舌の色はピンク
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2007年02月26日(月) |
マスク・ド・カップル |
公衆漂う駅のホームに頭狂ったカップルがいた。 お互いにマスクしてるのに その装備を保ったまま接吻を交わしている。 え、なんで? って思った。いっぱい思った。
それから学生ホモカップルもいた。 手ぇ繋いでるの。学ラン着て。 男Aが やめろよこんなところで…皆見てるだろ…… みたいな仕草をしていたのがリアルだった。 にも関わらず男Bは力強く男Aの手を握り締める。 階段だったから転ばないようにというニュアンス? そんなニュアンス知りたくもないけれど。 こわい世の中ですこと。 だいじゃぶか日本。
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あ、上の だいじゃぶ ってのはタイプミスではなくて 一時期身内で流行ったスラングだってことを 明記していく必要性に迫られている気配を察知したので 弁明を足しておきます我が名誉を損ねぬタメに。
むかしネットサーフィンしてたら ネットフレンドを募るイラン人の男性がいて 彼の紹介文に「日本語はだいじゃぶです」とあったのだった。 もっとも間違っちゃあいけないところで やっちゃーいまーしたー。っていう。 だいじゃぶかイラン。
久しぶりに 実に久しぶりに 早朝に目を覚ました。6時起床。 なんて気持ちいいんだろう。天気も良いし。 世の中の人々はこんなに素敵な、 心地よい朝というものを共有してたのか。 なんだかずるい。 朝まで起きてることはあっても 朝に起きることは滅多にない。 寝不足だろうがなんだろうが この気持ちよさによる得は三文どころじゃ済まされないぜ。
早朝ワールドをたんのうすべく ジャージ着て飛び出すように 町内を散歩しました。 もう そこらを歩いてるお爺ちゃんに 吹聴してまわりたかったです。 ねぇ聞いてくださいよボク早起きしちゃったんですよ……
夜型生活なんてオサラバしてやりたい。 さようなら夜。 今でも嫌いじゃないけれど 僕は朝と付き合っていくからじゃあね。
中目黒にあるフレンチレストランで 猪の骸や豚の骸や鴨の骸をかっ喰らってきた。 一人で。 穴場的な場所と時間帯も相まってか店内は落ち着いた雰囲気、 店の人も親切でいろいろと話を聞かせてもらった。
僕くらいの年齢の男が一人でこういう場所に来るのは 食の業界を目指している人間以外ではたいへん珍しいと言われる。 僕は全然気負わない。 美食家でも健啖家でもないけれど 見栄や虚勢で快楽的価値から遠ざかるなんて馬鹿らしいと思う。
店の人も理解を示してくれて 美食情報を教えてくれるばかりか サービスでアルコールまでふるまってくれた。 僕は酒が飲めないし、酒の名前も聞いても覚えられない。 かといって断るわけにもいかず 当然一口で酔った。
酔うと肉の味わいって本当に変わるもんですね。 僕は酔わない方がいいかも……。
2007年02月21日(水) |
ピープルアーストレンジ |
行きつけの洋食屋が臨時に休業をむさぼっており 仕方なく駅前周辺をぐるりと散策したあげく あやしげにたたずむインド料理店を 今夜のお夕飯どころに選んだ。
なにせ 駅から10秒、午後7時の条件を満たした上で まったく客がいないのだからあやしい。 店員は全員あっちのお国の方と思われた。 それらしい音楽もかかっている。 決してシュールレアリスムではない、しかしシュールな絵画もうかがえた。 ここしかない。 僕は意を決し突入した。
注文はインディアンコース。 マトンやほうれん草のカレーにナンを浸して食べる。美味しい。 マンゴーを汁状に溶かしたデザートもふるまわれた。満足できる。 店員だけが難敵だった。 客前において異国語を自在に操り 楽しそうに内輪で爆笑し続けている。 僕は完全にひとり取り残されていた。 どっちがインディアンだ。
「ちょっとさー電車の席譲りなんだけど語っていいですかあ!?もう今までの流れとは関係ない話なんですけど!」 「好感度上がるか下がるかわからんから怖いけどよお」 「別に語っていいじゃないか。俺はいつでも味方だぜ」 「ちなみにキミは、じゃあ一人で電車に乗ってました。座席が空いていたので座りました。数駅通過して混みあってきたときに、おばあさんがやってきました」 「自分の目の前に。さぁどうする?」 「絶対にどかねぇよ!」 「あぁ、素直な青年」 「え、なんかあんの」 「僕はねえ今日は『本当の優しさ』について語りたいんですよ」 「ほほう」 「僕って意外に、結構優しいじゃないですか」 「あー。まぁ」 「まぁ優しくはないけど」 「どっちだよ」 「こう、悪と見なされたくない」 「自分自身に蔑まれたくないっていうのはあるんですよ」 「なるほど」 「おばあさんがね、いかにも座らせないといけないみたいな社会的オーラを放っていたら、そりゃあ寝てるふりはしませんよ」 「でもねえ!」 「でも!?」 「ここで、いわゆる『優しい男☆』みたいなやつって『あ、席どうぞ』とかいって席譲るでしょう!?」 「アレ、嫌いですね」 「大ッ嫌いです」 「えー、なんでぇ」 「完全に優しさふりまいてるじゃないですか」 「アレはアレで好感持てるんじゃなく?」 「周囲も『あ、この若者優しい』と思うわけじゃないですか」 「うん思うよ」 「自分目線でいくと『優しいと思わせたった!』っていうのが数%はあるじゃないですか」 「んーまぁ、あるかなぁ」 「おばあさんも『ありがとねえ』なんつって。それはそれでハッピーエンドですよ」 「しかしねー考えてみてください。」 「おう、何を考えるの」 「優しくされた側、気遣われた側の目線で考えてください」 「『気遣わせちゃったなあ』っていう気持ちが、やっぱり数%はあるんですよ」 「あーまーあるでしょうねぇ」 「『本当は譲ってもらうほどでもないのに悪かったなぁ』っていう場合とかね」 「本当の優しさっていうのは、相手にその気遣いを悟られてはいけないんです」 「実際は足腰強いかもしれないしね!」 「僕だったら黙って席を立ちますよ。立って、車両を一度出ます。そしてそのまま別の車両に移ります」 「うおっほ、カッコイイ」 「ウーンまぁ、カッコイイとかじゃなくて!」 「これが最も自然で、相手も『気遣われた感』を負わず、そして周囲に優しさをアピールするような浅はかなこともなくなる手段です」 「でも、車両の端の人には見えるかもしれませんよ!?アレ?この人また乗ったわって」 「見られたっていいじゃないですか!!」 「俺が一人変人に見られてもよ!」 「うわ降りる駅間違えてるってアホな若者はおもいまっせ?」 「まぁ、あくまで僕の場合はというひとつの解決法ですからここはさして問題じゃないんです」 「論点は『優しさアピール』のやつなんです」 「そもそもね!?」 「おう!」 「混みあったら席譲るくらいの覚悟ならはじめから座るなって話なんですよ!」 「そうでしょう!?」 「んー、まぁそうかなあ」 「それを始めに座るってことは、席を譲る快感、自己満足に浸りたいエゴエゴ野郎に過ぎないってことなんですよ」 「そ、それは飛躍してませんか?」 「いや、間違いないですね」 「たまたまおばあちゃん来ただけかもしれないじゃないですか」 「電車内で座っている輩は100%そうです」 「全員」 「え、じゃぁアナタは毎回たってるの!?」 「座りますよ」 「どないやねん・・・!」 「もうねぇ、100%そうですのあたりからねぇ、オチが見えてしょうがなかったわ」 「いやホントにねえ」 「え、じゃぁ、じゃぁ、座ってるんですね!?」 「というかほぼ大体座ってますね」 「あなたも譲る快感を味わいたい側なんですね!?」 「なんだったら立ってても席譲れオーラを放ってますね」 「コイツ最悪だww」 「いやいや、おばあさんとかが乗ってきたら譲りますよ!」 「さっき述べたとおりです」 「というかね! ちょっと聞け! 」 「ゆずるの否定する側に居たんじゃないの!?」 「聞け!」 「おう!」 「正座!」 「え、えぇ!?」 「あぁまぁしますよはい」 「さっき僕言いましたね。ハナから優しさアピールしたくて席につくようなやつはそもそも座るなと」 「これはね、おばあさんにも言えますよ」 「あいつら席は譲ってもらえるものだと思ってるんです」 「そりゃ思ってるでしょうねぇ老人ですから」 「譲ってもらったら『都会の優しさに触れた』感味わって満足なんです」 「譲ってもらえなかったら『これだから都会は』『最近の若者は』とか言うんです」 「井戸端会議で」 「頭ももう老衰してきてるから」 「だからね!? あいつらももう、そもそも電車乗るなって話なんですよ」 「こいつ……」 「井戸端会議もってくかどうかわからんけど、足腰弱いおばあさんは譲ってもらったら、優しさに触れた感よりも疲労しないでありがたいって思うと思いますよ?」 「疲労を前提に動くなって話なんですよ」 「アホが!」 「え、ちょちょっとまってちょっと」 「なんですか」 「電車が席を設置しなければいいっていう考え方も、成り立つよなぁ」 「……それは困るじゃんか」 「なんで!?」 「俺が」 「疲労を意識しないんだろ!?」 「意識せずに動くんやろ!?」 「(笑)」 「まぁ老人が電車乗るのはじゃあ百歩譲ってよしとしましょう」 「おう」 「百席、譲ってよしとしましょう」 「え、どゆこと?」 「完全に譲る側にまわったってこと?」 「知らん」 「は!?」 「俺の話を聞けえ!」 「聞いてるよ!」 「知らんってなんだよ!」 「やっぱりねー、優しさを履き違えている男が世の中多すぎるんですよ」 「あーそこまで話いきますかー」 「でもやっぱり好感度上げたいですよ」 「うーん。今まで言ってきたように、本当の優しさは相手に気付かれないから、たしかに自分への好感度が上がらないんですよ」 「でもね、本音を言えばやっぱり上げたいじゃないですか」 「……両立できるんですよ」 「実は」 「え、えええ?」 「じゃあ、僕の体験談をもとに話しましょう」
(中略)
「さっきの話だけどさぁ。核心の『僕だったら黙って席を立ちますよ』って、言うの。やっぱりどうかと思うよねえ」 「どういうこと」 「こうやって発言してる時点で、それも一つの優しさアピールじゃないですか」 「やっぱりねー僕ってねえ」 「おう、なによ」 「優しいと言われたくない男なんですよ。ていうか、別に優しくないし」 「もうね、寒いでしょう」 「(あ、優しいって思われたくて優しい行動とったみたいになってる俺ー……!)ってなってしまうんですよ。さっぶいんですよ」 「好感度上げようと必死なんですよ、要するに。世の中の優しい気取りどもは。彼らと同じに見なされたくない」 「んまぁ、要するにそうね」 「つまりね、彼ら自分に自信がないんです」 「自信があれば別に人に認めてもらう必要なんてないんですよ。 」 「さっき本音言えば好感度上げたい言ったじゃん!」 「あれは別」 「えぇえ」 「あの場合は別」 「コイツなんでもありだなぁ」 「いやいやいやいや!!」 「アー!」 「じゃあねえ!」 「えーーーーー」 「なによ」 「理性なんですよ」 「理性!?」 「今まで長々と理屈を述べてきましたよね」 「だらだらとやってきましたね」 「だらだら言うな」 「屁理屈と言われるかもわかりませんけど。でもいちおう、論理的ぽくはあったじゃないですか」 「理性を発揮して」 「それが屁理屈なんじゃね?」 「優しさにせよなんにせよ、善良な理性を乱すなってことなんです。僕が言いたいのは」 「ここでね 」 「じゃあ、問題を出しますよ」 「理性の反対語ってなんですか?」 「んー、まぁ野生とかそんなんじゃないのかなぁ」 「……ッハァー……」 「な、なんですかぁ」 「素潜り名人でもここまでの溜め息はでないわ」 「ハァー……。呆れるわ」 「素潜りは吸う側でしょう!はきません!」 「浅はかなよお」 「そんな、あんたの考えがもう野生ですわ」 「わからん」 「じゃあ、正解を教えてあげますよ。メモってください」 「はいなんですか」 「赤ペンを用意してメモってください」 「お、重要ですねぇ」 「赤ペンと修正液を用意してください」 「間違える気満々だなぁもういいから早くいけ」 「じゃあ言いますよ。理性の反対語はねえ」 「……」 「『恋』です」 「……」 「……いかん、これはいかんよ」 「先が見えてこないもん」 「理性と恋は両立できないんです」 「んまぁ、まぁそうだなぁ」 「だから、下心がある場合には、理性を下敷きにした理論は通用しないんです」 「じゃぁ理性と愛は成立できんのか」 「愛は別ですよ。愛は受動的なものですからね」 「対して、恋は積極的なものです」 「なんだー? 今日は哲学的だなぁ」 「愛っていうのは、どこか見返りを期待しているんです。利他的な行為って実は突き詰めると結局利己的な自己満足だったりするでしょう」 「するかもしれませんねぇ」 「恋は向こう見ずですから。自らを押しだしてくばかりの、積極的なことなんです」 「たしかにまぁそうですわなぁ」 「結構いいこと言ってるでしょう?」 「理性と恋は両立しないんですよ」 「言ってますけどペンは動いてないよ?」 「ええええーー!?」 「全然まだ書くことないわー、早く講義はじまらんかなあ」 「素潜り名人が全力の肺活量を振り絞ったええええーー!?が出るわ」 「メチャクチャいいこと言ってるんですけどねえ・・・」 「ここの講師なんやら触りの部分から核心になかなか入らないなあ」 「うん、いや、まぁいいことよ 」 「マジでね」 「うん、マジでね」 「好感度上げたい自分と優しさアピールしたくない自分は全然矛盾してないです」 「うん、まぁしてない、うん」 「でもこの考えは」 「じゃあ優しさアピールしたい連中も恋してるんだからいいじゃないかという意見もありますね」 「あるでしょうねぇそりゃ」 「先生、話しながらそのことに気付いてしまいました」 「やい生徒!」 「先ほど用意した修正液を先生に貸しなさい」 「あんたがつかうんかい・・・! 「センセー今日修正液忘れましたわー」 「自分の考えを自ら破綻させてしまった……もうやる気ないわぁ……」 「素潜りのくだりから消してください」 「長いなぁ」 「何も浮かばん……」 「ここまで浮かんでたらすごいと思いまっせ」 「じゃあ何かいと」 「俺はすごいと見なされてなかったんかいと」 「いやいやいや」 「さらに、ってことでね」 「いっそうやる気がなくなったわ」 「あまりになくなりすぎて何かもう逆に元気でてきたわ」 「禿げろ」 「アンタそれで本当に禿げたら自分が罪悪感負うんだから滅多なこと口にしないほうがいいぜ?」 「いや背負わんけど」 「死ね!とか言ってねえ。これも相手が事故でもなんでもして死んだら、どんな冷徹なやつでも少しは罪悪感抱きますからね」 「知らんけど」 「でも禿げは別にねぇ」 「知らんのか」 「知らんよ。実体験ないもん」 「禿 と 死 は天秤にかけてもぜんぜん禿に分銅が足りんよ」 「禿は死と直結してますからね」 「絶対してねぇ」 「生きることとは死に向かっていることなんです」 「えらいもんまた出してきたなぁ」 「どんな人間でも年をとりますから」 「年をとるごとに寿命に近づいていきます。これはもう生きとし生けるものの定めなんです」 「禿も同様です」 「完ッ全に同様です」 「完ッ全に同様て!」 「ヒャクパー」 「マジかよ」 「生きることとは禿に向かっていくことなんです」 「年をとるごとに脱毛は進行してきます」 「じゃぁ生まれた瞬間毛の生えてない赤ちゃんはなんですか!?」 「赤ちゃんは生まれたばかりでしょう」 「いま、生を授かっていたばかりなんです」 「ということはさっきまで生きてなかったんですよ」 「さっきまで死んでたんです」 「おなかの中で!?」 「死んでたんです」 「溺死?」 「知らん」 「・・・・・・」 「そういうわけでね、死と禿はとても近い存在なんですね」 「自殺者の統計から調べてみてください。中年サラリーマン多いですよ」 「彼ら皆はげてますからね」 「いやそれはわからんでしょう」 「だいたい今若者の自殺増えてますよ!?あなたの理論ですと若禿どころか小学生あたりがはげてますよ!?」 「ッアーもう」 「アホ生徒が」 「じゃあ」 「毛はえるまでもないですよ!?」 「じゃあな!?」 「お、おう」 「ちょ! やい生徒!」 「はい」 「赤ペンとメモ、さっきの。また用意しなさい」 「修正液、買っってきなさい」 「ははーん、さてはこの塾、教える気ないなぁ」 「何がだ。メッチャ教えるわ」 「自殺者はなんで自殺するのかって話なんですよ」 「だいたいにしてなんで修正液なんだよ! 黒板使って黒板消し使えばいいじゃんか! 」 「うるさいでーす!」 「席に着いて!」 「え、えぇー!!クラスみたいな感じで怒ってるけど個人レッスンって聞いて入ったんだけど」 「自殺の話をしてるんです」 「彼らは何で自殺するんですか?」 「無視かよ」 「知りません。人それぞれです」 「そりゃあ人それぞれだけども……」 「まぁ、理由がありますわな」 「そらなにかしらありますわな」 「簡単にまとめると悩みでしょうね。大小ありますが」 「まぁ大きくまとめればね」 「悩みをもつのはね、完全じゃないからです」 「不完全なんですよ」 「だから完全を求めて悩むのです」 「んーまぁそうも考えられますね」 「その悩みが極みまで達してしまうと、いわば『完全な不完全』である、死を自ら選んでしまうんです」 「やい生徒」 「赤ペン出して、姿勢正して」 「 ww 」 「全ての自殺者はつまり」 「心の禿をかかえているんnだよ……」 「噛んだ…」 「最悪だw」 「いかんわこれは」 「あぁ噛んだぁ」 「…いや、そういうことなんですよ」 「どういうことですか」 「つまり、ここぞの場面で噛んだ僕も」 「完全な人間じゃないということなんです」 「禿という不完全を背負っているわけです」 「これ禿の人怒ってくるぞ」 「それは何故かっちゅうと、先ほどキミから『ハゲろ!』と言われたあれですね」 「もうすべてあの発言で壊されてしまいましたね。呪われましたね」 「あぁ、ホントにぃ」 「罪悪感は計り知れないですね」 「いや別に」 「あぁー。禿げたくないわあ」 「君のような人はきっと…」 「じゃあ禿げて何が悪い」 「っていう話でね」 「いや何も悪くないですよ」 「!? どんな風に!?」 「いやだから悪くないですって」 「例をあげてくれんとわからん」 「体験談を発表してくれんとわからん」 「禿が悪くないということを示す体験談!?」 「十や二十あるんじゃないの」 「あるかそんなに!」 「それで良く言ったなあ」 「『何も悪くない!』」 「笑わせるわ」 「禿げて何が悪いってさっきはげたら自殺とか言ってたのは誰だ!」 「自殺て。あんなん極論ですからね」 「・・・・・」 「不完全はいいことですよ」 「ほんとこいつしばきたい」 「不完全だから完全を求めて人は成長していくんです」 「頂上は常に上にあるんです」 「頂上がなかったらつまらない世の中ですよ」 「世界が完全にまったいらだったらどうするんですか?」 「この世から登山家という職業がなくなりますよ」 「あんま気にならないかなー」 「俺もまったく気にならんわ」 「どーでもいいわ」 「人は不完全を厭って道具を手にしたんです。産業革命、科学の発展……。言うなれば人が不完全だからありえたんです」 「国の禿を治す仕事が政治家ですよ」 「まぁそんな政治家たちも禿げてますから汚職事件も起こしますけども」 「あんな禿ばっかり当選させる国民がアホなんじゃんそしたら」 「だから国民も禿げてるんです」 「みんな禿げてるんです」 「それをね!?」 「禿げろ! とは何事です!? それ」 「自分だけが優位に立ちたい、あさはかな虚栄心……」 「自己顕示欲……」 「ナルシスト……」 「おぉ、どんどん重ねてきたけれども」 「どれも同じような意味であんまり効果ないなあ」 「あんまり違う意味ではダメでしょうこの場合!」 「意外と同じ意味じゃ弱いんだよ!もっとずらしていかないと!」 「そういうわけでね」 「えらくばっさりとまとめにはいるなぁ」 「禿げろとは何事かっちゅう」 「これだけ話しておいて結局その一点かい」 「どうなのこれ」 「今日は終始そんなだなあ」 「まぁ僕は気にしないですよ」 「僕は心臓に毛が生えたような人間なんでね……」 「・・・・・・」 「決まった……」 「べつにうまくねぇ・・・」 「完全に決まった……。自分が怖い……」 「きまってないってー」
(20070220/れどれ×ジャス/チャット)
2007年02月13日(火) |
国語能力心的外傷事件 |
あれは忘れもしない小学校一年の、暑い夏の日のことでした。
その日、僕のクラスでカタカナの小テストがありました。 当該テストが、単純に点数をつけるのみにとどまらず 間違えた答は正解に辿り付くまで 何度でも先生に提出しなければならない形式を採っていたことが 幼い僕を悲劇へといざなう布石を磐石に至らしめていました。
設問は全て、ひらがなの字句を カタカナにして書けばいいだけの簡素なものです。 至極簡単な問題のためクラスメイトはどんどんテストを完了し、 休み時間に突入していきます。 僕はだめでした。 「ちゅうりっぷ」が難問過ぎました。 まずは「チュウリップ」でバツをもらい、 ならばと「チュウりップ」で提出するもバツをもらい、 もしやと「チユウリップ」で挑戦してもバツをもらい、 いよいよ今一度「チュウリップ」で立ち向かうも ことごとく先生にバツをもらいました。 周囲を見渡せば休み時間にはしゃぐ楽しそうな喧騒。 僕は泣きました。 当時、普段活発であった僕が泣いていることに対して 動揺しているクラスメイトの反応を見てまた泣きました。 ヒントを与えようとしてくれた友達の思慮に触れて 惨めの極みに達しまた泣きました。 落ち着いて考えればわかることだと自分でも理解しているのに いっそう焦燥に駆られるばかりでまったく頭は働きません。 体の熱が高まるのは夏のせいばかりではなかったでしょう。 たとえ汗を出してなくともこのテスト用紙は濡れていたでしょう。 いつしか僕は笑っていました。
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チューリップの花言葉は色ごとに違うそうですが それらに通底している概念は「愛」です。 いったいどこに愛があるというのでしょうか。
人が裁かれるところを鑑賞すべく 裁判所に行って来た。
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裁判傍聴は2回目、じつに1年ぶりになる。 しかしいつ来てもやるせない。ブルーだ。 強制わいせつや痴漢、児童ポルノ関連物販売などの 性犯罪に手を染めた被告が アカラサマに母親に庇ってもらっているシチュエーションなぞ 垂涎ものなのであります。 裁判官も人によっては随分と酷で、 判決を言い渡しその論拠を述べた後もすぐには閉廷せずに 「貴様の罪は一生残るぜ前科野郎」「わいせつわいせつ」という旨の お説教をネチネチ被告にまくしたてることにより ただひたすらに反省の言葉を繰り返す虚しい性犯罪者を法廷に存在させる。 法的罰則を超えた悲しき制裁。 いまや泣き出しそうな彼から放出されている 恥辱の空気感を傍聴陣は美味しくいただいた。ごちそうさまでした。
……犯罪はダメ。 とくに性犯罪はダメ。絶対。
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