世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2012年01月31日(火) 歩き過ぎる

 
私の携帯には万歩計機能がついている。
本日、帰宅時点での表示歩数、16506歩。
有楽町〜日比谷〜有楽町〜銀座、ちょっとフラフラしすぎだろう! 
↓日比谷公園。ここが東京のリュクサンブール庭園?
 
 
 

 
 
 
 
書き忘れました。昨日の購入本。八重洲ブックセンターにて。
 
「オオカミの護符」 小倉恵美子(新潮社)
 

農家に生まれ育った著者が、実家の土蔵の扉に貼られた「黒い獣の護符」の来歴を求めて関東甲信の山々へフィールドワークに出る。
と書くと、どこか山間の里の話かと思うかもしれないが、著者の実家は神奈川県川崎市。東急田園都市線のたまプラーザから徒歩圏の土橋という所。そして、著者は私より4才年下。お婆さんの昔語りというわけでもない。

かねてより「山岳信仰」ってなんだろう、太占(ふとまに。お百姓さんの作付け占い)ってどんなものだろうと思っていた。そして、幼稚園から小学校入学までの2年余りを田園都市線沿線の町に暮らしたことのある私としては、もう興味津々なのだ。

このフィールドワークは既に2008年、「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」という記録映画になっているそうだ(著者はもともと記録フィルムに残すことから始めたのだった)。八重洲ブックセンターでは地下の山歩きコーナーの平台に山積みになっていたが、奥付は昨年12月15日発行、1月20日第二刷ですでに重版になっていた。
これ絶対面白いよー。久しぶりに新潮社のハードカバー買ってしまった。
 
 
 


2012年01月30日(月) 石岡瑛子

  
石岡瑛子さん、21日に亡くなっていた。知らなかった。
夜、NHKで「プロフェショナル 仕事の流儀」の再放送をみる。昨年2月に放送された石岡瑛子唯一のドキュメンタリーフィルム。追悼のための急遽再放送だった。
 
「こういうふうに時間は流れて、ひとは入れ替わり、時代は移って行くのだ」ということを、つくづく、身に沁みて感じたのは何故だろう。
いくつか理由は思い浮かぶけれども、いまその謎解きをしている時ではないという気がする。言葉になる前のレベルでわかっていればそれで(その方が)いい。
 
貴重な記録映像であることはわかっていたし、録画することは簡単だったけれども、私にも意地がある。「所有できる」と思ったとたんに関係性は変わってしまう。
 
一期一会の石岡瑛子は多くのことを語っていた。
口惜しさが、あとからあとから湧いてきたが、それは言っても仕方のないことだ。しばらくは石岡瑛子の顔が、まるで瞼の母みたいに浮かんできそうで嬉しい。
 
 
 
 

 


2012年01月29日(日) 安宿画像

 
パリ、カルチェラタンの安宿画像を。
窓からの眺め、見るべきものは小さな空(お天気)くらい。
 
 


 
 

改装したてとおぼしきシャワーブース。
丸いクリクリしたところからもお湯が出る。クリクリを動かしてお湯の方向を調整できるのです。面でお湯を浴びられるので助かる。カーテンではなくガラスの引き戸がピッタリ閉まるので周りがびしょびしょにならないし、寒くない。厳冬期以外はこれでもいけそうです。
 
 





意外すぎる美味さで宿替え思いとどまらせた朝食がこれ。パン+コーヒーのみというシンプルさ。いかにも安そうなプラスチックのお盆に載せて配られます。デスクではなくベッドの上に置いて、テレビみながら食べてました。
 
 


 
 
 
 

 
 


2012年01月27日(金) 生きてるだけで丸儲け?

 
少し前に書店で「愚の骨頂」という本を立ち読みしておりました。内容はマツコ・デラックスと中村うさぎの往復書簡です。その中に収録されていた対談で、1958年生まれのうさぎさんが、子供の頃は家の中に新しい家電製品が増えていく様を驚きをもって眺めていた、洗濯機やテレビのない家に次々に文明の利器が登場した。だから携帯電話なんてまったくSFの世界の出来事だと語っていた。

同年代の私としては「うちもそうだった。だから、二十一世紀は生きてるだけでサバイバル、奇跡みたいなものよ!」と思いながら読んでいたのですが、マツコ(38歳)は、そうはとらなかった。かなりショックを受けた感じで、えっ、あんたってそういう年代を生きてきたひとだったの!少し勘違いをしていた、ならばもっと敬意をもって接しなければいけない、というような意味の言葉を返していました。

それ読んで、まさかひと回りくらいの年齢差でそんなに生活実感に差があるとは思っていなかった私は非常に驚いたのですが、そのうちに、だんだん気分が良くなってきた。私が(私も)マツコに敬意を抱かれているような錯覚に陥ったのですね。要は、そんな年寄りだとは思わなかった、もう少し大事にしてあげなきゃね、ってそれだけのことなんだけれど、勝手に勘違いしてぐんぐん気分がよくなってしまった。ほかの人ならともかく、マツコだからね。嬉しさも何か格別って感じだったのです。
 
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長い間ずーっと頭痛の種だった画像処理ソフト問題にケリがついた、と思います。
二十一世紀を不器用に生きるストレンジャーも、これでやっとストレスなく更新ができるようになる、はずです。
 
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本日の購入本。古書店、即興堂にて。

 ユリイカ臨時増刊号「矢川澄子・不滅の少女」 2002年10月刊(青土社)
 
 
年末に買おうと思って買いそびれていた古書。矢川澄子は1930年生まれ、2002年没。
「古きものへの敬意」の次は「不滅」への欲望か、と、軽口叩こうとして、考えた。「不滅」って何だろう。どういうことなのだろう。
 
これは無理だという気がする。「不滅」については死ぬまで何もわからないだろうと言う気が強くする。人間が知らなかったり解明出来なかったり、知らなくてもそれでかまわないことというのが数限りなくあって、「不滅」はそういった、眩しさに目を細めることそれ自体が幸福といった類いの謎めいた光源なのだと思う。そりゃ欲しくもなりますよ、このユリイカ。
 
 
 
 
 
 
 


2012年01月24日(火) 精神年齢二十歳

  
積もった雪に太陽が反射して、まぶしい朝だった。
玄関から通りまでのアプローチを雪掻きしてから東京へ。予定通り映画「ニューイヤーズイブ」を観る。舞台はニューヨーク、時は大晦日。とっても洒落てて、泣かされて、最後は元気が出る、アメリカンハートウォーミングという言葉を思い出させる作品でした。ウェルメイド。

もともと私はオムニバス映画とか、複数ストーリー交錯映画って大好きなのだ。造りそのものがすでにお洒落。これで中味も良ければ、傑作短編集を堪能するのと似た感じを味わえる。「ニューイヤーズイブ」は長編だけれども、なかに、微妙に袖擦れあいながら交錯する複数のストーリーが入っている。しかも新旧豪華キャスト競演でとっても贅沢。

ボンジョビくんとミシェル・ファイファー姐さんに「お久しぶりです!」と心のなかで挨拶をし、サラ・ジェシカ・パーカーの声の可愛らしさを初めて知って「あら素敵!」と驚き、デ・ニーロの芝居に「すれっからし爺め!」と悪態をつきながら泣かされている間じゅう、私の精神年齢は確実に二十歳に逆戻りしていたと思う。

…いやいや、待てよ。そもそも私の精神年齢って普段からそんなものだったんじゃなかろうか。そう思ってみると妙にしっくりくるんだよなぁ…(すんごいことに気が付いちゃった)。
 
 
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本日の購入本。丸ビル青山ブックセンターにて。

 「カスバの男 モロッコ旅日記」 大竹伸朗(集英社文庫)
 「大和なでしこ整体読本 身体を取りもどす七つの力」 三枝誠(ちくま文庫)
 
ここのところ、謎の古代文字だとか、占星術だとか、エーテル体だとか、怪しい読書ばっかりだったので、やっとまともな、しかも凄い当たり本に、、、と書きかけてふと気づく。これ二冊とも結構なスピ系じゃないの? しかも「男」に「なでしこ」で陰陽になってるー。
いずれにしても「カスバの男」が文庫本で手に入るとは。ありがたいことでございます。
 
 
 
 
 


2012年01月23日(月) 2011年6月のパリ(1)

 
いま雪が降っています。もう積もり始めている。
けっこうビショビショした雨が続いていて、寒い割にまったく雪降らないなぁと思っていたけれど、ついに。それとは別に数時間前からたまーに雷鳴が。それも長ーーーーいシャッターを延々と降ろしているような、アクセントのない大きな音が続くという不思議な雷鳴。そしてその上、地震もあった(最近多い)。降雪+雷鳴+地面がぐらぐら、この三種同時進行は結構シュールだぞ。嫌いじゃないぞ。ただ、これ以上大きな地震は勘弁してください。
明日は早起きして、雪掻きする。それから有楽町で映画観て、日比谷のクリニックに行く。ブーツ履いて、ダウン着て、帽子も被っていくんだ(←るんるん)
 
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昨年6月にパリへ行った時のことを書いておきます。6月9日に日本を発ってドバイ経由で10日の午後パリ着。5泊して、日本へ帰ってきたのは16日、だったかな(すでに忘れかけてる)。パリは三回目だったけれど、今回印象的だったことをテーマ(?)ごとに少しずつ書きます。
 
 
◎安宿の洗礼を受ける

 今回のテーマは「左岸を攻める」だったので、ホテルも5区カルチェラタンにした。でも、5区、6区のホテルは小さくて高い。文化の香りって高くつくのですよ。いきおい金額はそこそこ払って、与えられる環境は「安宿スタイル」ということになる。それでも清潔なベッドとバスタブだけは確保したつもりで宿へたどり着いたら…バスタブがなかった。
変形のせまーい部屋に猫の額ほどの中庭(地面はみえない、銀色のダクトのようなものがあった)に向いた窓がひとつ。セミダブルのベッドにかけられたカバーには小さな焼けこげ。ベッドサイドテーブル1。白いペンキの塗られた洋服ダンス1。机とイス、各1。入り口ドア横の高ーい所に壁掛けテレビ。あとは洗面台、トイレ、そしてシャワールーム。冷蔵庫とエアコンはなし。以上。

 成田空港の薬局で買った入浴剤「草津の湯」どうしてくれるんだとは思ったけれど、堪えたのは部屋の狭さと古さ。むしろシャワールームは改装工事したばかりのようで、新しくてきれいだった。とにかく明日にはここを出ようと、着いたその日には思ったのだけど…。翌朝、ドア脇にあった机を窓の前へ移動。ひとりで顔を赤くして机をひきずりながら、パリまで来てあたしは一体何やってんだろうとは思いましたけどね。でも、これでかなりマシな部屋になった感じ。
 そして!特筆すべきは!朝ご飯のパンとコーヒーが美味い!!クロワッサンとフランスパン、小さなバターと苺ジャム。金属のピッチャーに入った熱々のコーヒーとミルク、大ぶりのコーヒー茶碗、これらをプラスチックのお盆に載せて部屋へ持って来てくれるというシステム(食堂もバーもなんにもないんです)。これで不味けりゃ決心も固まるんだけれど、めちゃくちゃ旨かったんだ、パンもコーヒーも。苺ジャムなんて給食食べてた大昔を思い出すようなしろものだったのだけど、けっこういけるんですよ。あと、意外なことにベッドの寝心地が良かった(!)。まったくどうなってるんだろうね、このホテルは。
(シャワーブースと朝食のトレーの画像はあとからアップしますね)

 結局住めば都的なことになって宿替えはしなかった。フロントの女性もお掃除の人も、日によって、人によって、親切不親切のばらつきが凄かったり、バッチリ安宿の洗礼を受けた感じですが、面白かったと言える程度の経験ですみました。

 そういえば最近になって、ロラン・バルトが1980年に交通事故に遇った(結局その事故が原因でバルトは死んだ)その通りに、件の安宿は建っていたのだということが分かった。バルトはコレージュ・ド・フランスで教鞭をとっていた「左岸の人」だったのだから不思議とまでは言えないけれど、左岸を攻めたいと思った理由のひとつがバルトその人であった私は、絶句。かなりジンワリきました。(2)に続きます。
 
 
 


2012年01月06日(金) 小寒にはサウナ(または人生の帳尻)

 
1月6日、小寒。後楽園のスパ ラクーアへ出かけた。
都内文京区の日帰り入浴施設ではあるけれど、ラクーアのお湯はちゃんと掘って湧いた温泉だそうだ。説明には何万年も前に地層に閉じ込められた海(氷河)の水分とのことで、実際とてもしょっぱかった。

施設は大きくてきれいで言うことなしなのだけれど、慣れない場所にひとりで行ったので勝手がよく分からない。少々便利すぎるくらいにシステマチックなのだ、きょうびの日帰り温泉は。
とはいえ久々のドライサウナは気持ちよかったなぁ。焼け石にハーブオイルの入った水をかけて蒸気立てるやつもちゃんとやってもらったし。露天風呂に入って空を見上げたら白くて小さな月が、遠くでピカピカ光っていた。
 
ところで。本日、ラクーアに着いたときに鏡に映った自分の顔をみてギョッ。顔色が悪すぎる。お風呂屋さんへ行くのだからバッチリメイクというわけではなかったのだけれど、それにしてもひどすぎる。実は年末に郵送されてきた定期検診の結果が、深刻ではないけれど少々問題アリだった。洋服も靴も要らないから、これからはもう少し頻繁にサウナだ温泉だとリラクゼーションに精出しても良いのではないかと真剣に思った。

そして、今回は夕方から入ったけれど次からは明るいうちからサウナ三昧したいと思う。でもって日の残っている夕方のうちに家路に着くのだ。うん、いいねえ。もうシステムもだいたいわかったから、次は昼から大きなお風呂でのんびりだ。ふっふっふ、うっふっふー、だ。
 

 
 
 



2012年01月04日(水) 明治神宮へ初詣

 
普段からテレビばかり観ているのだが、お正月もやはりテレビばかり観ていた。さすがに飽きて、消してまた点けて、消す。大晦日から2日まではほとんど家から一歩も出なかった。
こういう強いインドア指向はホロスコープ(生誕時の天体図)にもはっきりと現れているらしく、第4ハウス(心の拠り所)に月が入っていて、こういう人はお家が大好きなのだそうだ。しかも私の場合はファザコン的でいつまでも子供時代の素朴な世界が続くことを望み、理想的な家族像に憧れる、らしい。
このあたりいろいろと思い当たることも多いのだけれど、それはそれとして、さすがに少し太ったんじゃないかと思う。Wii Fit Plus 欲しいな。あれ結構いいって聞いた。私にぴったりだと思うんだけど。
 
しかし、それではとすぐに Wii Fit を買ってくるわけにも行かないので昨日と今日は電車に乗って出かけてみた。昨日は新宿のさきまで、占い茶屋(新年イベント)へ。今日は明治神宮へ初詣。
占いでは去年の秋、西洋占星術を教えてくれた先生がタロットでみてくれた。結果、2012年は成功したい分野ではイマイチだが、そこはいいんだよ別にという分野で盛り上がるらしい。はー、そうですか。お神籤代わりの一枚引き(持ち帰り可)は金貨の10。一応食べるだけは食べていけるらしい。こりゃなによりです。ありがたや。
 
本日。明治神宮へ初詣するのは中学生のとき以来だ。原宿駅を出て神宮の森の入り口で最初の大鳥居をくぐるとき、その緑のあまりの深さにたじろぐ。まるで異界への入り口みたいではないか。「皇居がある関係で東京の真ん中は存外緑が多いんだよね」などと普段からすらすら話していたわりに、全然来ていなかったからね。
今日から仕事始めという会社も多いのだろう、賑わってはいたけれどひどい混雑というほどではない。参道にはうるさいくらい鳥の声が響いていて、ほとんど並ぶこともなくお参りすることができた。ここでもお神籤を引いたのだが、大吉とか凶とかではなく「大御心」という有難いお言葉を賜るという形式のもので、古い日本語で「難しいからといって為すべきことを怠るようでは決して成功することは出来ません。七転び八起きの決心で励みましょう」という意味のことが書かれていた。

つまり、食べて行かれればまあいいやみたいな心の持ちようでは、成功したい分野でいつまでたっても芽が出ませんよ、という意味だろうか。正論だとは思うけれど、なんだか、昨日と今日で親戚の世話焼きおじさん、おばさんに囲まれて軽くいじられて帰ってきたような気分になるなぁ。
ま、いいか。とにかくすべては大好きなお家に帰って温かい湯たんぽ入れてからだ。とりあえずそれからですよ、考えてみるのは。









 


2012年01月01日(日) あけましておめでとうございます。

 
本と読書関係はまめにアップしていきますので2012年もよろしくお願いいたします。
 
早々から地震がありました。こわかった。
去年の3月は会社にいたので他にひともいたし自分の身ひとつを守ればよかったのですが、今日は自宅です。食器棚を両手で押さえながら、今本当にこういうことしてていいのか?と思いながら焦ってました。かすかな揺れが徐々に大きくなりながら続く、けっこう長い地震でした。そのまま大きくなっていってドーンと来たら、どういうタイミングで何を手に外へ出るつもりだったのだろう。恐さが残っているうちにちゃんと対策しておこう。
 
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元旦からシリアスなはなしになってしまいましたが、ここからは雰囲気を変えて。ハトマメ。のスタートと同時に同じような質問を何人かの方から受けました。「ハトマメ。」の意味とか意図ってどういうの?というやつです。そんなの決まっているじゃないですか、普通そういうこと聞きますか。さあ、ここからは新春お年玉クイズです。二択でいきますよ。「ハトマメ。」とは何かの略です。さて、ABどちらの略でしょう。
(A)はと時計から豆ご飯
(B)鳩山さんちの豆柴犬

…さあ皆さんもご家族やお友達と、C案、D案、E案と新しいアイデアを出しあって、お正月を朗らかに、楽しく過ごしましょう。皆様にとって素敵な一年でありますようお祈りいたします。









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