世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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サッカーW杯第三次予選。 相性もあるんだろうけれど、ウズベキスタンは手強かったなあ。 岡崎のインザーギぶり(←わかるひと少ない表現)を期待してたんだけど、後半はもう完全に消されてたね。見たい顔はほとんどそろっていたというのに、ああいう試合ってかなしいー。
それに、宮市亮、せっかく帰国したのにプレーが観られなくて残念。残念だけど、宮市、呆然とするくらいかわいいな! でも、あの顔どこかでみたことある気がする…(久々に始まりましたよ)
◎今日のそっくりさん
宮市亮 → アーセナルを出てロシアへ帰ってしまった、アルシャビン
ハーフナー・マイク → 無理矢理、ヴィンセント・ギャロ
長友佑都 → 忍者ハットリくん(無精ひげあり)
ま、アルシャビンより宮市の方が何十倍も可愛いけどね!
負けちゃったあとのこういう気分のときこそアタシの出番だと思って久々にかましてみましたが、いかがでしたでしょうか(投石、放水だけはご勘弁願います)。
その後の購入本をまとめて。 「現代詩手帖特集版 春日井建の世界」 2004年8月刊(思潮社) 「思潮 G・ド・ネルヴァルと神秘主義」 1972年7月刊(思潮社) 「兎とよばれた女」 矢川澄子(ちくま文庫) 「ラピスラズリ」 山尾悠子(ちくま文庫) 「彼女について」 よしもとばなな(文藝春秋) 矢川、山尾の文庫本以外は古書。三冊とも即興堂さんで購入しました。しかしなぁ、、、 自分で選んでお金払っといてこういうこと書くのもなんだけど、矢川、山尾、よしもとの女流三作品、重かったなぁ。特に「兎とよばれた女」なんて読むの中断したままだもん。
先月、ユリイカ「矢川澄子・不滅の少女」買って、読み始めてすぐにヤガワスミコ問題が勃発し、頭は重いわ心は暗いわで大変でした。どうも私は自他境界線があまくていかんね。 で、よしもとばななに、これでもか!的に痛点ぴしぴし突かれて。 2月の女流はまっこと厳しかったわ… 「春日井建の世界」読んだときには安心したせいか、きれいな涙がドーッと流れ出ましたもの。 ふーーーーーぅ。
あ、「兎」と「ラピスラズリ」は両方とも解説を書いているのが千野帽子という人で、肩書きも書かれておらず、いったいどんな乙女だろうと思っていたら、素敵な男の子だということがわかりました。フフ。 こういう謎が検索で瞬時に解けちゃうというのもインターネットの功罪のひとつですね。
可愛い男の子のふりして書評や解説書いちゃうおばちゃんて、やってみたいな!ウィキで検索してもそのあたりよくわからないの。で、巷じゃ諸説紛々となるわけ。フフフフ、考えただけで楽しいわー。
カルチェラタン、散歩の途中でみつけた壁の落書き。男の子の写真転写みたいなのはどうなってるんだろう?
2012年02月23日(木) |
チャンピオンズリーグ |
帰国して大正解だったねー。 元気をとり戻した壮年、レバークーゼンのジミーちゃん。
アメリカに置いとくのが忍びなかったんだよなぁきっと。 ベンゲル監督がレンタルで呼び戻した、アーセナルのティエリ・アンリ。
ここいらあたりに注目しながら、遅ればせ、CL決勝ラウンドを楽しみたいと思います。 Grow old with me とか言って涙ぐんでる場合じゃないけどな。 こういうひとたちが元気で走りまわってるの見ると、チョット、な。
(しんみり加減に水をさすバルサのめちゃ強さ。奴らを倒すのは誰だ)
2012年02月04日(土) |
2011年6月のパリ(2) |
ここ二日ほどなんとなく体調がおかしくて、風邪かインフルエンザじゃないかと疑っている。いつ関節が痛くなって高熱が出てもいいように身構えているのだが、来ない。一応、洗濯なんかも全部済ませてあるんだがな。相変わらず薄ぼんやりとした不調感が漂うばかりだ。 -- 昨年6月にパリへ行ったときのことの続き。 あなた変わったわね、、、それとも変わってしまったのは私の方かしら?…みたいな、そんな話です。 ◎東京化したパリ 着いた日に、散歩がてらとりあえず出かけたのはルーブル。美術館ではなくてガラスのピラミッド前の噴水、それからチュイルリー庭園のあたり。1996年に初めてパリへ行ったとき泊まったのがチュイルリー真ん前のホテルで、どうしてもその影響から抜けられない。せっかく左岸5区に宿をとったのに。でもまあ、そういうもんですわよね。いろんな人が自分にとっての「初めてのパリ体験」に基づいて言う。「やっぱりモンマルトルの坂道かな」とか「ラスパイユ大通りよ!」とか。鮭のごとくに遡上して、戻っていくのでございます。 そんな懐かしきリヴォリ通りまできて気が付いたこと。行き交う自動車がヒステリックなまでにスピード出して走ってる、ような気がした。昔はもっとトロトロ走ってたような気がするけどな。パリの景色は基本的には変わらない(変わりようがない)のでよけいにそう感じたのかもしれないが。そして、みなさん、手に手に携帯電話をしっかり持っていらっしゃる。歩行中でもかまわず通話。携帯電話ほどフランス人に似合わないものはないと思っていた私は軽くショックを受けた。
↑この美しい青空がなぜかとっても腹立たしかった(理不尽)
↑外からルーブル館内の彫刻が見える。私の大好きな場所。 でもって、地下鉄。パリの地下鉄は小さくてすぐ満員になっちゃうけれど、誰も押しあいへしあいしてまでは乗らない、次の電車を待つ、というのが以前メトロで見た風景。ところが、今回は押された押された、フランス人にグイグイ押されましたよ。…世知辛い。あまりにも世知辛い。なーにをなさるんですか、マダム エ ムッシュー! 考えてみたらこの前パリに来てからもう12年以上たっているのだ。なにしろ、まだユーロじゃなくてフランの時代だったんだから。でも、もう私の決まり文句「パリは昭和三十〜四十年代の東京にそっくり」は使えなくなっちゃったな…。
↑Varenne駅構内。ロダン美術館の最寄り駅。なので彫刻がある。 ◎パリにも梅雨がある 着いたその日から、小雨が降ったり、晴れ間が出たりというお天気だった。天候のことは気にして調べて行ったつもりだったけれど、まさかこんなに寒いとは思わなかった。なにしろ町ゆくお嬢さんの中には革のジャケットにマフラーなんて格好のひともいたくらい。「晴れて気温があがると泳ぐ人もいる」ってはなしを信じてノースリーブのワンピースや麦わら帽子を持って行った私は、私は、、、。とにかく無印良品のガーゼの長袖ブラウスと麻のパンツではとてもじゃないがしのげなくて、レアールのZARAで紺色のジャケットを買った 寒いばかりではない。湿気が鬱陶しい。歩いていてもスカーフを巻いたり外したり忙しい。ホテルの部屋でも、すこーし蒸し暑く感じることがあって、そういうときには窓を開けてカーテンを引くことにしていた(そうすると、すぐに暑さは解消した)。ヨーロッパといえば短絡的に「乾燥」と思っていた私にはとんだ伏兵だった。 ZARAで思い出したけれど、ZARAだけではなくH&Mとかフォーエヴァー21みたいな安い洋服屋さんがたくさん出来ていて、ほかの都市ならばともかく、パリまでが…と複雑な気持ちになった。なにしろ、どこの駅で降りても必ずこういう洋服屋さんが二、三軒固まってある。長い通りを歩いていると、あれ、この店さっきもあったじゃん、というわけで二軒目に出くわすなんてこともあった。パリだってもう東京とおんなじなのよ、本当に。 ZARAで買ったジャケットは70ユーロくらいだったと思う。けっこう良い買い物だったと思っている。
↑パンテオンからの眺め。雨のパリ。遠くにエッフェル塔が見える。
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