世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2012年03月23日(金) 二十一世紀世田谷

 
来月末に世田谷区内へ引っ越すことになった。
先週から下北沢、明大前、経堂と不動産屋さんをまわっていて、これは経堂になるかもと思っていたら、20日にパタパタっと決まってしまった。

広さは今住んでいるところの半分くらいになるので、今までになく大胆に本や家具を処分しなければならない。これくらいのことがないと私は断捨離しないので丁度良いきっかけなのだろう。本は即興堂さんに引き取ってもらおうと思う。

経堂といえば植草甚一だけれど、駅前にそびえていた経堂アパート(かつて植草甚一が居住)はすでになく、きれいな商業ビルに建て替っていた。私はこれから二十一世紀セタガヤに潜入する昭和星人なのである。

新しいアパートを決めて不動産屋さんを出た後、すずらん通り商店街をブラブラ歩いて、ふいっと横道を入ったところにある古民家喫茶へ入った。噂には聞いていたけれど、すごく分かりにくい場所にあると思い込んでいたので「李白」とのいきなりの遭遇に驚く。

掛け時計のカチカチいう音と、韓国の雅楽みたいな音楽と、主人の観ているTVから漏れる韓国ドラマの韓国語が静かに混じり合う不思議な空間で甘い煎茶をいただいて帰ってきた。

気分良く流れに乗って流されているという感覚。悪くない感じだ。






2012年03月06日(火) 文豪リストウォッチ

 
今年に入ってから(二月だったかな)送られてきた、新潮社Yonda?Clubの文豪リストウォッチ。
応募台紙には「届くまで4ヶ月かかる」と書かれていて、まさかそんなにはかからないだろうとタカを括っていたら、本当に4ヶ月ぴったりで届いた。応募用紙がちゃんと着かなかったのでは…と心配になってきたところでの到着でした。

この時計には分針しかなくて、時針の代わりに小さな窓の中に作家6人の顔が出てくるのです。
6人の作家(文豪)は12時の位置から時計回りに、夏目漱石・芥川龍之介・川端康成・太宰治・江戸川乱歩・森鴎外。

しかし、時刻と顔の関係を覚えるまでがわかりにくい!
12時に夏目先生のお顔が見えて、その次1時頃の窓枠内には夏目先生の耳とほっぺ+次に出てくる芥川龍之介のおでこと右目、という…。到着以来何度か箱から出して眺めておりますが、私もまだ文豪さん全員のお顔を拝んではおりません。








それでですね。
一昨日、4日にメディカルハーブ検定というハーバリストになるための最初の試験を受けてきたのですが、その受験票の「持ってくる物」の中に「腕時計」と書いてありまして。

ところが会社勤めをやめてからの約五か月間、腕時計をつけるという習慣をやめてしまっていたら、ちょうど電池が切れたのか次々時計がとまってしまっていました。試験前日に抽斗や箪笥の中をさがしたけれど、動いてる腕時計はひとつもない。

で、たったひとつ時を刻んでいたのがこの文豪時計だったのだけれど…
これ持って試験受けるって冒険過ぎるでしょう。
なので当日の朝、ヨドバシカメラに寄ってBabyG の電池を入れ替えてもらい、持って行きました。

そんなこんなで、めっちゃマニアックですよー文豪リストウォッチは(いつになったら読めるようになるのか)。






 


2012年03月02日(金) わー!

 
ピナ・バウシュを観た映画館においてあった近日公開作品のチラシ。
その中に「昼下がり、ローマの恋」という、うわーって感じのタイトルの映画があって、でも、もしかしたらこれ地味だけどけっこうきちんと作られた佳作かもわからん(伊仏の映画でたまーにあるパターン)と思い、手にとってみたのですよ。

そうしたら、
よくよく見てみたら、
主演の白髪のおじさん、ロバート・デ・ニーロだった。
わー!地味な佳作がふっ飛んだよー。

・・・おやじー、出過ぎなんだってば!!!


気をとりなおして来週あたり、もう一本のピナのドキュメンタリー「ピナ・バウシュ 夢の教室」を観に行こうと思っております。これは、ダンス経験のない40人の少年少女が「コンタクトホーフ」上演に向けて特訓を受けるという内容のフィルムだそうです。

私も十代に戻って踊りたい。戻れなくても踊りたい。
精神の解放が肉体を癒すというのはもちろんだけど、肉体を解放してこころのバランスを取り戻すというのもありだよね(あ、なんかちょっと光が見えてきたかんじ)。






↑2010年9月のローマ、サンピエトロ寺院の丸屋根からの眺め。
ローマへはあと四、五年のうちにもう一度行くことになりそうな気がします…






2012年03月01日(木) ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち

 
映画の日だったので、有楽町で「ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を観てきました。映画の日だからか、平日にもかかわらずとても混んでいました。二時の回を観ようと思っていたけれど、もうあまり良い席が残っていなかったので次の回を観ることにして、お茶を飲んで時間をつぶしました。
こういう行動は以前のような生活をしていたら考えられないことで、なんだかすごーく贅沢な気分でした。
 
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ピナ・バウシュの名前を知ったのは70年代の終わり頃、夕刊の文化欄に彼女の新しい作品に関する記事が載っているのを見つけたときだったと思う。なにやら前衛的なダンスカンパニーを率いる女の人がいるらしいというので、その記事をチョキチョキと切り抜いて、スクラップブックに大切に貼った覚えがあります。

今回映画でピナのダンスに触れて思ったのは、十代の私がこれを観ても理解不能。多分二十代でも三十代でもムリだった。もしかしたら五年前でもだめだったかも。「言葉に還元できないからこそダンスなのだ」と肚をくくって最初から言葉による理解を手放すことができたら良いのだけど、それは無理だったと思う…

それで、映画を観終わってから、ピナの記事を初めて切り抜いたときからずいぶん時が経ってしまったけれど、こちらに受け取る準備ができたときに、表現はちゃんと訪ねてきてくれるんだなーと、妙に納得をしたのでした。
ピナ・バウシュは2009年に亡くなっていますが、表現者の肉体は滅びても表現されたものはのこる、というわけです。この当たり前といえば当たり前のことに感動しました。

うまく言えないけれど、人はひとりひとり「自分自身という自然」を生きるのが本来なのだなぁ、と思いました。








↑次回上映を待つ間に食べたお菓子のセット。
ところがですね、現在わたしの口の中は、激しく歯科治療中なのです。なので石のように硬いビスコットは、コーヒーに浸してグジュッとさせてから食べました。二十年後を先取りですわ(泣泣)








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