舌の色はピンク
DiaryINDEXpastwill


2022年02月28日(月) ちんけな呪い、女の子の教育、物語の価値

寒いけどたかが知れてる。
こっからは三寒四温。
こわいもんないね。
角煮を弁当にしてゴミまとめて
いつも通りの月曜日の朝をこなして
いつも通りの時間に家を出た。

駅を降りて会社へと向かう道すがら、
上司が死んでないものかと夢想する。
ありがちな会社員像だとは思う。
ザコの…。
それも20代ならまだしも…。
でもこれでいい。
万人が幸せでありますよう祈りながら、
どいつもこいつも死んでしまえと呪うのだ。


バトルグランドワーカーズ一気読み。
辺獄のシュヴェスタの著者の次回作…だけど、
アレレレーという感触のまま突き抜けてってしまった。
色んな意味で同じ作者とは思えない…。
SFバトルアクションとしては
まとまりがイイと思うけれど
それはこの先生じゃなくても描けるものだ。
絶望の中から希望を見出して強気に前を向く、
という姿勢の貫きには感じ入ったけれど
やっぱアクション先行で物足りない。
辺獄のシュヴェスタが名作過ぎた。
もったいない…。


女の子が産まれることについて考えを巡らせている。
まず費用は男の子に比べてとっても増える。
今どきは子どもでも着飾らせたりするわけだけど
男の子ならまだしも女の子相手には抗えない。
というか妻はガンガン着飾らせる気だ。
それに、気を遣う。
男の子相手なら厳しめに、何かしたいことがあるなら
自分で解決してみろと突き放してやれるが、
女の子相手には難しい。
だいいち僕自身が男三兄弟で育った身であるから
女の子相手の家庭像がなかなか結べない。
都合不都合で考えると僕にとっては不都合が多いのだ。

それでも、厳しくしてやりたいとは思っている。
嫌われ憎まれてもいいという精神で。
ものわかりよく無尽蔵の優しさで甘やかしてやることは、
僕にとってはたやすい。
しかし理不尽さを学ばせてやるのも家庭の教育だろう。
頭ごなしにダメなことはダメと叱りつける役柄は必要なのだ。
できっかな。
話聞いてやりたくなっちゃうからな。
子どものときの感情、心情がっつり覚えてるから
あっち側に立ってやりたくもなっちゃうし。
だいたいが家庭内の娘はおろか
家庭内の父親というものすら
僕はほとんど知らないのだった。


夕飯、マグロの刺し身。
昨日の夜ヅケにするのを怠ってしまっていたけれど
10分だけでもと醤油とみりんの漬け液に
ぶつ切りにしたマグロを浸しておいたら
しっかり美味しく食べられた。
あさりの味噌汁も合うし。


昨日読んだ韓国の民話、妻にも聞かせてみた。
やはり、ラストの息子の弁に難しさを感じるらしい。
妻からすると、どちらかといえば付随する事情、
オマエ狩人に育てられてるんだよな、とか、
なんか父一人が損してないじゃん、とかが気になるようだった。
僕が取りざたしたいのはやはり論法だ。
「自分が父と同じ立場にあったら同じことをするだろう”から”、
父よ私に謝らないでください」
というAだからB論法について、
そこに見られる論理のヒビ割れに面白さを感じるのだ。

あと民話やおとぎ話のたぐいは、心理描写がなくって、いい。
現代的な小説やら漫画になると
ここに「妻の思い」とか「狩人の理念」とか
そうしたノイズが入ってくる。
それだけでも1本のお話になるという。

じゃなくって、行為の羅列、出来事の連続性からなる昔話は、
だからこそ複雑怪奇な命題を表しうる。
答えのない命題の渦に聞き手を迷い込ませる。
これを「教訓」だとかいう言葉で回収させると、
途端に答えが像をクッキリ結んでしまう。
じゃなくって!
答えに辿り着けそうで辿り着けない道筋こそに
かえがえない価値があるはずなのだ。
それこそが物語の真髄であるはずなのだ。


2022年02月27日(日) 善福寺公園、オーブンレンジ検討、韓国の民話

休日トーストを食べ、日曜美術館を観る。
なんとかいう美術品収集家を特集していた。
美術鑑賞とは詰まるところ好悪であって
理屈をつけるものではないうんぬんという彼の手記を紹介した後に
なぜ彼はそこまでこの絵画に惹かれたのでしょうか…と
専門家たずねて分析しようとする番組構成には閉口した。


冷蔵庫内から豚の角煮を取り出し、
白い膜…ラードをすくって捨てて、
火をつけて放置。
なるほどこれなら余計な脂がごっそり取れる。
昨日の下茹でがあるから
今朝は1時間も煮込めばいい。


ミュークルドリーミーが実写回なのは残念だけれど
日曜午前の貴重な時間がつぶれずに済むという利点もある。
OKストアで買い物を済ませてから
帰宅後角煮ににんにく潰したのと黒酢を加え、
そっから入浴。読書。風呂掃除。
風呂出てからも角煮はゴトゴト煮ておいて、
11時45分に白米が炊け、白髪ネギをのっけて角煮丼に。
うま。
うまいけどガツンとした味にはなってないな。
やっぱラード全摘はこうなるのか。


食後一息ついて…食器も洗った上で、支度してお出かけ。
西荻へ向かいがてら珈琲豆専門店で珈琲豆を注文。
ちょうどバスが来る時間だったから乗って善福寺へ。
ここでいいのか確信が持てないまま降りて、
チョット歩くと公園まで400mの案内。
高級住宅街を抜けて、緑のあふれる敷地に出たときには声を上げた。
湖面がきらきら輝いていた。
善福寺公園には子どもが多かった。
若夫婦と幼児、老人がほとんどで、
うわついた若年層が見られない。
井の頭公園とはえらい違いだ。スバラシ。
石神井公園を彷彿ともさせる。
あちらよりは緑地や野生動物の保護区域が設定されていないぶん
やや寂しいような印象もあるが
賑やかすぎずちょうどいいともいえる。
大きな池をぐるりと周りつつ鳥を見る。
多くの鴨と、たまにサギ。
しばらく歩くとカワセミがいた。
僕にはわからないが妻ははしゃいでいる。
都内で見かけられること自体がオドロキらしい。
いい写真が撮れたと満足していた。

広い公園をのんびり歩いて、途中でアイスを買った。
セブンティーンアイス。
信じられないくらい美味い。
冬の終わりの穏やかなぬくい日、乾いた景色に晴れ模様。
こんな日にアイスはマッチしすぎている。

帰宅の経路には迷った。
荻窪駅行のバス停は近くにあるものの、
西荻で預金をした上で珈琲豆を受取りに行く用事がある。
調べてみたら徒歩20分で西荻窪駅にも着けるようだったから
ちょっとがんばってみた。
善福寺公園の南側は古い家屋が多く、
小型の住宅が密集していて、
北側の裕福さとは真逆の印象だった。

予定通り20分歩いて駅前まで着いたものの、
こっからさらに自宅まで20分歩く必要がある。
途中で共同預金。
それぞれの口座に330万円となった。
できればカフェで一休みさせたいところだったが
今もってなおコロナへの警戒は弱めていない。
よほど空いていない限りは…という慎重さのもと
どの店も見送ってしまった。
唯一、こけしやだけには立ち寄った。
だが今度の3月に建物を改装するのだそうで、
今時点で2階の喫茶室は閉じていた。
学生時代に半年だけここでバイトした経験のある妻は
さみしそうにしていた。

せめてものつもりで神明通りのパン屋に入った。
200円のチーズパンを買い二人で分けて食べたのだが
オドロキの美味しさだった。
これまた買いたい。

15時半過ぎに帰宅。
妻のリクエストで大学芋をつくった。
サツマイモを乱切りにして
15分ほど水にさらしてから水気を拭き取り、
160度の油で揚げる。
一度引き上げて、それから今度は
180度の油で二度揚げ。
小鍋に砂糖大さじ5、醤油大さじ1、水大さじ2を入れて
ジュウジュウ煮つめて、とろりとしてきたら
サツマイモをからませる。
本当ならここで黒ゴマ振りかけるトコだけど、ない。
十分美味しかった。
しかし妻は、もっと甘みが欲しいとごねた。
これだけでもあほみたいに砂糖使ってるから
到底承諾はできない。
それでも次回作る際には
ちょっとは勘案してやろうと思った。


布団を取り込みセットして、
日曜日恒例の掃除機がけをガンバッた。


夕飯はお魚。
真鱈、長ネギ、生姜を茹でて
めんつゆポン酢で味付けしただけ。
これにタクアンと、あさりのお味噌汁。サラダ。
じゅうぶんごちそうだ。


ダーウィンはニシンの大量産卵の様子を追っていた。
正確には、オスの精子で海が1km以上も白く濁るという現象を。
それにより産み付けられる卵は800億に及ぶそうで、
海洋生物としてもそうそう類を見ないらしい。
でも海の生き物って何かと桁違いだから
800億っていわれても
 もっとすごいやついそう
って思ってしまう。


ロシアによるウクライナ侵攻はだいぶ不順なようだ。
そのせいか、核戦力をちらつかせた上で交渉に入るという。
これますますアメリカがつけあがるな。


21時過ぎに、残っていた大学芋を改めて食べた。
冷やせば表面が固まるという見込みが外れたが美味しかった。


夜は延々ヘンタイ・プリズン。
ちさとルートクリア。
めちゃめちゃ面白い…。
キャラも立ってるしディティール細かいし…。
ソフりん好き。いつまでもそのままでいてくださいね。
全体的にライターの力量が高すぎる。
シナリオの構成力も演出力もバツグンだ。
こんなところで埋もれていい人じゃないと惜しみつつ、
この界隈での最高出力を見続けていたいとも思う。


妻のクレジットカードやら保険関連のポイントやらが
ダダ余りになってるという。
とりあえずバルミューダのオーブンレンジを買ってみるか、
という案が出た。
現在のオーブンレンジには一切不具合が生じていない。
タフなやつだ。気に入っている。
だが、庫内は大分汚い。ろくに手入れはしてきていない。
デザインもちゃちく、また円盤テーブルにつき
菓子作りにはあまり向いてもいない。
しかしタフだ。
気に入ってはいるのだ。
焼成の加減の呼吸も掴んでいる。
悩むところ…。


冬が終わる。
引っ越してからもずっと不安視していたものの
結局は冬の間も面倒な日課や週課をかかさずこなせてきた。
風呂掃除もキッチン掃除も、週に一度の掃除機がけも、
怠ることなくやりきったこの一冬の経験は、
未来の道を明るく照らす。


寝際、借りてきた本をチョットだけ読んだ。
韓国の民話集。をひとつだけ。
以下にお話を要約。
山を父子で歩いている。
この父は6歳の息子を殺すつもりでいる。
それは彼の父のためである。
彼の父は難病にその身を侵されている。
人の肝を食べる療法をもってすれば
ひょっとすると助かるかもしれないと知者が言う。
だが人の肝など用意できようものか。
ならば自分の肝を捧げてしまうか。
しかしそうしたら、いったい誰が、
快復した我が父のその後の面倒をみるというのだ。
だから泣く泣く、息子を殺し、その肝を捧げよう…。
と、手を下そうとしたところで、
山中に現れた狩人が割って入った。
なるほどそういうことならばやむを得ない、
だが愛しい息子を手に掛けるのはあまりに酷だろう、
だから私が代わりにやってやるといい、
狩人は息子を森林の奥へと連れて行き、
そうして取ってきた肝を父親に渡した。
果たしてこの肝を彼の父親に食わすと、
みるみる快復していった。
妻には、息子は寺に預けたと嘘をついた。
10年経てば会えるがそれまでは一切の交渉ができない。
つらいだろうが我慢してくれと説得した。
そして10年が経った。
彼の父は、孫と会える日を心待ちにしていた。
彼は焦燥した。
今もってなお、家族に真実を打ち開けられずにいる。
そんなある日ふいに出会った青年。
これが、死んだはずの息子であった。
狩人はあの日、イノシシの肝を渡したに過ぎず、
その後息子をこっそりと今日この日まで育ててきたのだった。
父は涙ながらに息子に謝った。
だが息子は、謝らないでくれという。
お父さん、あなたが病に伏せていたなら、
私も同じことをしたでしょうから…。

でメデタシメデタシって話なんだけど。
お話のギミック自体は陳腐でも、
この息子の、
「私でもあなたと同じことをした」
というセリフには複雑な論法が埋め込まれている。
父その人に向けている言葉なだけに。

これ多分面白い。
ちょっと考えてみたい。


2022年02月26日(土) 高井戸浜田山中央図書館、義祖父いい人

休日トースト食べて洗濯して、チャッチャと西荻へ。
TSUTAYAで漫画を返却。新作映画をレンタル。
肉屋で肉。八百屋で野菜。
安定の土曜日。

昼飯はあんかけチャーハン。
具はエビとイカとキャベツとキクラゲ、
さらにあんかけにしたウチにしては豪華なもの。
実に美味い。
中華丼風てわけだな。


食後、妻を家に残して自転車で高井戸へ。
リサイクルセンターの品物は前より随分目減りしていた。
何も買わずに出て、ふらふらと浜田山方面へ向かいつつ
高井戸図書館に寄ってみた。
初めてのところ。
なかなかいい。地に足がついている。
いかにも古くさい地域密着型図書館でありながら、
なにやら活気があった。静かでも感じられる活気。
土地柄か。
図書館付近の一帯はいかにも再開発されていた。
宅地のみならず道路、緑、広場など
全面的にデザインされた新興住宅地。
街並みとしてはグロテスクだったけれど
住民の質は保証されているといったところか。

浜田山の駅前は繁盛していた。
むかし来たことがあるという記憶はカンチガイだったのかもしれない。
こんなに賑わう街だったとは。
とくにコレという店があったわけではないけれども。
唯一ブックオフにだけは入った。
あれこれと物色してみたものの結局は何も買わず。
欲しい本はたくさんあるはずなのに
あふれんばかりの自己啓発書、ビジネス書の山を見ると
気が萎えてしまう。
ゴミの山。


和田堀公園などをよぎりつつ、
荻窪にある杉並中央図書館へ。
以前に訪れたときよりかは嫌悪感すくない。
やはり明るくて朗らかで清らかで、陽の気にあふれてはいるのだ。
ただ僕が個人的に、図書館とはもっと殺伐としているべき、
生きるか死ぬかの張り詰めた静寂のなかで…
というのがいきすぎだとしても、単純に静寂はほしいと思う。
やっぱあそこは小うるさい。
で、まさに殺伐としないようにと現代的なデザインが目指されているわけだな。
生ぬるい。


帰宅して一息ついてから映画鑑賞。
モロッコ、彼女たちの朝。
原題はAdam。
面白かった。
シナリオは子どもを捨てるという内容であるし、思いかげずマッチした。
居候先の母娘の造形がスバラシイ。
はじめは母親が自分の手だけで娘を教育していきたいような描写で
主人公と距離を置かせようとしていたけれど
だんだんと受け入れていく。
パンの生地作りで手と手を触れ合わす映像で、
一つの共同体となったことが示される。
だが終盤では、主人公は嬰児を施設に預け、
自らもここを発つ決意を固めている。
結合と分離。
ラストは解釈の分かれるところだったけれど、
僕は、結局捨てずに嬰児と二人で故郷に戻る結末と見た。


しばらくだらっとしてから夕飯づくり。
ラム肉のソテー。
ラムのステーキ肉は常温にしておいて、
付け合せのベビーコーンは軽く茹で、
長ネギとパプリカはアルミホイルにのせて
オリーブオイルかけてオーブンで15分。
ほうれん草はオリーブオイルでソテーして
しんなりしてきたらバターを加えて出来上がり。
ラム肉はニンニクと一緒にオリーブオイルで焼いて
両面焼けたらアルミホイルにつつんで5分放置。
フライパンに残された肉汁に
粒マスタードとケチャップとウスターソース加えて、
お皿に盛り付け。
いずれも美味しかったが
オリーブオイルまみれで
やらたと油っこく仕上がってしまった。


食後、義母および義祖父と電話。
義祖父は、今日はいいことがたくさんあったという。
なんでもここ数日で庭を整備して、
マンホールを設置したとのことだ。
業者に頼るでもなく自前で。スゴイ。
今一つは、夕飯がステーキであったと。
それで、今日は良い日だった良い日だったと繰り返している。
なんともはや…いい人だ。
そしてこちらからは、子どもの性別が
どうやら娘であると報告してみた。
これは大変な喜びようだった。
お二方とも、女の子であってほしかったらしい。
あんまり嬉しがってくれるものだから
こちらも気分よくなった。


夜、借りてきた本を読もうと開いてみたものの
なんとなく気分が乗らない。かるくだが頭痛もする。
ネットで杉並中央図書館リニューアルの犯人捜しをした。
資料として公開されているPDFを読むなどしていたら
杉並区は図書館の蔵書数が23区で一番多いそうだ。
マジでー。
全然そんな印象なかった。
一般開架として置いてる書物数の比率が少ないんじゃないか。
せっかく大量に蔵書あるのに
ごっそり保存書架として裏に眠ってるという。


明日の角煮のために豚の塊肉を煮る。
たっぷりのお湯に生姜1片と
お酒をどぽどぽ入れて、
豚バラを塊肉のまま入れて1時間半煮込む。
火を止めて30分放置して冷蔵庫へ。
前日に下茹でってのはいいかもしれない。
はかどる。


2022年02月25日(金) 辺獄のシュヴェスタ、性別判明、恥知らずバズツイート

晴れ。寒い。
でも明日から暖かくなってくる…はず。

ニュースはロシアのウクライナ侵攻一色。
モスクワを含むロシアの各地でも反戦デモは行われているようだ。
しかしまだ小規模。
ナショナリズムの強まりから察すると
国民感情はプーチン支持に寄っているものと思われる。


弁当は昨日の残り。チンジャオロース。楽。
毎朝洗いものまでしてエライ。
ペットボトルをまとめて捨てて出勤。


辺獄のシュヴェスタを一気読み。
ちょうちょう面白かった!
ウオーすっごい。文句の付け所がねー。
どすぐろい努力友情勝利だけど泣かせる。
こんな壮絶な物語を全6巻で味わえるなんてえ。
ハーすばらし。すばらしすぎる。
竹吉実先生ね。覚えとこ。


妻の定期検診、
本来なら一週間後であるところ、
先走って今日行ってしまったらしい。
でも経過良好とのこと。
そして性別が判明。

女の子とのこと。

女の子かあああああああああ。
と思った。
どちらでも嬉しいナという構えのつもりだったけど
こう聞かされてみると
どっちかっていうと男の子を望んでいたようだ。
55:45くらいの比率で。
ただ妻の方は、当初から言っていたとおり、
女の子が望ましかったようだ。
お医者先生の口から知らされる直前の数秒間で
自身の真意を実感したらしい。


夕飯は味噌ラーメン。
妻にはサラダを用意してもらっていた。
もやしを炒め塩コショウ、
それにメンマと白髪ネギを加えてできあがり。
美味い。


入浴後、妻はヨガストレッチやってた。
相変わらずYoutubeチャンネルは一定しない。
そもそもこのテの動画自体が好きじゃないという。
「映像の動きやってなくない?」
「やってないよ。好きな動きしてる」
これだ。


TwitterでRTされてきたバズツイート。
「みんなに覚えがある現象だけど名前知らないやつ」として
ファントムバイブレーションシンドロームとか
ジャーキングとか
その辺の用語が一言解説とともにまとめられてて
ご丁寧にいらすと屋のイラストまで添えてあって
画像の右下にはツイート主の名前でマルシーが。
なんだこいつ…?
ありもんの用語をコピペしてきてまとめて、
いらすと屋の絵を貼っつけて、
自身の著作物と言い張る。
もちろん、問題はない。
問題はないが、途方もない恥知らずだ。
大問題だ。
こんなやつには著作権はおろか
選挙権だっていらな……
……やめとこう。


金曜夜だが夜更かしはしない。
寝起きの時間が安定してきている。


2022年02月24日(木) ウクライナ侵攻、漫画三昧、昭和史

晴れ。寒い。
あと…あと2日もすれば暖かくなる…らしい……。

弁当は冷凍もの。
シュウマイとソースカツ。
それだけだとあんまりだから
オリーブオイルとバルサミコ酢で
パプリカとニンジンを炒めた。
味付けは塩とブラックペッパーのみ。


ロシアがウクライナに対し軍事侵攻を正式に表明。
大方の見方では
アメリカは経済制裁にとどまり軍事的干渉はしない、
現時点でNATOに加盟しておらず安保も結んでいないウクライナは
早々とロシアに校区度を明け渡す、
だがそうなるとこれを前例にして
中国が台湾尖閣に乗り出す可能性がある、
またロシアにはトルコへの足がかりができる、
アジアの戦火が危ぶまれる、……。

自国が害されなければいいって話でもないしな。


夕飯はチンジャオロース。
大盛りの牛肉、ピーマン、大量のタケノコ。
メチャウマだった。
チンジャオロースをガフガフ食べると元気になる。


チェンソーマン読みきった。面白かった。
中規模殺戮すかっとする。
数十人単位だと現実の個人犯罪を想起してしまうし
数万人単位だと現実の組織、国家武力を想起してしまうし
千人単位での直接的暴力ってのがフィクションならではでいい。
建物がついでに破壊されていくアクションも気持ちいい。
途中途中の設定を放り出すかのような放逐の具合もいい。
主要キャラが未練たらしくなくスパッと死ぬのも。
そうした部分部分を評価したい一方で、
全体的にはイマイチのりきれんかったともいえる。
これリアルタイムで連載おっかけて楽しむもんだな。
正しい少年漫画。


H2も読み終えたわけだけど
モノスゴイきれいで上手くて意表も突く
マジックめいたラストだった。
そら名作だわ。


あとカノ嘘読み直し始めた。
いろいろいろいろ目を瞑れば面白いんだ、
いろいろいろいろ目を瞑れば…。キャラはいいし。


食後、妻がカーテンの購入を検討していた。
寝室に取り付ける予定なのだが、
寝室になんぞありゃあなんでもいいという僕と、
少しでもしゃれたものを着けたいとする妻とで意見が割れる。
しかし案の定、カーテン高いカーテン高いとぼやいている。
ナントカ1万くらいので満足してもらえないのかしら。


昭和史読み終わった。
当然というか、昭和史最後の時事は天皇陛下崩御。
昭和63年夏の時点で突然の嘔吐があり、
その後病院で検査したところガンが発覚。
が陛下当人には通知せず、またマスコミにも秘匿したそうだ。
「新聞好きの陛下に知られてしまうから」という理由が面白い。
あっこまでいくと
自分の病状を新聞で知ることになりうるのだ。
メディア媒体を通す間主観性の妙がある。


2022年02月23日(水) 異国料理、お腹を痛めた子、パターナリズム、子どもからの呼び名

祝日。
晴れ。
出勤日。


朝、NHKで 
 いま銀座の百貨店で”異国料理”が人気で---
みたいな特集していて、
この言い草まさかな、まさかな…と危惧していたら案の定、
周知度の低い中東料理を指していた。
そのへんの木っ端な雑誌ならまだしも、
NHKさまがこういう真似するかね。
せめて”エスニック料理”、”民族料理”などと
言い表しときゃあいいものを。


弁当は豚バラ肉とキャベツでホイコーロウ風。
オイスターソースも足して味は濃い目。


仕事暇すぎ。
何もやることはないのに
ただ居続けるだけの馬鹿馬鹿しい休日出勤。
H2を読んだ。
あだち充って漫画の天才だよなあ何を今更という話だけど…。
コマ割りの「呼吸」を感じる。
とても心地いいテンポで吸って吐いてをしていて、
読んでいるとこちらもその呼吸に整えられていく。


すごいどうでもいいこと。
総武線で荻窪駅に着くと、
めあての改札への階段はホームの西の端にある。
でも今日は中央線快速をつかった。
すると端っこではなく、ややホーム東寄りの位置に階段がある。
西端はロープで立入禁止とされている。
で、電車から降りた歩きスマホの会社員が
それと気付かずに端っこへ向かっていった。
僕の中の黒い僕がその成り行きを見届けたがった。
しかし10歩進んでも20歩進んでも気づかない。
マジかコイツ…。
とろとろと歩いてって
ロープの目の前まで来たところで
 ビクッ
ってなって
ようやく頭上げて踵を返してたわけですが。

こぉーーーーーいうやつが
歩きスマホで事故を起こすんだよなぁあぁぁ
加害者側でも被害者側でもよお

僕の中の黒い僕がいきりたった。

写真の一枚くらい撮ってやればよかったか。
いや実際に撮る必要はないから
スマホを彼に向かって構えるだけでも。
そうしたらよっぽど恥ずかしいことをしたのだと
ちょっとは省みてくれたかもしれない。
別に辱めたいんじゃなく
心から反省してほしいと切に思う。
あいつそのうち事故起こす。
本来ならなかったはずの事故を無用に起こして
この世界にマイナス生産をおよぼす。

でも結局僕は何もしなかった。
もーちっと年や体格で貫禄あれば
「危ないよ!」とストレートに言ってやれるのだろう。
やっぱ昭和のオッチャンていると思うんですけどね。
現代人のみなさんが大嫌いなパターナリズムの。
頭ごなしに叱るやつ。必要悪。
こう書いてみると
あんまりどうでもいいことでもなかった。


夕飯はパエリア。
せっかく買ったホットプレートを有効活用しようの試みだ。
まずは熱湯を用意して同量の水で割ったお湯にあさりを入れて
15分放置、砂抜き。
冷凍エビとイカは解凍しておいて、
ニンニク、米、パプリカを
かるくオリーブオイルで炒め、
水とパエリアの素を入れて混ぜて
海鮮三種のせて蓋をして15分。
ハイ失敗。
まさかあんなに焦げるとは…。
中の見える蓋ではないのと、
炊くときには開けたくない
(赤子泣いても蓋取るな)
って意識がガチガチにあるからこうなる。
まぁ初回は仕方ない…か。うん。
次回は170度くらいで、おおよそ12分くらいにしてみよう。
米の量も増やそう。2合分炊いちゃって、
残りは夕飯にしてしまおう。

次回のためにレシピを残しておく。
4人前のレシピ。
あさりは砂抜きしておき、
海鮮類の用意をしておく。
パプリカ1コは細切りに。
ホットプレートを160度にして
刻んだニンニクとパプリカを炒め、
米2合分を炒めてすぐに白ワイン、
水300mlを入れて調味料入れて混ぜて
海鮮類を乗せて蓋をして170度にして
12分放置。
蓋を開けて様子見て、
よければホットプレート保温にして
また蓋をして10分放置して蒸らす。


“母親”について。
「お腹を痛めて産んだ子」って表現あるけど
あれだと出産そのものしか拾えてないんだよなと
この頃つくづく思う。
10ヶ月にわたる妊娠期間、
とくに後半5ヶ月は腹も膨らんで胎動もあって、
嫌でも毎日毎時、自身の身体の中に別の命が宿っている事実を
ずー………っと突きつけられて過ごすのだから、
そりゃあ”父親”とは意識が違うよな。

子どもに親をなんと呼ばせるかを話し合った。
パパママは避けたい。
がそれには意志が要る。
まず保育園では、三人称としてパパママを多用するだろう。
 もうすこしでママがお迎えにきますからねー
 パパママの似顔絵を描いてみましょうねー
などなど
毎日幾重と飛び交うだろう。
そう認識させたい教育法があるのだろうし。
じゃあ家庭ではというと、
これはこれで、二字…というか二音、
2モーラの呼び名は役立つだろう。
舌っ足らずの子供相手に最適化された呼び名だ、パパママは。
僕は、なんでもいいのだったら
「てて」がいい。
まぁ「父無し子」の「てて」だけど。
舌っ足らずでも
「てーてー」とか「てぃてー」みたいになって可愛いと思う。
ダディっぽさもあるし。


原子力発電について内田樹先生が
すげぇシンプルにまとめていた。
水力発電や火力発電と同じで、
要はお湯を沸かしているのだと。
それでタービンを回す。
ニュートン力学では理解の及ばない
特別な仕組みに寄ってるわけじゃなく、
あくまで、お湯を沸かしてタービンまわしているのだと。
いやものすごく単純化したらということだけど、
誰もこんな言い方してくれなかったよなあと
ちょっと衝撃だった。


2022年02月22日(火) 空き家買い取り夢想、17歩、謡

晴れ。
なんちゅう日付だ。
まあこれで12月までは落ち着くか。

弁当は唐揚げ。
昨晩から味付けておいたから水分拭き取って
薄力粉と片栗粉つけて揚げ焼きしただけ。


街中歩いてて
 あれーこれ結構いい家じゃねー
って見とれることは多々あって
ほんでたまに
これ誰も住んでない空き家なんじゃないのって思われたときに
 買わせてもらえんのかなあ
という心の声が湧くのはごく自然な成り行きだろう。
実際どんくらい難しいんだろう。
住所を割り出して、法務局に問い合わせたら登記簿が閲覧でき…る?
その情報を元に土地主に連絡して…?
交渉できそうなら不動産業者を仲介させて…?
ってなんのかな、ワカラン。
土地主とさえ連絡できたら
もう七面倒臭い行政手続きは先送りにして、
とりあえずハイ100万って手付金渡して
数カ月なり期限もうけて
その家の再生がかないそうか好き勝手させてもらう、
それ次第で次の交渉に進むかどうか互いに決める…。
ってできたらいいのになって夢想してみた。
これ典型的なアレだな、
現実的にとかいってカシコぶって
やらない理由見つけてないで、
とりあえず動いてみろってハナシだな。
っつってもそこまで条件に見合う物件を
見つけられてもいないのだけど。
だいいち妻の出産をひかえた今のタイミングは悪すぎる…。


夕飯は中華粥。
冷凍エビと干し椎茸、中華だし、塩コショウで味付け。
ゴマ油をひとたらし。
茹でたチンゲンサイも入れてみた。
んまーい。


食後、遊ぼう遊ぼうとせまる妻に付き合い、
麻雀牌を用意して17歩をした。
しょっぱなで妻に国士をあがられた。
その後倍プッシュを3回繰り返したのち
メンタンイーペーコードラ3でまくった。


義母からチョコレートが届いた。
お手製の。ありがたや。
美味しい。ブルームもなくキレイ。
ちょっとずついただく。


子供の名前検討。
 謡
って字がいいねという話をした。
ウタイ。ナガメ。ヨウ。
詩歌をつくること、うたうこと。


ヘンタイ・プリズンめちゃおもろ。
人物と人物が関わり合って事が展開されていく。


2022年02月21日(月) ハウエバー、森永グリコ事件、ジャングルジム城

晴れ。7時20分に起きたら東の窓から差す朝日がまぶしかった。
季節の移り変わりを感じる。
でもそこそこ寒い。
木曜あたりからはもう気温が上向きになるようだ。
3月が近い。
今週は水曜日が祝日で、
うちの会社は出勤とはなるが定時退勤でもあるし、
まんまと気分がいい。


弁当は昨日の残り、鶏もも肉と彩り野菜のトマト煮込みを温めて
弁当箱に白米と一緒につめてリーフ足して終わり。ラクチン。
冷めてても実に美味いんだな。

チェンソーマン、
マキマさんの色気がはんぱない。
あと銃の悪魔の設定がすごく面白い。
これ銃の悪魔の使い手がマキマさんだったりしないかな、
と2巻読み終えた時点で思った。


最近月曜日の頭痛に見舞われない。
朝のコーヒーがぶ飲みが効いてんのかな。
減らすべきなんだろうけど…。


夕飯は餃子。
先週に続き妻に用意してもらった。
とはいえ冷凍の、ただただフライパンに乗せて焼けばいいというもの。
それでもサラダやご飯の用意までしてもらって、
帰宅後ものの5分で飯が食えるのはありがたい。


子どもの名前は今も考え中。
小、が先頭につく名前はちょっといいなとふと思った。
小鳩、小里、小苗、…。

妻は万葉集からヒントを得られないものかと
今日いろいろ見てみたところ
名前とは関係なしに
面白い古語を見つけたと紹介してくれた。
桂男。
月に住んでいるとされている男で、美男子らしい。
なんじゃそら。
中国由来なんだとか。ちょっと面白い。


シャワー浴びながらなんかふと
グレイのハウエバーが思い返された。なぜか。
あれ当時一番売れたレベルの歌だったはずだけど
歌詞が難解すぎるんだよな。
 絶え間なくそそぐ愛の名を
 永遠を呼ぶことができたなら
 言葉では伝えることがどうしてもできなかった
 愛しさの意味を知る
難解。
これでもセンター試験現国は満点だったし
それなりに文学や哲学もたしなんでる方だと思うんだけど
全然読解できない。意味不明。難解。
それでも売れ行きナンバーワンだったわけだから
実はオレ一人が理解できてないだけで
みんなはもっとスッと呑み込んでるのか?
オ、オレ一人がばかなだけで……

ハウエバーが難解、というのは
長年何度も各所で言い続けてる。
これからも言っていくと思う。


昭和史、ロッキード事件と森永グリコ事件。
とくに後者は衝撃だった、これまでろくに知らんかったんだな。
毒物混入と脅迫状、ってだけじゃなく、
誘拐事件やら放火やら、十数の重犯罪が連なっている上に、
犯人未逮捕のままだから主目的が今もってなお判然としていない。
興味本位で調べるのすらためらわれるほど複雑な事件だった。


寝入り話のお題はジャングルジム。
…幾重層にも縦へ横へと連なったジャングルジム群体、
いうなれば城にも見紛うその建造物は
ジャングルジム城…JJJと呼ばれていた、
その中にカフェがある、カフェのマスターは城主と呼ばれている、
あるときそこを訪れた客の様子がおかしいというので
尋問してみたところ昔あなたに助けられたジムですという、
たしかに城主は若い頃全国津々浦々のジャングルジムが
処分されかかるや様々な暴力的手段を用いて計画を阻止してきていた、
そのお礼にとうとうジム自身がやってきた、……。


2022年02月20日(日) 富士見ヶ丘散歩、夫婦の向き合い

雨。午後には止むらしい。
部屋にはやや昨晩の広島焼きのにおいが残っている。
ホットプレートでの調理は換気扇のない居間となるし
広島焼き3枚分は1時間近く生地を焼いている。
そして冬だから換気できていない。
今後は冬は控えるとしよう。

休日トーストを食べた後には
ムースづくりに着手。

ポンシュ。
・ブランデー15g
・水  15g
ジェノワーズをセルクルに敷き込み(焼き色が下)。
よく混ぜ合わせたポンシュをうつ。

シャンティ・ショコラ。
・生クリーム   30g
・ブラックチョコレート20g
生クリーム20gを六分立てにしておく。
生クリーム10gを温めチョコレートを溶かし、六分立ての20gと混ぜ合わせる(やや固めに仕上がる)。
丸口金をつけた絞り袋に入れて、ジェノワーズの上に絞っていく。
 ※セルクルの角まで行き渡るようにして、なるべく平らにする

チョコがけのフィヤンティーヌ。
・フィヤンティーヌ  7g
・ブラックチョコレート8g
溶かしたチョコレートにフィヤンティーヌを加えて混ぜ合わせる。
型に乗せ入れてかるく押さえる。
焼き面にポンシュをうったジェノワーズを裏返して重ね、上面にもポンシュをうつ。

ムース・デヴェール。
・牛乳  45g
・粉ゼラチン 3g…ふやかしておく
・水  15g
・ホワイトチョコレート 22g
・抹茶 9g
・上白糖 24g
・ブランデー 7g
・生クリーム 80g…七分立てにしておく
牛乳を沸騰させ、ふやかしたゼラチンを加えて溶かす。
細かく刻んだチョコに二回に分けて加え、なめらかになるまでよく混ぜる。
抹茶と砂糖を入れたボウルに少量加え、ペースト状にする。
抹茶のダマがなくなったら残りを加えて混ぜ合わせ、うっすらとろみをつける。
ブランデーを加える。
七分立ての生クリーム45gを二回に分けて加える。
型に半量流し入れ、スプーンの背で型の側面になすりつけ気泡が入らないようにしてから、
残りを型の上まで流し、パレットですりきる。
冷蔵庫で冷やし固める。
なかなかええ感じ。


10時半、ミュークルリーミー。
ロンドン在住のゆり先輩が報われ。
3シャルルのネタバラシは
信じられないくらいあっさり。
来週は実写回。
あと3回とか4回で終われるのか?
なんとか3期まで延びてほしい。


見終えて即座に入浴。
風呂掃除。
日曜日のルーチンワーク。


昼飯はチャーハンのつもりだったが、
昨日の広島焼きが残っているから予定を変更した。
とはいえボリューム不足ではあるし、
ご飯を少しだけ、それにたくあんとキムチをつけた。
十分ぜいたくな昼飯。


13時半ごろから散歩をした。
富士見ヶ丘駅方面へ迂回しつつ向かう。
途中、そういえばこんなところにも保育園があったと視察した。
中学校、小学校の並びにあり、
神社の目の前で、消防団の拠点まで隣接している。
すぐ横には老人ホーム。治安は最高レベルだろう。
建物も小ぎれいだった。
自宅からも徒歩10分もかからず、環境的には最適に近い。

そこから今すこし足を伸ばしたところにある保育園は、
自宅から15分近く歩きはするが、敷地が広く施設が大きい。
園庭は都内の住宅街にあっては稀な、小学校の校庭ほどもあった。
ここはここで気になる。
なんとなくの雰囲気がいい。

タラタラと駅方面に向かって歩く。
緑地保護地区であるようで、
あいにく冬場につき葉の色には乏しかったものの、
木々や畑の多い、区内らしからぬ風景が広がっていた。
なによりマンションをはじめとする高い建造物がない。
なかなかいい地域だと思えた。

富士見ヶ丘駅の踏切を越えたところに
団地群と広場、それに小学校、中学校がある。
ここが災害時の広域避難所と指定されている。
その下見ができたということで、
満足して折り返して帰った。
帰路ではうっすら雨が降っていた。


15時帰宅。
洗濯物を取り込み、ケーキを仕上げる。
100均で買ったチョコレート絞り器がろくに機能しない。
自前でコロネを用意したほうが楽なくらいだし、
何より仕上がりも悪い。
結局見た目は失敗した。

ただ、味は上々。
抹茶とチョコレートの相性がいいし、
ムースとフィヤンティーヌの食感も面白い。
でも悔しいから近々もう一回作りたい。
妻は、これはグラスに入れちゃいけないのと提案した。
その方がキレイにしやすいし食べやすい。
たしかに理にかなっている。
でも、嫌だ。
それではケーキじゃない。本道から逸する。
そんな現代人的感覚に逃げたくはないのだ…。


15時半からは寅さんを見た。シリーズ4作目。
見れば見るほど1作目が面白かったなという印象が強まる。
でも競馬であてた金で叔父夫婦を旅行に連れて行こうとして破綻、
そっからケンカへって流れはいいな。
善意だけで人と人は衝突しうる。家族でさえ。
でもマドンナとの恋愛が退屈だな。
5作目で一つの区切りだそうだし、少なくともあと一作だけは見てみよう。


見終えてすぐ家を出た。
OKストアで食材を買い込み、
さらに西荻へ行ってDVDを返却。
面倒といえば面倒なものの、
外出自体は気持ちいいし、また必要最低限の運動にもなる。


夕飯は鶏もも肉のトマトチキン煮込み。
肉少なめで、ドカドカと野菜を盛る。
フライパンにオリーブオイル入れて、
ニンニク1片に玉ねぎまるまる2コだろ、
ニンジンは中くらいのをまるまる2コ、
ここで鶏もも肉加えてよ、
さらにパプリカ大っきいの1コだ、
しめじもまるっとのせちまって、
トマト缶を半量入れてやるのよ。
野菜からも水分が出るからよ、ちょっと酒を加えた程度で
20分くらいは放っておいて、
そんで細めアスパラガス2本にでっかい茄子1コ。
ブロッコリーはカンベンしてやったね。

これに塩とブラックペッパーで十分美味いわけだけど
今回はチーズのソースまで即興で用意してみた。
余っていたマスカルポーネをバルサミコ、醤油と一緒に煮つめて、
なんとなくパプリカパウダーを足して、
バーニャカウダーソースみたいにして
これに野菜をつけて食べる。実に美味い。


食後、妻がウキウキと、赤ちゃん用ベッドを見せてきた。
検討するにはまだ早いと思っているが、
赤ちゃんをどの部屋に置いて過ごすかは今から検討する必要もある。
本来は理想となる居間はエアコンの効きが悪い。
無事に7月に生まれたら、
真夏をどう過ごさせるかが課題となる。
ていうかエアコン壊れたらシャレんならんよな。
大丈夫なんかな…。

それから妻には友人から電話がかかってきて、
僕はひたすらヘンタイ・プリズンを進めていった。
なるほど面白い。
キャラもいいし展開も気になる。
それにぬきたしもそうだったけど、
勢力とか組織機構の絡み合いを描くのが実に巧妙なんだよな。


妻が言うには友人は夫婦関係がうまくいっていないらしい。
先々を見据えた予定を立てようとしたとき、
夫の方が尻込みするらしい。
いうなればリードしてくれないそうだ。
僕の見立てでは、積極的に主導する姿勢が見えずとも
正しい道を指し示す消極的立場というのはあると思うが、
なかなかその価値は見えにくい。
また、コロナ禍においては
本来正常に機能しているはずの社会が滞りがちなぶん
判断の機会が増えっぱなしで、
選択にともないあらわになる当人の価値観が、
他者との齟齬を急発に発生させてしまう。
だから、本来なら段階を踏んで
少しずつ解消されていくべきはずの夫婦間のズレが、
一足飛びで展開されていってしまう。

…ただそんなことは、わかっていたところでナンダって話だ。
当人がたにできる取り組みは少ない。
我慢する? 気晴らしする? 見方を変えてみる?
会話を増やす? それとも減らす?
なんにしてみても、上っ面の方法論だ。
もっと、もっと根っこのところに、
問題解決の種は植えられているはずだ。
突き詰めると
「夫婦間がうまくいってなくてもいい」
状態にもっていけたなら理想だろう。
それが暴論だとしても、
その道筋にはヒントがある。


ようやっと北京オリンピコーが終わった。
次はパリっすか。
次はっていうかもう二度と開催されないといいね。

1時就寝。
昭和史読み終わってまう。
次は平成史か。


2022年02月19日(土) おしり探偵、赤ちゃんポスト、少年博士と教授

曇り。
午後から雨が降るそうだから早めに洗濯機を回した。
休日トーストを食べ、なんとなくテレビのチャンネルをEテレにしておいたら
おしり探偵が始まった。
父親がおしりダンディらしい。
ダディとダンディと探偵がかけられているわけで、
まぁ上手いのだが、
こんなケツ頭野郎にも親子関係があるのかと驚いた。
なんか今年劇場版が公開される予定なんだとか。
絶対封切りするなよと思った。


洗濯物を干して図書館へ。
今回は保育園のための参考資料と、雑誌のひよこクラブを借りた。
それと同時に、創作のための資料となる、捨て子に関する本を借りた。
はたから見ればコレ頭のおかしいやつだ。

OKストアで食料品を買い込み、一度帰宅してから今度は西荻へ。
TSUTAYAでDVDと漫画を借り、八百屋で野菜を、肉屋で肉を。
11時前に帰宅。
土曜日の買い物ルーチン、
あちこちに方位がばらけているから都合80分ほどかかる。


昼飯はいかめし。
以前にどっかで買った真空パック詰めの、
温めればできるというもの。
電子レンジなら2分もかからないようだが
湯せんで温めるとより美味しくなりますとか書いてある。
そしたら湯せんにしない手はないのだ。
ただ一人前しかない。
僕は後で菓子をつまむからと、昼飯はほとんど食べなかった。


午後イチで、抹茶のムースケーキのためにスポンジを焼いた。
セルクル4個分。
ジェノワーズ・デヴェール。
・全卵 1コ…常温にしておく
・上白糖 30g
・牛乳 10g
・薄力粉 25g…ふるっておく
・抹茶 4g
ボウルに全卵をほぐし、砂糖を加え湯煎にかけ、もったりするまで泡立てる。
牛乳を加え。さっと混ぜる。粉類を入れたらゴムベラに替えてさっと混ぜる。
正方形の型に平らに流し、200度に予熱したオーブンで9-10分焼く。
焼成できたら型から外し、ラップに包んで冷蔵庫へ。

焼いている間にフィヤンティーヌも作った。
卵砂糖牛乳小麦粉を泡立てたクレープ生地を
香ばしくなるまで焼き、砕いてフレーク状に。

続きの作業は後回し。
それから妻と保育園の本を一緒に読んで、
あれこれと打ち合わせた。
妻の方では、なるべくなら慎重に、
保育園の候補は選りすぐりたいようだ。
僕はといえばまったく逆で、どこでもいいくらいのつもりでいる。
もし子どもが女の子だったら
NG項目がちょっと増えるかなって程度だ。


それからしばらく読書した。
赤ちゃんポスト。
去年、公には国内初となる内密出産をおこなったことでも話題の
熊本の慈恵病院が長年取り組んでいる赤ちゃんポストについて
ジャーナリストが取材したもの。
功罪についていろいろ書いてある。
おおよそは想像の範囲内だが、
障害をもつ子どもが捨て置かれるというのは悲惨だ。
それも新生児でなく、2歳児や3歳児で、
病院の方では一時的に預かるだけだから
児童相談所のほうへ引き渡されるようだが、
いかなる里親も障害のある子どもと養子縁組を結ぶには抵抗あるようで、
まったく身元が宙ぶらりんになってしまう。
恐ろしい話だ。
命を救うというつもりで取り組んでいる病院で
命だけは救ったものの…という。
だからといってまさか死なせるわけにもいかないし、
しかし生きている以上は誰かが面倒を見なければならず、…。
究極の社会的ジレンマ。


なんとなくつけていたテレビでは
サンドウィッチマンと芦田愛菜ちゃんの、
博士くんがどうのという番組。
今回は小学生ながらに並々ならぬ骨への興味関心から
人類史の研究めいた領域にまで手を出している少年。
その彼に対し、番組ではその道においての権威とされる大学教授を呼んでいた。
少年歓喜。目、キラキラ。
そして教授による少年へのプチ講義はスバラシかった。
あえて近世史を持ち出して、
人類が身体を変化させるには途方もない月日が要ったが
社会を変えるのはとても早いのだと、
別の視点を与えることで視野を広げさせ、
それによって専門とする分野への見識を深化させる…みごとな切り口だった。
感動したね。


しばらくして妻は寝室でうたた寝。
僕は原神をプレイ。
淵下宮がだいぶしょうもない。
これまでもたまにあった、
面倒くさいだけのギミックが散りばめられていて
全然おもしろくない。
はよやめよう。はよ…。


夕飯は広島焼き。
妻が思いの外深く寝入っていたから起きるのを待って、
19時過ぎから仕度を始めた。
先月に義母から伝授された手順を
僕が改めてまとめたメモ書きをもとに、
妻に調理してもらう。
一枚目はやや失敗したが
二枚目はそこそこ上手くいった。
豚バラ肉の薄切りは長いことが重要なのだと
僕が把握しておらずにカットさせてしまったのが今回の反省点だ。
あとは妻が鰹節パウダーを入れ忘れたり
イカ天を入れ忘れたりもしたが、
なにしろ味の大戦争であるので、
そんなに影響なく強烈に美味かった。


夕食後、調理模様を撮った写真は義母に送った。
そういえばと思い母に電話をかけてみた。
買ってやったノートPCはまだ起動してみていないらしい。
とりあえずやってみたらと促した。
ポンポンと進めばそれでいいのだし、
進まなかったら電話で指図してやるつもりだ。


抹茶のムース作りは明日にまわすことにした。
おかげで時間ができた。

チェンソーマンをちょっぴり読み始めた。
まだ普通の少年漫画という出だし。
妻は一気読みモードに入った。
こうなると、その漫画に夢中というより、
一気読み自体を楽しんでいる始末だ。

僕はヘンタイ・プリズンを始めてみた。
ぬきたしの次回作でもう絶対こけんだろと思ってたところに
まさかの高評価の嵐。
プレイし始めてみたところ
たしかにギャグなのかシリアスなのか
どんなつもりで構えるべきなのか浮ついていたけれど
展開の連続は楽しい。
そして凛…。おまえ……。
いい役どころだな。


2022年02月18日(金) その媒体ならでは、私事で

晴れ。寒い。
洗濯機をまわすだけまわして、干すのは妻に任せた。
何ヶ月ぶりのことだろう…。


昨日の続き。
創作物ならなんでも好きなのだ。
それは内面の外側の世界に露出するために成形したもの。
そしてその純粋性のためには、媒体に先立っていてほしい。
“だから”、
映画は映画ならでは、
小説なら小説でこそ、
漫画なら漫画でしかできないような表現が好きだ。
「”漫画を描くために”その作品が生まれた」のではなく
「”その作品を生むために”漫画が描かれた」であってほしいのだ。
媒体もジャンルも、そうした型なんぞは後からついてくるもののはずだ。
小説らしい小説だとか、これはロックじゃないだとか、
型が先立ってるのはでえっきらいだね。


夕飯、さばの味噌煮。
味噌と醤油とみりんと酒をフライパンでひと煮立ちさせて
生姜とネギと一緒にサバを一枚、
5分ちょっと煮てできがり。
サラダ、ご飯に加えて、
今日は白米が残りわずかだったからきしめんも少々…といきたかったが
なぜかきしめんが見つからず。
うどんにしておいた。鰹節たっぷり。美味い。

テレビは録画しておいたソーイングビー。
クレアさん、美人で本業歯医者で趣味はソーイングで…。
すぐおどけてみせたりする愛嬌もあるしほんと超人だな。


妻が寝具の洗濯と取り込みだけでなく
ベッドマット含めてひととおりセットしてくれててうれしかった。
ただ、ダブルベッド用の寝具をセットするにはそれなりに力がいる。
へたに踏ん張ってほしくないから、出産までは、
もうこれっきりでいいと伝えた。


そういえば仕事の取引先相手から先日入ったメールで、
家内が新型コロナウィルス感染陽性者となったため
濃厚接触者にあたる自身も自宅隔離となり
しばらくの間は出社がかなわず不便をかける、
という旨の報せが記されていたのだけど
枕詞に
「私事で恐縮なのですが」
とあった。
……まあ、ご家庭内に感染者が出たから
こういう言い回しになってるんだろうけど、
主意はガッツリ仕事そのものなわけだしな。
いや別に合ってるか?
普段からメールの文面にミスのありすぎる人だから
よくわからんくなってきた。


2022年02月17日(木) ビジネス書、ロックや小説の枠組み、不謹慎の笑い

晴れ。気持ちのいい冬の朝。空気が明るく澄んでいる。
弁当は茄子と鶏むね挽き肉の豆板醤炒め。
トースト食べて着替えて燃えるゴミまとめて洗いものして
キッチンかるくキレイにして荷物まとめて8時28分。
ちょっぴり時間を余して、のんびり家を出た。

電車内で隣り合った男がぶ厚めのビジネス書読んでて嫌悪。
直感的に 愚者! て思ってしまう。
べつにビジネス書にも巧拙あるわけだし
僕が一目置く人間だってビジネス書くらい読んだりもしているだろう、
でもそうした目線をとっぱらって、
理性とか知性とか冷静さとかにうずもられがちな
根の根の根から発せられてる直感、
これはこれでおろそかにしちゃならんのだ。
嫌悪どころか憎悪に近いくらい負の感情がほとばしった。
こいつが、こいつこそが敵なのだと思った。
マスクから鼻丸出しだったしな。それはたまたまだけども。


今どきのって意味ではロックも文学もだけど、
枠組みが先立ってるのすげぇだせぇぜと思う。
「ロックとはこういうもの」という枠組みに最もフィットするようなスタイル、
ほとんど最低じゃないですか。
先人たちの内面からあふれでた表現が
あとからロックと呼ばれたり
ある権勢を得たりしただけであって、
後追いの人間たちがそこ目掛けて
表現方法を左右するの、恥ずかしいったらない。

「内面からあふれ出たもの」を表現するにあたって
たまたま
「お外の世界では小説と呼ばれている枠組み」が
そのシルエットに近いからそう呼ばせてやってる、くらいでいい。

プロじゃない人々の書く小説、
まぁほとんど読んできてないけど
ものすごく上手い人たちがたくさんいるのはわかる。
文章が上手いだけでなく小説が上手い。
それへの敬意は確かにあるんだけれども、
じゃあ「内面からあふれ出たもの」となると随分あやしい。

ルールからハミ出したようなスタイルの作品は
「実験的」とか呼ばれたりする。
ハミ出そうとしてその形になってる作品は最悪だが、
表現を突き詰めた結果そうならざるを得なかったってだけの
作品も多くあるだろう。
「前衛」は「前衛」って枠組みになってしまったから信用していない。

どこまでも独りよがりをつらぬく。
自身の内面を基とする才能を疑ったことは一度もない。


夕飯はステーキ。
なにしろ約600円分の割引券があるので
肉屋でふんぱつしてみたわけだ。
といってもすでに調味済の割安なもの。
なかなか美味い。柔らかい。
なんとなく粗悪な気がするからもう買わないだろうけど
今日食べた時点での満足度は高かった。

テレビは相変わらずオリンピコーがうるさく
ろくな番組がない。
しかたなしにといわんばかりに
録画してある中からザ・ノンフィクションを再生して観る。
遺影を専門とする写真屋。
自ら撮られにやってきた80そこそこのお婆ちゃんの言が心に残った。
「今日が一番若いから」
未来から勘定してみればという意だが、
もうすこし掘り下げてみるとこれは
「思い立ったが吉日」
にもほとんど等しい。
いい言葉だと思った。


妻には 銀と金 を読ませておいて
僕は原神をプレイした。
もうじきこのゲームともお別れかと思うと感慨深い。
まぁあと2週間ちょっとはやるわけだけども。


ベッドマットやら救急箱やらネットスーパーやら
ドカドカ荷物が届いた。
木曜に届くのは気持ちいいな。
金曜朝にダンボールが捨てられるから。


それからしばし妻に付き合いテレビを見た。
外国人にノリツッコミをしてもらえないかという企画。
それ見てたらMR.BARTERが見たくなって
ごっつのDVDを再生した。
さすがに今見て真正面から笑えるものでもない。
あと意外と長かったな。
しかし呆れるほど高度なことやってる。

ちょうど今日、松本人志の金言の一つを思い出していた。
なにかの著作物に記していたのだったか、
たとえ不謹慎と扱われるような冗談であっても
そこに悪意なんかないのだし
なんだったら悪意があってもどうでもいい、
ただただ発想の方に笑えというもの。
そこを切り離せないヤツはアホくらいまで言い切ってたはずだ。
今の松本人志は随分うまいことやってるが
根っこのところでは変わってないんじゃなかろうか。

ある女性プロゲーマーが不謹慎発言で炎上している。
ゲーマー界隈のスラングである”人権”という言葉を巡って
身体的差別にあたる発言が取り沙汰されている…それ自体は
どの方向からの意見も見ごたえがなく
きわめて幼稚な話題なんだけれど
当の女性が過去にしたとされる不適切発言がまとめられていて
その中に おぉ を思うものがあった。
「鬱と黒人は甘え。やる気になれば直せる」
スゴイ。
ちょっと調べてみたところどうにも捏造っぽいのだが
まさに発想に感心感服しているのみだから
本当に発言したかかどうかなどは瑣末だ。
むしろ誰かの創作であった方が感動的かもしれない。
「鬱」を引き合いにすることによって
「黒人は直せる」という
まばゆすぎて目がくらんでしまうような文意に
一筋の論法が通されて
スッとのみこめてしまう。

このテの笑いで難しいのは、ある逆説をはらんでしまうこと。
まさに発想の部分だけに感心するのだから
不謹慎さの負い目でそれを閉ざしてしまうのは馬鹿馬鹿しい…
とする一方で、
常識的には到底ゆるされない不謹慎さを内在させているからこそ
成立、あるいは増幅される笑いである、
という理非の抱き合わせ。
この扱いが難しい。


入浴後は家事片付けて
さくらもゆをプレイして寝た。


2022年02月16日(水) 妻飯、トランプ、インコ

晴れ。
トーストをムシャムシャ食らって、
弁当は豚バラ茄子バルサミコソテー。
今夜はいつぶりになるやら、妻に夕飯をつくってもらうつもりでいる。
そのためにキッチン上を整理して、
さらに一部の食材と調味料、食器、調理器具を手配しておいた。
本来であればそれらを各所から取り出すのも調理の大事な工程だけれども
とりあえずはヌルく始めてもらう。
懇切丁寧なレシピは昨日のうちに送ってあり、
当人にも承知してもらっている。
あとは夜の仕上がりを御覧じろだ。


大石宇陀児読んでる。面白い。
文章闊達だよなあほれぼれしちゃう。
十代のころ読んでたら影響受けてたのかな。
今となっては ほれぼれしちゃう で片付いてるけども。


オメガトライブキングダムまで読みきった。
ジョジョ模倣から始まって中盤からは新井英樹のにおいも感じ、
そっからは愛と幻想のファシズムも想起された。
ていうか私設武装部隊といえばクロマニヨンってくらい
愛と幻想のファシズムのインパクト強すぎるんだよな。
あれ漫画にしたら面白いだろな。
でオメガトライブキングダム、終盤は独特だった…
が、風呂敷たたむのに全力で魅力感じられんかったな。
結局は中盤がよかった。
ていうかほとんど梶くんか。
ブルドーザーのくだり最高だったな。
太陽光線射出よりも兵器バリバリのクーデターよりも
ブルドーザーで家破壊のほうがずっと説得力ある。


21時50分帰宅。
僕が手配した指示通りに進めてくれたらしく、
果たして夕飯が出来上がっていた。嬉しい。
クレソン鶏ももスープごはんとサラダ。
美味い。
ニンニクだけ焦がし過ぎで苦かったが
妻は焦げきったくらいが好きだから問題なさそうだった。


原神アップデート。
八重神子は引いてもらえなかった。すりぬけでジンさん2凸目。
八重神子を育てて遊んだらもう離れるという予定だから
引退がちょっと遠ざかってしまった。


遊んで遊んで遊んで遊んでと妻がねだる。
先日買ってきたトランプを開けた。
ブラックジャックに付き合ってやることにした。
何しろルールが簡単だ。
二人きりだから親と子の読み合いの駆け引きは楽しめないが、
それでも100円だけ場においた三本勝負は楽しめた。
二連続で21を出されて負けたけれど。

さらにポーカーに付き合った。
妻はスマホで役を確認しながらの勝負だったが
ここでも巻き上げられた。
しかし楽しめたから良いとする。


昼間、なんとかいうインコが庭に来ていたらしい。
写真から伺うに、なかなか大きい。鳩より一回り小さいくらいか。
色が鮮やかな緑で見覚えなかった。
こんなインコが住宅街にいるのか。
というか来るのか。
妻が言うには、いつぞやダーウィンでも特集していたそうだ。
もとは外来種で、食べる量が多く、ちょっとした害獣扱いにもなるらしい。
それでもひと目だけは見ておきたい。


2022年02月15日(火) たまり場、保育園、タルムード

晴れ。
寒いけどさわやか。

弁当は鶏ももキャベツポン酢炒め。
買ったポン酢が柚子果汁入りだった。
ちょっと不安だったがしっかり美味かった。


オメガトライブ読んでる。
15年ぶり…いやもっとになるか…。
10代の終わりごろ、夜勤バイトのあがりに
同じバイトの先輩の住まいによく入り浸っていた。
その先輩は彼氏と同棲していたが、
彼氏が家を開けがちなのをいいことに
僕らはバイト仲間で夜中の3時とか4時に押しかけて
彼氏の漫画を読みあさったり
彼氏のゲームの主人公にひわいな名前をつけて遊んだりしていた。
懐かしい。
あの無軌道に楽しかった日々のある一夜に読んだ思い出がよみがえる。
あの空間は、僕の中でのアジールのイメージにわりと影響を及ぼしている。



夕飯はグラタン。
まぁいいかげん作れんだろってつもりでレシピも見ずにやった。
まずはお湯を沸かしておき、マカロニを茹でる。
バターで玉ねぎとニンニクを炒め、
オリーブオイル足して鶏もも肉としめじも炒める。
火を止めて小麦粉を振って混ぜ合わせる。
水気を切ったマカロニを加える。
牛乳を入れて火をつけ、全体をねっとりさせる。
小さめに切ったジャガイモをレンジで温める。
それらをグラタン皿に入れて、チーズとパン粉をかけ、
200度に予熱しておいたオーブンで焦げ目がつくまで…16分くらい焼く。
その間にサラダとかを用意。

ん、実に美味かった。


食後、ネットスーパーを注文。
6000円分頼むことで500円割引となる。
ああだこうだと悩みながら、妻から保育園情報について聞き取りした。
幼稚園は基本的に3歳からとなるから、
それまでは平日は保育園に預けることとなる。
生後一歳を待たずに入れてくれる園もある。
認可保育園、認証保育園とある。
などなど、調べながら話を聞いた。
5月あたりをめどに見学しに行く必要がありそうだ。
正直なところ劣悪な環境でもいいと思ってるくらいなのだけど。
まぁでもどうあったって事故は避けたいしな。
ただ2歳時点までと割り切るなら性的な方面の危険性については
さすがに考えなくていいだろうとも思う。


ユダヤ教の聖典であるタルムード、
たしか生活上の…というか人生上の
ありとあらゆる事例に対応できるような指南書で
ユダヤ教の実践知が凝縮されている書物だったはずだけど、
これには、キリスト教における聖書のような、決定版というものがないらしい。
常に編纂され続けているんだとか。
それも公会議のような統制もなく、各所で。ビックリ。
いかなる事例にも結論らしい結論を保留するスタイルだからこそ成立しているのだとか。
スバラシイな。


さくらもゆ、千和ルート駆け足で終わらせた。おもしろ。
スッカリ忘れていたストーリーテリング上のギミックが見事だった。
これアニメ化しないかなあ、
序盤に散りばめられた冗長なシーン圧縮して
なんとか2クールにおさめてもらって…。
もっと人に知られるべき作品だよな。
こんなにまで「祝福」を徹底してえがいた作品ってない。


2022年02月14日(月) バレンタインデイ、AV女優、ストライキ

晴れ。雪は止んでいる。
ほとんど積もっていない。
それでもテレビは過剰に報道しようとする。
ああ、逆なのだな。
僕は問題ごとを小さく感じるようになれればという境地を目指している。
消費社会は逆だ。
問題ごとを本来より大きくとらえる。
“ざわめき“は消費と相性がいい。

もちろん気象庁が警戒を促すぶんには
むしろ大げさな方が望ましいだろう。
今回は大きな事故や障害が起こらなくてよかった。

居間の温度計は12度となっていた。
そこまで差があるとも思えなかったけれど…。

弁当は石焼風ビビンパ。
牛肉とご飯と混ぜて炒めればできちゃうよというもの。
ちょっとおこげができるように仕上げた。

アサイチでバレンタイン特集。
義理チョコを誰にどこまで渡すかといった話題をしていた。
「男の友人知人より、女の友人の方に高いチョコ食べさせたいよね」
と妻に水を向ける。
強い同意を得た。
当然だ、たいていの男はチョコの良し悪しなんか気にしない。
かつての僕もそうだったし。


現役大学生による、私がAV女優になった理由というのを読んだ。
文章の書ける人で、読み物として面白かったが
肝心の”AV女優になりたがった動機”については見えてこなかった。
きっかけは語っているし、内面をさらしてもいるのだが、
もう一歩掘り下げてほしかった。
しかしまあエラク前向き自発的にAV女優という職に取り組んでいる。
中学生の時に初めて見たAVの中で演じていた男優さんと
デビュー作でからむというのは壮大なロマンチックを感じた。
写真を見てみると随分可愛らしい顔立ちをしている。
胸がドデカイ時点で僕は性的にはソソられないが
こういう人によって業界が良い方向へ変えられていけばいいもんだと
静かに応援することにした。


会社で二人目の陽性反応。
一人目の影響は表立ってはなかったから
おそらくは独立の感染者となる。
で今回は営業ではなく現場から。
でも上としては、希望する人にはPCR検査の費用もちますよ、
くらいの対応で、
あとは個々人にこれまで以上に気をつけてね、
ということらしい。
無能先輩は相変わらず
“--するしかないよね”構文で無能なコメントを発している。
できる取り組み、いくらでも思いつくけどな。
それを実現させていくための取り組みも、
その途上にある障害を除去していく案も、
合意を形成するために必要なコミュニケーションも、
上や裏や先々の見えにくいところまで見越した上でできる取り組み、
いくらでもある。
しかし今の体制はそうした”動き”をそもそも許さない。
本当に馬鹿馬鹿しい。


漫画版日本の歴史を読んだ。
東京の街並みが何を契機に
どう変わっていったかを探ろうとすると
現代史を辿って近代史を学ぶことになる。
それで昭和史も追ってるわけだけど、
今回は日本の歴史を幕末から追ってみた。
いや、面白い。
諸外国との対立、交渉やら軍事的政略やらは
その時々の国民の思想に結びついてるし
それは土地にも影響する。
ある観測地点を確保しておいて
点と点を線で結びつける学びはいたって面白い。


夕飯はうどん。
僕は豚バラ肉にキムチ、卵、ネギを合わせた温かなもの。
妻は強情にぶっかけ。
お互い美味い美味いと満足していたが
やはりこちらの温かみには羨むところがあったようで
一口やると
もうちょっともうちょっととよくねだった。


先日妻に
公務員ってストライキできないんだっけと問われまごついてしまったので
情報を整理して改めて答えた。
公務員のストライキは戦後間もなく禁じられている。
戦中にはあらゆる人民運動が規制されていたが、
戦後GHQは日本を軍事的に解体するよう努め、
その一環で民主的な意識を高めるべく、
あらゆる”声を上げる”社会運動を奨励した。
なかには労働争議も含まれる。
ところが一方で、労働争議は共産主義と相性がいい。
この頃すでにアメリカは、ソ連とのイデオロギー対立を深くしていた。
そうした背景のある1947年、
公務員を中心とする大規模ゼネストが起こるという情報がGHQに入る。
決行されれば全国的に鉄道、電信、電話、郵便といった機能が停止する。
社会的混乱はもちろんのこと、
占領している米軍への補給や連絡も寸断されて軍事的な器機にも陥る。
団体は中止すべしとの勧告にも当初従わなかったが、
マッカーサーは重ねて強く中止しろとの命令を下した。
かくして大規模ゼネストは中止に追い込まれ、
たたみかけるようにストライキ法が制定された…。
今だってスト、もっとやったほうがいいのにねと妻が言う。
「対話する機会がないから。対話によって、お互い歩み寄れるんだから」
肯定したい気持ちがないではなかったが、
ストを決行するだけの気概、機運、名目、大義が満たされにくい現状では
断然不利益のほうが多いだろうという
つまらないような意見を述べた。


2022年02月13日(日) めちゃ寒、チョコレート、さくらもゆ

晴れ。ウルトラ寒い。
昨日に続き今朝も妻は休日にしてはやや早めの起床。
あんまり寒いから8時半になったらすぐ準備してOKストアに出向き
図書館で返すもん返して
帰宅後すぐに風呂に入った。
入浴後、洗濯機を回す。
今日は午後から雨が降るとのこで部屋干しとなる。

10時半、ミュークルドリーミー。
先週に続き当たり回だった。
あさひのチアフルタイムにも度肝抜かれたが、
ミュークルレインボーをあさひが放つシーンは衝撃だった。
「大丈夫。昔からずっと使ってきたんだ」とあさひが言う。
ああ、隣家幼馴染の定番、窓に向けて矢で呼びかけるあれ、
あれが伏線になってたんか…!
みごとすぎる。
そしてあっきーの失恋。
ものわかりよく受け入れて、それを優しく迎える兄とその友人…。
なんて感動的なのだ。
3月で終わってほしくない。
3年生編やんねえかなあ。


昼飯前に、チョコレート作りのためのキャラメルを用意した。
砂糖をドバッとフライパンに入れてあっためるだけ。
色づいてきたら火を止める。
クルミと落花生をごく少量ずつ粉々にしておいたものを
キャラメルと混ぜて、オーブンシートに流し、
冷えて固まるまで放置。
それから包丁で執拗に粉末状にして、容器に入れて一旦置いておく。


昼飯は鰹の刺身。
塩と酒を振って数十分おいた甲斐あって実に美味い。
味噌汁とも合うしなあ贅沢だよな。


食後、チョコレートづくり。
製菓用クーベルチュールを170gくらい砕いておく。
生クリームを50mlほど、水あめを一たらし加えて温め、
これでクーベルチュールを溶かす。
なめらかになったら
オーブンシートを敷いた正方形の型にそそいで
冷蔵庫で固める。
1時間ほど待ち。

原神ちょっとプレイした。
次の火曜日に更新されたら
八重さんを引けるまでガンバッて、
それを育成し終えたらもう原神はいいかな。
きりないしな。

チョコレート仕上げ。
冷やし固めたチョコレートを包丁で切る。
小型の直方体にしたらもういちど冷蔵庫へ。
コーティング用に100gくらいのクーベルチュールを砕いておく。
これを湯煎で温めて、キッチリ50度に。
で湯煎からおろして、かるく混ぜながら28度に。
でもっかい湯煎にかけて32度に。
テンパリングができたら、
冷やしておいたチョコレートを
チョコレートフォークにのせて浸していく。
これが難しい。
難しいけどまあそんなに失敗はなかった。
あったとしたら事前の、チョコを切る作業においてだな。
もっと冷やすべきだった。
でもっとキレイにカットするべきだった。

金箔スプレーを拭いて完成。
見た目は全然。
でも味はよかった。
キャラメルは刻みすぎた。
もうちょっとだけシャリシャリ感を残すべきだった。


母親のためのPCを注文してやった。
4万円ほど。
先月が家に帰らずお金を納められてもいないからと、
今回は僕が買ってやることにした。
火曜か水曜かに実家に届く。


16時くらいから、昨日見損ねた映画を見た。
ザ・ライトハウス。
内容は灯台に遣わされた男が
老上司とともども狂っていく話。
狂いましたその結果…ではなく、
狂っていくさまそのものを見どころにしていて、
役者さんは演じがいがあるだろうなあと思った。
作中はずっと二人だけだからどれだけ互いが狂っても
ノーツッコミで進んでいく。
狂ったまま終わった。


夕飯はホワイトアスパラガスのリゾット。
今回はキノコなしのホワイトアスパラガスマシマシ。
実に美味かった。
ダーウィンはキノコ特集。
いろいろあったけど
タイワンシロアリダケだったかな、
タイワンシロアリと共生しているキノコが衝撃的だった。
このシロアリ、木に付着している皮だかを食べるのだが
ほとんどまったく消化できない。
栄養を得られないまま、そのまんま糞を出す。
その糞の成分をキノコは分解して育つ。
その結果、この糞にはキノコの胞子だかなんだかが付着する。
それをシロアリは食べて栄養とする…という
ワケワカランような生き方をしているのだ。
笑ったし、感動した。


食後はノンビリと過ごした。
妻はベビー服などを調べていた。
何点か可愛すぎると紹介された。
たしかにお高いブランド品は可愛い。
よくできている。
僕もたまには傾きそうになるが、
それでもちょっとしたおめかし品については
産まれてくるまでは抑えろと押さえつけた。

雨は22時頃から雪になった。
気象庁は要警戒を促している。
部屋の温度は17度くらい。
寒すぎてなんもやる気オコラナイ。
さくら、もゆ を再プレイ。
こうしてみると、捨て子からの養育、歓待など、だいぶ参考になる。
そしてめっちゃ長い。
今回はさっと流していくけど、
ナハトの一連のエピソードと
十夜のお友達話、
友人キャラの姉への告白シーンは洗い直したい。
真冬の間に。


2022年02月12日(土) 西松屋、バカ食い、サクラノ詩

晴れ。
僕も妻も早めに起きて、
朝食後洗濯機を回し、
寒さに震えながらテレビを見る、
書類を整理するなどしていた。
9時前、近辺の診療所へ電話。
新型コロナワクチン3回目の接種予約が
3月4日金曜日に取れた。
夫婦で同じ日時だから、もしかしたら3月5日には
ともども弱っているかもしれないが、今回は早さをとった。
10時ごろOKストアへ行き、一度帰って荷物を置いてから西荻へ。
TSUTAYAでは寅さんではなく、去年一部界隈で話題になっていた
ザ・ライトハウスという映画を借りた。
11時半帰宅。
今週も焼きおにぎりを作る。すっかり上手だ。
味噌汁とともにいただく。
食後、母と電話。
ノートPCを新調したいとのこと。
予算5万円程度で携帯性を重視。
僕が探してやることににした。


13時ごろ、妻とお出かけ。
運動不足でもあるからと歩く。
ベビー用品を見るため荻窪へ。
OKって言葉について語った。
大丈夫とか了解とか合点とか、
日本語にもないわけじゃないが、
場合場合でOKの代用となるだけで、
OKにまさらない…。
そんな話をしているうちに荻窪駅近辺まで来て、
妻はまだ歩けそうというから、環八通り沿いに井荻方面へ向かって、
西松屋店舗にまで繰り出してみることにした。
妊娠出産育児について、ひたすら子供の話をしていった。
西松屋は服がいやに安かった。
妻は安物を嫌う。
嫌うとまでいかないかもしれないが
なんだかんだで避ける。
産後もこの店舗にはあまり世話にならないだろう。
ただなんとなくの相場は知れた。
室内温度計と、妻の強い要望で
幼児向けのおっとっとを買って店を出た。

帰りも歩き。
途中、公園で休むなどした。
どうすれば子どもに運動をさせられるかについての議論は白熱した。
運動はしてもらいたい点については一致している。
子どもは暇なら運動するだろう。
ただし、本も漫画も多い家庭だ。ゲームや絵本もあるだろう。
屋内遊びを充実させたくもある。
妻は広い遊び場を望んでいる。
小金井のだだっ広い公園を例に挙げていた。
僕は小さな遊び場でも子どもなら楽しめるという考えでいる。
むしろ、限られた環境から
無限の遊びを発掘してほしい考えだ。
また、スマホについての扱いも難しい。
なるべくなら早いうちから持たせたくはない。
だが安全上、管理上はそうもいかないだろう。
10年後、製品や業界への意識がどうなってるかもわからない。

15時過ぎ、わりとヘトヘトになりながら帰宅。
今日はおやつにホットケーキが食べたいという
これまた妻からの強い要望をかなえるつもりがあり、
しかしホットケーキミックス粉が足りないから
チャッチャとひとり自転車で買いに行って帰って、
一息だけついてホットプレートを出した。
生クリームは妻が立てた。
大量のあんこと混ぜ合わせている。
僕は生地を用意してホットプレートで焼いた。
ざっと予熱してこんなもんだろうという温度にして
ええいままよとお玉でそそいだだけなのに
スンバらしくきれいなホットケーキが仕上がった。二人で感動。
さらにバニラアイスを盛る。
めちゃうま。
そらうまいわ。
犯罪だな。犯罪。


たらふく食って満腹、
それからは布団をセットして、読書などした。
妻はゲームをやりたがった。
前々から目をつけていた、
ガチョウが人間たちにいたずらをしていくという
ただそれだけのゲーム。
2000円を支払って購入。
ダウンロードだけしておき、
妻は書斎で別の作業などしてから、
夕飯を食べ始めるまでこのゲームを楽しんでいた。


夕飯はラム肉。
を、ゴマ油でニンニクと焼き
コチュジャンやネギを混ぜ合わせたタレで
やや韓国風にいただく。
申し分なく美味かった。
惜しむらくはキャベツの千切りを添えた点で、
これはサンチュなりもやしなりがよかったろう。
ていうかナムルかな。


食後、映画を見るつもりだったが
妻の頭痛がひどいらしく断念。
ホットケーキを食べ終えてから始まり、
夕飯後に決定的になったようだ。
寝室に寝かせると22時くらいまで眠っていた。

その間にサクラノ詩を終わらせた。
チマチマチマチマと進めていたが長かったな。
初回のときにはラストを
徹夜でもうろうとしながらプレイしたから
今回洗い直せてよかった。
名作だなこれ…。
終盤駆け足の感があるけれども
次作につながると思えば問題ない。
でもこれテーマ見にくくないかな。
いや表の主題は明らかなのだが根っこのとこが。
素晴らしき日々にも通じるはずの、
人生と祝福についてみたいなところ。
いやそれも、サクラノ刻で回収してくれるか。
楽しみだな…。
好きなキャラ男女含めて一人もいないけど…。


妻がTwitter上にて懐妊の報告。
とはいえ身近な友人知人には
すでに通知してあったから
これというやり取りはなし。

入浴して昭和史読んで寝た。


2022年02月11日(金) バレンタインディナー、生きている意味

祝日…。
晴れ。
雪は結局あまり積もらなかった。
とはいえ部屋は冷え込んでいる。
早寝した割には朝まだ眠気があって、
二度目の目覚ましアラームでようやく布団を出た。

弁当は牛丼風。
玉ねぎと牛肉を生姜にんにく醤油めんつゆで味付けしたもの。
テレビは降雪被害の報道と北京五輪。
どちらも、なにかと大事にしたがるメディアの悪癖がよくでていた。

いつもより10分早く家を出た。
とくに遅れることもなく会社に到着。
時間あったので成城石井に寄った。
ボルチーニソースを買う。420円。高いな…。
乾燥ボルチーニが1000円超だったから手を出せなかったのだ。
とりあえずは今日限りのものだしな。


仕事はひっまひま。
昨日からわかりきってたけど。
ほとんどの人間があほづらで時間が過ぎるの待ってた。
定時で退勤。



夕飯は渋皮栗のラビオリ、ポルチーニ茸とマスカルポーネソース。チョコレートがけ。
11月に食べたイタリアンのコースディナーで
秋のスペシャリテとされていたパスタを思い返して作ってみた。
でもラビオリが買えなかったので
餃子の皮で代用。ラザニアだってそうするしな。
ラビオリカッターはないが、
マドレーヌ型でそれっぽい形になるとネットから得た知恵を拝借。
ラビオリの具は渋皮栗8コと玉ねぎ1/6くらい。
渋皮栗は水気を拭ききっておく。
どちらも細かく刻んで、オリーブオイルでニンニクと一緒にかるく炒める。
なんとなく気分でちょっとだけパプリカパウダーとチリパウダーを振った。
これをスプーンで一すくいして、餃子の皮中央にのっける。
もう一枚餃子の皮を手に取って、周縁を水で濡らし、重ねる。
空気を抜くようにしてピッタリくっつけたらマドレーヌ型で抜く。
鍋にたっぷりのお湯をわかす。
これを繰り返し作っていく。一人前が8コか9コくらいか。
マスカルポーネはたっぷりと…二人前で小さめのミカン1コ分くらい。
これをボルチーニソースに溶かしてちょっとだけ塩コショウする。
バター5gくらいと牛乳大匙3か4くらい入れてチーズが溶けるまでかるく煮る。
チョコレートは先日買ったカカオマス。
つまり甘くないチョコレートを粉末状にしておく。
それとは別に、飾り用に少量を溶かしておく。
沸騰したお湯にちょっぴりオリーブオイルを入れて(できあがりがくっつかないように)
ラビオリを数個ずつ入れる。
30秒くらいで浮かび上がってくるからザルですくい取って、水気を切る。
皿に盛ってソースをかける。
チョコレート、イタリアンパセリを散らして完成。

実に美味かったーァ。
実に実に。
チョコレートはまんまだとかなり苦いのだけど
クリームソースと合わさるとまろやか。
ていうかチーズと合う合う!
以前食べたレストランでの感動を自宅でも味わえた。
ていうか自分好みにやっただけに今日の方がより味わえたかも。


生きる意味について。
小さい夢と大きな夢がある。
小さい夢は、ヒトカドの人物になって認められたいとか、
これはと誇れるものを書いて読んでもらいたいとか、
あと出入り自由の居を構えたいとか。
でもそれらはたぶん手段であって、目的じゃないのだ。
じゃあなんのために?
死ぬためだ。
満足して死ぬため。
いつ死んでもいい、と思えるようになるために生きている。
そう思えるまでは死ねない。死にたくない。
死ぬ間際に素晴らしい人生だったと思えたら幸福の達成だろう。
なので、素晴らしい人生だからもういつ死んでもいい、
と自身が納得できるように、そのために、
修練も克己も努力も忍耐もある。

当たり前のよーなことを言ってるけど。
もっと掘り下げられるな。
ていうか生きる意味と生きている意味は違うしな。


バレンタインディナーとして妻が撮影してくれた写真、
妻がTwitterに投稿してみたところ
いいねがボコボコついて僕としても喜ばしい。


風呂入って早めに寝た。


2022年02月10日(木) 積雪しない、読みにくい少女漫画、データの取り扱い

起きた時点で雨だったのが次第にミゾレへ、
そして気づいたら雪になっていた。
今日は23区でも降雪が心配されている。


弁当はヤンニョムチキン。
この前食べた記憶を頼りに、カンで作ってみた。
かるく下味をつけた鶏もも肉を揚げ焼きにして一度取り出し、
油は廃棄。
フライパンでケチャップを火にかけ、
コチュジャンと水あめ、みりんを足して水分を飛ばしていく。
このソースに鶏もも肉をからめていりゴマを振ったら出来上がり。

いや、美味かったね。
もっと甘辛いほうが…衣があったほうが…
とか改善点はあるにせよ、ドンドン健康を害する代物になってくからな。
こんくらいでいいのだ。


仕事、ひっまひま。
今日のところは結局は積雪してないけれど。
明日はもっと暇なのが知れているのに、ほんと時間もったいない。
…というだけじゃなく、給金がもったいない。
会社側にムダな負担が生じている。
現場の馬鹿馬鹿しい惰性のせいで。
自分のことだけ考えてる連中は
何もしなくても給料もらえるってことでいいんだろうけど。
中学生の時点からそのテの考え嫌いなんだよな。
よく先生とかガッコ側の目線に立って考えてた。


かげきしょうじょ読み始めた。
なにこれえ面白いじゃん…。
スキなく面白いじゃん。
あのトップの先輩方ってポジション漫画的にいいよなあ
黄金聖闘士みたいなな。あれな。いいよな。

ただこのストーリーものの少女漫画によくある
コマ割りの読みにくさについては如何ともしがたい。
これまで3000冊以上の少女漫画読んできたはずだけど
ほんの一部で生きてるこれにまだ慣れない。
ちはやふるなんかもこのタイプだ。
なんかこう…なんかこう!


帰り道、雪と関係なく電車が遅延。
車両のドア開けっ放しで7分待ち。寒い…。
つい鉄道会社に悪態尽きたくなる。
「--のせい」ていう対象があると楽なんだろうな。


帰宅後即座に夕飯づくり。
Twitterで見かけた蕪のみぞれ鍋。
蕪を5コ分おろす。大事業。
大根と比べて小さいから難しい。
うっかり気を抜くとおろし器に指を擦ってケガしそうだ。
それでも5コやりきった。
もう二度とやりたくないと思った。

おろした水分ごと鍋に入れて、水を加えて煮立てる。
味の素と少量の醤油、めんつゆで味付け。
余ってた白菜を切って入れて、
さらに豚バラ肉を入れる。
柚子の端っこを切って皮部分だけを千切りにして、
白髪ネギとともに乗っけたら完成。
美味しい…ほっと美味しい。
薄味でもしっかり滋味が感じられる。
蕪のあまさが嬉しい。暖まる。
また冬がやってきたら作ってもいいかもしれない…。


食後夫婦でのんびり居間で過ごしていたら
レイチェル・クーの料理番組が始まった。
今期はずっとチョコレート尽くし。
いくらかのレシピ紹介しているさなか、レイチェルが
「イギリスでは、6人に1人が毎日チョコレートを食べてるのよ」
と言っていて、あれ、
これはデータの取扱いがややこしいぞと引っかかった。
文法的には
「6人に1人が毎日チョコレートを食べており、
残る5人は全く食べていない」
または
「6人に1人が毎日チョコレートを食べており、
残る5人は最大で364日食べているがまばらである」
の両方がありうる。
一見すると前者は無茶なようだが、
後者の方はアンケートでしかたどり着けないはずだ。
データで導けるのは前者のほうだけだ。
正確を期するなら、
「イギリスでは年間--kgのチョコレートが消費されている。
1人1日あたり--gを1人前としてみたとき、
国内の人口から換算すると、
6人に1人がチョコレートを毎日食べたらこの量になる」
とこうなる。
だが、
「イギリスでは、6人に1人が毎日チョコレートを食べてるのよ」
だけでは、どちらであるのかはハッキリとはわからない。
こういうの、ナントナクで済ませていいものか。


今朝早めに目が覚めたからかやけに眠く、
0時過ぎには消灯した。


2022年02月09日(水) 明晰、積雪予報、沈黙交易

晴れ。
弁当は昨日のスタミナをご飯にのっけただけ。


賢さについて。
なにかこうある事例について見解を述べたり
所見を表してみたりしたときに、
聞き手はその判断が妥当であるか、情報が正当であるか、
論理的破綻はないか、倫理的に問題はないかなどを審理する。
で。
じゃあそのなんだ…
ここでは死刑制度の是非についてを例にしてみよう。
賛成であったり反対であったり、
部分的には反対とか、現状では賛成だが本来的には廃止すべきだとか、
死刑制度自体は肯定するが刑の執行には難点があるだとか、
文化的には、宗教的には、歴史的には、倫理的には、
法律学的には、社会学的には、医学的には、
人権的見地からは、経済的見地からは、…
などなど、あらゆる立場から、またあらゆる観点から
答えへはアプローチできるわけだ。
当然、どの立場のどんな観点からの意見に対しても、
反証的な意見は出せる。
その反証的な意見を出せる余地が少なければ少ないほど、
もとの意見の正当性は高いといえる。
端的にいって、賢いと見なされるだろう。
だがここで問題となるのは、何が賢いと見なされるかだ。
その人自身か、その人が導き出した意見がか。

僕は、その人自身の賢さについては、
単独の意見からは追跡困難と思われるのです。
というのも、どんな判断であれ、
その人が仕入れている情報を要素としているために、
仕入れていた情報が少ないばかりに
妥当性の低い判断しか導けなかったという例はありふれている。
しかしだからといって、彼の判断能力が低いと判定できるわけではなく、
しかるべき情報さえあれば、彼は誰よりも高等な判断をしおせたかもしれない。

わかりにくいな…。
死刑の例、全然いきてないし。
あと賢さというか明晰さだな。

往年の松本人志を例にとってみる。
彼には、自らの見解が絶対的に正しいという確信がある。
近年は丸くなってきたが長年ずっとその態度は強固だった。
彼の意見には論理の飛躍が度々見える。
しかしそれは部分が省かれているだけで、
彼の言葉を紡ぎ足していくと、
正当性、妥当性の高い絵図が見えてくる。
ところが、事実に即した知識の光によって照射してみると、
見当違いと断じざるを得ない意見が多々ある。
だがそれは、彼の意見は覆せても、
彼の明晰さを崩れさせはしない。

…もうちょっと語りようがあるなあ。
でも一旦はメモとして、ここまで。


明日夜から都内でも積雪が心配されている。
金曜朝は交通に影響が出そうだ。
金曜は祝日だが会社はある。
これだけコロナ感染者ピーク更新し続けてて、
大雪を警戒するようにとの予報があって、
その上全然仕事が入らない日取りの祝日を、
臨機応変に休日にさせようとしない会社の体制は苛立たしい。
様々な思惑が、打算が、了解が、縛りが
立体交差し合って複雑な事情は組み上がっているわけだが
そんな制限は百も承知で、
動ける人間というのはいる。
でもほとんどの人間は動かない。
ちょっと動けば複雑めいた事情なんて
かりそめの馬鹿馬鹿しい虚像であったとすぐに知れるのだが、
誰も彼もまず動こうとはしない。
おおよそそういうふうにして組織は成り立っている。
そして腐っていく。
動ける僕はこの会社自身に潰されてしまったから
今は腐敗していくばかりの光景を静観している。


帰り道、江戸川乱歩作品の朗読を聴いた。
なんとかの指輪。短編。
話自体はなんてこともないが言葉選びがすこぶる気持ちがいい。
地の文のない会話劇。
またそのセリフを読み上げていく女性の声が上品で達者でスバラシかった。
しかもちょうど家の前まできたところで聞き終わるという…。


21時50分帰宅、
妻は友達とZoomで話している。
夕飯の味噌ラーメンを用意…といっても
お湯を沸かして白髪ネギを水に浸しておくだけだから、
すこし原神をして、それからはPCを触って妻を待った。
22時半を過ぎて夕飯。
味噌ラーメンにもやし炒めとメンマと白髪ネギ。実に美味い。
これにコーンバターを加えれば絶頂ものだが
今日は健康を気にしてやめておいた。
妻はたくさん祝福してもらったようだ。
男の子だったら舞台俳優にしてくれ、
そしたら推す、たくさんお金貢ぐから…などと
冗談交じりに激励されたらしい。


内田樹先生の本にあった文を紹介した。
沈黙交易について。
人類史を遡って、原始的な市場の発生をさぐっていくと
“交換”と”贈与”に辿りつく。
それについては文化人類学の基本だが
沈黙交易という言葉は初めて聞いた。
そのミソは、
「何の役に立つのだか知れないもの」が
「誰に贈与されたのだかわからない」からこそ、
返礼義務の精神から”交換”が継続するのだという。
”交換”は、交換し続けることそのものが目的であって、
有用性の確かな等価物を返戻してしまえば、
そこで”交換”は途絶える。
であるから、途絶えなかった”交換”の連続が、
道具や言語や乗り物や道路といった文明を実現させていった…
この時点で相当面白いけど、
この考えを内田先生はレヴィナスに接続する。
私はこの世界に存在してしまった。
他の誰か、あるいは何かからの席を譲り受けてしまった。
“始原の遅れ”。
すでにあるフィールドにおいて、
常に遅れたプレイヤーとしてしか存在できない自己は、
不可避の贈与をされ続けている。
その負い目のような感覚。

僕なりの解釈を交えた論を聞いていた妻は
ニーチェにおける「負債」の観念を挙げ、
その弁別について語り合った。


バナナジュースを飲んだあと、
妻はYoutubeを見ながらマタニティヨガに勤しんでいた。
それなりに動画を吟味していったが
いずれもそれっぽいヒーリング音楽、
真っ白い部屋に観葉植物、
ちょいスピリチュアル入った語り口と。
いかにもセラピー系の色合いが強く妻ともども参った。


1時に就寝。
寝入り話に妻から出されたお題は冬季五輪の新競技。
オリンピックがなくなった近未来、
七輪ピックというスポーツの祭典が日本で開催されることとなったが
見切り発車すぎて競技は一コだけ、
それは竹馬スケートなる競技で…。
という話を昨晩してやった、その続きを語って寝た。


2022年02月08日(火) 家出、幼稚な善意、明晰、歓待の家

晴れ。寝坊。8時5分起床。
ついスマホをサイレントのまま寝てしまうことが増えたようだ。
少し前に、もっと遅い時間に目覚めて間に合った実績があるから
そう慌てずにまずは弁当を用意した。
オムライス。そういえば前回の寝坊もオムライスだったな。
鶏もも肉を切って炒めてケチャップ入れて水分飛ばして
顆粒コンソメ割って入れて
解凍したご飯を入れて木べらで混ぜて
簡易チキンライスできあがり。
バター熱して卵2個を入れて混ぜて火を止めて
予熱で火を通したら簡易オムレツのできあがり。
サラダ菜とともに弁当箱に詰めて完成。
並行して焼いていたトーストを配膳、
コーヒーをガブッと飲んで
顔洗って着替えて洗いものしてトイレ行って
8時28分。
ゴミ出しのない日でヨカッタ。
2分だけテレビを見ながら身支度をととのえる。
10代の家出が増えているという。
反抗期の家出については、
実際決行にいたるかはさておき、
家出したくなるまでは正常な性情だと思う。
ただSNSを通じて事件性に発展するというのは問題だ。
大人側の問題。
番組では女の子の性的被害について取り上げていた。
「うちに泊まっていきなよ」
と呼びかけるのは40代男性に多いそうだ。
僕が厄介だなと思うのは、
彼らにある何割かの下心とは別に、
また同時に何割かの善意がたしかにあるだろうことだ。
それは幼稚な善意であるかもしれないが、
自身への言い訳として強く機能する。
世の中の連中は下心の方にばかり着目するが、
実はこの善意の方が、装置を起動させる
核心的な仕掛けになってるのだ。
…そんな考えを広げてみたかったが、
なにぶんせわしい二分間のさなかであったから
やむなく切り上げた。
「きみは家出するなよ」
「でもいつか、したくなると思う」
「じゃあその時は一緒にしよう」
「困る」
8時31分に家を出た。


冬の朝に ロマンスの神様 を聞く。
広瀬香美の。
いかにもベタベタな90年代J-POPで、
懐かしさ以外にはどうということもないんだけれど、
その懐かしさイッポンで冬には聞きたくなる。
小学生3年生の頃よく後楽園のスケート場に遊びに行っていた。
ローラースケート、ローラーブレードを楽しむ施設だったが
冬場だけはアイススケートリンクとなる。
そこでこの曲がよくかかっていた。ことを思いだす。

SMAPの青いイナズマは
やはり小学校中学年あたりのころに
自分の部屋もなかったかつての住まいで
居間の片隅に陣取ってガンダムのプラモデルをせっせと組んでいた、
あの寂しく孤独で静かに楽しかった時間と空間を思いだす。

そういう曲いっぱいある。



会社に妻の妊娠を報告した。
現場の上司ではなく、
人事部、総務部、経理部を兼ねる部署の一員へ、
会社の方の制度がどうなんか知らんから今度教えてね、と。
うちの会社ではまだ、男性社員の育休の実例がない。
特別休暇の規定として、
申し訳程度に妻の出産時2日間の有給が認められる程度だ。
だが4月からの法改正により、
雇用側からも育休について声をかける義務が生じる。
そのあたりは向こうも承知しているから、
では改めて社長と相談してみます、とのことで
今日のところは決着した。

これから面談か、それに近い話し合いが生じることになるのだろう。
育休の期間を最小限にとどめたい向こうからすれば、
じゃあどのくらい休みが必要になるのかね、
といった問い方になってくる。
一方で
育休の期間を最大限に延ばしたいこちらからすれば、
じゃあどのくらいまで休みをとらせてもらえるんですか、
といった問い方になり、これでは話が進まない。
しかし僕は会社に…というより現場の上司に強い不信感があり、
信頼関係のない相手に話が通じるとは思えないから、
交渉など一切したくはない。
そのくらいならここは自分の居場所ではなかったと見限って、
職を辞する構えでいたい。
理想は現場を通さずに社長との打ち合わせで
8週間の休みがとれたらいいのだが、
おそらくあんまり現実的ではない…。


荻窪で富澤商店に寄ってカカオマスを買った。初めて。
カカオニブの方が原型に近く、
カカオマスは砂糖と乳製品混ぜ込む直前のチョコレート。
つまり甘くないわけなので、これを料理用に使うのだ。
今回はパスタで使う。


帰宅後は即座に夕飯の用意。
今夜はこの前のリベンジで、大根の煮ものとスタミナ。
大根は前回よりも電子レンジで温める時間を短くしてみた。
味の染みは物足りなくなったが、食感はマシになった。
それでも歯ざわりの悪さがある。
ちゃんと長時間煮たほうがずっと美味しい。
スタミナは前回醤油味だったが今回はソースも加えた。
しかしシックリこない味。
オイスターソースも加えてみた。
まとまりはよくなったものの、やはり何か違う…。
それでも美味しかった。

テレビはこの前録画しておいた地球ドラマチック、
中国の希少動物を見た。
50mの崖から落ちていくインドガンの雛たちが印象的だった。
ほぼ直角の崖から飛び降りて岩肌に身体をぶつけながら
地面へと落着する。
絶対死んだわ…
と思われるのにヒョコヒョコ歩きだす。
生きものってすごい。


「もう、元の身体には戻らないんだろうなって、ふと思ったんだけど」
と妻が言う。
それは別にネガティブな目線でもなく、
ただただそう実感したらしい。
これを聞いて僕の方にも、何か掴めそうな気がした。
「何かって?」
「こう…。世界の真理のひとつに接近できそうというか…」
それは今しがたまで見ていた夢を起き抜けに思い出そうとする
あの静かな努力に似ている。
ほんの一瞬ゆらめいたそれの影を見つめて、
しかるべき言葉で再編してやれれば、
ある答えを得られる。
これがインスピレーションの気持ちいところなのだが、
今回は捕まえられなかった。
思い描いた像は、
卑近な例でいえば、FF6の世界崩壊前と世界崩壊後だ。
震災、戦災の復興でも似たようなものだけど…。
ここにメタファーが認められる。
ビフォーとアフターの間にある線引き。
捕まえられたら、スゴく面白そうな発想ぽかったんだけどな。
まぁ覚えておけば、どっかでヒラメクかもしれない。

その後しばらく話していたら、
妻にもなにか天啓的なひらめきがあったらしい。
「つかまえた」
という。
だがその真意を聞いても、なにが何やらワカラナイ。
「どうしてわかってくれないの…
こんなに私が、アァーッって感動してるのに…」
「そういうの、当人は直感的にゴールに辿り着いてしまうからね…。
ワープするみたいに。
その道筋がどんなであったか振り返って、行きつ戻りつしてやんないと、
人には伝わらないからなあ」

それからコムナルカが面白いという話を妻に振ってみたところ、
この前ハートネットTVで見かけた事例を紹介してくれた。
ある作家…エッセイスト?が自らの住まいを開放しているという。
100平米ほどの居宅のうち、寝室だけは確保して、
あとは出入り自由にしているのだそうだ。
顔なじみではあっても名前を知らなかったりするらしい。
実に興味深い。
僕の頭に思い描いている在り方に近い。
ただ、SNSにより広まっていること、
イベントごとを催したりしていることなどが
妻には引っかかったらしく、そこは僕も同意見だった。
話の流れついでに、僕が思い描いている一つの夢、
食卓による歓待の家について語ってみた。
理念としては賛同してくれるようだ。
しかし現実には難しいと尻込みしていた。


昭和史。
三河ナントカいう炭鉱事業の会社のスト。
人員整理に対する労働組合の激しい反発によって
労組側がストライキ起こしたり
会社側が会社に与する人間集めて第二労組を組織したり
二転三転した結果まぁ労働組合が負けるという。
それ自体よりも、この会社が担当していた炭鉱で起きたらしい
ガス爆発事故によって500人以上が死亡しているという事実に愕然。
ひとところで500人以上の事故って想像つかんな。


2022年02月07日(月) コムナルカ、料理本自作、宗教、防潮堤

晴れ。寒い。

弁当はガパオライス。
いつも通りにつくって、
サァ大葉を切って散らしたら完成だと取り出したところで、
僅かに二枚入ってるだけという事実が発覚。
大葉が二枚!
10枚68円だとちょっと多いかなと思い
48円のものを中身を見もせず買ったのだが
よもやこんなことになるとは…。


コムナルカ-8号室の住人図鑑-を読み始めた。
旧ソ連にあった共同住宅。
言うなればアパート型長屋的シェアハウスといったところか。
面白い。
読んでてちょっと思ったけど、
会社のオフィスも自席を完全に仕切って部屋に見立て、
フロアからほぼ出ることのない閉鎖空間としてみたら、
その生活空間での日々はちょっとした読みものになるかもしれない。
例えば災害で会社から出られなくなって、
従業員いずれもがフロア内で数日過ごさなければならず、
それぞれのプライバシーを最低限確保するために
間仕切りで自席を区切って…いうなればネットカフェみたいにして。
で、「部屋」を訪れる形式。
うん、これ、いずれ書く本丸の、花束の試作にはピッタリかもしれない。



昼休み、妻から連絡。
職場で、新型コロナワクチン三回目の職域接種の予定が立ったらしい。
どの日でもいいよと伝えたところ、ひとまず3月11日となった。
だが居住区の接種券も明日から発送されるらしい。
そちらが届いてみてからまた医療機関へ連絡してみて、
3月11日より早く打てるようだったらスケジュールを変更する、
という方針を立てた。


夕飯は昨日の残りのシチュー。
これに僕にはカツを、妻にはソースカツを添えた。
テレビはグレーテルのかまどで、
マザーテレサが貧しき人々に配っていたチョコレートを
題材にしていた。
「宗教って大事なんだなあ」
と妻が言う。
月並なコメントではあるが、教会通いしていた時期もあり、
そのあたりの人よりは宗教学に通じているから
それなりの重みは込められている。
「宗教が必要とされない世が実現されるなら
まぁそれが一番なのかもしれないけど、
そうはならないからこそ宗教が大事といえるのだろうね」
僕の方は文化と結びついた宗教学がかなり好きだから
現代社会においてだって
どれだけ宗教に意義があるか、価値があるかをかなり語れはする。
ただこの、
宗教が必要とならない世の中がが一番ではあるだろう、
という観点は、我ながら秀抜なんじゃないかと思われた。
これはとくに、非宗教家にすごく通じやすいロジックなんじゃないか。
だから”こそ”価値が認められるという。


ここしばらく、
妻が料理を覚えたがっている。
何年も前から言ってはいたのだが、
いよいよ現実味を帯びてきている。
ただ、出産後に炊事しなければならないという
ちょっとした強迫観念があったようで、
それは予定上は必要ではないだろうと正した。
「じゃあ、子どもが物心つくまでにはでいいや」
「結局見栄なの?」
「うん」
「子どもに軽蔑されたくないの」
「うん」
「あわよくば尊敬されていたいんだね」
「そう。そうだよ。
料理もできないのかお前は…って…絶対いやだよ。
尊敬されたいよう」
そんな会話をしていて思ったのだが、
料理の超初心者向けのレシピ本を、
自分で作ってしまえばいいのだ。
超初心者向けって、あるにはあるけど、
読者をバカにはしていない。
僕が今回求めるのは、おバカ相手にも通用する、
「ただそれにさえ従えば料理が仕上がる」プログラムコードのようなレシピと、
「従い続けていれば料理の手順、手際、手配が習得できる」体系だ。
だからまずはレトルトカレーから入る。
レトルトカレーとサラダを規定時間内に手際よく配する。
すごく大事だと思われるのだが、
レシピ本ではまず見かけない。

たとえばこんな感じだ…。

 まずはサラダを用意します。
 具はサラダ菜とトマトだけ。
 サラダ菜は食べたい分だけをちぎって、
 水でさっと洗い流します。
 水気を切ったらサラダ皿へ。
 トマトはヘタにあたる上部を切ってから
 縦に半分に切って、
 さらに食べやすいサイズに切っていきます。
 食べない部分はポリ袋に入れておきます。この短い料理時間における簡易ゴミ袋となります。
 それぞれを器に持ったらドレッシングをかけてできあがり。

 現在のレトルトカレーは、ほとんどが
 お湯で温めるかレンジで温めるかを選べます。
 出来上がりはどちらでも変わりません。
 より楽なレンジで温めるとしましょう。

 レトルトカレーの包装箱にある説明に従い、
 必要に応じて器を用意。
 電子レンジで温めます。
 指定時間でアツアツになっていなければ、
 もう20秒温めてみましょう。 

 レンジにかけている間に配膳をします。
 サラダと水を食卓へ。
 箸とスプーンも忘れずに。
 カレー皿に白米を盛ります。
 温まったレトルトカレーをかけて、
 包装袋は臭うから、さきほどトマトのヘタを入れたポリ袋に入れてからゴミ箱に捨てましょう。

…ていう感じか。さらに後片付けとかも入るわけだけど。
しかしこのアイデアは妻には受けなかった。
何分、相手が夫といえでも自分より長じている分野について
教えを請うのは悔しくある、
むしろ夫相手だからこそナオサラ悔しく、
かなうなら独学で道を切り開いていきたいのだという。
しかし夫に頼るのがベストであるとも認めてはいるから、
用意してくれるなら見てみたいもんだといった話に落ち着いた。
こうなってみると俄然やる気もなくなってくる。
ウーン。よっぽど気が向いたらになるか。


内田先生の合気道の話はいつも興味深い。
今回の本では呼吸法について触れていた。
通常、運動においては
身体をどれほど統御できるか、
どれだけの力を発揮し、蓄積していけるかに意識が傾きがちだが、
そうではない、
身体とは9割は思い通りにはならない、
呼吸法に通じるほどその自覚を深めていけるようになった…
といった話をしていて興味深かった。
それは自己肯定とはまた別のレベルの、自己への畏怖となるらしい。


昭和史、伊勢湾台風。昭和34年。
台風で死者行方不明者合わせて5000人以上とか…。
ある地帯では120日間にわたって水がひかなかったとか。
想像もつかないような大災害だ。
こっから災害対策が強化されていったらしい。
そういえば週末にテレビで防潮堤の特集をしていた。
90人が暮らす離島に10億円かけて防潮堤作ったけど
当初の名目であったはずの保護対象である農地は
今や荒れ果ててて誰も管理しておらず
島民も減る一方でなんのために建てたんだかという。
それでいて島の風景が変えられてしまっている。
「この島から人がなくなってもあの防潮堤だけが残る」
と島民はぼやいていた。
また一方では宮城の例で、
やはり十数億円かけて立派な防潮堤をおっ建てた。
震災の事例を鑑みて高さは10m。
どれだけの水害にも対応できるとの触れ込みで
もともとは住民の合意も得ていたはずだったが
いざ建てられてみるとこれが想像以上に高く、
住民からすれば、やはり風景が変わってしまったという。
海とともにあった暮らしから、
景観としての海が奪われてしまったわけだ。
ある漁師は
「もう陸からじゃ波の具合もわからん。
船の具合もわからん。かえって危ないよ」
と笑っていた。
一方で県知事は、自分はどんなに非難されても
まったく引くつもりはない、
住民の命が最優先である、
数十年後、数百年後までを見越して、
あってよかったとされればいい、
そのためなら私はこの職を辞すことになっても構わない…
とまで覚悟を決めている様子だった。
景観の問題はまちづくりでもよく出てくる。
安全性と景観とはたしかに対立しがちだ。
だからこそ合意形成が必要になってくる。
そこに求められるのは説得よりも納得だ。
コミュ力って程度の言葉に言い表されるほど
コミュニケーションの力は矮小じゃない。
課題解決にあたっては工学的観点のみならず
人文学の価値を見直すべきだと思う。
究極的には、人命が最優先、とされなくたっていいのだ。
「いつ死んでも構わない」というつもりで生きていられる、
僕はそれこそ
きれいごとの頂点みたいなところにあるお題目、
「今を生きる」
の真髄だと思っているし、究極であると信ずる。
なかなかそうはなれないから
社会的な取り組みが必要になるというだけだ。


あと昭和34年に美智子様が皇室で嫁がれたらしい。
皇族全然わかんないんだよな…。
あの品のいい老婦人が美智子様か。
今は上皇であらせられる当時の皇太子様のお相手を、
宮内庁はじめ華族から探していたらしい。
しかしおの候補も皇室入りは躊躇したようで、
ご本人もほとんど結婚を諦めかけていたらしい。
そこで民間から、美智子様に白羽の矢が立った。
大手企業の社長の娘。
聖心女学院の英文科を主席で卒業。
スポーツも得意で文武両道。
容姿性格とも優れていたとのことだ。
そりゃ宮内庁に目ぇつけられるわ。


2022年02月06日(日) お世話お節介、小説語、公害

曇りがちな晴れ。さぶい。
休日トーストを食べ、布団を洗濯。
洗濯機のまわっている間、
やたら寒かったのでダラダラ妻とテレビを見た。
おしり探偵。
一人じゃまず見ないが
幼児返りしている妻は楽しんでいる。
おしり探偵。
衝撃的な見た目だ。
尻に目鼻がくっついて、肛門で喋っている。
こんなオゲレツがEテレで番組張ってるのか…。
今回は導入編というところで
事件が発生したところで終わった。
「こいつまさか、”事件を解ケツ”とか言い出さないだろうな」
「どうだろ。
あ、でも、失礼こかせていただきますって決め台詞あるよ。
それ言って屁をこく」
「馬鹿野郎」
しかも下半身からじゃなく、尻をかたどっている顔面から
屁をこくらしい。
馬鹿野郎。


洗濯物を干して朝風呂。
パッパッと風呂掃除も済ませて10時半。
ミュークルドリーミー。
今回とってもアタリ回だった。
ユニ様がとうとう身代わり人形であるパチパチブーを
ちあちゃんとすり替えてみせたが、
これまで過ごしてきた日々が忘れられず、
自ら返してくれと涙ながらに懇願。
また、アックムーちゃんに与していたアッキーも、
なんか急に地球災害的な衝撃をもってして
僕が間違っていたーとか言い出して改心。
このアニメらしい無茶な急展開がすさまじいテンポで繰り出されていって
あっちゅーまに和解に進んでいった。
もう後一ヶ月かそこらで今期も終わるのだな。
ミュークルドリーミー、続くんだろうか…。
まだアサヒとの恋物語とかも残ってるけど、
このアニメその気になったら5分で何でもかんでもたためるからな…。
読めない。


昼飯は炊き込みご飯。
これに味噌汁と、菜の花の天ぷらを添えてみた。
爽やかな苦味が美味しい。
しかし衣が活躍しすぎて
美味しいは美味しいのだけれども
ちょっとスナック菓子みたいになってた。


食後、区議会会議録を読みきった。
実に面白かった。
妻は自室で何やら作業をしていたが
13時過ぎからおひるねを所望。
しかしベッドの寝具は洗濯している。
居間のソファを移動し、簡易ベッドの体裁を整えてやった。
スヤスヤ気持ちよさそうに寝ていたが、
僕は映画が見たいのに見られず、
また毛布もないから寒かった。
暖房、きいてるはきいてるけど
真冬のさなかにあってこの部屋はぬくもらない。
おとなしく小型電気ストーブの前で小川洋子を読んだ。
で読みきった。小箱。
ううん?
やっぱ自分には小説を読む能力がイマイチ足りないと見える。
往年の日本文学はするする読めるが、
近年の、いわば小説語で構成されきった小説らしい小説が、
頭に入ってこないところがある。
それでもそれなりに楽しんではいるのだけれど。


ナントカ15時前に妻に起きてもらい、
フォレノワールを食べた。
味のすっかり馴染んだ二日目の理想的美味しさよ。
あっというまの出来事だけれど多幸感あった。


食器を片して、寅さん3作目鑑賞。
自分の縁談そっちのけで他人の縁談をまとめてた。
その行動力とか勢い、スピード感は学べるものがあった。
学べるというのは、実演できそうという意味だ。
やろうと思えばやれるお手本を示してもらった。
ただ終盤眠気に耐えられず多分数秒レベルで何度か寝た。


映画見終えてから、干していた布団を取り込み寝室にセット。
細々した家事を済ませ、16時半、図書館へ。
返すもん返して、新たに会議録を借りてきた。
コロナ禍前のものが欲しかったが一冊しかないし
なんかそれが分厚かったので
コロナ禍による第一回目の緊急事態宣言が発令されたさなかのものを。
一度家に寄って、ポストの上部に恩を置き西荻へ。
DVDをポストにさくっと返却。
道中、芥川の「捨て子」の朗読を聞いていた。
Youtubeから再生しイヤホンで聞く。便利な世の中だな。
なんかやけによくできたイイ話ではあった。
教科書通りのイイ話っつうか。

OKストアで買いものして帰宅。
部屋をあらかたキレイにしてから掃除機がけ。
毎週日曜日のたしなみ。
冬はまだいいけど
夏が近くなったら週一回が足りんよなあ虫さん嫌だから…。
5月には妻は休みに入ってるわけだから
いよいよガンバッテもらいたい。
腹膨らんでるとはいえナンボなんでも
クイックルワイパーくらいはかけられる信じたい。


夕飯はシチュー。
そういえば肉を買っていなかった。
が豚バラ肉を冷凍していた分がちょうど足りた。
今回はオーソドックスに。
といってもうちのオーソドックスなので、
玉ねぎニンジンしめじがドカ盛りで、
肉とジャガイモは少なめ。

シチューを煮込んでいる間、
万葉ことばの本を読んだ。
著者の人物像がなんだか素朴で好感もってしまう。
万葉ことばの使用例として、
私だったらこんなふうに…と文例を挙げてくれるのだけど、
いずれも変哲がなくていい。
「七夕伝説の織姫と彦星ではありませんが、
年に一度の逢瀬とばかりの機会に…』
といった文例を挙げて、
こんな同窓会のお知らせが来たら
おしゃれこの上ないですねと自ら言う。
モノスゴク良いと思う。
こういう人がもっと純粋に尊敬される世の中になったらいい。


夕飯はシチューに加えて、冷凍のカツを出した。
これとサラダ。
たらふく食った。
テレビは北京オリンピックのために
ダーウィンが来ないからと
録画データから映像の世紀を見た。
少しずつ見続けているわけだけどまだまだ先が長い。
今日もヒトラーさんが元気に演説している。


食後、妻は居間にとどまって手帳をこしらえていた。
テレビは何も見るものがない。
録画データからザ・ノンフィクションを再生。
おせっかい不動産。
やってることはスバラシイと思えるけど
番組構成とナレーションが低劣すぎて踏み入ったところはワカラナイ。
嫉妬はしかけた。
ボランティア活動が仕事と一体化しているような働き方だ。
それでいて利益は上げている。
どう低く見積もろうとしても、立派な人だ。
実践してる人間は強いな。


図書館で借りてきたたまごクラブを一緒に読んだ。
ベビー用品をまとう赤子どもはやけに可愛い。
写真を見ていてカワイイ、カワイイと連呼している僕を見て
 ダメだこの人
と妻はつぶやくが向こうも似たようなものだ。
他人もいいところの赤子モデルを見ていてこれなら
我が子に対してはどうなってしまうことだろう。


入浴前にもう一度フォレノワールを食べた。
なんて美味しいのだろう。
これもっと色んな人に食べさせてやりたい。


内田樹先生と、なんとかいう人類学者との対談の本を読み始めた。
内田先生、これからは農業だ、と時代を見抜いて
ご自身も着手しなさってるらしいが
なんでも不在地主で資金だけ提供しているらしい。
根っからのシティボーイだから虫とか嫌なんだそうだ。
スゲーわかる。


妻、ここ数日はお腹の子に
 ハユタロウ、ハユタロウ
と呼びかけている。
どこまで本気なのだか、
 いい名前だと思うんだけどな
とひとりごちている。


キッチン掃除。
これも日曜日のたしなみとして習慣づいている。
キレイになると気持ちがいい。
キッチンペーパー1ロールを一週間程度で使い切ってしまう。
洗いもの用のスポンジも。
家事やコストの面では別にいいんだけれども、
思想的には問題だ。
環境破壊やらSDGsやらとはまた別で、
大量生産大量消費社会に背を向けたい身であるから。
今はまだ及ばない。


昭和史、公害まできた。
キツすぎる。
小学生のころトラウマになったんだよな。
「戦争でもないのに?」
っていうこの世の不条理に耐えかねた。
ただその地域にいたからって、
その日その日を暮らしていた人々が
あるときから人生ブッ壊される…しかも取り返しがつかない。
一回キリの人生がボロクソにされるって。キツイよ。


2022年02月05日(土) ホラーとエロゲ、区議会会議録、マッサラな自己

休日トーストを食べて洗濯。
OKストアで買いもの。
うだうだと本など読んだりしていたが
思い切ってチョコレート細工に手を出した。
チョコレート細工…。魔の道だ。
用意がものすごい面倒くさいし
実作業も面倒くさいし
後片付けにいたってはそれまでの面倒くささを全部足しても
到底かなわない面倒くささ。
しかも大抵上手くいかない…。
とりあえず用意として、OPPシートを二枚隙間なく並べて
マスキングテープを裏から貼って合着させた。
チョコレートはひたすら刻んでボウルに入れる。
でも今回はテンパリングをかなりサボった。
2/3量を湯煎にかけて
本来なら50度まで温度を上げるわけだけど
少量だから温度取りづらいので感覚でやった。
で残りの1/3を入れて混ぜる。
光沢が出てきたような気がするからそれでヨシとして、
OPPシートに塗った。
今回は円形に形作りたいので
スポンジ用の15cm型に巻く格好にしたのだけど
2枚分合着させた境目がくにゃりと折れて
我が野望はついえた。
この時点で手はチョコだらけだし。
それでも冬だから固まってくれるのが幸い。
目当ての形にはならないまでも、
曲線にはなったから見栄えはどうとでもなる。
あまりのチョコも適当にOPPシートに塗って
くるりと曲げたりしておいて冷蔵庫にしまった。

昼飯はオーブンで焼くだけのピザを二枚。
マルゲリータとジェノヴェーゼ。
どちらも美味い。実に美味い。
一枚あたり200円程度でこの幸福感味わえるのは
現代の強みだよなあ健康には悪いけどな。


食後、妻は怖い話を読んでいた。
彼女は怖い話が好きなのだが、
怖がりたいわけではないらしい。
それどころか恐怖的演出が出てくると
嫌になってしまうとも。
そんな性情を長年見てきては
何言ってんだこの女と散々こけにしてきたけれども
ようやく合点がいった。
僕にとってのエロゲーと同じなのだ。
そのジャンルで実現している作風が好きなだけで、
そのジャンルを規定する要素そのものを好んでいるわけではない、
むしろジャマですらある…という点で一致している。
すごいスッキリした。


僕は昨日こしらえたスポンジをカットし、
ダークチェリーを挟んで、
生クリームでナッペした。
なんか大分うまくいった。上手上手。

で西荻へ。
妻のリクエストに応じ、焼肉屋で
ヤンニョムチキンをテイクアウトで買った。
注文してから会計でびっくり。
1740円!
うそだろ…。ちょっとした持ち帰りメニューで
700円かいいトコ900円くらいとにらんでたので衝撃だった。
店内で5分ほど待ち、受け取ってみるとボリュームがある。
「温めるときは、あの、電子レンジで温めればいいですか?」
「うん? 冷たくても美味しいよ! ヤンニョムだからね」
僕はどう温めるのが美味しいのか聞きたいのだ…。
あとヤンニョムだからと言われても理屈がわからない…。
でもこういう理をすっとばした応答、好き。

できればさくらんぼかアメリカンチェリーを買いたかったが
さすがに時期からずれていると見えて買えず。
フォレノワールのデコレーションにしてみたかっただけだから
なくてもいいわけだけど。

帰宅後、フォレノワールを仕上げ。
刻んだチョコレートを上から散らし、
ミントを飾り立て、不揃いのチョコレート細工で囲う。
当初の予定とはずれたものの、
なかなか絵にはなった。
ケーキ表面に散らしたチョコレートが土のように広がり、
その端々からミントが生い茂っているようなビジュアル。
でダークチェリーがゴロゴロ並んでいる。
それなりに美しい。
しかしこの作業中に雪が降った。
ほんの一瞬だったが降った。
そのため急きょ洗濯物を取り込み、
ちょっとだけ手間取った。

がまぁ完成。
妻のカメラで写真に収めてもらい、
さらにコーヒーを淹れてもらっていただく。
美味しい…。
美味しいけど出来たてでまだ味が馴染んでおらず
甘みと酸味とが独立しているような感じ。
明日のほうがもっと美味しくなる。


それから腹の冷えているという妻に
お吸い物をやって、
僕はだらだらとゲームしたり本読んだりをした。
本というのは真っ当な本ではなく会議録だ。
居住区の区議会の。
これが相当面白い。
図書館の新着図書コーナーに陳列されていて
エッ貸してくれんのかよと思って手を出してみたわけだ。
まず国会中継や都議会中継なんかのテレビ映像と比べると
こちらは全部文章だからカッタルサがない。
あと話題が身近で具体的。
施設がどうの、この前の計画の報告がどうの、
あの辺の道が、公園が、家賃がうんぬん。
しかし当たり前っちゃ当たり前だけど
問題にならない点は話題されないから
全文に渡って難点ばっかりが並んでいて
オイこの辺問題ばっかじゃねーか
と鼻白みそうになる。
そんなことはないのだけど。

地域の問題を把握するって大事だと思う。
そりゃそうだろうで流してはいけない。
やれ国交が、輸出入が、アメリカの株価が、
フランスの教育が、指定都市の地価がなどと
国内外の事情を小偉そうに語っていたところで、
自分の住んでいる地域のことを何も知らないんじゃ
いまいち説得力に欠けるというか
いやハッキリいおうすげえダセエよ。
実際、ビジネス市場で会社員をさんざんやってきたあげく、
定年退職した後に居住地域のことを
何も知らなくって取り残される年配者は多いと聞く。
ちょうカッチョ悪いと思うのだけど。
まあ僕は国内外の事情も地域の課題もろくに知りませんが。
危機感はある。強めの興味も。


夕飯、ヤンニョムチキン。
結局レンジで温めた。まぁ美味かった。
そしてボリュームがスサマジかった。
焼肉屋で出す量かコレ。
四人前だとしてもサブメニューとしては多いんじゃないか。
味は濃い。甘辛。かなり甘いし辛い。
唐揚げ風の鶏もも肉に…
コチュジャンとケチャップと、
ハチミツあたりで甘みを足しているのかもしれない。
自分で作ってみたら改良していけそうだ。
しかしカロリーおばけだなこりゃ。

21時くらいまでノンビリして、
それから映画を観た。
バーバリアンズ。
セルビアの若きまなざしとかなんとかサブタイトルがついている。
予想よりも面白かった。
映像的には後姿のカットが印象的、町を踏み歩く姿がすてき。
部屋や道並みも美意識に則って切り取っている。
シナリオとしては、大きな展開はない。
なんにもない空っぽの非行的な青年、
なにがしたいことがあるわけでもなく
なにやってもうまくいかない。
デモから発展した暴動についていきながら
警官隊と戦うよりもその辺の靴屋で盗みを働かこうとしている友達の方が
よっぽど肉感のある生き方をしている。
結末が良かった。
何にもうまくいかず何も成し遂げられないまま
群れの中に出戻って匿名の青年となる…。
その表現手法によって、
現実にもあるであろうデモ隊、暴動隊を構成する一員が、
どこにでもいる青年(名無し、無個性、無属性)であると証されたようだった。

しかし妻はつまらんかったと酷評。
何も起こらなかった、
もっと起承転結のある映画かと思っていた、と。
 アーハイハイこれがオシャレな映画なんでしょうねえ
とくさしている。
僕が鑑賞後に感想を書き残している姿を見ても
「何書いてるの? 感想? つまらなかった、って?」
しかし、つまらないと思ったならつまらないと感想する。
これは重要なことだ。
自身の直感的な感想を、理性的な批評で上書きしてはいけない。


三島の対談集、読み直し終わってしまった。
やっぱ面白いな。どの部分をとっても。
野坂なんとかさん…火垂るの墓の原作者にあたる作家だったか。
彼の弁で、
 自分はあんな反戦的なモノを書いているけれども、
 どこかにはアメリカこの野郎もういっぺんやったるか、
 核兵器がなんだ細菌兵器を太平洋にぶちまけてやるぞ、
という思いがあるというのが印象的だった。
また、三島の発言を受けてとはいえ
 白人女に生殖器を突き立ててやりたいような衝動がある
といった本音も吐露していて(言い方もっと露骨だったけど)、
しかし一方では、
 もう戦争なんか嫌だ、もうあんな思いは金輪際ごめんだ、
という萎えた心もあるらしい。
三島が組織していた楯の会に真っ向から反するような
いわば「日本男児らしからぬ情けなさ」を白状しているわけで、
かえってなんともはや強靭な人だと感服した。

自己を見つめる、自身に正直になる、
まっさらなスナオな本心をとらえる、
って難しいとつくづく思う。
僕はこの日記でなるべくそれをやってきている。
まっさらって醜かったり愚かだったり
論理的に破綻してたりするもんだ。
それを言葉で捕まえようとすると、どうしても秩序立ってしまいがち。
体裁調えたりもするし見栄もつきものだし。

ところで三島といえば一般には、
セルフプロモーションに優れた劇場型作家という見方がある。
彼の文体もあいまって、自己を”装飾的に”扱い、
本来の自分自身の弱さと高潔すぎる理念とのギャップに葛藤し、
…といった評論がされがちだが、僕はそうは思わない。
彼にとっては性情と理念は離反し難く癒着しきっている。
ギャップの生じる隙間もないほどに
性情と理念が無限連続体をなしている。
だから三島が
「自分は自身の政治思想を芸術に(小説に)込めていない」
というの、すごくわかる。
でも大抵の三島論は彼の小説から
政治思想までをすくいとろうとするんだよな。

本来のマッサラな自己そのものを見つめる、
という一つのアクションがあったとして、
三島の場合はそのアクションが起動したと同時に
(即座にではなく同時に)
自己装飾が発生する。
仮面が素顔になりうるわけで、
これはこれで極致なのよな。


2022年02月04日(金) 立春、ココアスポンジ、口論

晴れ。寒い。
立春につき
暦の上では春ですがと
今年もテレビがうそぶいている。
毎年必ず言う。
「暦の上では春」と言ったら
必ず、もれなく、確実に、
「ですが」
と紡がれるこの滑稽さ。

ダンボールとペットボトルを捨て、
朝食はトーストのみ。
弁当は炊き込みご飯。


セトウツミ読み終えた。面白かった。
この人のやる、方法論的な漫才会話は好みではないけれど、
あんまり高度だしさすがに天才を感じる。
なによりキャラを気に入ってしまえるのが漫画の強みだ。
内海いいよね。
実生活でも、こいつが笑うと嬉しいとか勝ったとか
成功感に浸れるってあるけど
内海が笑うとその感覚を疑似体験できる。
ごちそうさまでした。


夕飯は茄子の蒲焼き。
ヘタだけ切ってラップして2分あっためて
包丁で切り込み入れて開いて
サラダ油で焼いて焦げ目がついたら取り出して
醤油と砂糖と酒を中火で煮つめてトロリとしたら
ご飯に盛って山椒振って万能ネギ散らしてうなぎ丼風完成。
味噌汁とサラダ添えていただく。美味しい。


夜、明日のケーキのためのココアスポンジを焼いた。
今回はボリュームを出したいが、
容器へ注ぐ生地の総量は控えめにしないと
膨らみきった後に萎んで
かえってボリューム不足となるキケンがある…
ことについては、もう知れている。
だから理想的に言えば、2台焼くべきなのだ。
1台を3枚にカットするより、
2台を2枚にカットして過剰分を余らせるほうが、
手間はかかるものの確実にキレイな仕上がりをねらえる。
しかしまあ流儀に反する。余らせるというのは。
でどうしたかというと
ココアパウダーをいつもより少なめにした。
プレーンのスポンジ生地に比べて、
このココアパウダーは膨らみを悪くする…ように僕は実感している。
スポンジ生地は密度が低いほうが触感がいい。
味もよく染み込むし。


入浴後、夫婦間でちょっとした口論があった。
お腹に赤ちゃんがいる、というより居続けることとなる妊婦は、
否応なしに毎日毎時お腹のそれを意識せざるを得ないが、
男の方はその感覚のないぶん、
自ら意識していかねば追いつけない…という自覚はあったつもりなのに、
イマイチまだ足りていなかったようだ。
いや並大抵の男よりはずうっとできている自負はあるが、
ことこの話題に関してはどれだけ自分に厳しくてもいいだろう。
徹底的に話し合ったすえ就寝は遅くなったが、
仲良く寝た。


2022年02月03日(木) 節分、鬼の意義、売らない店

晴れ。
なんかめちゃめちゃ寒い。
あと2週…いや10日持ちこたえれば…
でもその後花粉飛び出すのと
虫が起き始めると考えると嫌だけど…


今日は節分。
農水省がどこまで真面目なんだか
豆まきコンプライアンスというのを押し出しているらしい。
投げてオシマイじゃなく環境配慮を見据えようとか
鬼役となる人へは許諾を取りましょうとか。
まぁアホくさいけど名目上はワカランでもない、
が、そのなかにあって
「全ての鬼が悪いと決めつけない」
という項目があって、これは聞き逃せねえよと思った。
いかにも多様性と相性のいいお題目だが
悪の取扱いが転倒している。
「悪を肩代わりさせた表徴的存在」を
鬼と名付けデザインしているのであって、
悪でない鬼は鬼とは呼ばれない。
順序が逆なのだ。
共同体の外にある異人、ストレンジャー、アウトサイダーに
悪を押し付けて共同体内部の安寧を担保する、
そういった装置として機能していた「鬼」に
人性を認めてしまうと鬼は鬼である意義を失う。
それは鬼じゃない別の何かで、
いうなれば同じ地平にある人間となる。
そいつに豆を投げつけるってメチャクチャだからな。
豆まきする以上は、鬼は
悪や不幸や災厄の”表徴でなければならない”。
これは、敵とか対立相手とかにもそれぞれなりの
正義や大義や事情があったりするのを斟酌しましょう、
という認識の是正とは全く別のレベルの話だからな。
ここを混同すると道を誤る。
教育に悪い。
ひじょうに。
農林水産省ふざけるなよ、と憤激がやまない。
だいたいお前らが口出せるのは
食べ物や資源をムダにしないようにね、までと違うんか。
個人的にはおおよそ省庁というものの
…少なくとも表面上の…動きや声明を信頼してきていたから
その分だけ今回は失望した。


アサイチで 売らない店 特集。
製品をお試しできる店舗が増えているとのこと。
その場で買って持ち帰ることはできないが
QRコードから情報を読み取って購入することは可能のようだ。
なるほど現代的ではある。
在庫をかかえるリスクもほぼないし、
店舗スペースも極小で済む。
なにより、おそらくはこれもまた間口だ。
今はまだ「オンラインを通じて買うこともできますよ」だが、
これ本来的には、オンラインでのショッピングを前提とした上で
「オフラインで試すこともできますよ」だ。
段々と慣らしていくわけだ。

経営不振の続く百貨店でも
この形式を取り始めているらしい。
かつては百貨店は、商品を売り場に陳列したことが
画期的な商売であったと何かの本で読んだ。
江戸時代を経て明治に入ってもなお、
店舗における売買と言えば客は店の主人に欲しいものを告げる、
すると店の者が製品を棚や箱や蔵から出して見せてくれる。
そういう商売が常道であったところに現れた百貨店の方式が、
その後には新たな常道となって、今また翻るわけだ。
劣化していってんな。
江戸時代でいい。

さらに、YAMAHAが製造している、
歌ってコミュニケーションの取れる小型AIロボットも
紹介していた。
なるほどたしかに可愛らしい。
愛玩的な要素だけでなく、
高齢層の孤人化が問題視される昨今にあっては意義もある。
だがそれは、その場限りの目的がかなえているだけで、
孤独や孤立を構成している素地については、
解決するどころか逆の取り組みとなっている。
共生型社会のジャマをしている。
「人とつながりにくい世の中だから」
といって、
「人とのつながりにくさ」を強固にしている。
その危険性に無自覚、または目を背けて。
大反対だね。

しかし火の鳥のロビタを思い出す。
つくづく手塚はエライ…
人と寄り添い合えるようになったロボットについて、
最大限に魅力も恐ろしさも描いてみせておいて、
いいとも悪いとも言わない…
かつ
いいとも悪いとも言ってる…


弁当は豚バラ茄子バルサミコソテー。
鉄板で美味い。


妻の定期検診。
退勤後、無事だったとの報告だけ先に聞いた。
これでめでたく名実ともに安定期入りしたこととなる。
ホッッッッッッッッッッ。


西荻で肉屋などに寄り、19時20分頃帰宅。
夜は妻のリクエストでキンパ。
恵方巻きの代わりとでもいうのか。
韓国の海苔巻きなわけだが
作ったことも食べたこともない。
とりあえずほうれん草のナムルを用意。
しいたけは甘めに煮る。
牛肉をごま油で炒め、コチュジャンと焼肉のタレで味付け。
たくあんもかるく炒める。
卵焼きは長めにカット。
海苔巻用の海苔を巻き簾に広げて、
奥1/3を残して白米を薄くのせる。
さらに具材をのせてって、巻く。巻く。
巻いたら15分放置。
全体が馴染んだらカット。
重ねて盛り付け。
まあ美味い…か。うん美味い美味い。
ただ調味料の総量の割には、遠慮がちな味だ。
もうちょっとこう…なんだ…塩気か辛味かの刺激が欲しい。
次にやることがあるとしたらトビコかな。
今回の収穫は巻き簾の扱い。
もう気負いなく巻けるぜ。次は巻き寿司にしよ。


食後で身体が暖まっているうちに
庭へ出て福豆を投げることにした。
自前の庭があるというのは実に頼もしい。
ただ暗いし夜だし、ちょっと控えめに投げていった。
鳥の餌用に枝から吊るしている落花生のリングを
ゴールに見立てて豆を投げ入れていったりした。
大量に余った分は、別の枝に吊るしている鳥の餌用の籠に入れた。
食べるのだろうか。


チョコシューを食べた。
これは先日の余りを冷凍保存じていたもの。
を、半解凍したシューアイス。
美味い。市販品と遜色ないな。
ただ食べ終わった後が虚無だった。
食べたという事実の記憶だけあって
なぜか精神的な実感がなかった。


そっからお義母さんと電話。
という妻がかけた電話をスピーカーホンにして
三人でしゃべった。
安定期に入った報告と、防災についての相談。
互いの最寄りの避難所くらいは
把握しておくことにしましょうと述べた。
また、緊急時には安否確認の連絡を優先しないことを伝えた。


ベビー用品のレンタル用カタログを見た。
膨大な数だ。
見るほどいらんものまで欲しくなったり、
必要だとカンチガイしていくことになるだろう。
選択肢って多けりゃいいわけじゃないのにな。


昭和史を読んでいて
洞爺丸沈没事故というのを知った。
犠牲者1100人。
1500人あまりが没したタイタニック号沈没に次ぐ
世界的にも稀な海難事故らしい。
知らないもんだな。
ていうかタイタニックが映画の影響で有名すぎるのか。


図書館で借りてきた小川洋子、なかなか読み進まない…。
文章めっぽう上手くって小説的に高等で
それだけにナカナカ入っていけない。
小川洋子はストーリーや人物よりも、
なんといっても描写こそ小説の真髄だという理念があるそうで、
創作にあたっても風景や場がまずあって、
その器として人物の動きが用意されていくのだと述べている作家。
まったくもって高等で、
かなうことなら僕も追いかけたいものだが、
いかんせん登っている山が違う。


トキノはこれまで僕が手がけてきた作品に同じく、
論法が肝となる話だ。
作者には何か言いたいことがあり、
それは作品に明示されてもいる。
ただその答えへとたどり着くための道筋を
作品のなかから手繰ろうとすると、
読み手はこんがらがる…ようになっている。
僕が提供したいのは、
読み手の頭のなかでこんがらがった論理の糸筋が描く絵図だ。
その読み手当人にしか描き得ない
「体感的な思考風景」
に美を、あるいは面白さを見出してもらいたい。

という目当てはある。
でも小説的にはやっぱり
小川洋子だったり保坂和志がいうように
描写が先立つというか
描写そのものが小説の本体になってる方が高等だって思う、
憧れるような心持で。


2022年02月02日(水) 戌の日参り、絵馬に見る真心、NFP

晴れ。7時半起床。
のんびり起きてのんびり弁当を作る。
といっても炊き込みご飯を温めて
サラダ詰めるだけ。
朝食は普段のトーストに加えて、
ヨーグルトにレーズンを入れてハチミツをかけたものと、
ソーセージを茹で焼きしてブラックペッパーとマスタードをかけたもの。
半休日なので。美味しかった。

旧布団を洗って干した。
これはもしもどちらかがコロナにかかったら
夫婦が別々に寝られるようするため、居間に置いておくもの。
昨日敷布団も来たし。
食料の備蓄も十分あるし。
それなりの準備は整っている。


今日は土用の戌の日ということで
大宮八幡宮へ安産祈願のお参りに行く。
といっても正式な祈願を頼むまではしない。
なんかえらい料金とるみたいだし、時間もかかるようだし、
何よりコロナ禍でそういった集まりを避けたいので。
だから軽いデート気分で家を出る。
久しぶりにおめかしした妻が
写真撮ってよと庭へ出ていった。
iPadで何枚か撮る。
その度に妻はふざけたようなポーズをする。
「ポーズが下手だね」
「そうなの」

富士見ヶ丘駅への道すがら、
成人年齢引き下げについての話をした。
18歳で成人ですとしておきながら
酒タバコを20歳まで禁じる、
それでは筋が通らないではないかと妻は主張する。
いくらかの方面から検討してみたところ、
酒タバコが許されてないのでは
「成人リストのチェックが満たされていないことになる」、
という見方をしているようだった。
井の頭線に乗っても話を聞き続けたが、
西永福に降りてからは街の観察に入った。
西武池袋線や西武新宿線にも見られる、栄えすぎない、
駅前商店街を起点とした地元住民のための繁華という感じで好印象。

5分少々歩いて大宮八幡宮へ到着。デカイ。
入口となる参道際にかなり目立つログハウス風の民家があった。
全力出した山小屋というか。
そのちょっとさきには幼稚園。デカイ。
多くの子どもたちがワンサカ遊んでいて賑々しい。

目当ての神社にはそれなりに人がいたが
なにぶん敷地が広いから気にならない。
賽銭50円だけ奉納してお参りをした。
無事に子どもが生まれますように、
元気に育ちますように、
妻の身体も健康を保てますように…。

境内に何千枚と重ねられている絵馬を見てみると、
JO1とかいう、おそらくは男性アイドルグループへの
応援とおぼしきメッセージがずらずら並んでいた。
何らかの聖地なんだろうか。
そのほか、合格祈願であったり
願いごとなんでもの枠組みがあったりしたが、
安産祈願の絵馬たちを見てちょっと驚いた。
「子どもが元気に/無事に/健康に生まれますように」と、
ちょっぴりずつ書き方は違うが、
意味としてはほとんど全く同じ文が何百と並んでいる。
まじりけなく、その一心なのだ。どの人も。
泣きそうになってしまった。
折しも自分もそう祈ってきたばかりであるし。
まぁその思いのある人がここへ来るのだからとまとめれば
それまでなのかもしれないが、
しかし親の…あるいは親になろうとしている人の
真心というものを迫真に実感して、
きっともう、人目がなければ泣いていた。

ただこの神社自体はあまり好かない。
あちらこちらにノボリが立っていて、
あれもできるこれもできるという執拗な案内に辟易する。
商売っ気についてはまだしも、
玄妙さや厳かさのないことには失望する。
神社なんていう空間には文字がなければないほどいいのに。

さて去りましょうと来た道を戻る途中、
幼稚園にはさっきよりもさらに多くの子どもたちが遊んでいた。
…この神社には出産を控えた多くの夫婦が来る、
その夫婦たちはお祈りした後に
“元気に遊ぶ子どもたち”を見せつけられるのだ…。
いや別にだからどうってわけでもないけれど。


ちょっとだけ時間があったから
駅の手前で何か買い食いすることにした。
良い匂いに惹かれてパン屋へ。
妻が勝ったカレー風味のパンを一口もらった。美味い。
「かるいお出かけに過ぎないけど、
買い食いとはいえこう何か食べると、
ちょっとはデートの風情があるね」
というと、妻は愛嬌に満ちた声でウンと笑った。

西永福駅で別れ、僕はこのまま出勤。
隣の永福町駅で、なんらかのトラブルがあり
数分の足止めを食らった。
明大前で乗り換えた際に男子大学生の集団とすれ違い、
フレッシュさに驚いてしまった。
若い。みずみずしい。
自分自身を観察して老いたと認識する機会増えたけど
若い人間目の当たりにしたときにはドカンとくるな。
イキイキしてるもんな。

明大前から新宿線直通の本八幡行きに乗れるはずが、
先程の遅延が影響して新宿までしか行けず、
終点となる新宿駅から都営新宿線のホームまであほほど歩かされた。
ここでいうあほほどというのは
道行く人間が全員あほに見えてくるほど、
自分以外の地球上の人類全員があほに思えてくるほどという
病気的な狂気に駆られた状態を指します。
で自分自身もあほと化してようやくホームに着いたら
まさに目の前で電車のドアが締まり走っていくという。
もはや立っていられず四つん這いの獣になって
七つの大海が涸れるまで絶叫、眠れる神々を呼び覚まし、
すべてを業火で焼き尽くして永い眠りについた。


神保町には12時10分ほどに着いた。
時間に余裕があったからちょっとだけ散歩。
数日前、主人が亡くなったとニュースになっていたさぼうるには
臨時休業とだけ貼り紙がしてあった。


仕事は平常運転。
というか暇め。
陽性者が一人出たものの
幸いそれ以上の影響は今のところ見えない。

しかし東京の新規感染者数が
21000人超え。おえ。
都は病床使用率が50%を超過しても
今回は緊急事態宣言を渋りたいらしい。


夕飯はハヤシライス。レトルトの。
妻は早めの花粉症のせいであるのか
鼻がデッぱなしであったが
それでも味わえたようだ。
自作に比べれば肉が断然少ないのが残念であるが
味は申し分ない。とても美味い。


NFPについて妻から尋ねられた。
「知らない」
「じゃあいいかな。きみが知ってたら教えてもらいたかったんだ」
「ちょっとは聞かせてくれよ」
私もうまく説明できないけど、と前置きした妻の弁によれば、
オンライン上をはじめとしたデジタルリソースの
所有権の売買を成立させる技術や仕組みのようだ。
「Twitterでの、一番はじめのツイートの所有権を
オークションにかけて売ったり」
「あ、それは知ってる」
数ヶ月前に話題になって、それなりの興味をもった。
この話題にはいくらかの見地からのアプローチができる。
「僕は私有とか公有とか共有について興味のある方だから、
その視点からいうと…。
もともと、手元にあるなんだって、
これは自分のものだと自分ひとりが主張しても
証明されえないわけだね。
国家っていうのはもともと、
国民の私有財産を保証する機構であるという見方がある」
「それ、面白そう」
「NFPが実現するビジネスモデルについては、
僕はもちろん反対だけれども、
所有とはなんなのかについて
無自覚であった人々に問い直しを促す効能については、
よくやってくれたもんだと思うよ」
それからさらに、NFPは他分野において
市場の間口になるとの見解を示した。
「真っ先に思いつくのはメタバース」
「関係あるの?」
「メタバースって、仮想空間が用意されるわけでしょう。
オープンワールドのフィールドさながらの。
そしたら、その空間内での土地は売買の対象となるよ。
必ずなる。
その土地に建築物をおっ建てたりするわけだ。
人気のある土地は値上がりしたりしてね。
今はまだ、仮想空間の土地なんか買って何になるの?
って意識の人も多いだろうが、
NFPはその間口にもなる。
大麻が覚せい剤の入口になるみたいに」
「うわあ。その未来、嫌だ、すごくありあり想像できる。
うわあ、サイアクだな」
サイアクなのだが、
嫌悪感を共有できたことで気分はマシ。


トキノの大筋が書けた。
ヤッター!
手応えある。
こっから推敲。まだ完成には時間かかるなあ。
でも時間かけるだけで進んでいく段階に入ったといえる。
時間かければかけただけ完成度も高まる。
なのに寝る前の30分は原神にあてた。
これが今の自分なのだな。

毎日少しずつ読み進めている昭和史、
ようやっと戦後処理に入った。
こっから特需、復興、高度経済成長期と
昭和のフィーバーが始まる…。


2022年02月01日(火) 理想的夢想の妄想、三島と石原、男像

晴れ。
寒い。あと2週間…あと2週間経てば気温が上昇し始める…。
花粉も飛び始めるけど…。

弁当はゴマ油で鶏もも肉とキャベツ炒めて
醤油塩砂糖オイスターソース黒酢入れて
ジャーッと強火にして水分飛ばしてできあがり。


夢想、理想、妄想。
出勤途中にも思うようになった。
どこを歩いていてもマンションがある。
そこでフラリと立ち寄って、
任意の部屋にオーッスと入っていてたらいいよなあと。
そういう部屋があったらいい。

やっぱ出入り自由が大事だ。
お店のいいとこってそれよね。開かれてる。
今からいいっていい?もないし、
ピンポンもない。
勝手に行って勝手に入る。勝手に帰る。
あれがいい。

本音の本音で、
今自分がやりたいことを真正面から捉えてみると、
来た人間に食事を振る舞うハウスの住人になりたい。
ここに来ればタダ飯にありつけるという空間。
貧乏学生も落伍者的なおじさんも
生活に倦んだ人妻も
趣味をこじらせた独身男性も
ここには何かあると信じてやってきた会社員も
暇をもてあましたフリーターも
小腹を空かせた子どももやってくる。
社会的弱者のアジール…という志向性を
帯びてしまうかもしれないが、
そのくらいのコンセプトを置くわけでもなく、
ただ、歓待の現場がほしい。
それは自分がほしいから。

ああ…こう恥も外聞もなく書き出してみると、
本当にそれは、夢のような空間だな…。
なにかこう、噛み合っている。
自分の理念と嗜好と生き様と目標と
能力と立場と…噛み合っている。

一時期カフェを運営したい、と思っていたけれど、
あれは目的じゃなくてきっと手段だった。
本当の目的意識はこちらだ。
家族でも友達でも仲間でも客でもない、
でも他人でもない、
そういう人間たちと
“そのときどき”で関係性を形成しては洗い直していく、
これが僕にとっての聖域だ、きっと。
いつかはできるんかな、
とりあえず目標が見えたから
そのいつかへ向けてやることやっていこ。


我が社にとうとう新型コロナの陽性者が出た。
よくここまで持ちこたえたなという感じ。
こっからボロボロいくんだろうけど。
第一号となる彼は営業部所属。
僕の部署とは関わりがほとんどないが、
まわりまわってということならば
どうとでも感染ルートはある。
今は互いにマスクをした上で同空間にいるだけなら
濃厚接触者とは見なされないらしく、
その基準に甘えて会社は何も手立てを講じないようだ。
なめとんのか。


多くの人にとって
血縁の家族が一個人として軽蔑の対象だったり
相容れない仲だったとしても
家族は家族として認めざるを得ず
捨て去ってしまいきれないように、
国においてもそれは似たようなことが言えると思った。
つまり、よくカンチガイのナンチャッテ左翼が
日本への不満、愚痴を並べて
アメリカではどうのドイツではうんぬんと語る様に対して
「じゃあ日本を出ていけよ」
って意見が飛びがちだけれど
生まれも育ちも日本なら
生半可な絶望ではそうそう捨て去れるもんじゃない。
それを、家族への意識と結びつけてみると納得しやすいと思った。
ふと思っただけで、だからどうって話じゃないけど。


帰り道は小説を読むつもりが、
妻の構って攻撃に負けてしまいクイズに付き合った。
妻が頭のなかに思い浮かべたキーワードを当てるというもので、
少ないヒントからガンバッてアプローチしてみたが、
一問目の「食べ物四文字」「タから始まる」(たこ焼き)
二問目の「漢字一文字読み四文字」「ある生物と組み合わせた慣用句がある」(餞)
三問目の「食べ物四文字」「私が好きな料理」「パ行から始まる」(パエリア)
いずれも最終的には答えられたものの、
カンが悪いなと思ったと帰宅してからなじられた。

夕飯は炊き込みご飯。
市販の混ぜて炊きゃあいいという製品に
昨晩からもどした干し椎茸とニンジンとタケノコを刻んで入れる。
醤油とみりんもすこし足した。
副菜の茄子は天ぷら風にした。
これにサラダと味噌汁。
うーん美味しい。
ちょっと多めにしたのにペロリだ。


石原慎太郎がお亡くなりになった。ご冥福をお祈りします。
やはりというか巷では功罪が話題になっている。
功罪。清濁。賛否。
プラスマイナスの絶対値が大きい人。
べつに取り立てて好きってわけじゃないにしても、
総合的に魅力のある存在であったんだとは思う。
しかし文学者としてはあまり触れられていない。
僕が印象深いのは三島由紀夫との対談で、
後輩にあたるものの意見をガンガン衝突させてて、
三島はユーモアにまぎれさせつつも
「君が共和制をとったらおれは君を殺す」
「ちょうど今日は真剣も持参してきている」
みたいな剣呑な言葉を向けていて
かなりヒヤヒヤする内容だった。
あんなに緊張感のある対談見たことない。
いや書き起こされた文章を読んだだけだけど。
でもその場に立ち会わせられているような臨場感があった。
そのちょっと後に楯の会で例のクーデターまがいと割腹やってるから
冗談が冗談になってないんだよな。


週末にネットから注文した荷物がどかどか届く。
一通り開けて、防災避難用リュック、サブのリュック、
スーツケースにとりまとめていった。
どえらい量だ。
それも6月にはまた開けて、見直さなければならない。
しかし、ただただリスクを回避するためとはいえそれでも、
ちゃんとしてるなあと他人事のように感心してしまう。

入浴前、中、後に三島の対談集をパラパラと読み直した。
つくづく面白いな…。
二十歳そこそこの頃に読んだ頃よりもずっと内容が汲み取りやすい。
ただ二十歳そこそこの頃の吸収力が当時めいっぱい
吸い取ってくれた成分を下地にせしめたから今これだけ読めるともいえる。


男の行く先、女の行く先について、妻と話をした。
妻の弁としては、
女性はこれからも女性の立場を向上させたり
守ったりするために戦い続けていくだろう、
しかし男性の方は自分たちを守るために戦えるのだろうか、
女性にはそのために戦ってきた歴史があるからいいが
男性の方にはその術法が蓄積されていないから
かえって困るんじゃないか、という。
ごもっともな話だ。
僕は、男性と一口にいっても、
大雑把に言って僕らより上の世代、僕らあたりの世代、
そしてこれから下の世代といる、
それぞれにとってこの問題は変わってくると整理した。
「下の世代だね。これから大人になっていく男の子たち。
彼らはすごく大変だと思う。
頭悪いような言い方しちゃうけどさ、
カッコイイ男って何?なんだよ。下の世代にとって」
なかなか深みのある論題に思えたので考えてみることにした。


明日は早起きする必要もないからと、
のんびり1時ごろ就寝した。


れどれ |MAIL