ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2008年06月01日(日) 聖日礼拝

「我は主にして汝をいやす者なればなりと」 出15:26


メッセージ題 「癒し主(ぬし)なる主(しゅ)」 

 モーセに率いられて旅するイスラエルの民は、水が苦くて飲めないという苦難に直面します。今でも荒野では塩分を含んだ苦い水が湧くそうですが、そういうものだったのかも知れません。そんなことがあった中で神様は、モーセに一本の枝を与え、それを投げ入れると水が甘くなりました。
 次の試練は、食べ物がないという現実です。しかし神様は、天からウズラやマナ(特殊な神の与えたもう食物)を降らせ、必要を全て満たしてくださいました。
 更なる試練は、水がないということです。そこで神様はモーセに指示をして、杖で岩をたたかせました。すると岩から水があふれ出たのです。
 人々は苦難の度につぶやき、嘆き、絶望しました。聖書を何となく読むだけですと、「イスラエルの民は不満ばかりでしょうもない連中だ」と思いがちです。ところが現実の荒野は死と向かい合わせですから、イスラエルの民の嘆きは当然と言えば当然のようなことだと思うのです。これは私たちの人生とよく似ています。そんな私たちのこの世の現実ですが、神様は癒し、満たし、救い続けてくださいます。聖書はそのように約束しているではありませんか。
 先週、シカゴで行なわれたセントラル・カンファレンスという超教派のリトリートに、講師として招いていただきました。そこで色々な若者たちと出会いましたが、大きな苦しみを負った方々にも出会いました。私もそうですが、多くの人は過去に消し去ることの出来ない痛みを負い、苦しみは続きます。しかし主は癒し主です。必ず救い、天よりの慰め、そして永遠の命による希望を与えてくださるのです。このお方を見上げつつ、これからも歩んで参りましょう。

ペニンスラ・フリーメソジスト教会
牧師 榊原 宣行



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