世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2011年12月31日(土) 大晦日

 
冬晴れの、でも寒い日が続きました。今日も夕方、西の空には一番底に濃い橙色、その上に薄い儚い水色、そして降りてきた深い青色のグラデーションがとてもきれいでした。
放射冷却のせいか昨晩は星がよくみえました。驚くくらいピカピカ光っていました。今晩は月の光が眩しいようです。月齢6.4、白い弓張月です。
 
今年中にと思っていて、片付いたことも間に合わなかったこともあるけれど、おおむね平穏な年の暮れでした。ハトマメに、久しぶりに読んだ本のことを書いて、楽しかった。お正月中にも書名のみで感想が書けなかった部分を追加更新いたします。

それと新年は、とうとう(ジャーナル上では)ドバイまでしか行かれなかったパリ旅行について書きます。ここでチマリスのパリ行きに関する豆知識。
・何が面白くて生きているのかわからない状態で渡仏。精神的に死にかけていた。
・今回のテーマは「左岸を攻める」、ホテルも左岸(5区)だった。
・初めて終始単独での海外旅行だった。
・パリでも決して元気なわけではなかった。
・でも、やっぱり行ってよかった!
…こんな豆知識、あんまり必要なかったか。
 
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それではそろそろ2011年のまとめを。

読んだ本:「他者と死者 ラカンによるレヴィナス」内田樹
今年この本を読んだということに大きな意味があった。自分自身、疲労と大きな迷いのなかにあったし、何より大震災があった。黙すしかないときには、黙すしかなく、ただそのことに耐えなければならないと思った。自分も含めて、人間はおかしなものだと思う。しかしいくら未解明でおかしなものであっても、人間性ということについての卑怯な態度はダメだと思った。人間が人間性について考えるのは当たり前のことなのだ。だって人間なのだから。
 
観た映画:「イヴ・サンローラン」
ドキュメンタリー映画。生涯のパートナーであったピエール・ベルジェが出演し、ナレーションも担当。
天才に苦悩はつきものらしいけれど、サンローランはあまりにも素直に型通りに天才の苦悩を生きてしまった。生み出したものは確かに素晴らしかったけれど、犠牲が大きすぎる!本当に本当にかわいそうだった。
サンローランは骨董のコレクターとして素晴らしい審美眼を持っていて、国内外にいくつも所有していた家はそれらのコレクションで飾られていた。でも決して成金趣味のごてごてした感じじゃなく、陰影がとても美しくて。この映画を観なければ、私が死ぬまで知ることはなかったであろうお金持ちのお部屋の映像に唖然呆然。DVD化されたら絶対買う!と言っていたがすぐに前言撤回。所有しちゃダメなのよ、あんな美しいものを。いつでも何回でも観られるって、逆に恐ろしい。なぜかきっぱりとそう思ったのだった。
 
蹴球関係: 素敵な日本代表/カッサーノ
日本代表が成長した。選手個人も成長したけれど、代表そのものが日韓W杯のころと違う。でももうあれから10年経つんだものね。私も置いていかれないようにがんばらないと。まずはドリブルから…(←ここで思い切り突っ込んでください)
生きていたカッサーノ。ミランへ移籍して大活躍。ああ、ここでも成長を目の当たりにするチマリス。復活する伊サッカーへの愛。ところが10月(だったかな?)、彼の姿が急に見えなくなってしまった。スカパー解説者の「カッサーノもいなくなってしまったし…」という発言に、またオトナの事情かいな!と憤懣やるかたないチマリス、、、すっかり移籍(またはレンタル)だと思い込んでしまった。ことの真相はカッサーノの心臓疾患(先天性異常)ということで、手術を経て復帰の予定、球団もそれを待っているとのことだった。驚いた、驚いたけど良かった。ピッチ上で具合悪くなる前にわかってよかったよー。復帰を心待ちにしております、セニョールカッサーノ。

物見遊山: パリ5区、パンテオンで見た「フーコーの振り子」。振り子見てあんなに感激するって一体どういうことなのだろう。なにしろ感極まって涙ぐみそうになったんだから。あそこにああいうものがあると知らずに、いきなり遭遇したという驚きは確かにあると思うけれども。帰国後、画家の妻フロイラインT嬢にこのことを話すと、「一種のパワースポットだったんじゃない?私もフーコーの振り子観たいな!」とのこと。なるほど、パワースポットかぁ。
 
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…これにて2011年のハトマメはおしまいです。あと三時間ほどで2012年がやってきます。みなさまどうぞ良いお年を。来年もよろしくお願いいたします。










2011年12月30日(金) 1974年のユリイカ

 
年末の買い物に出て、結局今年も数の子を買ってしまった。数の子を買って食べるからには自分で塩抜きして浸け汁作って味付けまでやりたい。それから、お膾。いまやお正月に自分でつくるのはお雑煮を除けばこの二つだけ。いわば最後の砦なのだ。

それで、夜、夕飯の片付けが終わったあとで一時間くらいトントン、カタカタやってみた。すると、あれ?どうしたのかな、今年はいつもより美味しくできたような気がする。もともとすぐ出来ちゃう簡単なものではあるのだけど、今年はいつも以上にパパッと簡単に出来てしまった。それなのに…。イライラ忙しがらずに楽しく作ったからなのかな。

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古書店、即興堂さんへも寄って、今年最後の古本購入。ユリイカ臨時増刊 「総特集オカルティズム」。表紙は沢渡朔の「少女アリス」だ(なつかしくて涙が出るな)。「少女アリス」が刊行されたとき、オープンして間もない渋谷パルコで写真展が開かれた。そのパルコへ父と妹と三人(!)で行ったとき、すっごく観たかったんだけどそうもいかなくて、セーターを買ってもらって帰ってきた覚えがある。いったいいつ出たユリイカだろうと思って確かめたら1974年7月、私が買ったのは1980年8月に出た第二刷だった。

斜め読みしてみると文体も文章も、これだよ、ちゃんと頭のいい人が書いて頭のいい人が読む文章ってのは!と叫びたくなる美しさ。ブレず、ふざけず、おもねらず、テーマへの愛情を持って語ってくれている。それも、執筆者全員がですよ。これっくらいじゃないと、一生懸命背伸びして私なんかがわざわざ読む価値ないじゃん。せっかく背伸びするんだから、背伸びしがいのあるちゃんとしたものを読みたいのよ。

執筆者の筆頭が渡辺一夫(東大の仏文の先生でラブレーの訳者として著名)。戦後の知識人のひとりとして有名な人だったけれど、こういう人にきちんと書いてもらわないと「オカルト」扱うのは危険だものなぁ。その次に澁澤龍彦がきて、このあたりはお約束。おおおっと驚いたのが掉尾を飾るユングの「易と中国精神」(中村健二 訳)で、これはもう、読むのが勿体なくなるくらい示唆に富んで面白い。つまみ読みしていると、湯葉みたいにふにゃんふにゃんに柔らかくなってしまいそうになる。すごーく変てこだけど、そんな感覚。

編集後記は恐らく編集人であった三浦雅士によるものと思われるが、これがまた。「隠秘主義とは何か。それはおそらく照応の感覚である」という出だしからして膝をパーンと打ちたくなる。比較的短くてエッセンシャルな文章だから、すごく興奮するのだけれどうまく説明するのが難しい(なにしろ必死の背伸び状態)。ただ、「あなたの計算はほとんど何も生まないけれど、あなたの感覚には可能性がある。だから今までどおり、ひとが見過ごすようなものもよく見て記憶して。記憶するのが無理なら、無意識の中へ放り込むだけでもいいから」と言われているような気がするんだな。何だろうね、この嬉しさ。

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明日(大晦日)は東京ドーム天然温泉、スパ・ラクーアへ行こうと思っていたんだけど、年明け三日過ぎにしようかなと思っている。あともう少しだけ家の中を片付けたいし、意外に混んでいるんじゃないかという気もするのだ。
生協で入館券を割引きで買ってあるのだけれど、三日以降なら特定日割増しも払わなくてすむしね。平日に空いたお風呂でのんびりして寿命をのばすんだー。
 










2011年12月28日(水) 今年読んだ本(3)

 
今年10月以降に読んだ本です。
今後の自分をどげんかせんといかん!と、悩みに悩んでいた私に「自分をいかして生きる」という実にまっとうなタイトルの、シンプルなことをじっくりと扱った本が方向性を与えてくれました。ここから何かが始まったという気がする。
そして、「他者と死者」。レヴィナスすごい、このタイミングでレヴィナス、凄すぎる!(←これだけじゃ何だかわからないよね)でも、自力で直接レヴィナスの著作を手にしてもきっと私、何にもわからなかったと思います。自称レヴィナスの弟子、内田樹さんにもたくさんの感謝を。
 
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「老嬢は今日も上機嫌」 吉行和子(新潮文庫)
「夜のミッキー・マウス」 谷川俊太郎(新潮文庫)
「ありきたりの狂気の物語」 C・ブコウスキー(新潮文庫)
「ブラッド・ブラザー」 J・カーリィ(文春文庫)
「海辺のカフカ」上・下 村上春樹(新潮文庫)
「走ることについて語るときに僕の語ること」 村上春樹(文春文庫)
「ルーン文字 古代ヨーロッパの魔術文字」 P・ジョンソン(創元社)
「自分をいかして生きる」 西村佳哲(ちくま文庫)
「他者と死者 ラカンによるレヴィナス」 内田樹(文春文庫)
 

あとまだ読みかけの本が三冊くらいあるけれど、いまのところはこんな感じです。
今年の後半は占星術(ホロスコープの読み方)や卜占(ぼくせん=タロットやルーンのように札や牌を引く占い)の象徴解読みたいな本を多く読んでいました。それらは純粋に読書といえるかどうか微妙なので実用書扱いとし、書きませんでしたけれども。
科学的な裏付けのない(人間の行動自体がその最たるもの、ですが)神秘性に近づくこと、象徴性というつるりとしたとっかかりのないものに、これまで自分が生きてきたすべての経験と感覚を総動員して自分自身をねじ込み、読み解いていこうとする試みを、レヴィナスの思想が大きな力で後押ししてくれました。
 








2011年12月27日(火) 今年読んだ本(2)

 
今年5月後半から9月までに読んだ本。
特筆すべきはプルースト。「失われた時を求めて」、大河の流れに乗るポイントが見つけられずに苦戦。もう少し頑張ると入っていける、らしいのだけれど(読んだ方たちはみなそうおっしゃる)。予定では、今年の後半は失われた時を求めまくる予定が、まったくそうはならなかったのでした。…乗れなかった本を特筆してどうするんだ!
 
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「プルーストを読む」 鈴木道彦(集英社新書)
「失われた時を求めて1 第一篇 スワン家の方へ1」 プルースト(集英社文庫)
「ロンドンはやめられない」 高月園子(新潮文庫)
「15のわけあり小説」 J・アーチャー(新潮文庫)
「プリズン・ストーリーズ」 J・アーチャー(新潮文庫)
「臍の緒は妙薬」 河野多惠子(新潮文庫)
「きみのためのバラ」 池澤夏樹(新潮文庫)
 
 





2011年12月26日(月) 今年読んだ本(1)

  
場所を替えてでも日記のようなものを続けよう思ったのは、第一に読んだ本の記録だけは残しておきたいと思ったからで、サブタイトルに「〜読んだ本のことなど」としたのもそのため。
購入本についても、買ったそのときに記録しておかないとあとでけっこう不便な思いをしたりするのだ。

それで、今年読んだ本についても、これから3回位に分けてダダーッと書いておこうと思う。まるで夏休みの宿題をまとめてやっつけようとしている子供みたいですが、大丈夫です、大好きな科目なのでいけるでしょう。

今年のお正月は秋田県の新玉川温泉というところでひとりショボンとしていて、そのとき持って行ったのがジッドの「背徳の人」。2011年の読書はこの本からスタートしたのでした。

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「背徳の人」 A・ジッド(ちくま文庫)
何事も真面目が肝心で、背徳にしろ懊悩にしろ大真面目でやらないことには文学にならない。二十一世紀の日本で文学が成立しにくいのは、何でもかんでも個人の自由の名のもとに認められるようになったことと、あんまり悩んで真っ暗になってると「そんなに自分をいじめちゃダメ、もっとポジティヴに」なんて、悩むこと自体を邪魔されちゃったりするからではないだろうか。
それにしてもフランス人の男性同性愛者が背徳やらかす舞台といえば北アフリカなのだなぁ、やはり。バルトもサンローランもみんなそうだったもんねぇ。アンドレ・ジッドが生きていたとして、マツコ・デラックスの所行なんか目の当たりにした日には「あー馬鹿馬鹿しい、やめだやめだ、何もかもぜーんぶ、やーめた!」なんて言うかもしれない。
 
「若かった日々」 R・ブラウン(新潮文庫)
「人生のちょっとした煩い」 G・ペイリー(文春文庫)
「最後の瞬間のすごく大きな変化」 G・ペイリー(文春文庫)

両方とも米国人女性ではあるのだけれど、続けて読んでいるうちにそれぞれの境界線がやや曖昧になってしまった。そんなことになった理由と思われるのが、二ヶ月くらい前に読んでいたフラナリー・オコナー(米国の女性作家)の短編集。この影響ではないかと。まず最初にフラナリー・オコナーとグレイス・ペイリーの境界線があやしくなってきて、それからそのオコナーの威力がレベッカ・ブラウンとの間にも及び、そうこうしているうちにペイリーとブラウンの間までもがちょっとあやしくなってきてしまったようなのだ。
フラナリー・オコナーという作家は1964年に39歳で亡くなっているのだが、短編集カバー裏の彼女を紹介する文章には「残酷なまでの筆力と冷徹な観察眼」という言葉が書かれている。また「暴力的でグロテスク」だという人もいるようだ。
それで、レベッカ・ブラウンは「筆力と観察眼」、グレイス・ペイリーは「暴力とグロ」がオコナーとの共通点なんだよ、ほとんどのとこ、などと書いてしまうとさすがに乱暴すぎるか。
ところでグレイス・ペイリーの小説の訳者は二冊とも村上春樹なんだけれど、彼曰く「最後の瞬間のものすごく大きな変化」は予想以上に売れたし反響も良かった、小説を読むのが本当に好きな人なら多分この良さを理解してくれるはずだと信じて訳して本当に良かった、と言うのです。
しかしね、正直、グレイス・ペイリーの小説は難解です。背景を理解しようにも日本人には(実感として)とても理解しにくい。原文のぶっ飛んだ独特さも、原文で読めればまだしも、、、しかし仮りに原文で読めたとしてもやはり背景は、、、という大きなジレンマを感じる。
思うに、ペイリーさんってすんごいインテリなんですよ。ゆるぎない思想を持って生きているインテリ。自分の身体をつかい倒して自分の思想を生きるという、そういう新型の(実は正統派の)インテリ。そんな強烈な印象を持ちました。米国人女性作家恐るべし。

「異国の窓から」 宮本輝(文春文庫)
宮本輝さんて私が思っていたような作家さんと違う!一緒に旅することになった若い女性編集者に意地悪ばっかり言ってる。それも関西弁でズケズケいわはんねん、うち、もうガッカリや!と思いながら最初のうち読んでいました。
大人げなく角突き合わす二人がその後どんな旅路をたどったのかは、読んでのお楽しみです。東ヨーロッパ解放前、ドナウ川の源流から河口までの旅を綴った紀行文。小説「ドナウの旅人」はここから生まれたそうです。
 
「河岸忘日抄」 堀江敏幸(新潮文庫)
フランスのどこかの町(どうやらパリではないようです)の河に繋がれた船に住んでいた日々が描かれています。と書くと、まるで作者の堀江さんが主人公みたいですが、フィクションですから一応堀江さんではないはず、でもやっぱり一時期住んでいたことがあるのかなぁ繋留船に、、、というお馴染みの淡々小説世界。こういう一見淡くて静かな生活って、そうとう頑固で自分のやり方を曲げないひとじゃないと出来ないのだということがわかってきた今日この頃。
気がつけば当たり前だけれど、ああ素敵だなーというものが視野一杯にひろがっているときって、なかなか気が付かないものなんです。
 
「夜想曲集」 カズオ・イシグロ(ハヤカワepi)
うーん、うーん。ひとことで言うならば、、、カズオ・イシグロの真骨頂は長編小説なのではないかと。決してこの短編集が悪いと言っている訳ではないのですが(悪い訳がないじゃん)。
なんだか勿体ない気がしてくるのですよね、短編ひとつ読み終えるたびに。次のと続けて長い話にしてくれたら良かったのにーって。つい思ってしまう。
ところで、6月にパリへ行ったとき、帰りの飛行機の中でカズオ・イシグロ原作の映画「わたしを離さないで」を観ました。暗くて暗くてまいったよ。いや悪い映画だったと言っている訳ではないのですが(キャスト素晴らしかったし)。うーん、カズオ・イシグロ好きなんだけど。ゆえに、うーん(悩みは深い)。
 
「お金をちゃんと考えることから逃げ回っていた僕らへ」 糸井重里/邱永漢(PHP文庫)
どうしてこの本買って読んだのでしょうね。一生懸命読んだら、お金持ちになるヒントがどこかに書かれているかもしれないと思ったのでしょうか。
本に書かれていた邱さんの言葉で忘れられないのは「株式上場するほど落ちぶれていない」というもの。つまり出資者集めなくても手持ちで間に合っています、金も出すけど口も出すってのは嫌、自分のしていることについていちいち人に釈明するのが嫌、だそうだ。なるほどなー。あまりの凄さにここのとこだけはよく覚えております。
 
「終着駅 トルストイ最後の旅」 J・パリーニ(新潮文庫)
これは文豪トルストイの最晩年を描きながら、文豪が何故家から離れた田舎の駅で82歳の生涯を終えたのか、その謎に迫るという小説です。
トルストイの妻ソフィアは古今の三悪妻のひとりと呼ばれているらしい。そうなったことの原因のひとつはトルストイが後年(「戦争と平和」を書いた後くらいからだろうか)単なる作家ではなく、ロシアの民衆を導く精神的指導者(ニュアンスとしては教祖様みたいな)になっていたからで、そういうトルストイが一番大切で下世話なことで悩ませてはいけないと表面的には高潔に主張する同志と、そうは言ってもこの人は私の夫でありうちのパパなんです。初期の作品は私が口述筆記を手伝って二人で完成させていたのに…どうしてこんな不自然なことになってしまったの!と嘆く奥さんとの間で、娘や息子までもを巻き込んだ骨肉の争いが延々と続く。こういう小説が面白いかと聞かれれば、面白くないわけがないじゃん、と答えましょう。だって、みなさん自分の欲望全開なんですよ!
しかしながら、トルストイに関しては伝記、回想録の類いが非常に多く存在し、要するに関係者の多くが「自分の見解」を残しているわけで、それらをすべて参照して小説にまとめようとすると多すぎる資料が逆に真実を歪めることになってしまう、らしい。大変ですね。なので、著者のジェイ・パリーニは「これはフィクションである」と自らことわりを入れているのだそうです。
悪妻というのは普遍的に小説の素、なのだろうな、きっと。ちなみに古今の三悪妻、あとのお二人はソクラテスの妻クサンチッペとモーツァルトの妻コンスタンツェ、だそうだ。これら三悪妻にしたところで、現代の日本に生きていたら、痛快、正直、見習いたいなんて言われて女性からアイドル視されていたかも。ついてないな彼女たち、生まれた時が悪かったのよ。
 
「イヴ・サンローランへの手紙」 ピエール・ベルジェ(中央公論新社)

  
…ここまでで、5月中旬くらいです。(2)に続きます。
 




2011年12月23日(金) もっと人と会おう



妹と待ち合わせして、横浜へ両親のお墓参りに行く。
風は冷たいけれどよいお天気だった。

このところ天然石に狂っていて、妹一家へ今年のクリスマスプレゼントは天然石のブレスレット。
妹には本翡翠メインのと、彼女の誕生石でもあるカーネリアンで作った細くて赤いのと、2本。姪にはフローライト(蛍石)とローズクォーツ、アマゾナイトで作った優しい色のやつ。義弟には赤虎目とトルマリン、ルチルクォーツ(金針水晶)で作った金運と健康祈願の1本。
男性用に径の大きな石で、悪趣味にならず、かといって単調でもない少しだけ個性的なブレスレットを作るのが面白かった。女性用のものは何でもありだけれど、少し制限がある中で遊ぶのはそれとは別の楽しさがある。

この一ヶ月、天然石の問屋街まで何度も何度も出かけて行った。
最初は自分のために本翡翠を探しに行ったのだけど、気がつくとあの石この石、いろんな石がほしくなってしまって、何やら困った状態に。
けれども、クリスマスに向けてプレゼント用に全部で6本のブレスレットを作成したことでなんとか虫は治まり平熱に戻ったようだ。短期間にダーッと4本作ったりしたのが効いたのかもしれない。

お墓参りのあとプレゼント交換。そのあとは妹と別れて中学時代からの友人と今年もなつかしい町(十代の頃長く住んでいた町)で会っておしゃべり。
来年は会社勤めをやめてあーするんだこーするんだ、だってもうあーでこーでこーなんだもん!と熱く語る。普段誰とも話さないので、こういうときに真情を吐露し始めると止まらないのだ。K子ちゃん、いつものことながらすみません、ありがとうございました。ふー

夜はゲンコツ山が「すべらない話」を観にきた。ゲンコツ山のうちは今テレビがない(!)んだそうだ。あたしだったら死んじゃうわー、等と言いながら今年最後の「すべらない話」で死ぬほど笑う。小薮さんは少しやり過ぎなのと違いますかー。ふー


こうして今年の誕生日は、めずらしく賑々しく過ぎたのだった。
ここ三ヶ月くらい、ずっと考えていたこと。
これからはもっとたくさん人と会おう、たくさん話したり聞いたりしよう。
人の縁を大切にしよう。
2012年はそういう年にするつもりです。





2011年12月21日(水) 素敵な古本屋さん

 
先日、普段ならバスに乗って通り過ぎてしまう道を、運動不足解消もかねてテクテク歩いておりますと、夕闇の中にあたたかい灯をともした、何やら興味をそそられるお店があることに気がつきました。

バス通りに面して小さな神社があり、その脇に斜めに入っていく細い道があって、その小径をはさんで神社の向かい側(小径の入り口)にお花屋さんがあるのですが、灯りはその花屋さんのお隣り(バス通りからは一軒奥)できらめいていました。大きな通りから斜めに入っているため全体は見えないのです。ただ大きなウィンドウと木の扉と店内のあたたかい灯りの色がチラリと見えて「ここにあなたの好きなものがある、かもよ」と、まるで誘いかけられている気分。
ややや、なんだ、なんなんだ…と引き寄せられるように近づいてみると、古本屋さんでした。

中に入ってみると、さらにうれしいことに扱っている本がかなり私好み。思想、哲学、写真、美術書等々。ピエール・クロソウスキーの小説(大昔の薄い箱入り本)がなにげなく並んでいたり、古い古いユリイカがズラリと揃っていたり。うわー、なんなの此処ー!
うれしいやら恐ろしいやらのアンビバレンツな気分。何しろどこでトチ狂って、状況考えずに購買モードに入るかわかりません。落着け、落着いてくださいよ、ちまりす。

このお店は品揃えが素晴らしいのみならず、外観も内装もとてもシンプルにしてお洒落なのです。
ぶっちゃけ、都内、中目黒や代官山、神楽坂あたりなら驚かないのだけれど、千葉にもこんな古書店ができるなんて。うれしいし、応援したいですねぇ。ずーっとあの場所で、あたたかい灯をともしていただきたい、じゃなきゃアタシ困るわ、と思っているのです。

素敵な古本屋さん、即興堂さんはこちら。
お近くの方、それから遠方の方も、機会がありましたらぜひお立ち寄りくださいませ。






2011年12月20日(火) よろしく


あまりの近距離移動に驚かれた方もあるかと思います。
「なんだ同じマンション内じゃん!」て。
しかも内装までそっくりなのだ。へへ。

世間では「やっぱバルサ強いわ、メッシ最高だわ。でもそれ以上にネイマール
は魔娑斗に似過ぎだわ!」という熱狂もさめやらぬ間に
金総書記の訃報で大騒ぎ(きのう日比谷で号外出てました)になっておりますが、
それはそれとして、
新しいメモ処『ハトマメ。』をよろしくお願いちまりす。




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