| 2008年08月31日(日) |
聖日礼拝 特別講師;榊原寛牧師 |
「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」 ヨハネ20:19〜20
メッセージ題 「恐れの只中に立つイエス」 特別講師;榊原寛牧師
新聞の記事を見ましたら、日本人の70%以上が日々に不安を抱えて生きているということが出ていました。また、ささいなことで110番や119番をかける人が多くなったという記事もありました。例えば、「妻の料理がまずい」という男性からの電話、「兄さんがカップラーメンを分けてくれない」という子供からの電話、「ゴキブリ駆除をしてくれ」などなどです。これらのことを見ますと、「恐れはありません、心配はありません」ということの言える人は、きっと誰もいないのではないでしょうか。 入院して大変な状況のある人に対して、「頑張って」と声をかけても、「これ以上、どう頑張ったらいいんだい!?」と言いたくなるでしょう。 マザー・テレサがインドの、ある家を訪ねました。その家は、鍵を固くかけて、カーテンも全部締め切った暗い家でした。マザーは、「私が毎日訪ねていくから」と言ったそうです。そうして、本当に毎日、どれくらいの月日だったのでしょうか、ともかく毎日訪ねていきました。そしてある日、ドアは開け放たれ、窓も開いて、明るい日差しが差し込んでいたのだそうです。孤独で閉じこもっていたその人は、「あんたは、わしの心まで開いてくれたよ」と言ったそうです。 弟子たちは、戸を閉めて閉じこもっていました。英語では、戸は複数形です。つまり、ドアというドアをロックしてしまっていたのです。自分の心のドア、人と人とのつながりのドア、神様との関係までロックしていたという、そういう状態が彼らの恐れの状態でした。恐れは、あなたを閉じ込め、周囲をも閉じ込めてしまいます。しかしイエス様を心にお迎えするなら、恐れから解放されます。そしてそればかりでなく、周りの者にまで祝福が及んでいくのです。そのことを確信をもって受けとめていただきたいと思います。主があなたと共におられます。
ワールドビジョン 日本代表 牧師 榊原 寛
「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」 ルツ記1:16
メッセージ題 「主に従った者たちの姿」
ユダヤ人であるナオミとその家族は、飢饉のためにモアブの地へ移ります。その地で2人の息子は、それぞれ結婚するのですが、やがて夫も息子2人も死んでしまいます。ナオミと嫁2人だけが残ってしまい、ナオミは一人で故郷へ戻ることを考えます。しかし2人の嫁はナオミに従うことを主張します。それでもナオミは嫁たちの幸せを考え、モアブに残って再婚するようにすすめます。そこで一人の嫁は涙のうちに別れを告げますが、もう一人の嫁だけはナオミと共に生きることをあきらめようとはしません。その嫁が、ルツです。 故郷に帰ったナオミは、町の人々に「もうナオミ(喜びの意)」とは呼ばず、マラ(苦しみの意)と呼んでください」と言います。ボロボロになったナオミとルツですが、実はやがてルツに素晴らしい再婚相手が与えられ、喜びの生活がやって来るのでした。 喜びは、それだけではありません。ルツと再婚相手ボアズの子孫からダビデが生まれ、その子孫からイエス様が誕生されたのです。これはマタイの系図にしっかりと書かれています。 ナオミやルツに対して神様は、目に見える祝福を与えるだけでなく、世界で最も幸せな者としてくださいました。誰がこんなことを想像できたでしょう。 今日はハリー檜垣さんの88歳のお誕生日をお祝いしました。教会の最初からのメンバーであるハリーさんの米寿をお祝いできたことは、私たちの喜びでありました。ハリーさんの生涯を思うならば、悲しみと痛みの連続であったということになるでしょう。日系人として差別され、特に第二次世界大戦では多くの迫害に遭われました。また、家族のことにおいても痛みをかかえ、様々な面において苦労の連続でありました。しかし神様は、戦争の中で結婚へと導き、それによってキリストの救いへと導き、家族もビジネスも祝してくださいました。また多くの労をとってくださったこの教会も、こうして祝福のうちに導かれています。 困難の只中にいると、苦しみだけしか見えません。しかし神様は、恥を恥だけで終わらせるお方ではありません。痛みを痛みだけ、悲しみを悲しみだけで終わらせることはしないのです。主に従う者には、永遠の祝福が待っています。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 牧師 榊原 宣行
|