ただ居間でゆっくりしてもらえればよかったのだが
結局は全部屋を案内することとなった。
むきだしの寝室も、掃除の足りていないキッチンも…。
彼女の方は新婚で、一戸建てを購入したばかりの身。
話を聞いているとウッカリ暴言を吐きかねなかったから
あんまり口を挟まず聞き役でいた。

タルトのお披露目。
見た目はばっちり。
美味しかったけどピスタチオの味が弱かった。
カスタードクリームの甘さに負けてもーた。
美味しいのだけどもったいない。
今回は繊細な味のほうが絶対良かったのにと悔しくなる。

妻の友人に、金剛寺さんは面倒くさい全巻を貸した。
これは是非とも勧めたいものだったから念願かなって嬉しい。
宇宙よりも遠い場所も勧めたがこれは視聴済みとのことだった。
面白かったとは感想していたが
あの分だと別にハマッてはいなかったのだろうな。

今日がエアコンの効きがよく、
心配していた冷え込みにも見舞われず、
日が暮れてきてもむしろちょっとモワッとするような
暖房独特の熱気があった。
17時頃から夕飯の準備。
クレソン鶏もものスープご飯。
クレソン鶏ももを40分ほど煮出した時点のスープに
塩コショウだけして客に飲ませて、
彼女はバスで帰っていった。
妻は見送りがてらコンビニへ型紙のコピーをしに行った。

夕飯ギリギリまでその型紙の切り抜きをしているのを途中で止めさせて、
果たしてクレソン鶏ももスープごはんは大成功の美味しさ。
テレビは録画しておいたマジ歌選手権を見た。
牛乳を口に含むルールはなくしてしまったようだ。
番組は、どうにか最高人気時のノリを
維持しようと努めているのは伝わってくるが、
それでももう潮時感がイナメナイ。
大抵そういうもんだけど
初回とか二回目くらいまでがフレッシュで面白くて、
そっからは
良かったトコを踏襲し続けていこうって魂胆やら
ちょっとヒネリ加えて飽きさせないようにしようって作為やらで
だんだんと現場感が薄れてきて白けてくる。


オッドタクシー。
結局見切ってしまった。
最後は5話連続で観た。
面白かったな…ウンおもしろかった。
この手の、人と人との因果が立体交差して
事件が起こり収束していく、
その軌道上で多くの伏線が散りばめられ
終盤にバタバタバタッと回収されていく…
という作品には覚えがあるし、
そのなかで随一とまでは思わないけど
単純におもしろかった。
くやしさもある。
最終回の、一つの場所一場面に登場人物が集まっていて…
というのは、理想のクライマックスだ。
あとなんか女キャラ可愛かったな。動物の見た目でも可愛かった。
二階堂るいちゃんカワイソすぎる。
ていうかミステリーキッスが全員報われなさすぎる…。


あとはもう大人しく入浴して寝た。


2022年01月02日(日) 予定なき正月

晴れ。
今日の予定はとくなし。
朝から布団を洗って干した。
午前中に最寄りの西友へ。
正月でもやってるてなぁ助かる。
牛乳や野菜を買い、帰ってすぐ昼飯の支度。
玉ねぎ切ってサラダ油で炒めて
ニンジン大きめに切って加えて
しめじも加えてあと冷凍してあった豚バラ肉を
凍ったまんま加えてかるく火を通したら
水を足して煮る格好ととのえて弱火にして風呂へ。
入浴後、調理の続き。
カレーうどんだ!
がやや薄味の仕上がりで至高の美味しさには至らなかった。

食後、オッドタクシー1話だけ鑑賞。面白くなってきた。
原神やってちょっとノンビリ過ごしてから、今度は西荻へ。
TSUTAYAで自分用の映画を一本借りた。
昨晩にも友人から二本借りたのだが、
それらは妻も観たいとのことで、
しかし連休中に一緒に見る時間はもてなさそうだから、
今夜自分一人で観るようのものを借りたのだった。
そのまま西友へ。
ゴミ箱の消臭剤と明日用の野菜買ったりした。
あの西友やっぱ気分が暗くなる。
店内BGMがアナウンス付きで賑やかぽいから騙されかけるけど
店員も客もひっくるめてろくに人の声しないし
皆だまーって売り場をウロウロしている。
帰宅後、おやつにお餅を焼いた。
僕は醤油海苔。
妻はきな粉。
だがきな粉に砂糖を加えるもんだとは認識しておらず叱られた。
後から足したがあまり風情は出ない。明日出してやるか。

その後妻は2022年の手帳の細工に取り組み。
僕はケーキ作りにいそしんだ。
タルトは毎回、なんだかんだで言い訳の発生する仕上がりになってる。
ちょっとだけ横着してしまうのだ。
タルト生地、ちょっとだけ横着すればとても簡単にできる。
だがやっぱりそれなりの仕上がりになる。

ちゃんと作ろうとするとすごく面倒くさい。
めん棒つかって…ラップで二重にくるんで…
それでも久しぶりに、ちゃんと作ってみたかったのだ。このお休みをいかして。

手間を惜しまなかった甲斐あって、
きれいに型に敷き込めた。
満足。精神が満たされる。


夕飯はお義母さんから頂戴した霜降り牛肉を
すきやき風の味付けでドンブリにした。
醤油砂糖おだしでとったタレで牛肉をかるく煮て
ご飯に盛って
小ねぎをどっさり。
ウマカッター…。これは…まじうま…。


タルトの続き。
ピスタチオのアーモンドクリーム。
ボウルに常温に戻した無塩バター40gを入れて
ホイッパーでクリーム状に練って
粉糖40gを2〜3回に分けて混ぜ合わせて
ほぐした卵40gも少しずつ加えて混ぜて
ピスタチオペースト30gも加えてよく混ぜる。
アーモンドプードル40gを加えて混ぜ合わせたら、
キルシュ酒も少量加えてひとまとめにする。
生地にラップを密着させて冷蔵庫で1時間ほど休ませる。

でタルト生地にたっぷりと送り込む。
180度のオーブンで27分焼成。
焼いている間にオッドタクシーを観た。
順当に面白くなってってる。
順当に面白いねという感じ。

タルトはかなり上手に焼けた。満足満足。
色も形もいい。
でも底面見ると2か所、ぼっかり窪んでた。なんこれ。
表面的には見えないトコだし気にしなきゃあまあいいんだけどもよお。


そっから妻とともに妊娠中期にすべきことを確認し合った。
が16週はまだそんなに契機ともならない。
20週からまた庫とコトが動き出してくる。
ただとりあえず大晦日にタクシー呼んだ際に出せなかった
ゆりかご券がどこにあるかだけ探し回った。
部屋中。20分くらい探したか。
で結局大本のクリアファイルの中にあったっていう。単純な見落とし。
ゆりかご券による妊産婦タクシー呼び出しサービスは
6事業者にのみ適用される。
などなどを再確認した。


21時半過ぎから映画を観た。
70年代くらいのフランス映画。プレイタイムっていう。
いかにも前衛アートフィルムというか、これは…
ワケワカランつもりで観たわけだけど
実際ワケワカランまま進んでってかなり早い段階で眠気に見舞われ
おそらく20分時点くらいで寝入ってしまった。
きもちよかった。
また明日見るか。


かなりおとなしい日だった。休めたからいいか。
そういって自分を納得させている。
正直なところ、子どもが産まれるとなると、猶予がない。
本を読み足りない。
そして書きものが書き足りない。
全然足りない…。
あと半年もしたら読書量は激減するだろう。
書きものの時間なんか取れるんだろか。
書くにはダイブがいるから、
ちょっとしたスキマ時間にというわけにもいかない。
まとまった時間がないといけない。
それなのに
まとまった休みである今書けていない。
焦る。
という気持ちもよくないからと、
なんだかんだでごまかしている。

入浴してねむった。


2022年01月01日(土) 新年の挨拶、プロジェクター、エチュード

晴れ。
元日なのに8時前に目が覚める。いい子!
結局昨晩が遅くないからな。
起き抜けに妻の初夢を聞いた。
動物言語学研究者と虎を探しているうちに
記憶を失くしてしまってそっからまた記憶を取り戻して…
うんぬんという荒唐無稽な夢で笑えた。

朝飯食って洗濯して洗いもんして…
出発前に一応バス停まで正月ダイヤを確認しに行った。
なにしろ今日は妻の体を冷やさない努力が至上命題となるので。
11時に家を出た。
玄関を出た際にちょうど郵便配達員が左隣の家に郵便物を投函し、
我が家を飛ばして右隣の家へ郵便物を投函する、
そういう光景に巡りあわせた。
いいんだ…うちは今年は喪中だから…
年賀状こないのは正常なことだからいいんだ…

最寄りのバス亭から荻窪へ。
初めて駅行きのバスに乗った。早い。楽。
ものの5分ほどで荻窪駅につき、中央線で高円寺へ。
ここでバス乗り換え7分待ち。寒い。かなりきつかった。
乗ってしまえば楽。20分ほどで板橋本町へ。
12時前に実家到着。
母、長男夫婦とその子供、次男と僕ら夫婦の7人で新年の挨拶。
甥二人にお年玉あげて
長男夫婦から妊娠期間および育児のアドバイスもらって
ご馳走しこたま食ってあとは甥ッコを構い続けた。
甥はもう5歳になるが軽い。抱き寄せやすい。
頬っぺたはアカチャーンのようにぷにぷにでいつまでも触れる。
ケーキも食わせてお年賀もくれてやって
家族写真も撮って一通りの役目は果たした。
15時ごろに退散。
そのまま今度は近所の友人の家へ。
部屋に入るなり挨拶もほとんどなく
100インチスクリーンプロジェクターの披露。
3年ぶりだろうがお構いなし。
これぞ男友達ってやつだよなァとなんだか安心する。
映像はなにがいいか悩んだ挙句に
Amazonプライムでピックアップされていた
Perfumeのライブ映像を垂れ流し。
まじで映画館のよう。臨場感ある。
スクリーンの目の前に立って棚のDVDをあさって
フと映像見てみたら臨場感ありすぎて
自分がステージに立ってるようだった。
ささいな雑談挟んで今度はBlu-layのMAD MAX怒りのデスロード。
きれいすぎる…。
映画館よりもスクリーンに近いせいか
これまで見てきたどんな映像よりも高画質に見えた。
そのぶんCG部分はCGらしさが際立つようでもあった。
20分ほど観たあとは、スクリーンから目を話して、
部屋の雰囲気に浸っていた。
“花束”における部屋のイメージは割とコレに近い。
西荻窪にかつてあったカフェ、tokiが
スクリーンに映画垂れ流ししていたが
こちらの部屋の方が狭さといいゴチャッと感といい
僕の望む風景に近い。
これで窓からネオンの光が入ってくれれば
映画エンター・ザ・ボイドのような異界感も足されて理想なのだけど。

妻の妊娠を報告した際には絶叫的な声をあげてくれた。
結婚のときもこの男だけはそうだった。ヘンに素直なのだ。
そんな話もしつつ彼が次に撮る予定の映画の話を聞いた。
ウィークリーマンションを2週間借りてロケに臨むとのことだ。
主役は男三人で。設定脚本の詳細はここでは伏せる。
僕ら夫婦二人は面白がってしまってアレコレとアイデアを出し合った。
そのうち即興でやってみたくなって、
電気消して三人でエチュードをした。
30分くらいになった。
途中でカットしてそっからは反省会というか感想会。
どういう意図で演じていたか、
どんな設定を裏に秘めていたかなど語り合ってかなり楽しかった。
あとつまみのコーヒーナッツが美味しかった。
帰り際彼の母に久しぶりに会った。
部屋は猫による傷だらけ。新築の部屋なのに。やっぱこうなるんか。
あとじゃあもうバイバイというところで友人の彼女の話を聞いた。
21歳らしい。
年の差14歳くらい?
こいつずっと21歳くらいと付き合ってんな。
真剣恋愛とも思えないけど…
向こうから迫ってくるからとかなんとか
ラノベ主人公みたいなこといってる。
あと何年かまえにもらい損ねた中国旅行のお土産をもらった。
西洋絵画の贋作産業によって切り盛りしてる村で
面白がって買ってきた一枚なんだとか。
が、もうシワクチャ。
それだけにこちらも気兼ねなく雑に扱える。
シワクチャのまま持って帰った。

バス、電車、バスを乗り継いで帰宅。寒い。
帰宅してなお寒い。
暖房の予約をしていたつもりが全然効いてない。
さくさくと夕飯をつくってあったまる。
田作り広島菜栗きんとん黒豆、冷凍コロッケ、味噌汁、ごはん。
テレビはどうでもいい正月番組が見たいとの誘いに乗って、
東西ネタ合戦みたいなネタだし番組を見た。
何組かは感心する面白さだったけど
感動するような面白さには巡り合えず。
ここ数年はもうずっとそんな感じだな。

寒い、寒い。
オッドタクシーをすこし観た。
シナリオしっかりしてて
群像劇サスペンスのお手本みたいだけど
笑わせようとしてる会話さむいなあ
ひねったツッコミがきつい。
いかにも人工的な会話という感じ。嫌い。
それ以外はいい感じ。
あちこちに伏線バリバリ。どれだけついていけるか。

ちょろっとエロゲやって本読んで寝た。


れどれ |MAIL