げっかん かちょうふうげつ
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 ことばではない、なにかここにあるもの、あったもの




一枚の写真の中に、
その時の記録としての言葉は、
書いてありませんが、
撮った本人が、後で見ると、
その時の気分をありありと、思い出すことがあります。


見た人を、上からすっぽり包むように
当時のそのことをそのまま、再現してしまう。
たった一枚の写真から、呼び出される
あんまりにも悲しく、あるいは、とてもうれしいこと。


「えっ、そんなこと、ないよ。」
という人は、そうなるまで、撮ってみてください。
気分を、自分(内面)を撮ることも、
上手に!なんてことも、まったく不要です。
それでも、言葉で記されたものより、
ずっといい記録になることが、きっとあります。
わたしが、ほしょうします!!
と、書きたいぐらい、お勧めです。

かと言って、わたしが始終、
そういう体験をしているわけでもなく
自分で撮った娘の写真を見ても、
クールだなぁと、思ったりするほどで、
ある意味、続けることがつまらなくもあるのです。
でも時々、なんてこともない花の写真に
悲しいことや、うれしいことを見てしまいます。

そして、こんな写真は、もう撮れないかもと、思います。
もう、できないっていうことは、さみしいことではなくて、
もしかすると、また撮ってしまう気もするし、
それを撮らなくても、今、想像できない何かが
あるのだろうと。

それは写真だけじゃななくて、
すべてのことにおいて、という予感が
なんとなく、いい気分なのでした。

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2008年10月13日(月)
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