ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2008年01月27日(日) 聖日礼拝

「「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。」 創世記9:13


メッセージ題 「ノアの箱船と契約の虹」 

 今日は、誰もがよくご存知のノアの箱船の出来事を見てみましょう。アダムとエバの子孫は地に増え広がり、その中からノアが生まれました。その時代、多くの人々は神から背き、自分勝手に生きていました。そして神は、真実に生きるノアとその家族以外を洪水で滅ぼすと宣言されたのです。ノアは神の示し通りに箱船を造り、動物たちをカップルでそこに乗せました。やがて雨が降り、神の言った通りに洪水となり、40日40夜にわたって地をのみ尽くしました。やがて雨はやみ、地に降り立ったノアたちに見せられたもの、それが美しい虹でした。それは「二度と洪水で滅ぼすことはしない」という、神様の新しい契約のしるしだったのです。
 ところで、「船」という字にまつわる大変興味深い話があります。「船」という漢字は中国から入ってきたわけですが、「舟」と「八」と「口」から出来ていますね。中国では「口」は「人」を表現する言葉なのだそうです。つまり、「八人」の人間が「舟」に乗ったと、こういう意味が「船」という漢字に込められているということです。八人とは誰でしょう? それは、ノアとその家族の人数だというのです。確かに聖書には、ノア夫妻とその3人の子供と妻たちの合計八名が船に乗り込んで助かったとありますから、その漢字の意味はとても興味深いということになりますね。中国には古くから聖書が伝わっていますから、きっとそういう信仰の中から漢字が生まれたのでしょう。
 神様は、救いの契約の証しとして、虹をお立てになりました。今でも私たちは、虹を見ることがあります。その時には、「ああキレイだな」と思うだけでなく、「これは神様の救いの約束の虹なのだ、神様は私を愛しているのだ」と、ぜひ思ってください。そしてそこに十字架の愛と復活の命を見出し、大いなる主を仰ぐ思いを新たにしたいものです。

ペニンスラ フリーメソジスト教会
牧師 榊原 宣行




2008年01月20日(日) 聖日礼拝

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか。』」 創世記3:9


メッセージ題 「あなたはどこにいるのか」 

 天地を創造された神は、人を造られました。最初の男が土(ヘブル語でアダーマー)で造られたアダム、そして女性は命を産むようになるエバ(命の意)です。エデンの園は、まさに楽園でした。しかし園の中央には、人が食べることを許されていない実が実る木がありました。それ以外は、すべて人の自由だったのに、蛇の誘惑に負けてエバがそれを食べ、アダムも共にそれを食し、結果的に彼らはエデンを追放されてしまいます。
 「なぜそんな木を置いたのだ?」と文句を言う人がいます。確かにそう思いますが、でもよく考えてみたら、それは人間側の勝手な言い分です。神様は、人間をロボットのように造ったのではありません。自分の意思で神に仕え、神を愛し、園で生きることが出来るようにと願っておられたのです。ですが、人はそれを裏切り、自分勝手に罪を犯しました。これが罪の根源、原罪です。人は自己中心ではなく、神中心で生きなければなりません。
 その罪びとであるアダムとエバを、神様は探しました。もちろん、どこに隠れていても逃げ切ることなど出来ないのですが、それでも神の問いかけに返答することを主は望んでおられたのです。これが神様の愛です。
 私はかつて、人生に迷い、行くべき道を見失い、うつろな人生を歩んでいた時期がありました。そしてその時、神様と出会いました。神様を信じる決心をした時、私はこう思いました。「ああ、神様はずっと私を探して、名を呼んでいてくださったのだな。私の帰りを待っていてくださったのだ」
 神様は、あなたを呼んでおられます。道に迷い、行くべき道に悩むのは、クリスチャンであろうがなかろうが、そういうことがあるでしょう。しかし神はあなたを愛し、名を呼び、「どこにいるのか?その道でよいのか?私はお前を愛しているよ、私の道を歩みなさい」と語りかけておられます。

ペニンスラ フリーメソジスト教会
牧師 榊原 宣行




2008年01月13日(日) 聖日礼拝メッセージ

「はじめに神は天と地とを創造された。」 創世記1:1


メッセージ題 「全能なる神をあがめつつ」 

 先週は父がメッセージをしましたから、私のメッセージとしては今年最初ということになります。今年最初は聖書の最初の箇所からメッセージをいたします。
 ここには、神様が天地を創造されたと記されています。そして5日間で次々と地上を整えられ、6日目に動物や人を造られて、7日目に休まれたとあります。この創造の七日間を、そのまま文字通り一週間とするのか、それとも表現としての七日間であって、実際にはもっと長い年月であったとするのか、聖書学者によって意見の分かれるところです。ですが、私は今朝、そういうことを論議するつもりはありません。それは重要なことかも知れませんが、もっと重要なことは、「神が天地を造られた」ということであり、「人は偶然の産物ではない」ということです。つまり、天地も人も、神の意思によって創造されたものだということなのです。
 日本漢字能力検定協会が約10万人にとったアンケート結果によりますと、2007年を漢字一文字で表現すると「偽」になるということです。食品偽装問題、政界の汚職、中国には偽のディズニーランド出現などなど、2007年は嘘に塗り固められた偽りの年であったと、こういうことだそうです。
 信じられるものが何も無い、嘘と偽りの世の中・・・。このようなことが現実の世界かも知れません。しかし聖書は、天地を創造し、私たちを創造し、永遠の命を備えるために十字架と復活を成し遂げてくださったお方を確かに指し示しています。偉大なる主、全能なる神、そして愛によって私たちを救いへと導いてくださるお方が我らの神であり、主なのです。このお方に目を注ぎ、希望を抱いて2008年を生きようではありませんか。

ペニンスラ フリーメソジスト教会
牧師 榊原 宣行




2008年01月06日(日) 新年特別礼拝 講師;榊原寛牧師

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。」 イザヤ43:19〜21


メッセージ題 「神の栄誉を宣べ伝える神」 特別講師;榊原寛牧師

 今年のペニンスラ教会の標語は、「ビジョンに立つ教会」だそうですね。神様のビジョンに従うその姿勢がどのようであるべきか、そんなことを今朝の礼拝では考えてみましょう。
 イスラエルの民がエジプトを脱出した時、彼らは直面する苦難にばかり目を留めて、神様を仰ぐことをしませんでした。ですから、「エジプトの方が良かった」などと文句を口々にもらしたわけですね。また、いざ約束の地を目の前にした時、エリコに斥候を派遣しましたが、その情報を聞いた時も、すっかり意気消沈し、「エジプトに帰りたい・・・」などという不平ばかりでした。
 一般社会でも、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」などと言われ、積極的な可能性思考が言われたりします。であるとしたら、全能なる神が私たちの人生を導いておられるのですから、私たちは神様に信頼し、ビジョンを持ち、雄々しく歩み出そうではありませんか。過去にしばられ、後ろ向きに生きて行っては、明るい未来は開けていくはずがありません。
 聖路加病院長の日野原重明先生は、96才で今なお現役でおられます。先生は、「老人を高齢者と呼ぶのは差別用語だ」とおっしゃっています。老人の「老」という字は、「大老、長老」などに代表されるように、尊敬語です。「老人とは、リタイアするものではなく、なお生産的に生きるものだ」とおっしゃっているのです。
 神のビジョンに立つということに、年齢は関係ありません。全ての人が神のビジョンを仰ぎ見て、新たしい年、主に期待して歩みだして参りましょう。

ワールド・ビジョン・ジャパン代表
牧師 榊原 寛



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