2007年11月30日(金) |
タッチタイピングを習得するコツとは? |
先週末、僕はある歯医者仲間同士の勉強会に参加してきました。この勉強会は定期的に行われているもので歯科に関する最新の文献を集め、読むことにより互いに知識を深めていこうという趣旨で行われているのですが、お互い輪番で担当者を決め、その担当者が参加者全員に教えていくというスタイルを取っています。担当者は文献を読むだけでなく、文献に書いてあることを別紙にまとめ、それを参加者に提示する必要があるのです。先週末もそんな勉強会があったのですが、今回の担当であったM先生が思わずこぼしました。
「毎回、この勉強会の準備は苦労をしますよ。」 「それは皆そうじゃないかな。皆日頃歯医者として治療をしているわけだし、その合間をぬって準備をするわけだから大変でない人なんていないよ。」 「お互いの知識を深めるためですから仕方がないことだとは思っているんですよ。未だに慣れない、できたら避けたいことがあるんです。」 「それは一体何なの?」 「ワープロを使うことなのです。」 「普段、インターネットを使ったりして慣れていないの?」 「インターネットは見ているのですけど、文字を打ち込む時はいつも苦労をするんですよ。読んでいることに関しては楽ですし、URLなどは検索エンジンからコピペやクリックして飛ぶことができるでしょ。けれども、自分でワープロソフトを使って文書を作成するとなるとこれが一苦労でして。」 「それは僕もわかるけど、結局のところ、ワープロを使うことが苦にならないためには、ワープロを使い続けるしかないんだよね。量の問題なんだよ。」 「僕はいつも人差し指で入力しているんですけど、手元を見て画面を見てというのを繰り返していると、目が疲れてくるんですよ。これが結構ストレスで・・・。」 「それはまさしくサイトメソッドだね。ブラインドタッチ、今風に言えば、タッチタイピングをマスターすればいいじゃない。」 「簡単に言われますけど、それって難しくないですか?僕には信じられませんよ。」 「簡単だよ。僕も最初は先生と同じだった。わずか400文字を打つのに一晩かかったくらいだったからね。だけど、時間を作ってタッチタイピングの練習をしながら、いくつもの文書をつくっているうちに苦にならなくなった。今では手書きの文章を書く前にワープロソフトを使って下書きを書いてから、手書きをするくらいだからね。」 「一種の教則本みたいなワープロ練習本を買って練習するもよし、最近ではフリーソフトでタッチタイピングマスター用のフリーウェアソフトがいくつもインターネット上で公開されているよ。そういったものを利用しながらひたすらワープロを打つ。」 「先生は毎日患者さんの診療をしているでしょ。患者さんの歯を治療するくらいの技量があるんだったら、ワープロをマスターすることは難しくないはずだよ。後は気合だね。」 「気合ですか?気合が入るようになりたいですね。」 「それじゃ、今度の担当は僕なんだけど、僕の資料を作っておいてくれるかな?これも一種の気合入れみたいなものだよ。ハッハッハ・・・。」 「そうやって僕に仕事を振るのは止めて下さいよ、トホホ。」
2007年11月29日(木) |
署名活動と個人情報保護 |
皆さん、ご存知のことと思いますが、皆さんがお住まいになられている都道府県には、多少の違いはあるとは思いますが、福祉医療費助成制度という制度があることと思います。福祉医療費助成制度とは、老人や障害者、母子・父子家庭の人や乳幼児が治療を受ける際、都道府県がその医療費を助成するというもので、社会的弱者の医療費を都道府県が援助する意味において一種の福祉のセイフティネットのような働きをしている制度です。
この福祉医療助成制度、僕の歯科医院がある県においてもあるのですが、最近、僕の歯科医院がある県では、この制度が見直しをされるというのです。具体的には、県の負担分を削減し、窓口で福祉医療費助成制度を受ける対象者が支払う負担金が増えるということです。何でも県の財政状況が非常に厳しいため、福祉医療費助成制度そのもの見直し、削減しようということのようです。
この動きに対し、地元の歯科医師会では緊急の署名活動を行うことになりました。福祉医療費助成制度削減を反対する人たちの署名を集め、県に提出するというのです。先日、うちの歯科医院にもこの反対署名に関するポスター、チラシ、署名用紙が届きました。
早速、僕の家族やうちの歯科医院のスタッフにお願いして署名をしてもらいましたが、うちの歯科医院に来院する患者さんにも署名をお願いしておりました。この署名は患者さんに大いに関係していることであり、社会的弱者と呼ばれている人たちへの公的援助を切り捨てないためにも多くの患者さんの理解、支持が必要だと感じたためです。 僕は患者さんに対し、受付で署名をお願いしていたのですが、受付さんによれば、ある患者さんからこの署名について質問を受けたのだそうです。その質問とは個人情報保護に関する質問だったのだとか。 “署名用紙には何も記述がないが、署名用紙は署名目的以外に情報を他者へ漏らすようなことはないのか?”という質問だったとのこと。受付さんは署名してもらった名前と住所は提出先である県以外には情報を漏らさないことを伝えたそうで、何とか署名をしてもらったのだとか。
何とも今の時代を反映した質問のように思いました。最近は、インターネットの普及により以前とは考えられないくらいの多種多様な情報が錯綜する時代です。また、多くの企業が大量の個人情報を持っている時代でもありますが、この個人情報の流出が後を絶ちません。個人情報保護法が制定されているにも関わらず、何万人単位の個人情報が漏れているのです。これだけ大量の個人情報が流出すると、個人情報の管理に敏感になる人が多くなってくるのは仕方がないことかもしれません。 僕のような医療機関で仕事をする人間にとっては、患者さんの医療情報は重要な個人情報であります。これまでも患者さんに医療情報に関しては守秘義務があるにはあったのですが、個人情報保護法によりさらに医療情報の取り扱いに関しては慎重を期すようになってきました。 うちの歯科医院を含め多くの医療機関では、受付に個人情報の取り扱いについてポスターを貼っています。患者さんの医療情報は純粋に医学的な研究や研修以外には漏らさないこと、実際に個人情報を使用する場合でも、個人を特定しないような配慮を必ず行うことをポスターに宣言しています。そういった意味では、今回の署名用紙に個人情報取り扱いに関する説明が書いていなかったというのは不備であったかもしれません。
しかしながら、僕は腑に落ちないところがあります。本来、署名活動というのは特定の活動に対し、名前と住所を書くことにより自らの意思表示をするものです。前提として自分の名前と住所は署名活動にしか使わない、他の目的に名前と住所を使わないということが暗黙の了解でなかったかと思うのです。署名には他の目的のために使用しないという誰しも共通認識があったはずなのです。この前提を根本から疑うような質問が出てきたことに僕は今の時代を思います。確かに個人情報の保護は大切なことではありますが、署名には敢えて個人情報の保護を訴えなくても個人情報の流出はされないという安心感があったはずなのです。お互いの信頼があったはず。この信頼関係がいつの間にか崩れてしまい、自分の預かり知らぬ所で個人情報が売買されている可能性がある。実に悲しいことと言わざるをえません。
署名活動というのは、一人一人の嘆願、魂の叫びを集めた意味合いが強いものです。そんな署名活動にも敢えて個人情報保護を謳わなくてはならない。人と人との信頼関係の薄さを感じざるをえません。悲しいことです。
2007年11月28日(水) |
携帯電話の価格ってこんなに高かった? |
昨今、携帯電話会社同士の販売競争がますます激しくなっているのは皆さんご存知のことと思います。どの会社も様々な機能やデザインを持つ新機種や通話利用料金のコースを多種多様そろえ、一人でも多くのユーザーを囲い込もうとしています。 かくいう僕も携帯電話ユーザーの一人なのですが、僕が使用している携帯電話はNTTドコモ製のものです。本来なら他の会社の携帯電話を使いたいのですが、僕が住んでいる田舎では通話できる携帯電話会社がNTTドコモだけ。そのため、自ずと携帯電話の選択肢がNTTドコモということになってしまうのです。
このNTTドコモ、最近は905iシリーズという新たな新機種を販売し始めています。これは全ての905i機種でワンセグが視聴できたり、海外で使用できたり、ゲームやGPSが使用でき、ブロードバンド並みの高速通信が可能という触れ込みです。ここまで機能アップするとさながらモバイルパソコン端末のような様相です。 今春に機種変更をしたばかりの僕でしたが、今回の905iシリーズの機能アップには購買意欲をそそられました。実際に販売店に出かけサンプルを見てみると、デザイン的にも面白いものがあり、今回買い換えてもいいかもと思うようになったのです。
ところがです。今回の905iシリーズは販売台数が限定されており、予約をしてもなかなか手に入らないとのこと。今週から905iシリーズの店頭発売が開始されるようなのですが、販売される台数が限られてくるため、今購入する予約をしても実際に手に入れられるのは12月上旬。そこまでして買う必要があるのだろうか?と思いながらも、今回の905iシリーズの機能アップにはそそられるものがありました。
そこでふと疑問に感じたことがありました。それは最も大切なこと言ってもよい、価格です。NTTドコモのホームページを見てみると、価格はオープン価格となっていました。昨今、電気製品は定価を具体的な数字で表示することが少なく、オープン価格と表示することが多いのですが、僕は未だにこのオープン価格が好きになれません。販売製品を評価する基準の一つは定価であり、コストパフォーマンスを考えるには具体的な数字による定価表示は無くてはならないものであるはずなのですが、それをオープン価格としか表示しないのは、消費者に購入基準を与えないような感がせざるをえないのです。何か大切な物を隠しているような、ともすれば消費者を欺こうとするような意図さえ感じるのは僕だけでしょうか。
それはともかくとして、僕はオープン価格と書かれた価格の実際の販売価格を知りたく、自宅近くのNTTドコモ直営店に電話で問い合わせをしてみました。その結果、使用1年未満の機種変更では70,350円、使用1年以上2年未満であれば55,650円也。
諦めました、905iシリーズの購入は・・・。
どうも通話料金を値下げした影響と販売店への販売奨励金の減額などの影響で、携帯電話本体の価格を上げたようなのですが、それにしても携帯電話1台の値段が5万円や7万円もするというのは如何なものでしょう。僕自身、これまで携帯電話は1万円以下で購入してきましたし、時には1円で購入したこともあります。これまでの携帯電話の価格そのものが安すぎたのかもしれません。また、今回の905iシリーズは多機能ですからその付加価値分、価格に跳ね上がったのかもしれませんが、それにしても12月という何かとお金が入り用な月に携帯電話ごときに5万円や7万円も払うのはなあ。単に僕がケチなのかもしれませんが、同じ5万円や7万円払うなら携帯電話ではなく別の物を購入してもいいのではないかと思わざるをえませんでした。
実際のところは、予約は殺到しているとのこと。結構懐が豊かな人がいるものだなあと感じた、歯医者そうさんでした。
昨日、我が家の郵便受けに届けられた郵便物を見ていると僕宛に封書が一通届いていました。非常に達筆な字で書かれた封書。誰からかと思い差出人を見ていると、僕が非常勤講師をしている某専門学校の学生Hさんの名前が書いてありました。
今シーズンの某専門学校の講義は10月下旬で終了したのですが、最終回の講義の際、僕はHさんに講義に協力してもらったのです。実は、講義の期間中、Hさんはある福祉関係の資格を持っていたことを伝え聞いていました。最近の専門学校の学生の中には、他の職種から転職するために通っている学生が何人かいますが、Hさんもそんな学生の一人でした。 たまたま、最終回の講義で取り上げる内容がHさんの持っている福祉関係の資格に密接に関係する内容でした。僕は、事前に某専門学校の学年担当の先生を通じ、Hさんにその福祉関係の資格について話を聞いていたのですが、単に福祉関係の資格と取得しているだけでなく、実際に現場で働いていた経験があることもわかったのです。 実際の講義だけでなく、福祉現場で働いたことがある経験者の生の声を講義に活かしたかったこと、それから、同学年の仲間に福祉関係の仕事の経験者がいることを知ってもらいたいということもあり、僕は最後の講義の一部の時間帯にHさんに話をしてもらうことを頼んだのです。Hさんは快く僕の申し出を引き受けてくれました。
僕の思惑通り、Hさんの講義は有意義なものでした。学生たちの反応は上々で、実際の教科書の内容よりも遥かに中身の濃い内容、現場に立たないとわからないところまで触れてくれました。講師として学生を指導している僕が聞いても非常に興味深いことがあったぐらいです。
後日、僕は某専門学校の学年担当の先生を通じ、Hさんに礼状を送りました。唐突な僕のお願いに気持ちよく答えてくれ、講義の一部を手伝ってくれたことに感謝をしたかったからです。講義終了後、口頭ではお礼を言いましたが、きちんと礼状はしたためた方がいいだろうと考え、礼状を送ったのです。 昨日、我が家に届いたHさんからの手紙は、僕が送った礼状に対しての手紙だったのです。内容は僕の礼状に対するお礼の言葉が書いてあったのですが、書いてあった内容も有難かったのは言うまでもありませんが、それ以上に驚いたのが彼女の書いた字の美しさでした。字の上手い下手で手紙を判断してはいけないとは思いますが、Hさんが書いた、流れるような美しい文字には、書いてある内容を更に深くさせるような魔法があるような気がしてなりませんでした。僕は思わず感銘し、その字に惚れてしまいました。
僕自身、非常にスケベな野郎ですから、これまで何度も女性には惚れてきたものです。これまで、女性に惚れるといえば、容貌や立ち振る舞いに惚れたことはありましたが、女性が書いた字で惚れるような経験は初めてです。字にも品格が表れることは伝え聞いてはいましたが、実際に自分宛の手紙に書かれた字の女性らしい美しさを見ると、表面からは伺いしることができない内面の美しさを垣間見ているように思えてなりませんでした。これほど感動できる美しい字体で書かれた手紙を受け取ることができた幸せ。Hさんからの手紙を一生の宝物にしたいと感じた、歯医者そうさんでした。
2007年11月26日(月) |
メガサイズ食品の流行を憂う |
今から20年前、僕が通っていた某歯科大学の近くに古い飯屋さんがありました。飯屋さんの周囲には某歯科大学だけでなく複数の大学があったため、お客といえばどうしても学生が中心。20歳を中心とした学生は、金は無いが食欲はあるという連中が多いのが特徴ですが、この飯屋さんではそんな学生のために安価なメニューがたくさんありました。安価ではあるものの、味もそれなりの味付けであったため、この飯屋さんは学生からは大変な人気で、食事の時間帯や夜の時間帯ではつねに大勢の学生でごったがえしていたものです。当時学生だった僕も何度か友人とこの飯屋に足を運び、出された料理に舌鼓をうっていたことを昨日のことのように覚えています。
さて、この飯屋さんには名物と言われる特別メニューがありました。そのメニューとは、超大盛りです。チャーハンや焼きソバ、丼物などが大皿に溢れんばかりに盛られて出てくるのです。なかなか言葉で表せないのですが、一目見た途端、誰もが度肝を抜かされるくらいの大盛りなのです。いくら、食べ盛りの学生といっても一人で全てを食べてしまうのは無理ではないかと思われるくらい、数人で分けて食べてもちょうどいいくらいの超大盛り。おそらく今話題のギャル曽根くらいしか完食できないのではないかと思いますが、果敢にもその超大盛りに何人もの学生がチャレンジをしておりました。完食するのは難しいとは思っていても、超大盛りを一度はお腹の中に入れてしまいたい。食べた後動けなくなるくらい満腹になってみたい。そんな欲求を駆り立てさせるメニューであったのです。
その後、何人かの知人から話を聞いたり、テレビ、ラジオ番組でチェックをしていると、どうも全国各地にこのような超大盛りメニューを名物にしている飯屋さんが存在していることがわかりました。おそらく店の経営から考えれば元を取れているのかどうかは甚だ疑問なところがありますが、一種の客寄せメニューとして定番メニューになっているかもしれません。少なくとも、大食いをしたい、大食いに対する潜在的欲求が世の中、特に若い世代を中心にした人たちの中には確実に存在するのは確かなようです。
このことに気が付いたコンビニ産業や外食産業では、最近、メガサイズ食品を市場に投入し、人気を博しているようで、このような記事がありました。昨今のメタボリックシンドロームに対する反動ではないでしょうが、健康を考えるよりも腹一杯食べてみたいという欲求にコンビニ産業や外食産業が目をつけ、商品化が相次いでいるとのこと。
僕自身、かつて腹一杯食べてみたいという時期を過ごしてきただけに、この脱・メタボリックシンドローム的な商品に対して全面的に否定しようとは思いません。食べられる時期に腹一杯食べられる経験は幸せなことではないとは思います。
そう思う反面、僕にはこの傾向がどうしても素直に受け入れられないところがあります。世界には毎日の食事に苦労している人が数多くいます。貧困のために飢えに苦しんでいる人が大勢います。また、格差社会の問題が深刻になってきた日本においても日々の食事に四苦八苦している人が少なくありません。人間にとってなくてはならない食事が毎日満足に取ることができない、当たり前の食事ができない人たちがいるのです。 このようなメガサイズ食品を見ていると、僕には食事の有難さを軽視していないかと感じざるをえません。メガサイズ食品を出せるということはどこかに食料を搾取されている、犠牲にしている国、地域があるのではないか?当たり前にできる食事の有難さを認識し、食事に感謝する気持ちを忘れてはいないかと思わざるをえないのです。
これまで何回か取り上げてきましたが、食育基本法という法律があります。実際の文面に関してはリンク先を読んで頂きたいのですが、書いてあることは非常に根本的な、当たり前のことが書いてあるのです。どうしてこのようなことを法律にしないといけないのか?食育基本法制定当時、僕は疑問に感じたのですが、このメガサイズ食品の流行を見るにあたり、やはり日本人は食の有難みを忘れているのだなあと改めて感じざるをえません。今後の日本の将来を憂います。
2007年11月23日(金) |
子供から親への小遣い |
今日は勤労感謝の日で祝日ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?週末の土曜日、日曜日と加え、今日から3連休という方もかなりいらっしゃるかもしれません。うちの歯科医院は暦どおりです。今日と日曜日にお休みを頂き、明日は診療日です。
今回の休みを利用して、親父とお袋が某所へ旅行に出かけることになりました。今日出発し、日曜日に戻ってくるという2泊3日の旅なのですが、僕が記憶するところ、親父とお袋が二人で泊りがけの旅行に出かけることは今回が初めてのように思います。子供ができるまでのことはわかりませんが、少なくとも僕が長男として最初に生まれてから今に至るまで二人で旅行に出かけることはなかったはずです。
二人とも決して旅行嫌いということではありません。実際に僕や弟を伴った旅行は何度も出かけていたのですが、二人だけで旅行をするという機会はなかったのです。僕や弟が幼少の頃は、子供を預けて旅行をするようなことはできなかったようです。また、僕や弟が大きくなってもできなかったのは、やはり仕事があったからだと思います。今から30年前に開業して以来、親父は零細開業歯科医院の院長としてわき目もふらず働いてきました。歯科医院の経営から子供の教育に至るまで、お袋と二人三脚で働いてきました。歯科医院というと世間で思われているほど裕福ではないことは先の日記でも書いたことですが、うちの歯科医院も例外ではなく、親父とお袋はずっと働きづめ。非常につつましい生活を過ごしてきました。今から11年前に嫁いできた嫁さんも我が家の質素な生活ぶりが予想外であったことを度々漏らしているくらいです。歯科医院の経営、子供の教育などに負われてきた間は、夫婦で旅行に行くことを考える余裕すら無かったのです。
そんな親父も今年76歳となりました。今春、体調を崩してからは仕事量も減らし、ゆっくりとして生活リズムで過ごすようになってきました。生活に余裕が出てきたのです。そこで、思ったのが夫婦二人きりの旅行のようで、今回の勤労感謝の日を利用して2泊3日の旅行に出かけることになりました。
実は、今朝早く僕は最寄の駅まで二人を車で送ってきました。最寄の駅で二人を降ろした際、僕は二人にある封筒を渡しました。その封筒の中身は小遣い。わずかばかりの額の小遣いではありますが、これまで小遣いばかりもらってきた僕が親の旅行の餞別代りに小遣いを渡して上げました。
今回の旅行、夫婦水入らずで楽しんで欲しいと願った、歯医者そうさんでした。
昨日、診療の合間をぬって近くの市のサービスステーションへ行ってきました。あることで印鑑証明が必要となったために出かけたのですが、そのサービスステーションに入った途端、僕はサービスステーションの事務員の一人から声を掛けられました。
「先生、お久しぶりです。」 僕が振り向くと、それはYさんでした。Yさんは長年うちの歯科医院に来院されている患者さんの一人で、地元市の公務員として市役所に勤務されていました。最近は、市内の市の支所や出張所に勤務しているという話は聞いていたのですが、それにしても、僕がよく出かけるサービスステーションにいるとは思いもよりませんでした。
「この4月からこちらのサービスステーションに異動になりまして、勤務しております」とのこと。
患者さんとは普段は自分の歯科医院の中で白衣姿で会っているわけですが、こうやって思いもかけぬ公的な場所で会うというのはなんだか恥ずかしい気持ちがします。
僕は印鑑証明発行申込用紙に記入し、Yさんに手渡しました。Yさんが印鑑証明発行申込用紙を確認している間、僕は財布から運転免許証を出そうとしました。 最近、様々な場所で申し込みを行う際、必ずといっていいほど身分証明を表すものの提示を求められますが、役所においてもいえることで、何かの証明書の発行を取りいく際、本人確認には運転免許証、もしくはそれに代わる証明の提示を求められます。 僕自身、自家用車で移動することが多いため、常に運転免許証を携行しているわけですが、僕が財布から運転免許証を取り出そうとした瞬間、Yさんは笑いながら
「先生、結構ですよ。先生のことはよく存じていますから。」
本来なら役所の内部規定や規約に抵触するのかもしれません。どんなに親しい人でも本人確認を怠たった際、何か事が起これば責任問題に発展しかねませんから。役所というところは何か責任がかかることを最も嫌う体質でもあります。ところが、Yさんはそんなことお構いなしというのでしょうか、僕に運転免許証の提示をさせなかったのです。 実際のところ、僕以外にサービスステーションに来ている人がいなかったことが大きかったのかもしれませんが、長年の患者さんと歯医者の関係で、思わず顔パスとなってしまいました。
人間、悪いことはできないものだなあとつくづく感じた、昼休み中、サービスステーションでの歯医者そうさんでした。
2007年11月21日(水) |
講演料の相場 歯医者の場合 |
先日、大阪府の太田房江知事の講演料問題がマスコミを賑わしています。何でも太田知事は20日、中小企業経営者の任意団体「関西企業経営懇談会」の会合で1回50万〜100万円の講演料を受け取っていたこととのこと。 「府民の目線からみて理解していただけない点があった。申し訳ない」と初めて陳謝したそうです。問題は単に講演料だけでなく、過去に「関西企業経営懇談会」に所属する会員の会社と大阪府が多額の契約を結んでいたことにも絡んでいるようで、中には太田知事自身が最終決裁していたのだとか。太田知事は退任後、受け取った総額883万円の講演料を府に寄付する考えも示したそうです。
よく著名人がいろいろな会合、催し物に招待され講演を行うことがあります。会合や催し物の目玉として著名人に来てもらい講演を行ってもらうことがあるものですが、著名人の講演料の相場というのは一体どれくらいなのでしょう? いろいろと調べてみましたが、本来相場というものはないようなのです。講演を依頼する人が自由に決めることができるのが講演料なのだそうですが、自由と言われるとかえって迷ってしまうのが常。そのため、会合や催し物を行う業界や団体ではそれなりの基準というものを決めているものです。また、著名人側の方も心得たもので、一回の講演で時間単位でどれくらいといったように、講演の契約を結ぶ際に講演料を提示する場合もあるようです。
先日、某歯科医師会関係の会合で星野仙一を講演に招いたそうですが、1時間余りの講演で200万円の講演料を支払ったという話を伝え聞いています。思わず“高いなあ!”と思ってしまいましたが、星野仙一の過去の実績、人気、注目度を考えると200万円という額は仕方のない額かもしれません。実際の講演では、マスコミでは伝え聞くことができない裏話をいくつも熱く語っていたそうです。
かつて、僕が所属する地元歯科医師会でも講演料の基準をどれくらいにするべきか議論をしたことがあります。地元歯科医師会では定期的に学術関係の講演会を催しています。歯科分野で活躍している講師を招聘し、講演を依頼するのですが、地元歯科医師会のような弱小団体となると出費できる講演料も限りがあります。そこで、講演料に関して内規を決めたのです。
教授クラス 10万円 准教授(かつての助教授)クラス 7万円 講師、助教(かつての助手)クラス 5万円
別途交通費や資料作成費などもつけますが、基本的には上記のような基準を設け、講演料を支払っています。この額が多いか少ないか議論のあるところではありますが、地元歯科医師会の会員から徴収した貴重な会費の一部を講演料に当てているわけですから、これくらいの講演料が高すぎず、安すぎず、会員や一般市民からの批判を浴びることもなく妥当ではないかということになっています。
この基準に照らし合わせると、万が一、地元歯科医師会で太田大阪府知事に講演を依頼すれば、知事は教授クラスとして考えると、10万円しか講演料を支払うことができないことになります。 まあ、太田大阪府知事を地元歯科医師会で講師として呼ぶことはないでしょうし、太田大阪府知事側も相手にしていないでしょうけどもね。
2007年11月20日(火) |
Read Me!更新終了宣言 |
昨日、ネットサーフィンをしていて久しぶりにRead Me!を訪れるとこのような告知がなされていました。
何でも10月下旬、Read Me!のサーバがダウンした影響でランキング集計が正しく行われなくなったとのこと。このサーバの復旧は技術的には可能なのだそうですが、管理人がこのサーバの復旧作業に費やす時間が取れないためランキング集計そのものを中止するということなのだとか。Read Me!は、実質、更新の終了を宣言したのです。
ご存知の方も多いとは思いますが、Read Me!は1996(平成8)年に開設されたサイトで、人気のある個人テキストサイトを、アクセス数に基づくランキング形式で紹介してきました。テキストサイト収集サイトとして最大手と呼んでもいいくらいの大きなサイトだったのです。かつてテキストサイトを開設したものは必ずといっていいほど登録したり、登録はせずとも意識はしていたサイトであったRead Me!。
実は、歯医者さんの一服を始めるにあたり、僕もRead Me!と日記才人というテキストサイト収集サイトに登録しました。自分のサイトをネット上にアピールするために登録したのですが、Read Me!はあまりにも登録しているテキストサイトが多く、更新報告をしても歯医者さんの一服に訪れる人がほとんどいませんでした。そのうち、日記才人経由で訪れる人が増えてきたため、僕は貼り付けていたRead Me!のアイコンをはずしてしまいました。 以降、僕は年に数回程度Read Me!をアクセスしないようになっていたのですが、たまたま昨日尋ねた際に偶然見かけたのが上記の告知だったわけです。
トータルアクセス数が千万単位、登録サイトによっては億単位を超えるサイトが数多く登録されていたRead Me!。僕のような弱小日記サイトの管理人からすれば雲の上のようなサイトが数多く、登録されているRead Me!は全く別世界のように思えてならなかったのですが、それでもランキング集計停止告知がなされるのは、一抹の寂しさがあります。
いまやテキストサイトという言葉は古くなり、ブログやSNSが一世を風靡している感がありますが、テキストサイト収集サイトの最も大きなサイトであったRead Me!がこのようなことになるとは想像もつかなかっただけに、ランキング集計停止告知にはテキストサイトの一時代が終わったように思えてなりません。
2007年11月19日(月) |
今年のサンタクロースは入院療養中 |
早いもので今年も残すところ40日余りとなってきました。皆さんの中には師走の予定がいろいろと入っている方も多いのではないでしょうか?僕もそうで、週末には毎週のように忘年会が入っており、何かと出費の多い年の瀬となってきそうです。 年の瀬と言えば、僕が所属する地元歯科医師会では毎年クリスマスの時期に会員の家族を対象にクリスマス会を催してきました。これは歯科医師会に所属する先生の家族や診療所の従業員を対象に慰労をこめての催し物です。 このクリスマス会、僕が幼少の頃からあった歴史のある会でした。かつて僕もサンタクロースを信じていた時期がありました。
「今日はサンタクロースに会いに行こう!」 毎年、12月中旬になると親父は僕を誘って地元歯科医師会のクリスマス会に僕や弟を一緒に連れて行ってくれたものです。
子供心ながらに“サンタクロースは寝床にやってきてクリスマスプレゼントを置いていくのではなかったのかなあ?“と思いながらも、実際にクリスマス会に参加すると、サンタクロースがやって来て、クリスマスプレゼントを渡してくれていたのです。なぜか関西弁をしゃべるサンタクロースではあったのですがそんなことは関係なく、クリスマスプレゼントに喜び、はしゃいでいたものです。
あれから30年余り経過し、クリスマスプレゼントをもらっていた僕はチビたちにクリスマスプレゼントを与える立場となりました。いつも利用したのが地元歯科医師会のクリスマス会だったのです。あらかじめチビたちに欲しいものを尋ね、担当の先生に予算の範囲内であるかどうかを確認してから購入してもらい、プレゼントをしてもらう。チビたちにはいかにもサンタクロースが運んできたかのように根回ししていたものです。
そんなクリスマス会ですが、今年は開催されません。どうも地元歯科医師会の財政状況が芳しくなく、会員の福祉にまわす予算が足りなくなったのだとか。歴史のあるクリスマス会が中止になったのは僕としても寂しいばかりですが、寂しいのは僕だけではありません。チビたちも楽しみにしていたクリスマス会です。そのクリスマス会が今年開かれないことを知らせるには気が引けるところがありました。チビたちにどうやってクリスマス会が中止になったのか説明すればいいのだろうか?
無い知恵を絞って考え出した言い訳は、サンタクロースが病気で病院に入院しているという言い訳です。毎年、クリスマス前にチビたちにプレゼントを準備していたのだが、今年は急に体調が悪くなり、病院に入院してしまった。そのため、12月24日前に行われるクリスマス会には間に合わないとしたのです。
早速、チビたちにこのことを説明すると、不思議そうな顔をしながらも何となく納得したのですが、
「サンタさんはクリスマスには来るかな?」 という始末。僕は答えました。
「きっと来てくれるよ。今年はクリスマス会には来ることはできないけど、その代わり、うちの家に来てくれるよ。」
チビたちは 「今年はうちの家に来るのか?寝ている間に来てくれるのだね。それじゃ、クリスマスまでにプレゼントが入る大きな靴下がいるね・・・。」
ということで、今年はお父さんである僕がチビたちのクリスマスプレゼントを購入し、チビたちの枕元に置くことになりそうです。 今年のサンタクロースは入院療養中であるため、お父さんサンタの出番というわけです、ハイ。
2007年11月17日(土) |
自分の身は自分で守らなければ |
昨今、病院の勤務医の過酷な労働の実態が明らかとなっています。この傾向は3年前に始まった医学部、医科大学卒後研修制度の改革に端を発しているのは明らかです。厚生労働省が旗振り役となって始まったこの改革は専門分化が進んだ医療現場を踏まえながら、これから医療現場に立つであろう医学部、医科大学卒業生に対し、幅広い医学知識、技術の習得を求めたものでありますが、その一方で医学部、医科大学卒業生が卒後の研修先を自由に選ぶことができるものでもありました。
結果としてどうなったか?一部の都市部の研修病院に研修医が集中し、しかも研修終了後も都市部で仕事先を探すという結果になったのです。そのため、これまで多数の研修医を受け入れてきた大学病院に研修医が集まらなくなり、結果として大学病院の現場の医師不足が表面化しました。この医師不足を解消するため、各大学医学部の医局では関連病院に出向していた医師を大学に呼び戻すことになったのですが、呼び戻すことによりしわ寄せができたのが地方の公立病院だったのです。中でも、小児科、産科、麻酔科などの科の医師不足は深刻で、いくつかの公立病院では科の廃止や病院そのものが存続できないところが出てきています。
その一方、人員が少なくなった病院では残っている医師の仕事の負担が増大し、過剰勤務の実態も明らかとなってきています。僕の知人の医師の中にも明らかに過労の中、働かざるをえない医師が数多くいます。連続36時間勤務、48時間勤務、それ以上の連続勤務をせざるをえない医療現場。看護師ならば3交代制であり、夜勤明けは翌日が休みであるような環境なのに医師はそうではない。医師は看護師よりも給与が多いだろう?と言われる方もいるかもしれませんが、実態を見ている限り、その給与以上の労働を強いられているのが今の病院勤務医の実態ではないかと思います。
今の日本の医療現場がこうした医師の力によって支えられているかと思うと、僕は厚生労働省の臨床研修医制度の改革をはじめとした政策に対し大いなる批判をしたいと思っています。医療現場を知らない、実態を把握せず、机の上だけの論理で決めた種々の政策のつけは、結局現場の医師に全てふりかかってきているのです。実際の責任を取ろうともしない厚生労働省の官僚に対し、声を大にしていいたいものです。“お前らいい加減にせんか!”と。
このような厳しい現状を変えるにはどうすればよいか?厚生労働省が医師の過重労働対策に本腰をあげようとしない中、一人一人の医師が自己防衛しないといけない時期に来ているのは間違いありません。いつまでも現状に流されているようではいつかは倒れてしまう。患者さんの体を治療するべき医師が患者になってしまう可能性があるのです。
先日、某医療業界雑誌を見ていると、過労死の危険を感じた時にするべきことという特集がありました。その特集、非常に興味深いことが書いてありました。
病院に対し過労対策を訴え続ける 万が一過労死し、遺族が損害賠償請求を行う際、意志の過重労働を病院が知っていたかどうかが争点となるため、訴えておくことに意味があるのだとか。
過労死110番に訴える 労働法規に関する情報提供が得られるほか、今どのような行動を起せばいいのかアドバイスを受けられる。 労働基準監督署に訴える 労働基準監督官の指揮によって勤務状況が改善する可能性がある。
これらのことは勤務医にとってはわかっていても行動できるかどうかはわからないでしょう。ただでさえ仕事に追いやられている勤務医にとって病院や過労死110番、労働基準監督署に訴えようとしてもその時間確保が難しいのではないかと思うのです。また、このような行動を取ることにより、勤務先から煙たがられ、更なる精神的ストレスが増える可能性が高くなります。場合によっては仕事場を追いやられることも考えるとどうしても二の足を踏んでしまう場合が多いのではと思うのです。 そのような中、このアドバイスはなるほどと感じました。
家族や友人、同僚に仕事のきつさを知らせる 過労死した場合にそなえ、自分の労働状況を家族や周囲に訴えておくこので、周囲の人が労災の申請を意識しておくことができる。
自分の労働時間をメモ帳に記録する 労災申請、損害賠償請求などのさい、時間外勤務の記録が無いために、医師が不利になることがあるそうで、残業時間や当直時の負荷を自ら記録しておくことが不可欠とのこと。
病院というのは勤務の実態を把握していそうで実際は把握できていないことが多いとのこと。特に時間外勤務や休日勤務などではその傾向が強いようで、自らの行動の記録を自ら取っておくことが自己防衛に必要な手段だというのです。
そこまでしないと過重労働の医師が自分の身を守れないものかと感じましたが、医療現場の現状を考えると、医師も黙っているだけではだめで何らかの形で行動に移さないとだめだという現実。少しでも過重労働を強いられている医師の労働環境が改善されることを願うのみです。
2007年11月16日(金) |
子供のけんかから学ぶこと |
僕には9歳と6歳の二人のチンチンボーイがいます。どの家庭でも言えることかもしれませんが、男同士の兄弟で遊んでいるとちょっとしたことでけんかになることがしばしばです。我が家も例外ではありません。お互いに仲良く遊んでいたと思っていてもちょっとしたことで“ああでもない、こうでもない”と言いながら次第に語調が荒くなり、挙句の果てにはけんかになってしまいます。子供がけんかをすれば当然親として注意をしたり、時には雷を落としたりすることがあるわけですが、親として難しいなあと思うこと仕切りです。
兄弟けんかは、注意深く見ていると誰かの発言や行為がきっかけになっているものです。このきっかけをしっかりと見極めながら叱らないといけないのですが、子供をずっと監視しているわけにもいかず、タイミングを逸すると本来原因がある方を注意しないこともありえます。いくら親から叱られると言っても、自分に非が無いに親から厳しく叱責を受けるのは子供としても翻意ではないはずです。
昨日の夜のことでした。チビたちが寝ようとしていた時にある漫画の取り合いでチビたちがけんかをしはじめたのです。その際、下のチビが上のチビの頭を蹴る現場を僕は見ました。いくらけんかであっても上の兄ちゃんの頭を蹴るというのは問題です。僕は直ちに下のチビを叱りました。
「人の頭を蹴るとはなにごとだ!頭って人間の体で一番弱い部分の一つなんだよ。そこをいきなり蹴ったら危ないでしょ。兄ちゃんに謝りなさい!」
かなりきつい語調で僕は下のチビを叱責したのですが、下のチビは涙を浮かべながら
「ごめんなさい」 と言いながら、寝室へ走っていったのです。
それを見ていて嫁さんが言いました。
「そうさん、確かに兄ちゃんの頭を蹴ったことは悪いことだけども、蹴った原因は兄ちゃんにもあるのよ。足で人の頭を蹴るのはよくないことだけど、○○ちゃん(下のチビのこと)が蹴るようなことまでしたのは余程のことだったのよ。そこをわかってから怒らないと・・・。」
上のチビに話を聞くと、確かに嫁さんが言っていたとおりでした。 何でも自分が読んでいた漫画を下のチビが読みたいと何度もせがんでいたとのこと。自分が読んでから見せると何度も言っていたそうですが、何度もせがむので、下のチビの嫌がる言葉を何度も言ったのだとか。負けん気の強い下のチビは腹をたて、上のチビを叩こうとしたそうですが、自分よりも体の大きな上のチビに当たらず、挙句の果てに蹴ってしまったそうです。この場面を僕がちょうど見たようなのです。
このようなことは何も子供のけんかだけではありません。大人の間の様々なトラブルにおいても言えることでしょう。一方の言い分を聞いていればその人の言い分が全く正しいように思いますが、あくまでもそれはその人を中心にした話。他方の人に話を聞けば、そのトラブルの別の側面が見えてくるもの。その人が如何にも正しいように聞こえるものです。そのような場合、どちらを信用すべきか?トラブル、いざこざにはそれに至るまでの様々な状況、人間関係、利害関係といった伏線があるはずで、そのことを理解せずして表面的なトラブルを良し悪しを決められないはず。誰もがおそらくわかっていることでしょうが、当事者同士は熱くなっているために自分に非があるとは決して認めません。お互いにプライドというものも絡んでいるだけに、解決には非常に難しいものがあるはず。時には警察沙汰、裁判沙汰に発展するようなこともあります。
たかが子供のけんかですが、親としてどうやって注意すべきか。子供のしつけは難しいものだなあと改めて感じた、歯医者そうさんでした。
2007年11月15日(木) |
痛くないむし歯ってあるの? |
「○○さん、奥歯の歯と歯の間にむし歯がありますから治療しましょう。」 「本当ですか?むし歯があるなんて全然気が付きませんでした。全く痛みを感じませんでしたからね。」
上の会話は、定期検診に来院したある患者さんとの会話です。自分では全く意識していなかった場所に歯医者の指摘によってむし歯が見つかった。患者さんにとってむし歯を指摘されたことはよかったことではあるのですが、どうしてむし歯があるのに気が付かなかったのだろう?そんな疑問を持つ患者さんは少なくありません。
“むし歯イコール痛い“というイメージを持たれている方が多いのではないかと思うのですが、実際のところ、痛くないむし歯というのも確実に存在します。どういったケースが痛くないむし歯なのでしょう?
一つは、むし歯の進行がごく初期の段階であったり、さほど深くまで進んでいないようなケースです。歯の痛みは歯の内部にある歯髄(神経のことです)によって感じる感覚です。むし歯の進行が進んでいないと、むし歯と歯髄までの距離が遠いことから痛みを感じないことがあるのです。
二つ目は、比較的高齢の方の場合です。歯は小学生から中学生あたりにかけて乳歯から永久歯に生え変わります。一度生えた永久歯は表向きは形は変わりませんが(歯が折れたり、磨耗したりするケースはあります)、実は内部では常に新陳代謝が起こっています。その一つが神経です。神経の周囲は象牙質という組織で囲まれていますが、この象牙質は歯髄に向かって成長し続けています。その結果、年を取れば取るほど神経の占める割合が少なくなってくるのです。 年を取ってからむし歯になると、相当むし歯が深く進行しても歯髄そのものが小さくなっているため痛みを感じないことがあるのです。場合によっては歯が折れてもおかしくないくらいむし歯が進行していても気が付かず、ある時に歯が割れることでむし歯と気が付くようなケースもあるくらいです。
三つ目は、むし歯の進行が遅いケースです。むし歯が進むスピードが遅いと歯髄は痛みを感じることなく徐々に感覚が麻痺し、痛みを感じないまま死んでしまうことがあるのです。これは高齢の方のむし歯に多く、上に書いた二つ目のケースと大いに関係してはいるのですが、定期検診や歯が割れたりすること、それから、突然歯肉が腫れることによって気が付くケースが多いものです。
最後に注意しなければいけないケースがかつてむし歯が進行した際、治療で歯髄を除去してしまった歯です。所謂、根っこの治療をした歯です。一度神経を処置した歯は痛みを感じることができません。その一方、一度神経を処置した歯がむし歯にならないか?というと、それは全く逆です。むし歯になるリスクは神経の処置をした歯に関係なく全ての歯にあります。もし、神経を処置した歯が再度むし歯になれば、それは痛みを感じずにむし歯が進行することになります。
痛みを感じないむし歯というと、ラッキーだと思われる方がいるかもしれませんが、これは大変怖いことです。なぜなら、痛みというのは体のどこかに異常があることを知らしてくれる、一種の警告信号だからです。痛みを感じることにより人間は体の異常を自覚し、治療を受けたり養生したりするものですが、痛みを感じない異常があった場合、気が付いた時には手遅れだったということがあるのです。これは非常に怖いことです。 歯医者というと怖いイメージがありますが、そのイメージの一つは痛みを感じるということだと思います。なるべく痛みを感じない治療をすることは患者さんにとって有難いことだとは思うのですが、痛みそのものは人間の体にとって必要不可欠な生理反応の一つなのです。
ほとんどの歯科医院では、被せ歯、さし歯、インレーと呼ばれる金属製の詰め物、ブリッジ、入れ歯といった補綴物を歯医者が作ることはありません。歯医者は歯型を取り、歯型を元につくった模型までを作ります。その後、歯科技工士に手渡し、補綴物の作製を依頼するのが普通です。
補綴物には必ず技工指示書と呼ばれる依頼書を書きます。設計、作り方、デザイン、色目、注意事項などを書いているわけですが、なかなか言葉にすることが難しい細かいニュアンスや念入れを含め、口頭でも歯科技工士に説明をすることがあるのです。
歯科医院内に歯科技工士がいる歯科医院、そうではない歯科医院がありますが、実態は後者の方が多いものと思います。うちの歯科医院も外部の歯科技工所に依頼しています。 外部の歯科技工所に依頼している歯科医院には、毎日決まった時間に歯科技工所の担当者が補綴物の模型を取りに来るものです。うちの歯科医院でもいつも昼過ぎにT歯科技工所の担当者が模型を取りに来院します。
さて、うちの出入りしているT歯科技工所の担当者ですが、先日、僕はその担当者に尋ねました。
「最近、H君が復帰したのですか?」
担当者は 「そうなんです。先生よくわかりましたね。どうしてわかったのですか?」
H君とはT歯科技工所に勤務していた歯科技工士のことです。数ヶ月前、諸事情がありT歯科技工所を退職していたのです。そのH君がどうしてT歯科技工所に復帰していたことがわかったのか?僕は説明しました。
「最近、お宅にお願いしている歯科補綴物を見ているとわかったんですよ。H君が作っているなって。」 「やっぱりわかりますか、Hの作った補綴物が?」 「わかりますよ。いろいろなところに彼の個性が出ていますからね。」
補綴物というとどれも同じようなものが出来るように思われるかもしれませんが、実際はそうではありません。作る人によって独特の癖というものが必ずあるものなのです。ある程度の補綴物は歯医者の指示がありますが、それでも補綴物を作る歯科技工士の癖が出てくるものです。 どんな癖があるか?ということになると、これは言葉にはしにくいところがありますし、一般の方から見ればわからないかもしれませんが、歯医者が見れば直ぐにわかる性質のものなのです。 H君にも独特の癖があります。数ヶ月前からT歯科技工所で作られた補綴物にはH君が作った補綴物を見なかったですが、1ヶ月前ぐらいからH君が作ったと思われる補綴物をしばしば目にするようになったのです。僕は“もしかしたらH君はT歯科技工所へ復帰したのかな?”と思っていたのですが、それ以降、H君の癖のある補綴物が次々と届けられるようになり、僕の思いが確信へとなった時点で担当者に聞いてみたわけなのです。
この手の癖、何も補綴物だけのものではないでしょう。歯医者以外の様々な職業についているプロと呼ばれる人なら、誰しも特有の癖を持っているはずです。 また、職業人のみならず、老若男女、誰もが何気なく行う仕草、習慣、行動パターンにも人それぞれのはずです。 例えば、よく耳にする話の一つに夫の浮気を奥さんが感じる時があります。これまでと違った行動や言葉の乱れ、生活パターンが見られるようになったことから奥さんは主人に対し何らかの違和感を覚える。そこでピンとくるのが、女性関係。ということから、携帯メールを覗き見して自分が知らない女性の存在に気がつく。 この手のパターンが非常に多いように思います。男ならば隠密にしていたつもりなのにどうして家内は自分の女性関係に気がついたのだろうと思いがちですが、実は自分が思ってもいないことを自分が知らないうちにしていることに気がついていないのです。それくらい、日常の生活パターンというのは誰もが気がつかないうちに一定のパターンがある。それは、何気ない仕草であり、習慣であり、癖でもあるのです。
このことを考えると、何も隠し事をするのは難しいものだと改めて感じる次第。ポーカーフェースで隠し事を常に隠し続けることは至難の業だなあと思いますよ。
2007年11月13日(火) |
品格のある女性になれない僕 |
僕が所属する地元歯科医師会では年に数回一般市民の方を対象に無料で講演会を開催しています。口や歯の健康の大切さを啓発するための事業の一つなのですが、僕はこの一般市民向けの講演会の担当者として裏方の仕事を任されています。
一般市民向けの講演会といえば聞こえはいいのですが、開催当初はなかなか受講者が集まらず大変でした。地元市の広報に宣伝を出したり、市内の行政掲示板に広告を出したり、地元歯科医師会に所属する歯医者の先生の診療書にポスターを掲示したり、地元市の教育委員会や養護教諭の先生に講演会の周知をお願いしたり等々。先輩の先生方の地道な努力の結果、最近ではコンスタントに一定数の方が受講してくれるようになりました。
この一般市民向けの講演会で必ず準備しなければいけないものがあります。それは受講者に対するお土産です。 受講者を少しでも増やすためには講演会に来て良かったと思えるような工夫が必要です。単に講演会で知的好奇心を満足してもらえればいいのですが、口や歯の話となるとどうしても堅苦しい話になりがちです。講演会の内容が最も大切なのは言うまでもありませんが、それ以外にも何かオイシイところがないと歯科医師会が主催する講演会に毎回足を運ぼうとする人を増やすのは難しいのが正直なところです。
地元歯科医師会では受講者に対し、講演会終了後に受付にて土産を渡しています。 歯科医師会の講演会の土産というと、一体どんなものを想像されるでしょう?歯ブラシや歯磨き粉といった歯科関連グッズでしょうか?実はそうではありません。 本来、歯科関連グッズを手渡したいところなのですが、歯科医師会というのは個人ではなく歯医者という専門家が集まった団体です。この団体が特定の会社の歯科関連グッズと手渡すとなると、一般の市民から見れば、歯科医師会が特定の会社の製品を推奨していると思われます。歯科医師会は特定の会社の製品をえこひいきすることはできません。同じ質の製品であれば、どんな会社も公平に扱う義務があります。 それでは、いろんな会社の製品を取り寄せればいいのではないかという話になりますが、そうなると、お土産を受け取る受講者から不満が出ることが考えられます。いくらどの会社の製品も同じ質であると事前に説明しても、隣の芝生は青く見えるではないですが、他の受講者の受け取った歯科関連グッズが自分の物よりも優れている、不公平であると思われることもあるのです。
一体どんなものがお土産として適しているか?地元歯科医師会の先生がいろいろと試行錯誤しながら決めたものが花でした。小鉢に入れた花を受講者に一鉢ずつお土産として持って帰ってもらうのです。意外に思われる方がいるかもしれませんが、お土産としての花は毎度好評で、老若男女、誰もが喜んで持って帰られる土産なのです。
先週末も一般市民向けの公開講座が開催され、講座終了後、受講者に花をプレゼントしました。ところが、思わぬ問題が生じました。それは、手違いで参加受講者数以上の花が届き、余ってしまったのです。返品することもできず、結局のところ、公開講座を手伝っていた地元歯科医師会の先生で手分けして持って帰ることになりました。僕も二鉢の花を持って帰ってきました。下の写真の花です。
家で待っていた嫁さんに手渡すと、嫁さんは非常に喜んでくれました。
「きれいな花だね、そうさん、たまにはいいことするじゃない。」 「“たまには”だけ余計だよ。それはともかく、この花は何という花なの?」
実は、僕は花のことは非常に疎く、一体どんな花を持って帰ってきたのか全くわからなかったのです。僕の質問に対し、嫁さん曰く
「この花の名前も知らないの?」 と呆れ顔。
「知らないものは知らないよ。教えてよ。」 「これはガーベラというのよ。」
「最近、ベストセラーになっている本の一つに“女性の品格”って本があるけど、著者の坂東眞理子はこう言っているよ。『品格のある女性は花の名前をよく知っている』ってね。そうさんは品格のある女性にはなれないわね。」
嫁さんに一方的に言われっぱなし。
“僕は野郎ですけど”とは口が裂けても言えなかった、歯医者そうさんでした。
2007年11月12日(月) |
死んだ人間が生きている?! |
以前にも書いたことですが、僕が所属している日本歯科医師会には会員へ月1回会報が届けられます。日本歯科医師会雑誌という会報なのですが、その中に“会員の動き”という欄があります。この欄には、各都道府県単位の会員数の現況、入会者の先生と死亡退会した先生の名前が都道府県ごとに記載されています。
僕自身、いつも何気なくこの“会員の動き”欄を見ているのですが、先月号の“会員の動き”の中の死亡退会した先生の名前を見ていると、ある先生の名前が載っていました。その先生とはY先生。僕の出身大学の先輩であり、かつて仕事の関係で世話になった先生の一人でした。数ヶ月前にもある学会でお会いし、挨拶をさせてもらっていた先生だったのですが、そのY先生の名前が死亡退会の欄に記載死亡されていたのはびっくりしました。
今年50歳代後半のY先生ではありましたが、毎日朝ジョギングを日課とし、規則正しい生活を過ごしながらも歯科医師会の活動に熱心に取り組んでおられていたのです。そんなY先生の突然の訃報に僕はただただ驚くばかりでした。元気だった方が突然亡くなるようなことは決して珍しいことではありませんが、それにしてもこれまで病気らしい病気の経験が無く、元気ハツラツとしていた姿が印象的だったY先生が亡くなられたとは信じられませんでした。
ただ、気になることがありました。それはY先生が亡くなった話を僕は一度も耳にしていなかったことです。日本歯科医師会雑誌の“会員の動き”は実際に会員が入会したり、死亡退会してから若干遅れて掲載されるのものですが、僕はY先生の訃報は日本歯科医師会雑誌で初めて知ったのです。近隣の歯科医師会に所属していたY先生が亡くなれたのなら、もっと早くその話を耳にしてもよかったはずなのですが、僕は何も聞いていませんでした。それ故に、Y先生の訃報を驚きに感じたのです。
一昨日のことでした。我が家の郵便受けに一通の速達が届きました。速達の差出人は日本歯科医師会。日本歯科医師会から速達が送られてくるということはめったにありませんから、一体何事だろう?と思い封を開けてみました。すると中には一通の手紙が入っていました。タイトルが“記事掲載のお詫び”となっていました。 その内容は、何と先月号の日本歯科医師会雑誌の“会員の動き”欄の死亡退会に誤ってY先生の名前を載せてしまったことを陳謝するという内容だったのです。全くの事務的なミスだったそうで、Y先生本人、地元歯科医師会関係者に多大な迷惑をかけたことをお詫びする内容だったのです。とんだ迷惑を被ったY先生。さぞ大変だったことだっただろうなあと同情を禁じえませんでした。
昨日、僕は家族とともに某ショッピングモールに買物に行っていました。嫁さんやチビたちと歩いていると前方からどこかで見た顔の人が歩いてきました。それは今回の騒動に巻き込まれたY先生ご本人だったのです。僕は早速Y先生に挨拶をし、今回のトラブルに関して尋ねてみました。
「先生、今回の騒動はえらいことだったですね。何せ知らない間に死人にされていたわけですから。」
すると、Y先生は苦笑いをしながら
「私は生きているよ。死んだ人間が『生きている』と言っているんだから間違いない!」
2007年11月10日(土) |
発言小町にハマル理由 |
読者の皆さん、とりわけ女性の方ならご存知かもしれませんが、読売新聞のサイトの中に大手小町というコーナーがあります。読売新聞のサイトを訪れる女性を対象としたコーナーなのですが、その中に発言小町という掲示板があります。この掲示板は日頃の悩みを書き込むとその悩みに対して他の読者の人が意見をよせるという掲示板でして、毎日多数の書き込みと回答が寄せられています。反応の多いものにはランキングがついているのも興味深いところなのですが、最近、僕はこの発言小町を読むのがちょっとした日課になっています。一種のマイブームといったところでしょうか。
僕は野郎ですので女性のことはよくわからないところがあります。周囲には嫁さんやお袋をはじめとして何人もの女性とともに暮らしていますし、これまで何人もの女性と友達になったり、仕事上のパートナーであったり、何人かの女性とは親密にお付き合いもしてきました。このサイト“歯医者さんの一服”を立ち上げてからも、オン、オフの両方で何人もの女性と交流を続けてきました。
そんな僕ではあるのですが、女性のことを全てわかっているかというとその答えは否。付き合えば付き合うほどわからないことが多々あります。僕は基本的にスケベですので、女性のことは大好きなのですが、そんな僕でも女性の価値観、思考、生活習慣などを見ていて“あれっ?”と思うこともしばしばです。女性からみれば、“そんなの当たり前じゃない”と感じることでも野郎の僕にとっては新鮮な驚きであることが珍しくありません。そんな僕にとって発言小町に寄せられる質問や回答を見ることは、女性の本音が垣間見えるものとして非常に興味深く拝見しています。ほんと、勉強になることが多いですね。
発言小町を読んでみると興味深いことがあります。発言小町に寄せられる質問の中には、質問者があまりにも常識のない、くだらない質問をしていることがあるのです。男性である僕が見ていても、“如何なものかな?”と質問者の人間性を疑ってしまうようなものもあるのです。そんな質問に対しての回答は予想通りというのでしょうか、質問者に対して非常にダイレクトに時には辛辣な回答が多くを占めています。 “そらそうだろうなあ”と思いながら読んでいると、中に思わぬ回答に出くわします。それは、感情的ではない非常に客観的に冷静に質問に対する分析をし、冷静に質問者のプライドを傷つけないような回答です。うまく表現できませんが、物事を非常に達観してみた上での回答でもいうべきでしょうか。そんな見方、視点があるのかと思いたくなるような見事な回答なのです。
回答が多い発言小町にはこのような回答はすぐに埋もれてしまい、目立たないように見えるのですが、何か思わぬ貴重な意見で、僕としては思わぬ宝物を拾ったような、得した気分になるのです。
世の中、物事を決める時に多数決が取られ、多数の意見が優先されるのが常ですが、少数派の意見にも耳を傾けたくなるような、場合によっては正論であることがあるものです。回答が多い発言小町の中の少数の回答はまさにこうした正論、ツボを抑えた、真理のようなことを書かれている意見があります。僕が発言小町に魅せられる最大の理由がここにあります。
男性の僕からみても非常に面白い発言小町。まだアクセスされていない方は、是非一度アクセスしてみては如何でしょう?
2007年11月09日(金) |
歯医者はベンツに乗るな |
昨日の日記にも関係しているのですが、世間で歯医者が“儲かっている”“お金持ち”であると言われる根拠の一つに所有している自家用車があります。いまや多くの家庭で自家用車を所有している時代、自家用車を所有すること自体は何ら珍しいことでもありませんが、少なくない歯医者が所有している自家用車が外国製であることが周囲の人の目を引きやすいのは事実です。 僕が所属している地元歯科医師会でも例外ではありません。夜に会合がある際、地元歯科医師会の会館に置かれている自家用車を見ていると、外国製の自家用車が少なくありません。
歯医者がどうして外国製の車を好むのでしょう?それに対する明確な答えを僕は持ち合わせてはいません。単に外国製の車が好きだという車好きもいることでしょう。かねてから外国製の車を所有することが夢でその夢を実現したかった人もいるでしょう。外国製の車を所有することが一種のステータスだと考えている人もいるでしょう。 僕の知り合いの歯医者のように、“外国製の車の方が丈夫だから、いざ交通事故に遭ったとしても身を守れる確率が高い”と本当かうそかわからないようなことを言う人もいます。 実際のところ、歯医者が外国製の車を即金で買っているかというと、そういう人は少数派です。ローンを組み、分割払いしている人が多いのが現実です。または、安価な中古の外国製の車を購入している歯医者もいます。それほどまでして外国製の車が欲しいものかと思いたくなるのですが、欲しいと思う歯医者が少なくないのも事実です。
ところで、親父は長年歯医者をしているのですが、自家用車は国産の中型車を乗り続けています。以前、僕は親父に尋ねたことがあります。外国製の車に乗る歯医者が何人もいるのにどうして親父は国産の車を乗り続けているのかと。親父曰く
「車というのは非常に目につきやすいものだ。特にうちの辺りのような人口の少ない地域であればその傾向が強い。うちの周囲を見ていると外国製の車に乗っている人はいないよ。外国製の車は国産に比べて高価だから購入する経済的余裕が少ない人がほとんどなんだ。そんな中、わしが外国製の車を購入したらどういった反応が周囲から来ると思う?あそこの歯医者は儲かっているという評判が立つのは目に見えているよ。実際、うちの歯科医院は儲かっていないし、毎日が青息吐息の状態なのに、外国製の車一台購入しただけで周囲からは何かと色目で見られるのは不本意なことだ。わざわざ周囲から特別視されるようなことをするよりは、周囲と合わせて国産車に乗るほうがいいのではないかと思うんだよ。」
親父は自家用車が単に車を所有しているだけではないことをよく知っていました。所有している自家用車によって周囲が自分たちにどのように接するか、評価するかということをよく知っていたのです。歯医者は患者さんを治療をして生業をたてています。もし、外国製の車を購入すれば、周囲からは“あの先生のベンツはわしらの歯を削って買ったものだ”と言われかねません。まじめに歯医者の仕事をしているのに、購入する自家用車によってその評価が一変する。そんな世間を親父はわかっていたのです。
僕も親父の意見に同意します。昨日の日記にも書いたことですが、多くの歯医者は儲かっていないのが実情です。時折、派手な暮らしぶりをしている歯医者がマスコミに取り上げられたりしますが、“どうしてあれだけ儲かることができるのだろう?“と同じ歯医者として感じるくらいです。 歯医者は自分の歯科医院の経営に苦労を重ねながら毎日を過ごしているのですが、それにも関わらず自家用車だけは外国製に乗っている歯医者が少なくないのです。これは如何なものかと思うのです。本当に自分の歯科医院の経営のことを考えるなら、基本的に仕事場である歯科医院に経済を集中しなければいけないと思うのです。歯医者は歯科医院があってナンボの商売なのですから。少しでも経済的に余裕があるならば、自家用車に投資するのではなく、自らが経営する歯科医院で働くスタッフへの人的投資、設備、機材、研究などに投資する。そして、結果的に患者さんに還元するのが地域医療に貢献する歯医者の使命ではないかと思うのです。
いくら歯科医院の経営が苦しいから保険診療報酬を上げないといけないと歯医者が声高に叫んだとしても、自家用車が外国製に乗っていれば、周囲からは支持されません。“歯医者は苦しいと言っておきながら自家用車は外国製じゃないか”と言われるのが関の山です。 歯医者の中には自らが所有する自家用車の意味するものを理解していない歯医者がいるように思えてなりません。極端な話、日本全国の歯医者の自家用車が軽自動車であれば、世間の見方は変わってくるはずです。歯医者の生活は楽じゃないんだなと。それくらい、自家用車が意味するものは大きい。
このようなことを書くと、外国製の自家用車を持っている歯医者から顰蹙を買い、敵にまわすことになりそうですが、自家用車に関しての僕の持論は曲げるつもりはありません。
ちなみに、僕もささやながら自家用車を所有していますが、国産車であることを最後に断っておきます。
2007年11月08日(木) |
歯医者は儲かっていると思いますか? |
先月末、第16回医療経済実態調査の結果速報が報告されました。医療経済実態調査というのは、社会保険による診療を行っている日本全国の医療機関における医業経営の実態を調べた調査のことです。日本全国の病院、精神病院、一般診療所、歯科診療所ならびに保険薬局を対象とし、地域別に無作為に抽出した施設を調査対象としています。二年に1回の割合で行われています。歯科診療所においては抽出率50分の1、すなわち、50診療所に1件の割合で調査されたことになっています。その結果は以下のとおりです。
収入 345.7万円 その内訳は、 保険診療収入 298.4万円 労災等診療収入 0.3万円 その他の診療収入 42.3万円 その他の医業収入 4.5万円 介護収入 0.2万円
一方、支出はといいますと 222.8万円 その内訳は 給与費 99.0万円 医薬品費 4.1万円 歯科材料費 21.4万円 委託費 37.4万円 減価償却費 16.2万円 その他の医業費用 44.7万円
収支差額が122.9万円
この医療経済実態調査では収支差額に計上されていないものがあります。例えば、借入金元本の返済額や建物、設備等の改築・更新の費用などです。日本歯科医師会によれば、借入金元本の返済額は月平均22.7万円なのだそうです。
以上の結果から、一般歯科診療所における収支差額は100万円を切る額であることが明らかです。この額を高いか低いかと言うことになると議論のあるところだとは思いますが、少なくともこれまで世間で定着しているような“歯医者は儲かっている”、“歯医者は金持ちである”というイメージとは随分違うと感じられる人が多いのではないでしょうか。
昨年の診療報酬のマイナス改訂により多くの歯科医院では収入が落ち込む一方、医業費用と呼ばれる支出が増えています。借入金の返済に追われる歯科医院がほとんどです。どの歯科医院も経営努力をしているのですが、経費節減の努力も限界に達している歯科医院が増え、結果として経営が苦しい歯科医院が多いのが現状なのです。
2007年11月07日(水) |
差し歯、被せ歯の保証書 |
ここ数年、保険診療でクラウンやブリッジと呼ばれる差し歯や被せ歯を歯科医院でセットされた方は歯科医院の受付である紙を渡されると思います。この紙は補綴物維持管理説明書と呼ばれる書類です。下の写真は補綴物維持管理説明書の一例です。
これは歯科医院でセットしたクラウンやブリッジに対する一種の保証書のようなものです。保険診療の規則で、歯科医院において保険診療でクラウンやブリッジをセットした際、その歯科医院では2年間補綴物維持管理を行う義務があります。補綴物維持管理というとわかりにくいですが、セットしたクラウンやブリッジに対する一種の保証のようなもので、補綴物をセットした歯科医院ではセットした日から2年間はその補綴物に対して責任を持って管理する義務があるのです。 例えば、クラウンやブリッジが欠けたり、外れたり、むし歯が生じた場合、セットしてから2年間は治療費は患者さんに請求することができない、自分の歯科医院で経費を負担しないといけないのです。
実は、補綴物維持管理というのは保険診療の規則で、保険請求が認められ、治療費の中に含まれているのですが、クラウンやブリッジをセットした際必ず補綴物維持管理説明書を手渡さないといけないようになっているのです。すなわち、患者さんは保険診療でクラウンやブリッジをセットした際、セットした日から2年間はクラウンやブリッジに何らかのトラブルが生じた場合、治療費を負担する必要がないのです。 歯科医院ではクラウンやブリッジをセットしてからどれくらい経過しているか把握しています。うちの歯科医院でもクラウンやブリッジに何らかのトラブルが生じた場合、パソコンに登録している過去データを確認し、セットして2年以内かどうか確かめます。
最近の歯科医院では、補綴物維持管理中のクラウンやブリッジをセットしてから2年間は何のトラブルも起きないように定期検診や予防に力を入れる歯科医院が多いようです。これは患者さんの歯の健康維持を図るために大切なことでもありますが、その一方、セットしたクラウンやブリッジを点検する意味合いも一部あるのです。もし、セットしてから2年間以内にクラウンやブリッジに何らかのトラブルが生じれば、それは歯科医院での持ち出しとなりますから。
ただし、この補綴物維持管理はクラウンやブリッジをセットした歯科医院での話です。別の歯科医院でセットしたクラウンやブリッジが脱落したり、破損したからいって他の歯科医院で治療する場合、この補綴物維持管理は認められません。かかる諸経費は患者さんの負担となります。あくまでもクラウンやブリッジをセットした歯科医院での話ですので誤解のないようにしてほしいと思います。
ちなみに、補綴物維持管理はクラウンやブリッジだけの話です。乳歯のクラウンの場合は補綴物維持管理はありません。(最近は乳歯のクラウンというのは少ないのが現状ですが)。また、補綴物の中でもインレーと呼ばれる金属製の詰め物の場合も補綴物維持管理はありません。
歯科医院でクラウンやブリッジをセットした患者さんは受付で上記の補綴物維持管理説明書を渡されることとは思いますが、それは大切に保管しておいてほしいと思います。歯科医院でも補綴物維持管理を把握はしていますが、セットしたクラウンやブリッジに何らかのトラブルが生じた際には、補綴物維持管理の紙を必ず歯科医院へ持参して提示してほしいと思います。
2007年11月06日(火) |
患者に”大丈夫”と言えるように |
歯医者に限らずどんなお医者さんでも言えることですが、最近は治療を行うに前、どんな状態でどんな治療をするのか細かく説明する傾向にあります。以前であれば、“拠らしむべし、知らしむべからず“に代表されるように患者さんは事前の何の説明がなくても担当医を無条件に信用すればそれで大丈夫だということではあったのですが、患者の権利というものが世間に浸透してくると、医者側も患者の権利を尊重するようになってきました。 患者の権利の一つに知る権利というものがあります。自分が望めば、受けている医療情報を知ることができる権利であるわけですが、医者側はそんな患者の知る権利に対し、積極的に医療の情報提供をしなければいけなくなってしまいました。 一方、治療前の医者側の説明が不足である場合、治療後に何らかのトラブルが生じれば、それは医者の責任であるということで、患者さんの中には訴訟に訴えるケースも少なくありません。医者側はそうした患者さんの傾向に対し落ち度がないようにこれまで以上に念入りに説明をしたり、紙に書いたものを渡したりするようにし、積極的な情報公開を努めるようにしています。
このこと自体僕は悪くはないとは思うのですが、その反面疑問に思うことがあります。 例えば、何らかの手術を受ける時を考えてみます。手術を受ける際には、必ず手術に対する説明を事前に担当医から時間を取って受けるのが常なのですが、その際、手術の成功率の話も出てきます。すなわち、手術をすることに対し一定のリスクもあることを受けるのですが、手術に臨む患者さんにとって、この説明は非常に不安を駆られるものです。例え、手術の成功率が90%であったとしても残りの10%に自分が入ったらどうしよう?実際の手術の成功率はほぼ確実であったとしても、患者さんは常にマイナス思考をしがちなもの。数字で詳しく説明を受けること自体は問題がないものの、具体的な数字を見せられることによって余計な心配、不安で頭が一杯になるものです。
僕はこれが本当にいいことなのだろうかと思うのです。事前に手術の成功率、失敗率をあげることは医療の情報公開としては仕方のないことだろうと思います。これをしておかないと、万が一手術がうまくいかず、後に障害が生じたり、死に至るような場合、患者さんは医者の責任を問うことになります。賠償や訴訟のことを考えると、事前にこういった数字の説明は医者の責任を問われる状況から考えても仕方のないことだろうとは思いますが、本当に患者さんが必要なのは、詳細な数字の説明なのだろうかと思うのです。患者さんは自分の悪いところを治したい、元気な体を取り戻したい。そのために勇気を出して手術を受けるのです。そのような患者さんには客観的な手術の説明は必要ですが、それだけでは足りないと思うのです。
そこで思い出すのが、僕が研修医時代に世話になったH先生です。H先生は歯科口腔外科の専門医として数多くの患者さんの手術を執刀されていたのですが、手術前にはやはり患者さんや患者さんの家族に対し手術の説明をされました。その説明は懇切丁寧なもので、医学的用語を使用せずわかりやすい言葉で、時には絵を描いたり、たとえ話をしながら説明されていました。先に書いた手術によるリスクのことも説明されていたのですが、最後に必ず言われていた言葉がありました。
「僕と一緒にこの困難を乗り切っていきましょう、がんばりましょう。」 そして、別れ際には患者さんの肩を叩きながら
「大丈夫」 と囁かれていたのです。
正直言って、手術がどのような結果になるかわからない常態で“大丈夫”という言葉を発することはできないものです。いくら知識、技術、経験が豊富なH先生ではありましたが、一寸先は闇という言葉もあります。手術中何が起こるかわかりません。手術が100%成功するかどうかを断言するのは困難です。そのことを百も承知のH先生がどうして患者さんに対して“大丈夫”と言えるのか?
H先生は言います。 「患者さんは僕を信用して自分の体を預けてくれている。その信頼に答えるためには全身全霊をこめなければならない。“大丈夫”という言葉には自分が常に一緒についていますよと患者さんに励ます意味がある。一緒に病気と戦いましょう。そして、一緒にこの困難を乗り切りましょう。これができて初めて患者さんとの間に信頼感が生まれるんだ。」
僕も歯医者になって17年目ですが、患者さんに対しなかなか大丈夫と言える自信はありませんが、少なくとも、患者さんが安心して口の中の治療を任せてくれるようになりたいと思っています。非常に難しいことではありますが。
「お互いにいつ“お迎え”が来てもおかしくない年ですからな。」 「先生のおっしゃるとおりですわ。私も体力的に無理はできません。いつ“お迎え”が来るかどうかわかりませんからな。」
この会話は一緒に仕事をしている親父とある患者さんとの会話です。その患者さんの年齢は75歳。親父は76歳。お互い若いとはいえない、世間では高齢者と呼ばれている人たちです。
このようなことを書くと不謹慎なのは承知の上ですが、僕は高齢者同士が話す際の“お迎え”という言葉に何とも言えないしみじみとしたものを感じます。“お迎え”とは自分の一生が終わることを例えたもので、元来はあの世から出迎えるという仏教由来の言葉であるのは皆さんご存知のことと思います。人間というもの、誰しも寿命というものがあるわけですが、自分の一生が終わりに近づいてくると、それなりに自分の命というものを意識せざるをえなくなることをよく耳にします。人生の終わり、命が無くなることへの不安を上手にオブラートに包むがごとく表現している言葉。それが“お迎え”ではないかと思うのです。
世の中に生を受けて紆余曲折、試行錯誤の日々を過ごしてきた自分ではあるが、何とか命永らえてここまで生きてきた。そのことに感謝しながら、静かに余生を過ごす。そして、自分が気がつかないうちに、眠るがごとく一生を終える。僕は“お迎え”という言葉の中に、その人の一生に対する感謝と温かみが込められているように思えてなりません。
世の中には苦しみながら一生を終える人が数多くいます。ある人は戦争で、ある人は事故や天災で、ある人は自ら命を絶つ場合もあるでしょう。原因不明の不治の病で亡くなっていく人もいることでしょう。そんな中で自分の生涯を振り返りながらも生きていてよかった、残りの人生を全うしたいニュアンスが“お迎え”という言葉の響きの中に込められているのではないかと思うのです。 上記のある高齢の患者さんと親父との間に交わされた“お迎え”という言葉には、互いに長生きすることができてよかったですね、これからも命ある限り実りある余生を過ごしたいものですねという、励ましの意味さえ感じられます。
若輩者の今の僕には決して使うことができない“お迎え”ですが、後何十年か経過し、生きていることができるなら、自分で言ってみたい目標の言葉でもあります。“お迎え“という言葉が言えるよう、まだまだ精進しないといけない歯医者そうさんです。
2007年11月03日(土) |
うらやましい自転車二人乗り |
先日、所用である所へ車で出かけている時のことでした。ある交差点で停止していると、前方の横断歩道を一台の自転車が通り過ぎました。その自転車は二人乗りしていた自転車だったのですが、男の子が運転をし、女の子が後ろに乗っておりました。雰囲気からすれば彼氏と彼女のようで、彼女は運転している彼氏の腰に手をまわし、顔を彼氏の背中にくっつけるような形で乗っておりました。見るからにラブラブ状態。青春しているよなあと思わず思ってしまった今年厄年の歯医者そうさん。
自転車の二人乗りといえば、僕は幼少の頃のことを思い出します。当時の僕は母型の祖父母と一緒に暮らしていたのですが、祖父母とも僕が初孫ということで大変かわいがってくれていました。僕が電車好きだったことを知っていた祖父は、僕が機嫌が悪くなると、自らの自転車に僕を乗せて近くの国鉄の駅に僕を連れて行ってくれていたものです。祖父は、駅の踏み切りや線路の側、時には駅の構内へ僕を連れて行き、僕とともに行き交う国鉄の汽車、電車を見せてくれました。 僕は汽車や電車を見る時も楽しかったのですが、それ以上に自転車に乗って国鉄の駅へ行く途中が至福の時でした。祖父が何かと話をしながら、自転車の振動を感じ、祖父の腰に手をかけ祖父の体の温かみを感じながら乗る。駅につくまでの時間が何とも言えないワクワク感があり、自転車に乗っている自分がまるで電車に乗っているような錯覚さえ覚えたものです。
幼少の頃、しょっちゅう二人乗り自転車に乗せられた経験のある僕でしたが、大人になってからは不思議と二人乗り自転車で誰かを乗せて走った経験はありません。道路交通量が多くなり、自転車の二人乗りが危険になってきたこともあるでしょうが、電車やバス、自家用車といった交通手段が主になってきたからは自転車に乗る機会そのものが少なくなってきたことが大きな要因かもしれません。そのため、車に彼女を乗せた経験はあるものの、自転車には乗せた経験がないまま今を迎えてしまったのです。
今、運転できそうな大人用自転車が手元にありません。田舎に住んでいる関係から移動手段はもっぱら自家用車。嫁さんや子供を後ろに乗せて走るようなことはできないだけに、今回の自転車に二人乗りしていた彼氏、彼女の素朴で、ほんわかとした光景を見るとちょっぴりうらやましく感じた、歯医者そうさんでした。
2007年11月02日(金) |
俺の治療は宇宙一・・・ |
「俺のパンチは宇宙一や!」 この発言は世間を騒がせた亀田一家の次男、亀田大毅がWBC世界フライ級チャンピオンである内藤大助選手とのタイトルマッチ直前の会見で言った発言です。 実際の試合では亀田大毅は大差での判定負け。特に、最終ラウンドの誰がみてもわかる反則行為には世間の批判が集中し、バッシングがおきているのは皆さんご存知のところですが、彼がタイトルマッチ直前の会見で語った数々のパフォーマンス言葉の中で、僕は個人的に“宇宙一”という言葉が妙に印象に残りました。
何せ宇宙一なのです。日本一でもない、世界一でもないのです。宇宙で一番なのです。 宇宙は約130億年前にビッグバンと呼ばれる大爆発によって生じ、未だに膨張をし続けているとのこと。現在観測される最も遠い星までは100億光年あるとされているそうですが、まだまだ解明されていないことが多く、未知の世界であることは間違いありません。少なくとも地球もこの宇宙の中にある天体であることは間違いないようなのですが、そんな宇宙の中で一番という“宇宙一“という発言。スケールの大きさは測り知れないはずなのに、僕は思わず笑ってしまったのです。 その後、亀田騒動を横目で見ながら、僕は密かにどうして自分は“宇宙一”という発言に笑ってしまったのだろうか考えてみましたが、その理由がわからずにいました。こうした時は一度自分で使ってみたらどうだろう?何かわかるのではないだろうか? 僕は早速実践してみました。
まずは外で縄跳びをしていた下のチビに対して言ってみました。
「俺の縄跳びは宇宙一や!」 すると、下のチビは
「そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ、オッパッピィ〜」 どうも小島よしおと勘違いしてしまったようです。
次に宿題をしていた上のチビに言ってみました。 「俺の算数は宇宙一や・・・」 それを聞いたうえのチビは思わず笑っておりました。これはと思いすかさず僕は続けました。
「俺の漢字は宇宙一や・・・」 笑いながらも上のチビは 「亀田の言った言葉でしょ?面白いけど学校では言えないよ。」 「どうして?」 「だって、あまりにも恥ずかしいからね、宇宙一って言葉は。」
今度は化粧をしていた嫁さんに言ってみました。 「俺のメイクは宇宙一や・・・」 嫁さんは笑いもせず、冷たい視線を僕に浴びせながら [よくも恥ずかしげもなくそんな恥ずかしいことを言えるものやね。」
う〜ん、嫁さんにはイマイチ受けなかったようです。宇宙で一番メイクが一番って褒めているつもりなのにどうして冷たくあしらわれるのだろう?
最後に僕は自分自身に対し言ってみました。 「俺の治療は宇宙一や・・・」
何というのでしょうか、宇宙一と言った瞬間、非常にむなしいものを感じたのです。恥ずかしさを通り越した感覚というのでしょうか、自分で言って自分で恥をかいたような感覚に陥りました。“何を寝ぼけたことを言っているのだろう。うぬぼれるにも程がある。そんなことを考えている暇があったらもっと勉強しろよ!”と自分で突っ込みたくなりました。“宇宙一”なんて口が裂けても周囲には言えません。
宇宙一という言葉、これをまともに言い切るには相当な勇気と恥を恥とも思わない気合が必要だと感じた歯医者そうさん。そういった意味で亀田大毅のセンスは飛んでいたなあ、いやいやすごいものがあるなあと思いましたね。
2007年11月01日(木) |
歯にいろいろな形がある理由 |
歯医者さんの一服日記を読んでいただいている方はご存知のことと思いますが、人間の永久歯は28〜32本あります。28〜32本と幅を持たせたのは親知らずを含めるか含めないかと考慮してのことです。親知らずは生える人、映えていない人、骨の中に埋まっている人がいますから。今日の話では、人間の永久歯は28本あるものとします。
28本の歯ですが、大きく分けると3種類に分けられます。前歯、犬歯と臼歯です。前歯は中切歯と側切歯、臼歯は2本の小臼歯と2本の大臼歯から成り立っています。
どうして人間の歯は形態に種類があるのでしょう?正直なところ、どうして人間の歯にいろいろな形がある理由については諸説あります。哺乳類の進化の過程で形を変え、進化してきたであろうということは言えるのですが、その仔細に関しては解明されていません。
諸説ある中で有力な説として、人間の歯は食べ物を食べるために歯の形が進化してきたというものがあります。 まず、前歯についてですが、切るという機能に特化しているような形です。元来、多くの動物では捕食ということが行われてきましたが、これは歯を用いて動物を捕獲するために行われることです。前歯はこうした捕食に都合の良い形であるわけですが、人間の場合は野菜を切って食べるのに好都合なのです。 犬歯については、わざわざ歯の前に“犬”という単語がついています。犬の歯は大変鋭い歯であるため肉を噛み裂くことが容易であることは想像がつくと思います。人間においても同じで肉を噛み裂くことに重要な役割を果たしていると言えます。 臼歯に関しては、字にわざわざ“臼”という文字がついているくらいです。食べ物をすりつぶすことに非常に適した形です。かみ合わせの面が前歯や犬歯に比べ非常に大きな面積を占めていることから、臼歯で細かくすりつぶすことでその後の胃や腸での消化が行われやすくなっているのです。 ちなみに、物は細かく砕けば砕くほど表面積が大きくなります。食事をする際、よく噛むようにすることは、それだけ食物を細かく砕くこと、すなわち、食物の表面積が大きくなります。胃や腸ではそれぞれ酵素を含んだ消化液が働くことにより消化が行われるわけですが、同じ食べ物を食べても噛めば噛むほど食べ物のより多くの部分に消化酵素が働き、より多くの栄養を吸収しやすい結果となるのです。
話を元に戻しまして、先に書いたように人間の歯は前歯と犬歯、臼歯の割合が2:1:4の割合となっています。これは、人間の歯は野菜2:肉1:穀物4を食べるために非常に効率よく出来ているとも言えるのです。何だかこじつけのように思われるかもしれませんが、栄養学的な立場からみてもこの野菜2:肉1:穀物4の割合で食事をすることは、人間の健康に良いことが言えるのだそうです。 最近、食生活の乱れが指摘されていますが、食事の偏り、食べ物の好き嫌いが少なくないのが現状です。このような人たちは、歯の形から見れば歯の機能をフルに発揮できていない、不健全な状態を自ら生み出していると言ってもいいのかもしれません。
人間の歯は食べ物に応じて進化してきたと書きましたが、現在の人間が持っている歯を食べ物を食べる効率性、栄養摂取を元に考えると、上記の説は、まんざらうそでもない、意外と真実に近いように思えます。
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